[過去ログ] (SB-Android)=無職捏造自演バ力竹内=PLおやじ (38レス)
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32: (東京都) 2021/02/28(日)10:16 ID:mMxqaRDb(1/7) AAS
平安朝文化
彼らのいかに涙の多いことよ。何かというと泣いている。彼らの長袖はいつも濡れている。
『源氏物語』のような文学的作品は世界にないと言うが、こんなもので日本精神が代表されては情けない。
貴族生活の恋愛葛藤・政治的陰謀・官能的享楽・文学的遊戯気分・修辞的技巧などで充たされている作品はあまり持て囃さぬがいいと思う。
(『日本的霊性』鈴木大拙・石川県金沢市出身の仏教学者)
33: (東京都) 2021/02/28(日)10:17 ID:mMxqaRDb(2/7) AAS
鎌倉時代は実に宗教思想的にみて、日本精神史に前後比類なき光景を現出した。
平安時代の四百年も決して無駄ではなかった。
いずれも鎌倉時代のための準備であった。
こんな根蔕があったので鎌倉時代の春が来た。
ここで美しき思想の草花が咲き出した。
そして七百年後の今日に至るまで、それが大体において我らの品性・思想・信仰・情調を養うものになってきた。
(『日本的霊性』鈴木大拙・石川県金沢市出身の仏教学者)
34: (東京都) 2021/02/28(日)10:17 ID:mMxqaRDb(3/7) AAS
貴族で固めた文化財のなかからは宗教は生まれぬ、霊性はわき出さない。
美しい女の子が生れないで尊貴の身分に近付けぬ悩み、位が上がらぬので威張れぬ悩み、
文芸の際がなく男振りがよくないので異性に持て囃されぬ悩み・・・
そんな悩みくらいで宗教は生れぬ。
なるほど宗教は現成世界の否定性をもっている。しかしそれは心の底の底から感じられるものでなくてはいけない。
霊性そのもののおののきでなくてはならぬ。
平安時代の多くの「物語」または「歌集」中に見られる如き憂愁・無常・物のあわれなどというものは何れも淡いものである。
人間の魂の奥から出るような叫びは、どこにも聞こえぬ。
(『日本的霊性』鈴木大拙・石川県金沢市出身の仏教学者)
35: (東京都) 2021/02/28(日)10:18 ID:mMxqaRDb(4/7) AAS
鈴木大拙→梅原猛曰く「近代日本最大の仏教(哲学)者」
林屋辰三郎→京都国立博物館館長、京都大学名誉教授
「約束の念仏は申して候よ やろうやらじは弥陀のはからい(熊谷直実)」
の如きは武人の心構えそのものを赤裸に出していると言ってよい。
阿弥陀の本願にまかせて念仏を称えている自分、それで極楽往生ができるものかできないものか、
それは自分の計らいできまるのでない、阿弥陀の計らいであるから、
いずれなりとあなたまかせだという心持は、他力信者のそれではないか。
また武人として約束はどこまでも守る、その結果がどうあろうと、それはこちらで知ったことでないというのは、
いかにも関東者の律儀性を発揮しているではないか。
『日本的霊性』鈴木大拙・石川県出身
京都盆地は五世紀に朝鮮半島からの渡来まではいぜんとした氾濫原であった。
渡来人最初の村は東山の麓に祇園社を祭る高句麗の人々の八坂村、衣笠山の麓に北野社を祭る秦氏の北野村、さらに南東の方には同じく秦氏の深草村、西の方には太秦村という村々であった。
そしてこの村々の人々は盆地の開発に助け合った。開発は治水を前提としなければならぬ。葛野川に大堰をつくって水量を調節し堤防を築いて水田を造成した。
平安楽土はまさしく渡来人たちが長い間の苦闘の末につくり上げたものであった。
(林屋辰三郎・石川県出身)
36: (東京都) 2021/02/28(日)10:19 ID:mMxqaRDb(5/7) AAS
鎌倉武士に憧れる中世西日本近畿♀猿
↓
『田植草紙』は安芸・石見の山間部に濃密に分布しておりました田植歌の書き留め、同じような写本、田植歌本とか歌本と申しますか、そんなものがたくさん残っております。
『田植草紙』は田植歌本を代表する最も優れた一本でございまして、我せられた歌謡はほぼ中世小歌圏の中で醸成された田植歌であるという定評を得ております。
(友久武文・広島大学名誉教授)
・坂東殿ばらは弓は上手なるもの 空立つ鳥を射て落といたり さても上手や空飛ぶ鶴を落といた 若い殿御が翔け鳥射たる弓手は さても射たのふ見事や弓の姿は
