暦・カレンダーの歴史 (172レス)
1-

1: 03/01(土)13:07 ID:0(1/172) AAS
かつては今の3月を年の始めとする国があった
Septemberはラテン語で「7番目」という意味から来てるし
同じくOctoberは「8番目」と言う意味からきた言葉
73
(1): 03/19(水)23:38 ID:0(73/172) AAS
日本だって月よりも、八十八夜とかの立春からの経過日数の方が農業には利用価値があった
陰暦の月日が利用価値があるのは、漁業(潮の満干期)とか砂漠での輸送とかだろう。
74
(1): 03/20(木)06:49 ID:0(74/172) AAS
>>55

水星は1cy(117日→37*3×7回)
金星は5cy(585日→37*5*3×7回)
火星は20cy(780日→20*13*3×21回)
木星は19cy(399日→133*3×39回)
土星は6cy(378日→7*3^3*2×13回)

13が絡むのは
土星、木星、火星
これは確かに神秘的な要素を感じますね、、、

7は木星以外
省1
75: 03/20(木)07:50 ID:0(75/172) AAS
>>45

3を選ばずに9を選択したのは
外側3つの星の方が重要だったのだろうか、、、

マヤは確か8年毎の金星の祭はあった気がする
76
(1): 03/20(木)08:09 ID:0(76/172) AAS
>>45

イシュチェルはラス・カサスが伝えるベラパスの神話に登場し、それによると、彼女は夫のイツァムナとの間に13人の息子をもうけ、そのうちの2人が天と地とそれに属するすべてを創造したという。[ 17 ]

イシュチェルが登場する他の神話は残っていない。しかし、彼女の神話はかつて、マヤの母親が出産の前後に行く場所である発汗浴に焦点を当てていた可能性がある。[ 18 ]

前述のように、助産の守護神としてのイシュチェルのアステカ人に相当するトシは、発汗浴の女神でもあった。オアハカの神話では、太陽と月の兄弟の年老いた養母は最終的に発汗浴に閉じ込められ、その守護神となる。[ 19 ]

マヤ神話には年老いた女神が同じ場所、特にチャクチケル族とツツジル族の太陽と月の祖母が登場し、ツツジル語でバツバル(「機織りの道具」)と呼ばれている。[ 20 ]一方、ケクチ族の太陽と月の神話では、オアハカの老いた養母と密接に対応していると思われる年老いたマヤの女神(シュキツァ)は、汗風呂とは関係がないようだ。[ 21 ]
77: 03/20(木)14:53 ID:0(77/172) AAS
>>34
プルタルコスの著作に曜日の話が出てくるらしいのだが
偽プルタルコスなのかもしれない、、、
78
(1): 03/20(木)16:44 ID:0(78/172) AAS
>>64
原子時計をこえた
79
(2): 03/20(木)17:18 ID:0(79/172) AAS
バビロニアの暦に起源を求めるのが多いが
解説サイトはかなり怪しいと思ってる

>>34

七曜時間

イスラーム暦法には24時間制のほかに12時間制があって、七曜時間または惑星時間と呼ばれる。
七曜時間は中国文化圏の時辰(十二時辰ともいう、時間を12獣で表す)と同じ不定時法であって、1七曜時間もまた時辰と同じ約2時間である。

七曜時間は
①日(太陽)→②水星→③土星→④火星→⑤金星→⑥月(太陰)→⑦木星の順に2時間ずつ進行する。
省1
80
(3): 03/20(木)22:39 ID:0(80/172) AAS
>>79

惑星は、木星、金星、土星、水星、火星の5 つが認識されており、古い楔形文字文献に現れる順に名前を付けると、後の文献では水星と土星の位置が入れ替わっています。

これら 5 つの惑星は、次のようにバビロニアの神々と同一視されました。

木星とマルドゥク、
金星と女神イシュタル、
ニヌルタ(ニニブ)と土星、
水星とナブ(ネボ)
火星とネルガル。

太陽、月、5つの惑星の動きは、地球上の出来事を準備する、月神/女神シン/セラルディと太陽神シャマシュとともに、問題の5人の神の活動を表していると考えられていました。したがって、これらの力の活動を正しく読み取り、解釈することができれば、神々が何をもたらそうとしているかがわかります。
81
(1): 03/20(木)23:27 ID:0(81/172) AAS
間違ってるから
なんか変だったのかw

>>74

水星は1cy(117日→3^2*13×7回)
金星は5cy(585日→3^2*5*13×7回)
火星は20cy(780日→20*13*3×21回)
木星は19cy(399日→133*3×39回)
土星は6cy(378日→7*3^3*2×13回)

