【ものぐさ精神分析】岸田秀 (55レス)
上下前次1-新
1: 08/30(土)17:41 AAS
『ものぐさ精神分析』などで有名な日本の心理学者・精神分析学者・エッセイスト・翻訳家の岸田秀さんのスレ
6: 08/30(土)17:50 AAS
官僚病から日本を救うために その9
yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=6
精神的苦痛を受けた後、どのように対応するかというのが非常に大切です。
大きな精神的苦痛を受け、とても受け止めきれないので正当化したり
忘れようとか隠そうとすると心の傷(トラウマ)は抑圧され、必ず神経症
として発現してきます。これは個人的にも集団的にも同じように言えることなのです。
好ましくない事件、すなわちトラウマを正当化すると、個人も国家もその正当化に
支えられることになるからそれを維持しなければならなくなり、そのため、
同じようなことを強迫的に繰り返さざるを得なくなります。(p268)
嘘を正当化しようとすると、嘘に嘘を塗り固めなければならなくなるという
省5
7: 08/30(土)17:53 AAS
官僚病から日本を救うために その6
yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=7
のんびりした社会は、せこい競争社会に負けてしまう。(p120)
劣化とは、集団としても、個人としても現実から目を逸らし、自分が見たいと
思うような「幻想」を見て、その幻想のほうで物事をやっていこうとする
ところから生まれるのではないですか。いくら目そ逸らしても現実に
存在する以上、自分の願望と現実とのあいだに矛盾が生じ、そこに劣化が
出てくると思います。(p136)
(日本人が認めるべき事実とは)日本は、アメリカの占領下にあるという事実です。
なぜアメリカの言いなりになって、日本がイラクに自衛隊を派遣しなければならないか。
省8
8: 08/30(土)17:54 AAS
315−2.岸田秀の史的唯幻論
www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm
彼は史的唯幻論と言う説を唱え、国家や集団を一つの人格と同じようにとらえ、精神分析し、
歴史を検証します。参考までに「二十世紀を精神分析する」から一部以下に引用します。
十一、近代国家の成立
本能が壊れていない動物においては、本能にブレーキが組み込まれている。ある条件下、ある限度内でしか
攻撃行動をしないとか、発情期に一定の形でしか性行動をしないとか。本能が壊れた人類においては、
本能のブレーキの代りに文化のブレーキが設定された。さまざまな民族がつくった固有の文化には神々がいて、
いろいろなタブーが張りめぐらされていた。当の民族はそれらのタブーの起源や理由を知らないのだが、
全体として社会秩序の維持に役立っているのであった。
省11
9: 08/30(土)17:55 AAS
十五、続・フランスの狂気
一つ嘘をつけばその嘘がバレないようにするために嘘に嘘を重ねなければならなくなるのは、自分に対する嘘、
すなわち自己欺瞞の場合も同じである。
十六、植民地解放
二十世紀も終りに近づいたが、二十世紀初めの世界と現在の世界を比べてみると、目につく違いの一つは
あれほどあった植民地がほとんどなくなったことである。とくにこの前にはソ連帝国が崩壊したため、東欧が
解放されただけでなく、共和国という名の旧ソ連の植民地も解放されつつあり、今や残っている植民地は
ごくわずかで、それもそのうち解放されるであろう。
このような植民地の消滅は人類が進歩し、ますます正義が実現されるようになったためであるとも考えられるが、
必ずしもそうとは言えない。正義には何種類もあるからである。二十世紀初めには、非西欧世界を支配し、
省9
10: 08/30(土)17:56 AAS
一時的に勝利した日本軍は占領地のアジア人の眼の前で捕虜にした西欧人を支配し使役し侮辱した。西欧人女性を
慰安婦にした。このことが西欧人は強く、服従するほかないとのアジア人の幻想を打ち砕いた。支配1-服従関係は
幻想にもとづいているのだから、幻想が崩れれば終りであった。たとえば、日本敗北後のインドネシア独立戦争で、
日本軍が訓練したインドネシア兵が独立軍の主力になったとか、日本軍が連合軍に禁止されたにもかかわらず、
独立軍に武器を横流ししたとか、多くの旧日本兵が独立軍に加わったとかのことはあったが、そうしたことよりも、
日本軍の占領中に日本人に卑屈に服従していたオランダ人を見てオランダ人に関する幻想が崩れ、日本敗北後に
戻ってきてまた主人づらをしようとしたオランダ人をインドネシア人が腹の底から馬鹿にしていたことが独立に成功した
最大の原因であった。日本軍がとくにその独立のために力を貸さなかったベトナムでも、戻ってきたフランス人が
結局は追っ払われたことからも、それはわかる。
連合国は正義の名のもとに、敗北した日本を侵略者と決めつけ、植民地を放棄させたが、この正義の原則にもとづき、
省7
11: 08/30(土)17:57 AAS
十七、侵略者か解放者か
前回は日本がアジアの植民地解放のために貢献したかどうかの問題を論じたが、この問題に関しては
正反対の二つの見方がある。一つは皇国史観の見方で、東亜の盟主、日本はアジアを搾取する
西欧植民帝国に義憤を感じ、アジア解放のために断乎立ちあがったとする。もう一つは、東京裁判史観の
見方で、帝国主義国家、日本はアジアを侵略し、植民地にしようとしたのであって、アジア解放はその
口実に過ぎなかったとする。
この二つの見方はともに一面的であろう。アジア解放が日本の侵略の口実に過ぎなかったかどうかは
微妙な問題であってそう簡単には決着がつかない。日本の軍部の首脳のなかにも、主観的には心か
ら日本はアジア解放のために尽くすべきだと考えていた者はいたし、末端の日本兵にはこの目的のために
真剣に戦っていた者は大勢いた。
省6
12: 08/30(土)17:58 AAS
この問題はアメリカの南北戦争で北軍が掲げた奴隷解放のスローガンが南部支配の口実に過ぎなかったかどうかの