→坂東武者は弓の上手、空かける鳥を射落とすそうだ。え、落したのは鶴だろうなんて冗談は無し。ほんと素晴らしいんだから。
・宮仕ひをせう坂東方へ 武士の奉公好むと人や思ふらう 武家奉公なんぼう見ては好いもの 殿に参らせ塗籠籐の弓おば
→弓と矢があれば坂東方へ赴き、武家奉公をと男の願い。女も意に添いたい風情。
→なんぼう…「何ほど」の変化形。今も関西方言に多い。どんなにか、とても多く。
・重籐巻いたる弓の振りをしてな 坂東殿原の肩に掛からばやな 弓のふりして坂東殿御に惚れたよ 何と言ふても思ふに寄らぬ我か身や いつくしいは坂東殿御の姿よ
→弓は女の暗喩として用いられることが多く、女として自分を殿の傍らに置いて欲しいの意を含むか。
(『田植草紙』新日本古典文学大系/岩波書店)
「さても上手や、空舞う鶴を落といた……見事や弓の姿」と鶴に結びつけて(坂東殿御の)弓上手を謡っている。
更に「武家奉公、なんぼう見ては良いもの」と坂東武士への憧憬につながって、「思ふ弓や、御前引かば……」と、
この憧憬が具体的なかたちに変わる。
田植歌謡圏(中国地方)に種々導入された話から、恰も映画やドラマの主人公に憧れるのと似たような形態で、
坂東武士(関東武士)に憧れたものであったろう。
「面影ばかり残して、あづまの方へ下りし人の名は、しらじらといふまじ」(『閑吟集』)とか、
「吾妻下りの殿は待たねど、嵐吹けとはさらに思はず」(狂言小歌・虎寛本・靱猿)などの気持ちである。
(『田植歌謡と儀礼の研究』、坂東憧憬と弓矢の章)
37: (東京都) 2021/02/28(日)10:29 ID:mMxqaRDb(6/7) AAS
「東人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」
東国の人間は、言ったことはきちんと守る。京都の人は簡単に受け合うけれど、誠実さがないというわけだ。
これに対して尭蓮上人の答えはこうだ。都の人が嘘つきなわけではない。「心やわらかに、情ある」ために、人の頼みを断り切れないのだ。
しかも貧しい人が多いから、結果的に頼まれたことが実現できないのである。
東国人は、心に含みがなく、無骨で、一途に強い気性だから、できないことは「はじめより否といひて」断ってしまう。
それでも財産・実力があるから、他人からは頼みにされるのだ。
都人を弁護する議論だからこうなっているのだが、これがもし『軍鑑』作者や朝倉教景ならば、きっとこう付け加えるであろう。
だから公家には命をあずけられないのだ、と。
武士の世界で「頼む」というのは、己れの命をあずけることである。確実な裏付けもなく「ことうけのみ」よいような、それこそ「うろんなる」者に命はあずけられぬ。
頼むに値する武士、「頼もしい」大将とは、一を一とする、「分別」ある「有りのまま」の人物でなければならない。
(『武士道の逆襲』講談社現代新書)
38: (東京都) 2021/02/28(日)10:31 ID:mMxqaRDb(7/7) AAS
・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
日本と朝鮮半島の歴史と文化の交流というものを考えてみますと、長きにわたりまして、日本は朝鮮半島よりも明らかに後進的な国です。
『古代豪族と朝鮮』京都文化博物館編
河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(「渡来人と平安京」井上満郎・京都産業大学教授)
・鈴木大拙(石川県出身の仏教学者)『源氏物語のような女々しい作品は日本の恥』
人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之候。
実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚びざる処、例の物数奇連中や死に歌よみの公卿たちととても同日には論じがたく、
人間として立派な見識のある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。
(歌よみに与ふる書・正岡子規)
『小倉百人一首』は悪歌の巣窟なり。
万葉以降の歌人は源実朝と田安宗武との二人なり。
(歌話・正岡子規)
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