ちゃんと合ってた
これは9を選びますわww
82
(1): 03/21(金)00:27 ID:0(82/172) AAS
木星も分解できるから
もっと揃うな
水星はずらしてあるみたいだが

>>81

水星は1cy(117日→3^2*13×7回)
金星は5cy(585日→3^2*5*13×7回)
火星は20cy(780日→20*13*3×21回)
木星は19cy(399日→19*3*7×39回)
土星は6cy(378日→7*3^3*2×13回)

水金火木土
省11
83: 03/22(土)09:33 ID:0(83/172) AAS
>>76
太陽と月が子供だったが
他の惑星は無さそうで動物ぽかったな
84: 03/22(土)16:33 ID:0(84/172) AAS
海外では年末にカレンダーを配る風習はあるのだろうか?
85: 03/22(土)17:49 ID:0(85/172) AAS
>>73 毎年ほぼ固定された春分・秋分・夏至・冬至がありながら太陰暦を選んだ発想はよくわからない
イスラム暦に関しては気候の関係で太陽が憎かったか
死んでも暦の基準にしない!という意地を感じる
86
(2): 03/22(土)19:26 ID:0(86/172) AAS
>>80

木→金→土→水→火
木→金→水→土→火

ホロスコープはバビロニア起源というが
古文書が見つかるのは
圧倒的にギリシャ関係が多いみたいですね
87
(2): 03/22(土)20:13 ID:0(87/172) AAS
>>19
古代オリンピックに出場してた国は
暦を共有していたのだろうか、、、
88: 03/23(日)17:02 ID:0(88/172) AAS
>>87
収穫終わったら集まる感じだったのかな

>>78
原子核までいきましょうw
89
(4): 03/23(日)20:19 ID:0(89/172) AAS
グレゴリオルールを廃止して「128で割り切れる年は平年」にすれば数十万年で1日のズレと極めて精度が高くなる。

Wikipediaだとグレゴリウス13世の調査時に「ユリウス暦だと128年に1日ズレる」とわかっていたみたいなのになぜ128年ルールにしなかった?
90: 03/24(月)01:04 ID:0(90/172) AAS
計算が簡単でより普及しやすいと思ったからじゃないのかな?
91: 03/24(月)04:27 ID:0(91/172) AAS
>>89
これは問題少なそうだし
シンプルだから
これでも良かった気はしますね

なんでだろ、、、
92: 03/24(月)07:50 ID:0(92/172) AAS
最後の審判から先ならいくらずれても問題ない
うん?まだ来ない?人の手で破滅させれば良いだろ
93: 03/24(月)14:12 ID:0(93/172) AAS
>>89
エパクトのとこに説明があったが
春分の回帰年をベースに暦を決めたためらしい

目的に対して合理的ではある気はします
94
(2): 03/25(火)06:53 ID:0(94/172) AAS
>>89
逆に128年の根拠は見つけられなかった

これは意外と難易度高いのでは
95
(1): 03/25(火)07:43 ID:0(95/172) AAS
>>94
1年は 365.242189572日だ。

4年に1回うるう年を入れると、1年は 365+1/4=365.25 日になってオーバーする
で、これから 128年に1回平年にすると 365.25-1/128=365.2421875 日になって現在のグレゴリオ暦より近い値になるって話じゃないのか?
96
(2): 03/25(火)20:06 ID:0(96/172) AAS
>>95
昔の人達はどうやって1年間を決めてたと思いますか?

当時の人なら春分の日の間隔(に類する太陽位置)を
測ってたんじゃないかなぁ
97
(1): 03/25(火)20:25 ID:0(97/172) AAS
緯度と違い、経度を正確に測ることは困難を極めた
98: 03/25(火)23:41 ID:0(98/172) AAS
>>94

やっぱ、めっちゃ難しいらしい

外部リンク[html]:eco.mtk.nao.ac.jp

グレゴリオ暦はもとより宗教暦で
春分の日をズレない固定するのが目的だから
観測から解るレベルでは
相当正確にルール決めてあると思いますね
99: 03/26(水)06:21 ID:0(99/172) AAS
>>97
地球の形を確定させるため、1735年、フランス科学アカデミーはラップランドとペルーに測量隊を派遣した。
このペルー測量隊が筆舌に尽くしがたい苦労をしたのだ。
100
(2): 03/26(水)20:49 ID:0(100/172) AAS
>>96
太陽の位置は正確に計測するのは難しいので(円だから)、恒星はどんなに拡大しても点画像だから、恒星と時計で計測したと思う。
正確な時計の発展とともに精度があがったのだろう。
101: 03/26(水)22:32 ID:0(101/172) AAS
>>100
好青年では日の暦できないので
もう諦めるしかないですね