問題とよく似ている。小中学生向けの歴史教科書にはもちろん、北軍はこの崇高な目的のために戦ったことに
なっているし、実際、北軍の将軍や兵士のなかに主観的にはそう信じていた者が少なからずいたことは確かである。
北軍に加わって戦った黒人も大勢いた。
しかし、このスローガンは戦争がはじまってしばらく経ってから唱えられはじめたこと(日本のアジア解放のスローガンも
宣戦布告文のなかにはなく、戦争がはじまってしばらく経ってから唱えられた)、また、肝腎のリンカーンが必ずしも
奴隷解放論者でなかったことはよく知られており、要するに、北部はその発達した産業資本の勢力下に南部を
おきたかっただけであって、奴隷解放のスローガンは、道義的に南部を追いつめるため、また、イギリスや
フランスが南部の側につく道義的理由を奪い、それを防ぐためのものでしかなかったと言えなくもない。
奴隷解放を唱えながら、北部自体の内部ではけっこう黒人を差別しており、タテマエとホンネの矛盾も目立つ。
省6
13: 08/30(土)18:00 AAS
十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で
近代日本が一八五三年のペリー・ショックのために、欧米諸国を崇拝し、欧米諸国に屈従する外的自己と、
欧米諸国を憎悪し、誇大妄想的自尊心に立て籠る内的自己とに分裂し、その分裂状態はまだ続いている
という見解を発表してからもう二十年ぐらいになるが、今なお事態は全然変っていないようである。
ここでは分裂し、内的自己から切り離されて浮遊する外的自己の症状を主として問題にしてみよう。
個人の精神分裂病の場合も同じであるが、外的自己は、内的自己から切り離されているため、自分と敵
(内的自己から見たところの-以下同じ)と同一化し、敵の立場に立って内的自己を攻撃する。敵を崇拝し、
敵と同じようになろうとする。外的自己には、自分が敵と同じような正しい優れた存在になるのを妨げているのは
内的自己であると見え、外的自己は内的自己の「無知と傲慢さ」にいらいらする(他方、内的自己には、外的自己
は「恥知らずの裏切り者」と見える)。近代日本において、外的自己の症状はさまざまな形で表れたが、とくに
省6
14: 08/30(土)18:01 AAS
十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で
近代日本が一八五三年のペリー・ショックのために、欧米諸国を崇拝し、欧米諸国に屈従する外的自己と、
欧米諸国を憎悪し、誇大妄想的自尊心に立て籠る内的自己とに分裂し、その分裂状態はまだ続いている
という見解を発表してからもう二十年ぐらいになるが、今なお事態は全然変っていないようである。
ここでは分裂し、内的自己から切り離されて浮遊する外的自己の症状を主として問題にしてみよう。
個人の精神分裂病の場合も同じであるが、外的自己は、内的自己から切り離されているため、自分と敵
(内的自己から見たところの-以下同じ)と同一化し、敵の立場に立って内的自己を攻撃する。敵を崇拝し、
敵と同じようになろうとする。外的自己には、自分が敵と同じような正しい優れた存在になるのを妨げているのは
内的自己であると見え、外的自己は内的自己の「無知と傲慢さ」にいらいらする(他方、内的自己には、外的自己
は「恥知らずの裏切り者」と見える)。近代日本において、外的自己の症状はさまざまな形で表れたが、とくに
省6
15: 08/30(土)18:02 AAS
次にこの症状は占領軍総司令官マッカーサー元帥への日本国民の大量の手紙に表れている血日本を
アメリカ合衆国の第四十九番目の州にして欲しいと頼んでいるのや、元帥の子どもを産みたいので、どこそこで
待っているから来て欲しいという誘いなど、昨日までの敵の大将に対してよくもこのようなことを考えつくものだと
驚かざるを得ないようなものが多数あるが、なかでも目立ったのは、誰それは連合軍捕虜を虐待したとか
殺害したとかの密告の手紙であった。なかには根も葉もない中傷もあったが、事実をありのまま通報しているのも多く、
占領軍はそれらの密告を手掛かりに大勢の戦犯を逮捕し処刑することができた。占領軍は日本人の「協力ぶり」に
感謝するというより驚いたとのことである。
第三の症状は全面的なアメリカ崇拝と急激なアメリカ化である。国家形態から日常生活の些事に至るまで
日本的なものはすべて野蛮で封建的で遅れているとされた。民主主義が水戸黄門の印籠のような有無を言わせぬ
スローガンとなった。アメリカで起こった社会現象は数年遅れて必ず日本でも起こると言われ、日本人はアメリカの
省10
16: 08/30(土)18:03 AAS
このあいだの細川首相の侵略戦争発言に見られるように、東京裁判史観はまだまだ根強く生きている。また、
マッカーサー元帥への密告の手紙の主と同じように、敵(内的自己から見たところの)と同一化し、あたかも日本人では
ないかのように敵の立場から、日本人の戦争犯罪を糺弾する日本人も途絶えることなく次々と輩出してくるようである。
かの密告の手紙の主にしても、推察するに、密告という卑劣なことをしているつもりは全然なく、(アメリカの)正義の
立場に身をおいて日本人の犯罪を告発したのであろう。南京大虐殺事件に関しても、また同じように最近の
従軍慰安婦問題に関しても日本人の告発者が次々と現れたが、彼らも主観的には正義の士であることに一点の
疑いもない。彼らの言説が客観的にも正義にもとづく正しい言説であるか、それとも、いたずらに内的自己を攻撃する
のをこととする外的自己の症状であるかは、その言説が論理的に首尾一貫しているかどうかによって判定できるで
あろう。たとえば、日本の戦争犯罪に関する細川首相の謝罪は外的自己の症状であると言わざるを得ない。
彼の謝罪が首尾一貫するためには、彼は日本とは比較にならないほど雇人な犯罪を諸民族に対して犯しつづけてきた
省7
17: 08/30(土)18:04 AAS
吉本隆明氏 岸田秀氏に「私の理論、そのうちわかるだろう」
www.news-postseven.com/archives/20120330_97688.html?DETAIL
吉本さんの考え方に出会ったのは1970年代、40歳を過ぎてからでした。すべての著作を読んだわけでは
