マルティン・ハイデガー6 (750レス)
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1: 2019/09/18(水)21:39 ID:0(1/747) AAS
前スレ
マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
2chスレ:philo
731: 08/20(水)19:03 ID:0(728/747) AAS
くっそ高いナチズム本が出たな
732: 08/22(金)03:54 ID:0(729/747) AAS
なんで自分がナチスにイカれたのか。一時でも共感したのか。どこでナチスとは分岐点だったか。
の検討が戦後のハイデッガーの中心課題だった。同じ近代への疑義と破壊衝動では共通していた。
しかし、ハイデッガーの謂う、ユダヤ・キリスト教から連綿と続く、〈神に作られた〉
〈人間に作られた〉とする世界の作成可能と全てを検算・計算-可能な表象とする世界概念が
ナチスにもナチスと戦争した連合諸国にも共通している。そこで自然ピュシス重視の
ハイデッガーの哲学と岐れていくことが問題だと気づいた。それに気づいてから戦争中から
ナチスとハイデッガーには埋めようのない溝ができていた。この問題が戦後から21世紀に
到るまで延々と続いている。ハイデッガーによれば第二次大戦とは、同じ世界概念の
文明同士の戦争であり、どっちが勝っても同じ結果にしかならない戦争だった。そして現実は
ハイデッガーが予測した通りの戦後が始まり同じ文明同士の戦争が続き21世紀に
省1
733
(1): 08/22(金)04:06 ID:0(730/747) AAS
ハイデガーとナチズム: 別の始元と近代の完成の開始 ナカニシヤ書店 – 2025/7/30 
646頁 細川亮一・著 税込 8,250円
ね。
734: 08/22(金)04:33 ID:0(731/747) AAS
ハイデッガーの場合は破壊衝動といっても自爆が込みで。一時宮台真司が酒鬼薔薇事件のころ
に唱えていた脱-社会化というのにおそらく近い。全集でいうと第65巻『哲学への寄与論稿』が
その辺のあり方を最も書いている。脱-社会化から起因する突発的変幻と底無しな感性が主題。
なのであの第65巻は今でも読めるしリアル。この辺を1930年代に既に秘かに書いていたのが
ハイデッガーの面白いところで、ナチスの検討をするなかで書いていた覚書だが内容が今的である。
735
(2): 08/22(金)16:57 ID:0(732/747) AAS
人間の中には理性的存在者としての人間に回収されない脱-人間的地層が隠されている。
宮台的に言えば脱-社会化ということだが。脱-人間的存在が不吉な悪として包括されて
いるために理性で整頓する人間=社会モデルは必ず綻びをもたらしてしまう。それは
人間に課せられた宿命的負荷である。人間はこの負荷を背負っていくしかない。しかし
それがあるからこそ人間でもある。がハイデッガーの主張だったと思える。
736: 08/27(水)21:16 ID:0(733/747) AAS
>>733
注で200頁あってワロタ
737: 08/27(水)23:36 ID:0(734/747) AAS
>>735のような部分がハイデッガーが今に生き続ける部分でもあるわけで。ただに「存在と時間」
の人ではない。後者のほうが既成の教養で解読できるので圧倒的にこっちのほうでハイデッガー
を語る人が多いし しかしそればっかりの人ではない 特に戦後は。2020年代にハイデッガーを
読むなら猶の事前者で読むのが妥当
738
(2): 08/28(木)09:30 ID:0(735/747) AAS
大学生のときから今まで数十年、個人的に考えて来たけれど、
ポストモダンはそもそも哲学じゃなかったと思うね。思想に見せかけた謀略だったと思うね。
そもそもポストモダンの元になったハイデガーの哲学からして古代ギリシアの意味での哲学でなく、
木田元が言ったような“反哲学”、つまり意図的に哲学を否定するための似非思想だったと思うね。
その意図は、絶対王政を倒した啓蒙思想や立憲主義を否定したいと思ったからで、
そうした活動の裏には(既に一神教という概念を持っていたユダヤ民族に対して
――古代ローマ時代には文字も持たない蛮族だったゲルマン部族を率いた)
元の王族やその家来の貴族らが居たと思うね。
それと、啓蒙思想や立憲主義を生んだ思想の大元を遡ればもちろん古代ギリシアのプラトン哲学だし、
それは古代ローマでキリスト教と融合した。
省2
739: 08/28(木)09:31 ID:0(736/747) AAS
それでそういう体制に最も虐げられていたのがロシア革命の裏に居たとされるユダヤ人で、
だからハイデガーの哲学やポストモダンを担ぐ者の中には反ユダヤの人間が居る。
ハイデガー自身がそうだし、ポール・ド・マンもそうだ。
結局、立憲主義と民主主義、ユダヤ民族を否定したいグループが
キリスト教の元になっているユダヤ教や超越的理念を基礎付けた
プラトン哲学を否定しようとしている、のだと思うね。