時計もいくら発達しても
正確な平均回帰年は測れないので、、、
102
(1): 03/27(木)00:32 ID:0(102/172) AAS
>>51

このページにローマ暦の
ユリウス暦のいろいろについて
まとめて書いてあった

外部リンク[html]:eco.mtk.nao.ac.jp
103: 03/27(木)00:40 ID:0(103/172) AAS
>>102

ここに出てくるウァロは
ローマ年表を作成したのと同一人物らしい
あと、サイト内のコメントも
いろいろと気になるところはある

ウァロはローマの文献学者 ルキウス・アエリウス・スティロ(紀元前74年死去)に師事し、後にはアテネでアカデミア哲学者アスカロンのアンティオコス(紀元前68年死去)に師事した。ウァロは非常に多作な著述家であり、様々なテーマで74冊以上のラテン語作品を発表した。断片的にしか知られていない多くの失われた作品とは別に、歴史家にとって傑出した2つの作品、『九冊の規準』とウァロニア年表の編纂である。『九冊の規準』は後の百科事典編纂者、特に大プリニウス(紀元 23年頃~79年)の手本となった。『九冊の規準』で最も注目すべき部分は、教養を体系化の原理として用いている点である。[ 8 ]ヴァロは、これらの芸術のうち、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽理論、医学、建築の9つを特定することに焦点を当てることにしました。
104
(1): 03/27(木)00:52 ID:0(104/172) AAS
>>51

ここに日付の数えかた載ってた
やっとしっくりきたけど
ややこし過ぎるだろww

外部リンク[html]:eco.mtk.nao.ac.jp

古代ローマでは、春分は3月25日とされていたようです。
イースターの日取りを決める際、ローマ派は3月25日を春分としていました。
下記のような紀元前後の各種文献等には、春分は a.d. VIII Kal. Apr=3月25日と書かれています。
105: 03/27(木)01:02 ID:0(105/172) AAS
これがまんま閏年や閏日という言葉らしい

Bissextus

>>51

ビセクスト、またはビセクストス(ラテン語の bis 「2倍」とsextus 「6番目」に由来)は、ユリウス暦では4年ごとに、グレゴリオ暦ではほぼ4年ごとに追加される閏日であり、通常の暦年である365日と太陽年の平均日数との間の約6時間の差を補正する。
106: 03/27(木)01:13 ID:0(106/172) AAS
ちなみにこの人が
月の日数に関する
ガセネタをぶっこんできた人っぽい

>>89

ヨハネス・ド・サクロボスコ

数学の分野では『記数方論』(Tractatus de Arte Numerandi)、『アルゴリスムス』(Algorismus:計算法)はインド・アラビアの算術法のテキストとして用いられた。暦学の著書De Anni Rationeでユリウス暦が、10日の狂いが生じていることを指摘し、ユリウス暦は228年に1日の調整が必要であることを示した。パリで没した。

サクロボスコの教育と伝記についてはほとんど知られていない。一つには、彼の死亡年は1236年、1244年、1256年と推測されているが、いずれももっともらしいが十分な証拠がない。[ 1 ]
107: 03/27(木)13:23 ID:0(107/172) AAS
>>104
カレンダエは勝手に
朔(ついたち)みたいに思っていたが
かなり複雑な形態だったな

特徴あり過ぎでしたね
108: 03/28(金)02:19 ID:0(108/172) AAS
>>86
>>79

アレキサンドリアが発祥という説があるらしい

世の中の凄いモノ
かなりのモノがエジプト起源なんだな
109: 03/28(金)02:29 ID:0(109/172) AAS
カッシーニしか読めない、、、

天文方を経由しない翻訳だったこともあり、用語の混乱が多数見られます。
刻白爾をコペルニクスと勘違いするケース

中国の暦書では西洋人の名前も漢訳されています。たとえば、多禄某はトレミー (プトレマイオス)、歌白泥はコペルニクス、第谷はティコ・ブラーエ、刻白爾はケプラー、葛西尼はカッシニのことです。
司馬江漢は刻白爾をコペルニクスと勘違いし、コペルニクスとケプラーを混同して紹介しました。これが多くの書籍に影響を与えているようです。
110: 03/28(金)02:30 ID:0(110/172) AAS
>>61
太陰暦は日蝕・月蝕のたびに補正するので、日単位で狂うことは無いよ
111: 03/28(金)07:45 ID:0(111/172) AAS
>>51
これはホントなんだろうかw