ありませんが、『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』に影響を受けました。
国家や社会は確固たる現実的基盤の上に立っているのではなく、多くの人の共同幻想で成り立っている
――吉本さんの共同幻想論に触れたとき、思わず「そうなんだよ!」と膝を打ちたくなるほど共感しました。
かつて日本がアメリカを相手に起こした日米戦争にしても、日本人は共同幻想によって誰一人疑うことなく、
じつに真剣に戦いました。しかし、戦争が終わるとその幻想はきれいに消え去り、誰もが
「何をやっていたんだ」と我に返った。共同幻想で考えればストンと腑に落ちるのですが、当時、そんなことを
考える人はいませんでした。国家を幻想という概念で捉える――独創的な理論ですね。
18: 08/30(土)18:06 AAS
「哀しみ」という感情 岸田秀
books.rakuten /rb/5934934/
評価5.005.00
投稿日:2014年03月28日
p.163「嫉妬の人間学」
嫉妬は、とくに卑劣な者だけが持つ衝動ではなくて、ごく普通の者が持つ卑劣な衝動である。嫉妬される者にとって
嫉妬は恐ろしいが、嫉妬する者にとっても嫉妬は苦しい。われわれは、自分が人に嫉妬していることを認めたくない。
それは、自分がその人より劣っていることの何よりの証拠だからである。したがって、いったん嫉妬し始めれば
不可避的に悪循環の地獄に陥る。嫉妬していることが劣等感を強め、強められた劣等感がさらに嫉妬を煽るからである。
われわれは、この悪循環の地獄から逃れようとして、嫉妬を正当化し、相手を悪人に仕立て上げ、悪人に対して
省3
19: 08/30(土)18:07 AAS
p.234「好ましくないことを否認しない」
難しいが、精神病にならずに悩みを解消するためには、それしかない。好ましくない現実を現実と認識するしかない。
夜、なかなか眠れないのは、心が二つに引き裂かれているためであることが多いが、したがって、安らかに
眠るためには、もはや現実とはなり得ない好ましい状態を望み続けるのをやめて、好ましくない現実の認識を
徹底させるしかない。なかなか眠れないときにわたしが具体的にどうするかというと、わたしにもたとえば自分に
関していろいろたくさん好ましくない現実があるが、それらの現実を追っ払いたい気持ちを捨てて、好ましくない
現実に目を据えるのである。過去を振り返ってみると、恥ずかしいこと、みっともないこと、見苦しいことを
したことがいっぱいある。人の弱みに付け込んでいい思いをしたこともある。己惚れていい気になって
威張ったこともある。必要もないのに意地悪をして人を傷つけたこともある。相手が怖くて当然の権利を
主張しなかったこともある。人に気に入られようとして卑屈に迎合したこともある。些細な利益にこだわって
省4
20: 08/30(土)18:08 AAS
(4)感情について <怒り> _ 八嶋聡ブログ
omoinoha.exblog.jp/23104714/
(4)感情について <怒り>
(読書ノート)
『続・ものぐさ精神分析』 岸田秀(中公文庫)
<怒り> P307〜
われわれの自尊心は幻想にすぎない。
その自尊の幻想が崩され、おのれの無力さがさらけ出されたとき、怒りが生じる。
侮辱を受けても、自尊の幻想が崩れなければ、相手に対する自分の優位への自信がゆるがなければ、怒りは生じない。
たとえばわれわれは、子どもにひっぱたかれても腹を立てないであろう。
省10
21: 08/30(土)18:09 AAS
(怒りっぽい人)
怒りっぽい人というのは、人一倍攻撃エネルギーをたくさんもっている人ではなく、その自尊心を支えている幻想が
共同化されていない人である。共同化されていなければいないほど、彼の自尊の幻想は人びとに無視される機会が
それだけ多いからである。
彼の自尊の幻想が共同化されていないということは、その内容を当人が意識していないということに通じる。
彼自身、自分が・・・そんなつまらないことに腹を立てる理由がよくわからない。
それは、彼が自分の自尊の幻想の内容を意識していないからである。
自分がそれほどつまらぬことにプライドをおいているとは思っていないのである。
彼がどんなことに腹を立てるかによって、彼のの自尊心の水準がわかる。
とくに怒りっぽい人ならずとも、われわれは、無意識の水準では多かれ少なかれ幼稚な自尊の幻想をもっている。
省4
22: 08/30(土)18:11 AAS
(9) 感情について <嫉妬> _ 八嶋聡ブログ
omoinoha.exblog.jp/23109974/
(9) 感情について <嫉妬>
(読書ノート)
『絞り出し・ものぐさ精神分析』 岸田秀 (青土社)
<足を引っ張りたい心>(嫉妬、この厄介なもの) P191〜
嫉妬は人間特有の感情である。
嫉妬とは、嫉妬の対象を貶め、破壊してしまいたい攻撃衝動である。
省14
23: 08/30(土)18:12 AAS
嫉妬は、人間の最も基本的な感情であり、嫉妬しない人間は存在せず、個人や民族や国家の歴史は嫉妬で
動いていると言っても過言ではない。
人間は自分と他人を比較するのを止めることができない。
なぜなら、人間は他者との関係においてのみ何かであり得るのだから。
人間は他者との関係において意味ある存在、価値ある存在、優越した存在、誇りをもてる存在であることを必要とする。
本質的に不確実、不安定な幻想である自我は、それを支える意味、価値、優越、誇りを欠くことができない。
つまり、自我は、意味、価値、優越、誇りに関して、自分より劣る他者を必要とするということである。
自我は幻想であり、本質的に不安定であって、完全に安定することはあり得ない。
ところが、人間は自我が不安定であることに耐えられないので、何とか自我を安定させようと焦る。
そのため、人間の争いは限度のないものとなる。
省9
24: 08/30(土)18:13 AAS
(12) 「自己欺瞞の最大の被害者は自分である」 (岸田秀を読む) _ 八嶋聡ブログ
omoinoha.exblog.jp/23174842/
(12) 「自己欺瞞の最大の被害者は自分である」 (岸田秀を読む)
