「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って? (675レス)
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290: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:12:26.86 ID:B01lO3bN 「べてらん先生の名文鑑賞教室」みたいな感じのが始まります。 今回のテーマは「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」である。 歌詞は以下の通り。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/290
291: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:13:20.64 ID:B01lO3bN (中略) >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから 以上となっている。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/291
292: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 00:39:16.91 ID:B01lO3bN >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい さて、まず最初の部分であるが。 「胸の奥で心躍る夢を見たい」というのは、人なら抱くであろう普遍的な気持ち。 「なぜ見たいのか」と問われてもここですぐに解釈することは難しい。 そこで明らかにすべきは「呼んでいる」とは「誰が、誰を呼んでいるのか」であろう。 それに関しては、この部分だけではさすがに情報が足りないので次にいく。 >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える 「かなしみは数えきれない」も人間における普遍的な事象といえる。 では、「その向こうで会えるあなた」とは、果たして誰なのであろうか? あえてつっこんで推測することもできなくはないが、ここはひとまず、無理をせず読み進めよう。 >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける 前半は、人間において普遍的な事象。「やっちまったなぁ・・・」と思うたび、人は天を仰ぐもの。 そのたびに、空をあらためて「青い」と感じることが出来る。 人間は普段「空」を当たり前のように見ているが、それを「意識」しては見ていないということがポイント。 「失敗してヘコむ」という「なんでもないこと」を上手く膨らませると、こういう文章になるのだ。 後半については、趣深い比喩が多用されている。 人間を扱った文章で「道」とは基本的に「人生」を指すものと思ってよい。 また「光」は「希望」を指すことが多い。「両手で抱く」は比喩における場合、心理的な描写に使われる。 分かりやすく言えば「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」という文である。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/292
293: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:00:34.13 ID:B01lO3bN >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここはわかりにくい。 「さよならのとき」とは一体どういうときで、また「静かな胸」とは何を表すのか? そして「ゼロになるからだ」というのも独自の比喩で判然としない。 そういうときは、他の文脈から判断するのがよい。 >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ この部分を読むことで、おぼろげだったこの文章はようやくまとまりを帯びてくる。 はっきりと作者の思いが書かれているここが、この文章の中での「主題」である。 この文章は「生きていく不思議」「死んでいく不思議」に関係し、それは「花・風・街」に共通する。 つまり、評論的にいえば「人間を中心としつつ、生物に限らない広い視野での「生成」と「消滅」への畏敬を描いている」 と解釈することができるのである。 となると、 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える ここの文章の意味が明確に判明することになる。 すなわち「かなしみの向こう」とは「人生の向こう」=「死」であり、 「あなた」とは「死別してしまった人」のことなのだ。 であれば、 「(死別してしまった人が私を)呼んでいる、胸の『どこか奥』で。 (あなたが生きていたときの)心躍る夢を、見(てい)たい。」 と補うことが出来て、これで完璧に意味が通ることになる。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/293
294: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:23:29.27 ID:B01lO3bN >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここまで読み取ることによって初めて、この部分の意味が判明する。 「さよならのとき」とは「死にゆくとき、もしくはお葬式」であり、「静かな胸」はまさにその視覚的なイメージである。 「ゼロになるからだ」とは、まさに人が「消滅」していくことであり、 「耳をすませる」とは、死者が、そのような動作をしているように見えることの比喩なのである。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう では、2番を続けて読み解いていく。 「(死別してしまった人が私を呼ぶこともある)、胸の『どこか奥』で。 (私の人生における)『夢』(というべきもの)を、いつも何度でも、描いていこう」 ここら辺は、単語が前と全く同じ意味や文脈で使われているのかどうか、解釈には熟練を要する。 「主題」については既に触れているが、この歌には「副題」といえるべきものがある。 それは、先に解釈した「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」である。 すなわち、 「人生には失敗がつきものであり、そのたびに人は挫折(=生きる気力の「消滅」)を体験する。 しかし、そのたびに人は希望を抱いて立ち直り(=生きる気力の「生成」)生きていくことが出来る」 ということである。 これを踏まえれば、前述のような訳が自然であろうと思われる。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/294
295: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 01:37:15.65 ID:B01lO3bN >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう 「副題」についての言及が続く。 「あれはかなしい。これは嫌だ。それはどうしようもない」 沢山ある悲しみの原因を、一つ一つ取り上げることはできる。 しかし、それは周りの人間も、自分もより悲しくしてしまう。 それならば、同じ唇でそっと歌い出した方がいい。 少しでも、前向きな気持ちになれるはずだ。 >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される 前半の「閉じていく思い出」は「死別した人との思い出」であり、 その中に、「死別していた人」からの「思い出の一言」があるはずということを述べている。 忘れたくないのは、その人物が生きていた「証」だからである。 ちなみに私も、おばあちゃんが私にかけてくれた言葉を今も覚えている。 「お前はね、私の……宝物なんだよ」 ……やさしかったなぁ、おばあちゃん。今も、空の向こうで元気にしているだろうか。 後半は、「主題」もしくは「副題」について、今一度「鏡」という形でたとえて述べている。 一般論なので、具体的な場面は自由にイメージすることが出来る文章である。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/295
296: Now_loading...774KB [sage] 2013/09/08(日) 02:15:15.22 ID:B01lO3bN >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから この文章の上手いところは、このまとめの文章において、 「主題」と「副題」のどちらでも心に響くように書かれているということである。 すなわち「主題」から解釈するならば、 「はじまりの朝」とは「ゼロになるからだ」が「満たされていく」朝、 つまり人間の「生成」が起こる朝、出産の場面である。 となれば「海の彼方」とは「死者の世界」であり、 もう気持ちの上で「死別した人」に引きずられない(=探しにいかない) ということであり、精神的にふっきれたことがうかがえる。 なぜか? それは、「輝くもの」を「私の中」に見つけられたから。 すなわち、「これから愛すべき子ども」を「宿すことができた」というわけである。 人間の「消滅」=「死別」から、「生成」=「誕生」へとつながる文章の織りなす感銘は、並大抵のものではない。本当に感動した。私が。 一方「副題」から解釈するならば、「はじまりの朝」とは「挫折(=生きる気力の「消滅」)からの立ち直り(=生きる気力の「生成」)の朝」であり、 「ゼロになるからだが満たされていく」というのは、「生きる気力」が満たされていくと捉えることが出来る。 となれば「海の彼方」は「どこか遠く」である。 気がめいっているときは、「どこか遠く」に漠然とした「幸せ」を求めるもの。 しかし、もうそれは探さない。自分の中に「輝くもの」=「はっきりとした目標、希望」を見つけることができたのだから。 こちらの解釈では、なんとも未来への希望で胸が埋め尽くされ、元気が湧いてくる文章である。 総評としては、 多くの人に訴えかける抽象的な普遍性と、人が自身の経験に思い当たることがある具体的な特殊性。 この二つを兼ね備えている、優れた歌詞といえる。 また「主題」と「副題」が絡み合うようにして書かれている点でやや戸惑う構造かもしれないが、 作者の考える「主題」をはっきり明示してしまってそこを拠点とすることで、 あいまいな点を残さずに解釈が周縁部まで可能になる点も非常に良く考えられている。 やっぱり名曲です。おわり。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/swf/1325410624/296
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