イースターの東西の話は
いっつも適当に流してるんだよな
112
(1): 03/28(金)10:53 ID:0(112/172) AAS
カレンダーアプリで1582年10月を表示すると4日の次が15日になっている
(iphone、iOS15)
113: 03/28(金)17:31 ID:0(113/172) AAS
>>112
イタリアとスペインでグレゴリオ暦を導入した時期に合わせている。
1582年の10月を10日削る、で、5日から14日を飛ばした。
114: 03/28(金)22:11 ID:0(114/172) AAS
イースターの語源
ホントなんかなぁ、、、
115: 03/28(金)22:21 ID:0(115/172) AAS
そもそも、めっちゃローカルな呼び名なのか
半分ぐらい関係あるのかと思ってたが
全く関係無かったw
116: 03/29(土)14:57 ID:0(116/172) AAS
修正された天動説モデルは
ティコが最初かと思ってたが
順を追うとカペラが既に提示していて
コペルニクスが無視できない理論として
天球回転論の1巻で取り上げられてるらしい
117: 03/29(土)14:57 ID:0(117/172) AAS
そういえばアニメやってたけど
おもしろかったんだろうか、、、
118: 03/29(土)15:08 ID:0(118/172) AAS
>>100
誰か天才的な方法で
太陽を恒星座標系で記録するという
破天荒な手法を編みだしたとしたら
天球の理解は進んだんだろうか、、、
119: 03/29(土)15:16 ID:0(119/172) AAS
エジプト式がまさにこれか、、、

ほんの一時を利用した超難度の観測
どれぐらいズレるんだろう
120: 03/29(土)15:22 ID:0(120/172) AAS
マヤとエジプトは
天頂通過日という特別な天文イベントを利用できるから
太陽に関する理解は他文明より
優位な立場にあっただろうなとは思う

エジプトのはだいぶあとまで
利用方法が出てこないが
実際はかなり記録されてたのでは、、、
121
(1): 03/29(土)15:51 ID:0(121/172) AAS
めっちゃ気になる画像を見かけた
ほとんどミステリーサークルだった

>>55
関係ないサイトの
ありがたい文章

ドレスデン絵文書と呼ばれるマヤ文明の古文書の46ページから50ページまでは、金星について書かれています。その各ページの左下には「236」「90」「250」「8」という数字があり、合計は「584」です。

 これらの数字がそれぞれ「明けの明星が見られる期間(236日)」「外合付近で金星が見えない期間(90日)」「宵の明星が見られる期間(250日)」「内合付近で金星が見えない期間(8日)」そして「金星の会合周期(584日)」を表していると考えられているのです。
122
(2): 03/29(土)15:52 ID:0(122/172) AAS
>>121

太陽暦と儀礼暦と金星
 52年で太陽暦と儀礼暦がひとめぐりする「カレンダーラウンド」についてはすでに説明しましたが、この金星の会合周期も合わせたカレンダーラウンドについても、考えてみましょう。

 太陽暦が104年経つと「365日×104年=37960日」です。

 儀礼暦が146年経つと「260日×146年=37960日」です。

 金星の会合周期が65サイクルすると「584日×65サイクル=37960日」です。
省2
123: 03/29(土)16:13 ID:0(123/172) AAS
>>82

金星 584日
584=73*2^3

8の倍数が入ってる方が
しっくりくるが
73*5=365なのですな

内惑星は調整してる感じですね
124: 03/29(土)16:15 ID:0(124/172) AAS
>>122
8年おきに祭りがあるけど
80年目では金星の修整があったと
どっかのサイトに書いてあったな
125: 03/29(土)16:42 ID:0(125/172) AAS
もう四分割する構造らしいけど
昔は28だった説があるっぽいです
インドはいつでもなんでも複雑すぎるww

>>44
ヴェーダによれば、ナクシャトラの起点は「クリッティカ」である(プレアデスがヴェーダが編纂された当時、おそらく春分に年を開始した可能性があるため、これは議論されている)が、より最近の編纂では、ナクシャトラリストの起点は、サンスクリット語でチトラと呼ばれるスピカの真向かいの黄道上の点である。これは、現代の牡羊座の一部であるアシュヴィニーと翻訳される。したがって、これらの編纂は、春分時に太陽が牡羊座を通過していた数世紀の間に編纂された可能性がある。このバージョンは、メシャディ、つまり「牡羊座の始まり」と呼ばれていた可能性がある。[ 1 ] [全文引用が必要]
126: 03/29(土)16:48 ID:0(126/172) AAS
>>44

28 のナクシャトラという古い伝統では、各等分区間は 12.85 度または 12° 51′ を占めると上記で述べました。しかし、28 のナクシャトラは、ヴェーダの月がちょうど 30 日であると認識されていた時代に選ばれました。インドと中国では、元々の 28 の月の宿は等しくありませんでした。