(読書ノート)
『絞り出し・ものぐさ精神分析』 (青土社)
『自分に嘘をつかない』 P185〜
「嘘も方便」という諺もあり、人に嘘をつくのは必ずしも悪いわけではないと思うが、自分に嘘をつくこと、
すなわち自己欺瞞は決定的に悪い。
道義的意味おいて悪いかどうかはさておくとして、自己欺瞞は自分の精神的、身体的健康という純粋に
利己的な観点からもきわめて有害である。
省4
25: 08/30(土)18:14 AAS
何か不都合なことがあると、「なかったことにしましょう」と言う人がいるが、あること、あったことを
「なかったことにする」ことこそ、ほんとうの生き甲斐を失わせる最大の原因である。
それはまた、不可避的に現実への不適応をも招く。
これは個人に関して言えるだけでなく、集団に関しても言える。
日米戦争における日本軍の惨敗の最大の原因は、物量の差ではなく、日本軍が不都合なことを
「なかったこと」にして現実から目を逸らしていたことである。
そのため、現実には不可能なことが可能のような気がして愚劣な作戦を強行したり、また、作戦の失敗の
原因が見えず、同じ失敗が無限に繰り返されたりするのであった。
26: 08/30(土)18:15 AAS
ストレスの本質について<非心理学者が語る心理学−4> _ 八嶋聡ブログ
omoinoha.exblog.jp/16027439/
2011年 05月 25日
ストレスの本質について<非心理学者が語る心理学−4>
<ストレスの本質とは>
フロムが述べているように、私たちのエネルギーの大半は、「抑圧」することと、その抑圧に触れられた時に
「抵抗」することに費やされています。このことは、ストレスの本質を明らかにします。
ストレスの本質は、マイナス感情を抑圧するための、心的エネルギーの消耗であると考えられます。
マイナス感情というのは、敵意、憎悪、恨みといったようなネガティブな感情のことです。
それは破壊性のエネルギーを含み、もしそのまま表現されるとすれば、彼は保護を失って危険にさらされる
省5
27: 08/30(土)18:16 AAS
<身近で大切な人に対してこそストレスは生じる>
ストレスは、マイナス感情の抑圧によって生じます。
したがって、実に意外なことかもしれませんが、本当にストレスの対象となる相手というのは、その本人にとって
身近で大切な人なのです。自分を保護し守ってくれる大切な人に対してこそ、マイナス感情は抑圧されなければ
なりません。その抑圧のためにストレスが生じるのです。その典型的な例として、「子どもの母親に対する感情」や、
「部下の上司に対する感情」などが挙げられます。
無力な子どもは母親に全面的に依存し、服従せざるを得ません。
「子どもは意識的には安定と満足とを感ずるかもわからないが、無意識的には自分の払っている代価が自分自身の
強さと統一性の放棄であることを知っている。服従は子どもの不安を増大し、同時に敵意と反抗とを生みだす。
その敵意と反抗は、子どもが依存しているまさにその人に向けられるので、それだけいっそう恐ろしいものとなる」
省2
28: 08/30(土)18:17 AAS
「自分が依存している、まさにその大切な人に対してこそ、敵意を隠している」
このことは、私にとって大発見でした。
かつての上司との関係が思い出されます。
「あの上司はとっても“いい人”で信頼できる」と全面的に信じ込み、「それなのになぜ私のことを分かって
くれないのだろう」、「やはり私が至らないからなのだ」、というよう考え、自分を責め続けていました。
実は、その上司は本当に「いい人」でしたが、人を愛する余裕はなかったのです。
そして実際に頼りにされていたのは、おそらく私の方だったのです。
しかし私はその上司から嫌われること、見捨てられることを恐れ、私の中にある本当の感情
(つまり不満から生じる敵意)を抑圧してストレスをため続けていました。
こうした人間関係は、日常のいたるところで容易に見出されるものです。
省9
29: 08/30(土)18:19 AAS
<ストレスの解消について>
ストレスの本質が理解できれば、ストレスの根本的な解消方法も自ずと明らかになります。
抑圧のために余計なエネルギーを消耗しなければいいのです。
つまり、抑圧しなければならないマイナス感情を意識化できればいいのですが、それはそう簡単なことではありません。
不都合な感情だからこそ抑圧されているのであり、また抑圧には抵抗が伴うからです。
人びとは、自分の本当の感情が暴かれそうになると、必死になって抵抗を示し、防衛しようとします。
自分が認めたくない本当の感情が真実であればあるほど、彼は不機嫌になり、ときには激怒し、
攻撃的にさえなって防衛するのです。
本当の自分自身を理解することは、人間の大きな目標です。
フロイトが目的としたところも、「人間は独立を獲得するために、自己を理解し、無意識の覆いを
省3
30: 08/30(土)18:20 AAS
岸田秀『日本がアメリカを赦す日』
www.sam.hi-ho.ne.jp/quimito/kisida2.html
アメリカ人は、銃でインディアンを大量に殺したという過去の歴史を正当化している。
それゆえに、心理的に銃を禁止することができない。彼らは日本人にインディアンの亡霊を見て、
過敏な反応と的外れの言動を繰り返す。それと同じような行動を他の国に対してもとるので、テロを招いていると。
インディアン・コンプレックスを克服する方法は、幼児期のトラウマのために神経症になっている患者を
治療する方法と同じです。インディアンに関するすべての事実の隠蔽と歪曲と正当化をやめ、
すべての事実を明るみに出し、それに直面し、それとアメリカの歴史、現在のアメリカの行動との関連を
理解することです。
31: 08/30(土)18:21 AAS
D.モリス「人間動物園」/岸田秀「ものぐさ精神分析」/延島信也「迷路の中の女たち」 心のメカニズム?3冊の本 (検査と技術 11巻4号) 医書.jp
webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1543202734
最近出版された岸田秀の「ものぐさ精神分析」ではわれわれが生きているこの世界,社会も風俗も