一神教やプラトン哲学からサイエンスが生まれたのだから、
その否定は(非科学的な、狂信の)カルトに行くしかない。
そもそも啓蒙思想や近代合理主義が意味するのは狂信(に染まった権力者の恐怖支配とその搾取、
を倫理・道徳的に正当化する物語り=洗脳、価値観、思想)から個人と社会を解放することだ
省4
740
(2): 08/28(木)09:32 ID:0(737/747) AAS
支配者からしたら世界は理解不能で説明が難しい方がいい。
そうすれば、そこへ『これが正しい』というウソを何でも好き勝手に吹き込める。
しかしプラトンやデカルトが教えるような、
『何が正しいのか』を自力で見極める方法論を個々人が体得したらもう騙せない。
だから『真理なんか無いんだ』というポストモダンは専制独裁側には都合がいい。
理屈じゃなくて“力押し”の世界になる。
数学の証明みたいに誰もが認め理解可能な事実や証拠を提示して
『これが真実だ』と言えなくなれば権力を握る側には非常に都合がいい。
何でも思い通りに操れる。
741: 08/29(金)05:59 ID:0(738/747) AAS
>>738-
>>740
に色々書いてあるんだが一か所>>740

>数学の証明みたいに誰もが認め理解可能な事実や証拠を提示して
>『これが真実だ』と言えなくなれば権力を握る側には非常に都合がいい。
>何でも思い通りに操れる。

というフレーズがある。あたかも数学の証明のような論理形式がなければ真実などは
分からない。権力者の思い通りになる、とか。論理形式で言えなければ真理などは分からない
とする真理概念にはハイデッガーは『有と時』からすでに否定で。それは生涯。論理形式
でも弁証法でもない真理が元々の真理。それは古代ギリシアにおけるロゴス、ピュシスの哲学
省13
742: 08/29(金)06:07 ID:0(739/747) AAS
あと、>>735に書いてあるような、ナチスとの対決、自己の哲学がナチスと違うのはどこか。
を突き詰めた思索でも、基本Sein und Zeitでの有論、時論は継承されてもいる。継承されながら
しかしある地点では一見放棄されているかに見える。放棄されているかにも見えるけども、
実はそれはただ深化されていったのであって放棄はされてはいない。ではどのように深化されて
いったのか。が問題だがそれは『哲学への寄与論稿』を読めば書いてある。なんだか宣伝ばかり
みたいだけど(笑)
743: 08/29(金)06:41 ID:0(740/747) AAS
あと付け加えたいのが>>738

>ポストモダンはそもそも哲学じゃなかったと思うね。思想に見せかけた謀略だったと思うね。
>そもそもポストモダンの元になったハイデガーの哲学からして古代ギリシアの意味での哲学でなく、
>木田元が言ったような“反哲学”、つまり意図的に哲学を否定するための似非思想だった

というのがあるが、ポストモダンーデリダ、ドゥルーズ、フーコーに見られるーはよく読めばわかるが
ハイデッガー有論の根本命題ー〈ある〉とは〈時〉であるーについてはいずれも無視もしくは否定する。
つまり〈ある〉は〈時〉とは関係ない。ここで無関係を下敷きにして自分の論を展開していくのが
ポストモダン。なのでポストモダンとはハイデッガーとはあんまり関係ない。おそらく彼らはハイデッガーが
哲学史を検討していった末により始原的な地点へ遡行していった。その手法だけを抜き取って、
自分のものにしていった。そういう人たちなので、ハイデッガーとのつながりは私は視ない。むしろ彼らが
省12
744: 08/30(土)19:36 ID:0(741/747) AAS
>>740
に戻るならば。