ウェイシン・ヌイは、ムフルタで表現された元々の 28 のナクシャトラの範囲のリストを提供しています。(1 ムフルタ = 48 分の弧) で表された元々の 28 のナクシャトラの範囲のリストを提供しています。ヒンドゥー教のテキストには、30 ムフルタのナクシャトラが 16 個、45 ムフルタが 6 個、15 ムフルタが 5 個、6 ムフルタが 1 個あったと記されています。

360°の月の黄道帯の28宿は、合計で831ムフルタ、つまり27.7日です。これは、現代の恒星周期である27.3日の不正確な推定値であると言われることもありますが、ヴェーダの月が30日で、月が毎日13度移動する古代インドの暦を使用すると、この831ムフルタ、つまり27.7日の恒星月という初期の指定は非常に正確です。[ b ] [ 8 ] [全文引用が必要] その後、一部のインドの学者は、アビジットと呼ばれるナクシャトラを削除して区分数を27に減らしましたが、中国人は元の28の月の宿をすべて保持しました。これらは4つの等しい四半期にグループ化されていましたが、区分数を27に減らすことに決定した場合、根本的に混乱していたでしょう。
127
(1): 03/29(土)17:10 ID:0(127/172) AAS
ドレスデン絵文書は内容を知りたい
と思うのだが詳しい解説はみつからない

もうこのスレは国立天文台ので良い気がしてきたw
外部リンク[html]:eco.mtk.nao.ac.jp

>>122

ただし、金星の会合は常に584日周期というわけではなく、また平均的にも5×13会合後には誤差が積もっていきますので、これで完璧というわけではありません。
24ページの(9.9.16.0.0)は1,366,560日=2,340金星会合周期(584日)=5,256 Tzolk'in=3,744 Haab=72 CRを表わしています。
128: 03/29(土)23:14 ID:0(128/172) AAS
>>127

2CRでだいたい足りるところを
72CRもってくるのは
何か別の長周期と連動させてるんだろうか
129: 03/31(月)18:00 ID:0(129/172) AAS
>>34

エ・テメン・アン・キの
日本語ページのところに
順序の解説はあったが
これは遠い順に書いてあるな

そもそも怪しい気はしますがw
130: 04/02(水)20:15 ID:0(130/172) AAS
>>96
普通に春分の間隔と
秋分の間隔だけを
平均化するという発想に
行き着くことが可能なのかな

全部の西二分の間隔を数えてたら
どういう気持ちになるんだろう
131: 04/02(水)20:18 ID:0(131/172) AAS
>>86

ローマの占星術の系統は
エトルリア占いの系譜があるという話を
方位のとこで聞いたことあったが
途中ピタゴラスイッチしてた

著作は難しすぎて
ほとんど残ってないそうな
132
(3): 04/02(水)21:25 ID:0(132/172) AAS
西洋占星術は生まれた瞬間の惑星の位置を元に運命を占う。
それがわからないときは、生まれた日を元に計算するのだが、太陽とか月の位置は全然違うから正午ごろだと仮定して計算するのかな?
いずれにせよ、惑星の位置が計算できるようになってからの占いだ。
133: 04/02(水)23:49 ID:0(133/172) AAS
セラルディだけ聞いたことないな
と思ったらウラルトゥか

>>80

ウラルトゥには3つの主な神が存在し、その中心はハルディHaldiで神殿はアルディニArdini(ムサシル)にあった。
 ハルディは戦士の神で、王は戦争での勝利のためにこの神に祈った。その神殿は武器によって飾られた。
 彼はライオンに上に立つ、有翼あるいは無翼の男として描かれる。妻は豊穣の女神アルバニArubani。
 ある資料では、アルメニア民族の伝説的族長のハイクはハルディに由来するとする。
 他の重要な神はクメヌKumenu(クンマンヌ)のテイスパスTheispaとトゥシュパTushpaのシヴィニShiviniであった。
 テイスパスは天候の神、特に嵐と雷の神であった。牡牛の上に乗った稲妻の矢を持った男として描かれる。
 これはインド神話のインドラに対応する。時には戦争の神でもあった。彼の妻は女神フバHubaであった。
省5
134
(3): 04/03(木)01:21 ID:0(134/172) AAS
>>132

死者の書で太陽船は
一周して回ってた気がするのだが
位置情報も一緒に書き込まれてた記憶はあるな

船ルールは珍しい気はする
車が多いのは印欧族のせいなんだろか、、、
135: 04/03(木)19:52 ID:0(135/172) AAS
>>80

メソポタミアは月の神様は
特に改編が激しい気がするのだが
日陰者のせいなんだろうか、、、
136
(1): 04/03(木)21:37 ID:0(136/172) AAS
>>132
一時期流行った13星座って今はどうなってるんだろう
137
(1): 04/04(金)00:17 ID:0(137/172) AAS
>>136
気の迷い。大体、冥王星が科学的に準惑星に落ちても扱いは流派によりまちまちだから。

>それがわからないときは、生まれた日を元に計算するのだが、太陽とか月の位置は全然違うから正午ごろだと仮定して計算するのかな?