はたまた男も女も,親子関係や恋愛も"思い込み"や"幻想"のうえで成り立っていて,他者との
関係のなかで,自分の存在を確認して安定させているという.それらの幻想の中では,エゴイズムや
私的幻想をその成員が平均化して持っているもので,極端にいえば"共同幻想"を構成させているものは,
狂った幻想の側面を共同化しているのである.その集団は,その中の賢明な人はもちろんさらに
平均的な個人よりも愚かになることすらあり,それを他の共同幻想をもとにしない人からみれば,
狂っているか異常としか見えないというわけである.遠くはドイツのアウシュビッツ,近くはわが国の
圧力団体などをあげている.先の動物のノイローゼも共同幻想の異常化も,少しずつ進むから気付かず,
省12
32: 08/30(土)18:22 AAS
「日本がアメリカを赦す日」岸田秀
hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122
個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、
とんでもない間違いでしょう。特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、
あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。何ら特別のことはない
普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを
引きずっている人に見られる考え方です。ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。
ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと
思い込んでいる男が、現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、
一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も
省3
33: 08/30(土)18:28 AAS
岸田秀 屈辱的現実から眼を逸らすな!
gekkan-nippon.com/?p=6876
岸田
簡単に歴史を振り返りましょう。幕末では開国派と攘夷派が激しく対立していました。
幕府は不平等条約を結んで国際社会に適応しようとしました。しかし、このような屈辱は
神州日本にとってあるまじきことです。したがって薩長は幕府に背いて攘夷を貫こうとします。
しかし内的自己は外的現実と他者から切り離されているので、現実的な適応能力を持っていません。
それゆえ薩長は薩英戦争と下関戦争に敗けて、攘夷は不可能だという現実を突き付けられます。
これを機に薩長は攘夷派から開国派に転じて明治維新となりました。
この争いの結果、勝利を収めた外的自己が表舞台に立ち、敗北を喫した内的自己は裏舞台に退きました。
省7
34: 08/30(土)18:29 AAS
百人一言詠み人知らず
my-a.net/adachi/back/rettokan.html
「劣等感」
今回は、心理学者岸田秀著「不惑の雑考」より掲載します。
劣等感のない人はいないと思うが、人間はなぜ劣等感をもつのであろうか。それは他者と自分とを比較するからである。
ではなぜ人間は他者と自分を比較するのであろうか。
他者と自分とを比較するのをやめれば、たちどころに劣等感なんかなくなってしまうであろうが、
それがやめられないのはなぜであろうか。それは、人間にとって自分というもの(自我と呼んでもいいが)が
そもそも他者との比較の上に成り立っており、他者がいないとすれば、自分も存在しなくなるからである。
我々は自分が他者にとって何であるか−−親にとって子であり、男(女)にとって女(男)であり、
省7
35: 08/30(土)18:31 AAS
しかし、上を見ればキリがなく、下を見ればキリがなく、自分より優れている者もいっぱいいるけれども、
劣っている者もいっぱいいるわけで、それなら、いつも自分より劣っている者と自分を比較して優越感だけもっていればいいのに、
我々はともすれば、自分より優れている者と自分を比較し、わざわざ苦しい劣等感にとらわれるのはなぜであろうか。
自分より優れている他者とはいったい、誰であろうか。それは、実のところ、他者ではなくて自分なのである。
自分だからこそ、気にしないでいることができないのである。自分といっても、それは、現在の現実の自分ではなく、
幼かった遠い昔のナルチシズムの時代、天上天下唯我独尊の時代の全知全能の誇大妄想的な自分、幻想的な自分である。
そのような幻想我と現実の自分とを比較するのだから、現実の自分が劣っているのは当然である。
このナルチシズム時代の自分、つまり幻想我は今や失われているのであるが、我々はこの失われた自分を常に探し求めている。
その全体を復元できないまでも、せめてその一部分、一要素なりと復元できないものかとつねづねウロウロ、ガツガツしている。
しかし、現実の自分はあまりにもありふれていて、みすぼらしく、現実の自分においてそれを復元しようとするのは容易なことではない。
省5
36: 08/30(土)18:32 AAS
こういう場合も、崇拝者は被崇拝者に対する敵意を心のどこかに秘めているものであって、それが表に現れれば、
熱狂的なファンが憧れのスターに硫酸をひっかけたり、ピストルの弾をぶちこんだりする事件となる。
被崇拝者も本来ならば崇拝者に属するべきものを横取りした奴であることには変わりはないからである。
被崇拝者の崇拝すべき点が、崇拝者と関係のないものであれば、あるいは一般的に言えば、優者の優れている点が
劣者と関係のないものであれば、賛美するはずもないし、羨ましがるはずもないし、劣等感を抱くはずもない。
我々は自分が空を飛べないからといって、飛んでいる雀に劣等感はもたないし、桜の花が美しいからといって、
桜に劣等感はもたない(世の中にはいろいろな人がいるので、雀や桜に劣等感をもつ人もいるかもしれないが)。