>『何が正しいのか』を自力で見極める方法論を個々人が体得したらもう騙せない。

とあるけども、「正しい」という概念に引き摺られているいく限り、それは本来的なあり方ではない、
というのがハイデッガーの立ち位置であって。「正しい」は止揚されなければならない、と言う方が。
つまり「正しい」てのは論理的な形式ですよね。
数学とか論理学とか。その辺で絡めとられている限り、本来的な真理からはズレて行ってしまう
ことは避けられない。つまり何ら論理的ではないけれども選んでしまうことの中に、一番自分らしい、
或いは本来的な選択が絡んでくる。そもそも実存とは論理的には成り立っていない。論理的に、
をひたすら追い求める限り、人は自己から逸脱していくであろう。というのがハイデッガーの立ち位置。
省4
745: 08/30(土)20:34 ID:0(742/747) AAS
あと数学やら論理やら言うところが柄谷行人信者の匂いもするんだが。柄谷行人に限らずマルクス主義
系統の人間はハイデッガーは邪魔するしかできない。マルクス主義は人間を一束にすることで成立する。
ハイデッガーの仕事はその反対で人間をバラバラの単独に分解する。で柄谷はハイデッガーの本来性が
民族だとかにして澄ましてしまうが、それはナチス加担で強引に牽強付会している時代なので意味はない。
自分でもどこが自分の哲学とナチスと同じなのか違うのかわからず後に検討し始める。ナチスに上手く
対応しないと大学も牛耳られてしまうので合わせるしかない事情もあった。なのであの時代の発言は
当てにならない。

柄谷の言論とハイデッガーの言論は本質的に背反する。柄谷も単独性とか言ってるじゃないか。で
同じだとみる向きもあるかもしれない。しかし柄谷における単独性とは固有名によって指示される
ことで辛うじて成立する場であって、どうとでも変質・転向できるあやふやなものである。そして
省3
746: 09/06(土)13:12 ID:0(743/747) AAS
>数学や機能的連関で説明できないものは虚偽という
>信仰こそ柄谷行人が一般化した信仰であって、
>それでは先になんらかのその手の説明が為されていない行為や
>言動は意味不明であって考察には値しないことになる。
>行為や言動の本質は主体に先なるところにこそあって、
>先に解説されているか否かなどどうでもよい。
>柄谷のもたらした弊害の1つがこのような論理的一般化であって、
>人間とはどうのような存在かという問いを最初から失くして
>彼のよくわからぬ知的欲求の素材として供給していくしかない。
>それでしかもいたずらに窮屈に不自由に縛り付ける宜しくないものである。
747: 09/06(土)13:13 ID:0(744/747) AAS
>柄谷からピタゴラスまで、論理と機能的連関ですべて解説され
>解説されないものは虚偽であるとする哲学が経済学と経済学批判のマルクスへまで到達する。
>それを柄谷がわざわざ言明するが、
>現代的な学の一般的規則をそのまま敷衍するだけで何が違うか不明であるし
>今改めて再説する動機も分からない。

>数学と論理学への偏執とかまだやってるのかと思うが何もももたらしはしない。
>ただの知的情報通と出版業界の小売り戦略に乗っかって考え込むだけ。
>60-90年代のポストモダンがたいした成果も残せずに雲散霧消したのと
>似て非なる結末を辿っているとしか視えない。

間接的に言っている。
省3
748: 09/06(土)13:16 ID:0(745/747) AAS
>そこは指摘しておきたいですね
ご指摘を有り難うございます。また、ご考察の返信を有り難うございます

>あと数学やら論理やら言うところが柄谷行人信者の匂いもするんだが
文意が伝わっていないようです。その反対ですが…
ぼくとあなたとでは当たり前ながら問題意識を共有していないので
いきなり字面だけを読んでも背後の真意が伝わり難い、と思われます。
ぼくとは立場が正反対なのでこちらの考えを正確に伝えるのは難しいかと思います。
749: 09/09(火)17:49 ID:0(746/747) AAS
高屋敷直広先生は朝鮮民族じゃないんだよな
オシイよ
750: 10/01(水)20:40 ID:0(747/747) AAS
先生「まさにそれが当にそれとして存在するのだ」
学生「先生!まさにそれがそれとして存在するのですね」
先生「違う!」
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