太陽の位置で簡易的に星座を決めるんじゃなかったっけ。そうすると大体誕生日の月日ごとに星座が決まるので、現在の通俗星座占いのイメージ
通りになるわけだ。
138: 04/04(金)07:51 ID:0(138/172) AAS
そこでケプラーの惑星正多面体説ですよ
139
(1): 04/04(金)23:51 ID:0(139/172) AAS
そういえばエジプトは
36星座のはずだったけど
カバの印象が強すぎて
他が全く頭に入ってこないw
140
(1): 04/04(金)23:55 ID:0(140/172) AAS
アヌの道は23星座か
意外と12星座が設定されたのは
遅そうだな
141: 04/05(土)08:23 ID:0(141/172) AAS
そういえばなんで
獣帯って言うんだろう
いつからかな
142
(1): 04/05(土)19:07 ID:0(142/172) AAS
中国は28星座

マヤはどうなってるのかしら
143: 04/05(土)20:53 ID:0(143/172) AAS
中国の星座を星のソフトで確認した。
やはり西洋のものは、赤道に沿って12個設定し、全天網羅しているから…

中国の星座はでっかい星とかも無視しているトコあるからなー。(プロキオンとか)
144
(2): 04/07(月)00:37 ID:0(144/172) AAS
ポリス毎に別の暦が使われたらしい

これは具体的だが直接の関係あるんだろうか

>>87

天文学者の間ではメトン周期やカリポス周期、さらには古代エジプト暦が好んで用いられました。

第Xカリポス周期の第Y年のような表記は、紀元前330年を第1カリポス周期の第1年、76年を1カリポス周期として数えたものです。
省1
145: 04/07(月)12:40 ID:0(145/172) AAS
カリポスはリュケイオンで
アリストテレスと働いていたらしい

不確かな情報を含めて書いていくと

>>144

紀元前344年 カリポス周期を発見
紀元前340年 夏至から観測記録を開始
紀元前338年 カイロネイアの戦い→アテネ訪問
紀元前333年 イッソスの戦い
紀元前332年 エジプト進軍
紀元前331年 ガウガメラの戦い→バビロン入城
省7
146: 04/07(月)22:21 ID:0(146/172) AAS
年代を書き間違ってたwスミマセン

これならカリポス周期を発見というのが
フェイクなら順序が合うな

タイミング的にはエジプト、カルデアの
どっちでもいける訳か

>>144

紀元前338年 カイロネイアの戦い→アテネ訪問
紀元前334年 カリポス周期を発見
紀元前333年 イッソスの戦い
紀元前332年 エジプト進軍
省5
147: 04/09(水)03:27 ID:0(147/172) AAS
対角星表の話が載ってるが
読者を置き去りにしたまま話が進むw

>>134

【考古学】古代エジプトでは天文学にどのようなアプローチが用いられていたのか? [すらいむ★]
148: 04/09(水)03:39 ID:0(148/172) AAS
調べ直すと死者の書と
太陽船は別モノでした
スミマセン

>>134

「死者の書」(英:Book of the Dead)という名前は、19世紀のドイツ(プロイセン)のエジプト考古学者カール・リヒャルト・レプシウスが学術的に命名した呼称であり(独:Das Todtenbuch)、古代エジプトでの呼び名にはそのような意味はなかった。「死者の書」を意味するヒエログリフをラテン文字化すると「Rw Nw Prt M Hrw」(読みは「ル・ヌ・ペレト・エム・ヘル」または「ペレト・エム・ヘルゥ」)となり、これを日本語に直訳すると「日下出現の書」または「日のもとに出現するための呪文」となる
149
(1): 04/09(水)03:42 ID:0(149/172) AAS
12の門はデカンなのかと思ってたが
これも別モノが用意されるらしい
わりと設定も細かいw

>>134

日没とは、彼と彼の船が西の地平星であるアケトを通過し、地下にある冥界ドゥアトに旅立つことを意味した。このように地平線はドゥアトに通じる門や扉として表現されることがあった。そこでは地下を流れるナイル川を航行し、12の門と地域を通過する。この夜の12時間もまた、12柱の守護神によって門が監視されているとした。そして毎晩、ラーは船を襲ってくる巨大な蛇アペプや混沌の神(イスフェト(英語版))と戦う。アペプを倒すと朝を迎え、夜明けと共に現世に戻って再び地上に光をもたらすとされた。
150: 04/09(水)03:48 ID:0(150/172) AAS
ざくっと数えると37で
等間隔でもないんだよな

