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(1): エスパー魔美◆Akina/PPII ハンター[Lv.35][木] (ワッチョイ 0958-HscE [14.11.7.32 [上級国民]]) 2025/07/29(火)09:56 ID:0MNjA7lv0(3/22) AAS
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 部屋は味噌・漬物部屋が土間、穀物部屋・台所・いろり場が床張り、寝所(ねどこ)である。穀物部屋は鼠の侵入を防ぐため天井張であった。寝所は固定しており、部屋仕切りは板壁で入口は三尺の板引戸がある。土間に籾穀を厚く敷詰め、藁を敷きその上にむしろ・ねこごを敷いた。そして藁のハカマを入れた。また麻布の袋にハカマを入れて藁布団のようにして用いた。保温はそれほど悪くなかったが、温度が上るので衛生的ではなかった。籾穀は毎年取り替えて古いものは肥料にした。
 厠は別棟になっており、糞尿・灰など肥料の貯蔵所でもあったので、慶安の触書には広く作るように令している。
 勝手場の生活用水は湧水や、ほとんどが流水を使用し、大木をくりぬいた井戸舟に引き入れていた。この井戸場が炊事場でもあった。井戸舟の下は池になって鯉を飼っていた。この井戸場の位置が母屋の右側か左側にあるかによって右勝手、左勝手の間取になった。
 百姓の家の入口は、両方に明ける戸は禁止されていたので、表の入口には大戸という一間幅の開戸があり、人の出入口は、高さ四尺五寸、幅二尺五寸の引戸が設けられていた。潜って出入りするので潜り戸といった。入口を入ると馬屋があった。馬屋の前横にワラ打石が据えてあった。馬屋の馬の出入りや、馬屋肥出しのときには大戸を開いて行った。馬屋の前面は広い土間になっており、土間に粘土で築いた竃(くど)があり、大釜がかかっていた。味噌豆を蒸したり、楮の皮を煮たりした。土間の屋根裏には二本の竹竿が吊してあり、味噌玉の乾燥や、煙草の葉を干すに使った。また草履やわらじの作ったものをかけて保管した。井戸場に出入する戸口の馬屋の横には風呂が据えてあった。江戸初期には仏壇は自家制の粗末な木箱で台所の板間の隅に安置してあった。仏間などなく、朝、水や供物を供えるのに都合がよく、住居のうちでは最も清潔な場所であったからと思う。
 このような間取りが、この地方の百姓住居では少なくとも江戸中期ころまでは変わりなかったとみられる。宝暦・明和年代(一七五一〜七一)ころになると、玄関・天井・長押・欄間・縁などを禁じた法令、畳・藺(いぐさ)の薄縁の使用、建具もこれに準ずるというような制限がみられるようになる。このことは農民の住居が生活の場としての性格を持つようになり、床上の生活をするようになってきたと思われる。
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(1): エスパー魔美◆Akina/PPII ハンター[Lv.39][木] (ワッチョイ 0958-HscE [14.11.7.32 [上級国民]]) 2025/07/29(火)10:54 ID:0MNjA7lv0(4/22) AAS
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>>531
名古屋市:新修名古屋市史編さん(市政情報)
外部リンク[html]:www.city.nagoya.jp

最終更新日:2019年7月26日

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