劣等感は人間につきものみたいなものであるから、劣等感から決定的に解放される方法はないであろう。
もしただ一つ、その方法があるとすれば、自分より優れている人たちを自分とは関係のない別の世界の人たちと見なして、
あきらめることであろう。昔の庶民は貴族に対して別に劣等感はもっていなかったであろう。
省5
37: 08/30(土)18:33 AAS
しかし、すべてにあきらめてしまって劣等感をもたなくなったら人間はやることがなくなるのではなかろうか。
嫉妬は人間の最も強い感情であり、劣等感補償は人間行動の最大の動機である。人が言ったりしたりしていることの大半は、
難しい複雑なことを考えなくても、嫉妬と劣等感補償が動機ではないかという仮説を立てれば明快に説明がつく。
幼い時に話し方に障害があったが後に雄弁家になったとか、子供の時に小児麻痺で歩けなくて後にマラソン選手になったとかの話が劣等感く。
補償の例によく出されるが、別に雄弁家やマラソン選手になることが価値のあることかどうかはわからないけれども、
少なくとも、当人にとっては人生においてやることがあったと言えるだろう。人間行動のこの最大の動機は、
人生の退屈さを紛らわす効用が大いにあると言えよう。
38: 08/30(土)18:34 AAS
岸田秀の史的唯幻論
www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm
一、史的唯幻論
ニ、ペリー来航と真珠湾
三、戦争犯罪と謝罪
四、ソ連邦の崩壊
七、コメ問題
八、資本主義はなぜ世界を制覇したか
九、続・資本主義はなぜ世界を制覇したか
十、続々・資本主義はなぜ世界を制覇したか
省21
39: 08/30(土)18:35 AAS
岸田秀『日本がアメリカを赦す日』
www.sam.hi-ho.ne.jp/quimito/kisida2.html
ペリー来航から日本人の内的自己と外的自己の分裂が始まった。
これが従来の主張だった。『起源論』で、このような分裂は日本建国のころから
すでにあったと修正した。
岸田秀の史的唯幻論 ★★★
www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm
20世紀を精神分析する 二十世紀を精神分析
狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の悪い現実から眼を起らせば、
眼を逸らした程度に正確に比例して狂うことになる。
省8
40: 08/30(土)18:37 AAS
42歳でしゃべられるようになった伊丹十三(2) 愛・正義・平和
seturi597.blog.えふc2.com/blog-entry-53.html
一神教vs多神教 岸田秀 (1_3) Terakaz.com
terakaz.com/2013/09/monotheism-polytheis/
宗教 Terakaz.com
terakaz.com/tag/%E5%AE%97%E6%95%99/
岡田斗司夫 世紀末・対談 マジメな話 岡田斗司夫 Free Download, Borrow, and Streaming Internet Archive
archive.org/details/1998_20190904_201909/page/n222/mode/1up
岸田秀
岸田秀・柳澤健『日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論』亜紀書房 2016年12月刊
省13
41: 08/30(土)18:38 AAS
(再録)岸田 秀+八木誠一「自我の行方」(春秋社・1500円+税)
ameblo.jp/old-ball-boy3412/entry-12873884227.html
岸田 秀+八木誠一「自我の行方」 ◉自我というものは……ものすごくたけだけしいんですよね。
あんまり人のことを言えた義理じゃないんですが。イヤンなっちゃうくらい強いんですね。
◉対談の結論は、イヤンなっちゃう、ということですか(笑)僕だって、人のことを言えた義理じゃなくて、
自我は幻想だとか相対的だとか、エゴイズムの愚かさなんて口幅ったいことを言っていますが、
自分が正当な権利と思っているものを侵害されたり、侮辱されて自尊心を傷つけられたりすると、
平静ではいられませんからね。……本当に「自我は諸悪の根源なり」ということなんですが、
それが、やめられないという人間の悲劇があるんですね。
◉ええ、全く。このままではほんとうに人類、滅びちゃいますよ。
省4
42: 08/30(土)18:39 AAS
「日本がアメリカを赦す日」岸田秀 - 手探り、手作り
hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122
第三章「ストックホルム症候群」
現実を見ないとどうなるかというのは、非常に単純なことですよ。何度も繰り返しますが、日本軍の作戦なんて、
現実を見ていなかったから失敗したわけです。都合の悪い現実を無視して作戦を立てるから、
どれほど必勝の信念をもとうが、死を恐れぬ勇気をもとうが、身を犠牲にして戦おうが、不可避的に負けます。
現実を見るか見ないか、その差が現実の結果を決定します。
国家にしろ個人にしろ、同じことです。神経症も、幼いときの親子関係とか、自分に関する苦痛な都合の悪い現実を
見ないから起こるのです。これまで見ていなかった現実を見さえすれば、神経症は基本的に治ります。
非常に単純なことですよ。
省4
43: 08/30(土)18:40 AAS
第四章「嘘のプライド」
日本だって、わが国は万世一系の天皇がしろしめす神の国であるとか、大和民族は同じ血で
つながっている純粋な民族であるとか、日本兵は忠勇無双で死を恐れないとか、いざとなれば、
元寇のときのように、神が助けてくれるとかの非現実的なことにプライドをおくのではなく、
現実の日本の歴史に、現実の日本のいろいろな面に誇るべきところはたくさんあるのだから、
そこにプライドをおくべきだと思います。そうなれば、いたずらに誇大妄想と卑屈のあいだで揺れ動くのではなく、
現実の日本をより誇らしいものにしようという気にもなるというものです。