それだけしっかり観測と合わせてあるのかな

>>139

画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
151: 04/09(水)18:27 ID:0(151/172) AAS
>>132

占星術はほとんど興味ないのであれだけど
アヤナムシャってどこの言葉なんだろう

そもそも星座関係ないやんか
っていいながら惑星の位置は重視するとか
めっちゃ難しい気がしますw
152: 04/10(木)03:41 ID:0(152/172) AAS
ある程度の推測がつくモノもあるけど
よくわからないw

>>137

支配星は惑星とそれに関連するサインやハウスとの関係である。[ 38 ]慣習的な支配星は以下の通りです。[ 9 ] [ 39 ]

牡羊座:火星
牡牛座:金星
双子座:水星
蟹座:月
獅子座:太陽
乙女座:水星
省6
153
(1): 04/10(木)03:52 ID:0(153/172) AAS
バビロニアに引っ張られるが
そもそも時代が違いそうではある

>>140

紀元前5世紀末頃、バビロニアの天文学者たちは、12の月(それぞれ30日)に例えて、黄道を12の等しい「星座」に分割しました。各星座は天経30度を含み、こうして世界初の天体座標系が誕生しました。現代天体物理学の計算によると、黄道帯はペルシャ統治時代の紀元前409年から398年の間に導入され、[ 17 ]、おそらく紀元前401年から数年以内に導入されたと考えられています。[ 18 ]北半球の春分(3月春分)の太陽の位置を牡羊座の始まりとする現代の占星術師とは異なり、バビロニアの天文学者は星との関係で黄道帯を固定し、蟹座の始まりを「後ろの双子星」(ふたご座β星)、水瓶座の始まりを「後ろのやぎ座δ星」に置いた。[ 19 ]
154: 04/10(木)05:56 ID:0(154/172) AAS
今日4月10日は上皇陛下夫妻の結婚記念日
155: 04/10(木)06:11 ID:0(155/172) AAS
日本史板に書くべき事項だが、あっちには行く気がしないw
156
(1): 04/10(木)07:42 ID:0(156/172) AAS
漢字の設定が合わないが
時代はこの頃のはず

>>142

貞観7年(633年)、李春鋒が伝統的な渾天儀を改良し、赤道儀に黄道環と白丸環を独創的に加え、当時としては独特な「三環式」の渾天儀を考案し、渾天黄道儀と名付けたと『旧唐書』と『新唐書』の両方に記録されています。貞観15年(641年)、史官に任じられ、天球儀を研究した『法象志』を著した。
157
(2): 04/10(木)07:48 ID:0(157/172) AAS
>>156

ハンティアン黄道十二宮図とあるが
星座ではないのかもしれませんね

観測者は別の人だった気がする
この人は雑音が多いから
ふあんの方が情報拾い易いかな
158: 04/10(木)08:11 ID:0(158/172) AAS
だいぶ時代が下るな、、、

>>157

傅安
外部リンク[htm]:asait.world.coocan.jp

紀元前 52 年に、最初の赤道を導入したのは 耿壽昌である。
その後の後漢 (AD 23 年 - AD 220 年) の時代に、
AD 84 年までに、 天文学者である 傅安 (Fu An) さん と 賈逵 (Jia Kui) は黄道の輪を追加した。
159
(1): 04/12(土)07:25 ID:0(159/172) AAS
どこからきたのかな?

>>24

この中国暦対応表には、紀元前 2697 年を基準とする中国暦の現在の第 79干支サイクル、または紀元前 2637 年を基準とする場合は第 78 サイクルの幹/枝年名、西暦 (グレゴリオ暦) との対応、およびその他の関連情報が表示されます。
160: 04/12(土)07:32 ID:0(160/172) AAS
ふーむ、イエズス会でした

>>159

17世紀、イエズス会の宣教師たちは中国暦の紀元年を確定しようと試みました。マルティーノ・マルティーニ(1614-1661)は著書『中国史10年』 ( 1658年ミュンヘン出版)の中で、黄帝の即位を紀元前2697年とし、伏羲の治世(マルティーニによれば、伏羲の治世は紀元前2952年に始まった)を中国暦の起点としました。 フィリップ・クプレが1686年に著した『中国君主年表』(Tabula chronologica monarchiae sinicae)も黄帝の即位年を同じとしています。イエズス会の年表はヨーロッパで注目を集め、聖書の年表との比較に用いられました。[要出典]現代中国の年代学は、マルティーニの年代を概ね受け入れているが、黄帝の治世を紀元前2698年と位置付け、その前身である伏羲と神農は「伝説的すぎる」として除外している。[この引用は要出典]
161
(1): 04/12(土)14:44 ID:0(161/172) AAS
わかったことと
わからなかったことを
まとめていく

