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【名駅】名古屋について語ろう【栄】★part51 (1002レス)
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756
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(兵庫県)
2018/04/01(日)07:41
ID:XOdtTZak(1)
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756: (兵庫県) [sage] 2018/04/01(日) 07:41:36.80 ID:XOdtTZak 信長憧れの地、大阪 抑(そもそも)大坂は、凡そ日本一の境地なり。 其の子細は、奈良、堺、京都に程近く、殊更、淀・鳥羽より大坂城戸口(きどぐち)まで、 舟の通ひ直(すなお)にして、四方に節所を拘へ、 北は、賀茂川、白川、桂川、淀、宇治川の大河の流れ、幾重ともなく、 二里、三里の内、中津川、吹田川、江口川、神崎川引き廻し、 東南は、尼上ヶ嵩(たけ)、立田山、生駒山、飯盛山の遠山の景気を見送り、 麓は道明寺川・大和川の流に新ひらき淵、立田の谷水流れ合ひ、 大坂の腰まで三里、四里の間、江と川とつゞひて渺(びょう)々と引きまはし、 西は、滄海漫々として、日本の地は申すに及ばず、唐土・高麗・南蛮の舟、海上に出入り、 五畿七道こゝに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。 日本一の場所とたたえる理由としてもっとも注目しているのが節所(要害の地)であることより、経済的側面であることが重要である。 すなわち、流通の拠点都市奈良・堺・京都に近いこと、 京都や近江・日本海との物流の大動脈である淀川の水運の港であり、海からは海外貿易の船が出入りできることにある。 大坂は川と海両方の水運の結節点であったのである。 秀吉が後にここに大阪城を築くのはそのためである。 だから、このような地を「日本一の境地」と見る目を秀吉もまた共有していたということになる。 それは単にしぶとい敵が抵抗を続けられたのはなぜかと理由をさぐる目ではなく、 そこをわがものにせんとする目であり、太田牛一の筆は信長の目を描いたものにちがいない。 (池上裕子『日本の歴史第15巻 織豊政権と江戸幕府』講談社(2002年)p.52-54) http://egg.5ch.io/test/read.cgi/develop/1521956959/756
信長憧れの地大阪 抑そもそも大坂は凡そ日本一の境地なり 其の子細は奈良堺京都に程近く殊更淀鳥羽より大坂城戸口きどぐちまで 舟の通ひ直すなおにして四方に節所を拘へ 北は賀茂川白川桂川淀宇治川の大河の流れ幾重ともなく 二里三里の内中津川吹田川江口川神崎川引き廻し 東南は尼上ヶ嵩たけ立田山生駒山飯盛山の遠山の景気を見送り 麓は道明寺川大和川の流に新ひらき淵立田の谷水流れ合ひ 大坂の腰まで三里四里の間江と川とつひてびょうと引きまはし 西は海漫として日本の地は申すに及ばず唐土高麗南蛮の舟海上に出入り 五畿七道こに集まり売買利潤富貴の湊なり 日本一の場所とたたえる理由としてもっとも注目しているのが節所要害の地であることより経済的側面であることが重要である すなわち流通の拠点都市奈良堺京都に近いこと 京都や近江日本海との物流の大動脈である淀川の水運の港であり海からは海外貿易の船が出入りできることにある 大坂は川と海両方の水運の結節点であったのである 秀吉が後にここに大阪城を築くのはそのためである だからこのような地を日本一の境地と見る目を秀吉もまた共有していたということになる それは単にしぶとい敵が抵抗を続けられたのはなぜかと理由をさぐる目ではなく そこをわがものにせんとする目であり太田牛一の筆は信長の目を描いたものにちがいない 池上裕子日本の歴史第巻 織豊政権と江戸幕府講談社年
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