それが現実的なプライドのもち方だと思います。
個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、とんでもない間違いでしょう。
特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、
省10
44: 08/30(土)18:41 AAS
岸田秀『嫉妬の時代』bot @kishidashit
嫉妬とはわれわれがやりたいけれどやれなくてがまんしていることをやった人に対する、尊敬の入り混じった憎悪の感情です。
x.com/kishidashit/status/1641376997623623681
警察権力がなぜ戸塚(戸塚ヨットスクール・戸塚宏)にそれほど嫉妬したかというと、
戦後民主主義、刑法、刑事訴訟法の改正などによって手足を縛られている権力が
潜在的にいちばんやりたがっていることを、戸塚がやったからだと思います。
x.com/kishidashit/status/1641278929511284737
昔の人は、有名人にわれわれほど嫉妬しなかったと思います。
中世の農民が貴族の贅沢な暮らしを嫉妬していたとは思えません。
あまりにも隔絶していて、比較の対象にも何もならなかったでしょうから。
省9
45: 08/30(土)18:43 AAS
恋愛、尊敬、崇拝というポジティブな感情と、嫉妬というネガティブな感情とは一見、正反対のようですが、根は同じです。
根は同じで、その先がちょっと違っているだけです。簡単に言えば、嫉妬とは裏切られた恋、裏切られた尊敬、崇拝です。
x.com/kishidashit/status/1641029707973136385
嫉妬していることは、相手に対する自分の劣等性の動かぬ証拠です。
心のどこかで相手が勝利者であること、彼のほうが自分より優れていることを知っているからこそ、嫉妬しているのですから。
x.com/kishidashit/status/1641075010440949760
有名人がやっているようなことは、自分にだってできると思えるのです。しかし、実際にはできません。
全能感のため、がまんというものを知らなくなっているわれわれは、耐えがたくイライラします。
x.com/kishidashit/status/1640984414669914112
有名で、われわれよりはるかに収入も多い芸能人が、好き勝手なことをしていい思いをしているのが気になって仕方がないんです。
省13
46: 08/30(土)18:44 AAS
岸田秀の史的唯幻論
www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm
「20世紀を精神分析する」文芸春秋
十四、フランスの狂気
すでに述べたように、個人の場合も集団の場合も、そのようなことは起こらなかったと思いたい苦痛な、
不安なあるいは屈辱的な事件が避けがたくときには起こる。そのとき、誰しもそのような事件の経験を否認し、
その記憶を抑圧し、その意味を歪曲しがちである。そうすれば、一時の気休めにはなるが、
その結果必然的に狂気に陥る。狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の
悪い現実から眼を起らせば、眼を逸らした程度に正確に比例して狂うことになる。
どのような個人も集団も都合の悪い現実から多かれ少なかれ眼を逸らしており、
省13
47: 08/30(土)18:45 AAS
それ以降、フランス国民は空虚な理想の追求と、その理想に反した現実とのあいだに引き裂かれ、
行きつ戻りつを繰り返している。実際、「自由」は混乱と無秩序とテロルをもたらしただけであった。
フランスは現在なおがっちりした階級社会であって、「平等」が実現されたことはもちろん、
真に追求されたことも一度もない。
フランス人は自分のことを自由を愛する個人主義者だと思っていることが多いが、
現実のフランス人はその逆とは言わないまでもその点で他の国民より際立っているわけではない。
つまり、現実のフランス人は「自由」にも「平等」にもあまり関係がないが、断乎としてそのことを認めない。
それを認めれば、大革命が大いなるムダ、愚行であったこと、フランス国民が栄光ある国民
ではないことを認めなければならなくなるからである。
革命以後のフランスの歴史はこの都合の悪い現実を見まいとするが見ざるを得ず、
省5
48: 08/30(土)18:46 AAS
一神教vs多神教 岸田秀 (3_3) Terakaz.com
terakaz.com/2013/10/monotheism-polytheism3/
●ぼくは人間は本能がこわれた動物だと言っていますね。
本能とは現実への適応行動を指示する指針のようなものですから、
本能が壊れたということは、本能と現実の間にズレが生じたということです。
本能の満足と現実への適応とは、人間以外の動物では一致しており、
動物においては、本能を満足させれば、それがそのまま現実へ適応することになるのですが、
人間においては、不幸なことに、この二つのことがズレてしまったのです。
すなわち、人間は、本能を満足させれば、現実不適応になり、
現実適応を求めれば、本能は不満足に陥るのです。
省12
49: 08/30(土)18:47 AAS
LIXIL|企業情報|文化活動|お知らせ&トピックス|LIXIL ブックギャラリー お勧めの本 17 「日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論」
livingculture.lixil.com/archives/culture/information/060_book/003939.html
岸田秀氏は、「人間は本能が壊れた動物であり、幻想や物語にしたがって行動する」と主張し、
『ものぐさ精神分析』がベストセラーとなった心理学者、精神分析家である。人間には怒り悲しみ喜びという感情、
劣等感やプライド、トラウマがあり、それらに駆り立てられ、私たちは行動する。一つの国とてそれは同様なのである。