黄道は黄帝の道かと思ったが
黄帝は星座になってて
これは黄道とは関係なかった
AI先生は自慢げに
黄帝吉日が起源ですと教えて下さいました
162: 04/12(土)15:59 ID:0(162/172) AAS
>>161
黄道吉日ですw

ざっくりした推定だけど
月の軌道が白道として設定された頃には
太陽の軌道として黄道が設定されてた
のではという気はします

そうすると赤道はどうなのかという
疑問もあるのですが
163: 04/13(日)10:25 ID:0(163/172) AAS
間違っとるやろ
帝国版はナチスと日本と
東ローマだけなのでは
あ、エチオピアもあるのかな

>>33

キリスト教の千年王国説とは区別されてはいるが、新宗教に独自の千年王国を主張する者がいる。またナチス・ドイツ(大ドイツ国)は第三帝国を千年王国と称したが、ノーマン・コーン等によればマルクス主義にも千年王国と同様の思想が見られる。この説を受けた三石善吉によれば、中国の太平天国の乱は元より、仏教の弥勒思想に千年王国思想を刺戟伝播して発生した大乗の乱等に、千年王国思想[12]が見られる。千年王国思想は

1. 信徒が享受するもので、
2. 現世に降臨し、
3. 近々現れ、
4. 完璧な世界であり、
省9
164
(1): 04/13(日)10:40 ID:0(164/172) AAS
128年を選ぶパターンで
還暦1941年らしい

>>50

木星の公転周期と日辰

この冒頭部分では、イスラーム暦法の基本が、「128年周期で31の宮の閏日を置き、30年周期で11の月の閏日を置き、1941年周期で宮・月・日辰が再会する」と簡潔にまとめられている。厳密には、これはイスラーム暦法というよりも、ペルシャ文化圏における「ペルシャ暦(太陽暦)とヒジュラ暦(太陰暦)の組み合わせ暦法」の基本であるが、中国文化圏における太陰太陽暦(旧暦、農暦)の日辰という木星由来の紀日・紀年周期もまた言及されている。中国語(漢語)の「歳」には①木星、②1/12木星年≒1太陽年、という2つの意味がある。木星の公転周期は約11.86年である。中国ではこれを12年周期とみなして、木星の公転を表す黄道座標系を12次という。その故に、1次=1/12木星年≒1太陽年=1歳となる。この12次が日辰の12辰、干支の12地支(12獣)の起源である。
165: 04/13(日)11:06 ID:0(165/172) AAS
>>153
>>149

状況的に考えると黄道12宮の発明は
エジプトなのではという気がしてきますね

死者の書って
いつ頃成立したんだろうか
166
(1): 04/17(木)13:17 ID:0(166/172) AAS
日蝕を竜にたとえる文化がありそうなのだが
中国以外が発祥の可能性もあるのだろうか
167: 04/17(木)22:25 ID:0(167/172) AAS
AIセンセによるとインドの影響らしい
ふーむ、アルマゲスト気になるな

>>166

西洋で月の軌道の昇交点を「ドラゴンヘッド (Dragon's Head)」と呼ぶようになったのは、中世初期に遡ると考えられています。

なぜそう呼ばれるようになったのか?

この名称の起源は、インド占星術の概念がアラビアを経由して西洋に伝わったことにあります。
省3
168: 04/18(金)09:51 ID:0(168/172) AAS
12次の説明

>>157

二十四節気や二十八宿との関係が漢書律暦志に記載されています。

黄道十二宮とは違い、二至二分をはじめとする中気は十二次の始点ではなく中央に来るように区分されます。
当時の二十四節気は並びや名称が現在と少し異なります。

二十八宿の間隔はバラバラですが、十二次はほぼ均等に分かれます。
たとえば星紀の初度は斗宿の12度、中度は牛宿の初度のように、二十八宿を使って定義されています。
省3
169: 05/02(金)06:23 ID:0(169/172) AAS
てんぷら
170: 05/02(金)10:23 ID:0(170/172) AAS
>>71

八天干はさらっと読み流していたが
わりと謎の仕組みな気がする
171: 05/04(日)07:55 ID:0(171/172) AAS
>>164
>>71

曜日だから7しかないのかな?
イスラムの7日は聖書と同じとこから
出現してるんだろうか>>37
172: 05/24(土)22:18 ID:0(172/172) AAS
さて、参考資料を読もうと思うのだが

ウォーレンフィールド
ナブタ・プラヤ
ギョベクリ・テペ

この辺りまでカバーされてるのかしら
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