本書ではこの観点から、建国以来の日本という国と、日本と関わってきた国々の歴史(思惑と行動原理)が分析されている。
そして「なぜ今日本がこうなのか」溜飲の下がる答を示してくれる。
「『なんだ、みんなメチャクチャに生きてきたんだ。だったら私もメチャクチャに生きよう』と読者に思っていただければ、
本書の目的は果たされたことになる。」本書の聞き手、ノンフィクションライターの柳澤健氏の言葉以上に、
私たちに送られる励ましのエールはないように思う。
省1
50: 08/30(土)18:48 AAS
『続 ものぐさ精神分析〔改版〕 (中公文庫)』のレビュー 岸田秀 (y-o-yさん) - ブクログ
booklog.jp/users/y-o-y/archives/1/4122025192
自我を手に入れた人間は動物が本来あるべきである自然から乖離した状態になった。
「自己」という人間の根幹にあること自体「幻想」であり、人間の抱く価値観や気持ち、自己の永続性、欲望、
劣等感などの考えや感情などは「すべては幻想である」という独自の前提で一貫して書かれている。
親子関係、アメリカ、タテマエとホンネ、しつけ、文明、恋愛や性に至るまで、人間の様々な側面を明晰に解釈している。
どの話も、読んでいて「なるほど!」と納得してしまうから面白い。
51: 08/30(土)18:49 AAS
時間と空間の起源――岸田秀「ものぐさ精神分析」(1977)覚書 - 桜心理カウンセリング恵比寿:東京の精神分析的心理療法
sakura-ebisu.com/2020/07/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%A8%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%B
A%90%E3%83%BC%E3%83%BC%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80%E3%80%8C%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%90%E3%81%9
5%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90/
岸田秀氏の「ものぐさ精神分析」収録の「時間と空間の起源」についての覚書
無意識の世界に時間は不要
フロイトは無意識は否定を知らず,すべては肯定されるため,その世界に時間は不要である,
そして,意識においてはじめて時間が現れる,とした。この考え方を敷行したN.O.ブラウンは,
人間が時間と歴史をもつようになったのは,抑圧する動物だからであるとした。
悔恨が過去と時間を創出
省12
52: 08/30(土)18:50 AAS
岸田 秀 『続 ものぐさ精神分析』(中公文庫)2_2 - 週に一冊
oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20160922/1474546440
三島由紀夫論
岸田 秀 カテゴリーの記事一覧 - 週に一冊
oshimayukinori.はtenablog.com/archive/category/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%80%80%E7%A7%80
53: 08/30(土)18:51 AAS
岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)8_8 - 週に一冊
oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20150601/1433120440
<ナルチシズム論>
子供時代の全能感を、
私たちはみんな、いつまでも保持していたい
しかし、人間の幼児は、遅かれ早かれ、不本意ながらも現実を発見することになる。
人間にとって、現実とは、まずはじめ、おのれの全知全能性を傷つける憎むべきもの、
否認したいものとして現れる。
幻想我とくらべて、現実我はなんと無力でみじめで、限られた存在であろうか。
だが、現実は否認しようもない。
省12
54: 08/30(土)18:52 AAS
岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)6_8 - 週に一冊
oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20150525/1432520034
<時間と空間の起源>
p220−4
人間は本質的に(過ぎ去ってしまった時間にとらわれる)アナクロニズムの存在である。
人間はいわゆる固着や退行を起こしうる存在、つまり神経症になりうる存在と言い換えても、
その意味するところは同じである。
過去が過去として充足し、現在が現在として充足しているならば、時間は不必要である。
そうでないがゆえにわれわれは、犯行現場に必ず立ち戻ると言われている犯人のように、
多かれ少なかれ過去に釘付けになっていて、つねに過去をもう一度やり直したがっており、
省14
55: 08/30(土)19:20 AAS
ナルチシズム論――岸田秀「ものぐさ精神分析」(1977)覚書 - 桜心理カウンセリング恵比寿:東京の精神分析的心理療法
sakura-ebisu.com/2020/07/monogusa/
葛藤の究極の解決方法として,自殺によって現実我を消滅させてしまうことが挙げられている。
死んでしまえば葛藤はなくなるが,それで幻想我を生きられるわけではない。
結局,幻想我を「生き続ける」ことは到底無理な話なのだろう。
しかし,彼が「私たちが非現実的なものに関心をもつのは,
そもそも生まれて初めて知った世界が幻想我の世界だからである」と言うように,
一度体験してしまったからには,私たちはその世界への憧憬を捨て去ることもできない。
結果,私たちは「両者の分裂」の中に身を置くしか術はなく,彼の言う通り,
「一時的解決法でごまかしながら,四苦八苦して」,
省3
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