鮮卑、烏桓はモンゴル系か? (11レス)
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1: 06/28(土)10:57 ID:0(1/11) AAS
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セルビ=モンゴル諸語[定訳なし][注 1] は、モンゴル諸語と、モンゴル諸語の姉妹群として提唱されている側モンゴル諸語を併せた、提唱中の語族である
2: 06/28(土)10:58 ID:0(2/11) AAS
側モンゴル語(英語: Para-Mongolic)は、モンゴル諸語の消滅した
姉妹群であると考えられている言語群である。側モンゴル語は、契丹語や吐谷渾語などの、
歴史上消滅したことが確認されている言語からなる。
外部リンク:ja.wikipedia.org
3: 06/28(土)10:59 ID:0(3/11) AAS
アヴァールの君長 Anagaios は阿那瓌に比定できることや、「アヴァールの大使 Kandikh 一行がリボンをつけた長い辮髪を背に垂らしていた」
「その汚れた辮髪」などという諸記録、『隋書』突厥伝李徹伝に「開皇5年(585年)、阿抜国が挙兵し、突厥の沙鉢略可汗の部落を荒涼したが、
隋は援軍一万を出して沙鉢略を助けたので、阿抜軍が退去した」とあり、阿抜=アヴァールと比定できることなどがある。

以上のことから、アヴァールとは柔然の本来の民族名で、柔然とは民族名ではなくアヴァール人が建国した国名であるとし、
外部リンク:ja.wikipedia.org
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(1): 06/28(土)11:01 ID:0(4/11) AAS
実際、近代蒙古語で投下奴隷をunaganといい、信憑性はありそうである。
また、Edwin G. Pulleyblank は、古代中国人は外国語の「a」をしばしば「烏」で写す例が多く、
音声上では烏桓の古音はah-hwarでありうる可能性が強く、烏桓はむしろ後世ヨーロッパに侵入したアジアの遊牧民族Awar(アヴァール)を
写したものではないかとしている。もし烏桓がAwarを写したものであり、Awarがモンゴル語のabarga(蛇・蠕動)と連結するならば、
烏桓族はテュルク・モンゴル族に普遍的にみられる狼をトーテム獣とするが、その狼を虫(蛇)という隠語で呼んだ
柔然族の祖であった可能性が高い。いずれにせよ烏桓の原音原義を決定的に断定するには、今後の研究を要するべきであろう。
外部リンク:ja.wikipedia.org
5: 06/28(土)12:13 ID:0(5/11) AAS
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チベットこそチャン系と言われるべきでは
モンゴルこそセルビ系と言われるべきでは
6: 06/28(土)17:23 ID:0(6/11) AAS
アヴァールも言語は残らなかった
マジャール人は言語を残したのに(両方ともスラブ人に遺伝子で飲み込まれてるのは変わらない)
7: 06/28(土)18:00 ID:0(7/11) AAS
モンゴル祖語話者は
遊牧民の中の弱小部族に過ぎなかった
8: 06/30(月)22:06 ID:0(8/11) AAS
>>4 上古漢語での漢字音ってきちんと漢・チベット語族内での比較言語学から導き出されたものなんだろうか
まさかアヴァールを烏桓に比定するために漢字音の方を寄せたとかないよな
とはいえ当時の漢字音を知る手がかりは形声文字や比較言語学や外国語を漢字で表したものくらい
9: 07/16(水)20:13 ID:0(9/11) AAS
鮮卑とか烏桓がモンゴル系かって話だけど、これって結構複雑なんだよね。一言で「そうだよ」とか「違うよ」って言えないのが歴史のめんどくさいとこ。

まず、鮮卑も烏桓も、もともとは「東胡(とうこ)」って呼ばれてた民族の子孫って言われてる。で、この東胡の言語がモンゴル系だったんじゃないかっていう説が最近は有力になってきてるんだ。

特に鮮卑に関しては、昔はトルコ系って言われてた時期もあるんだけど、今は鮮卑の言葉(鮮卑語)がモンゴル系、特に拓跋部(たくばつぶ)っていう鮮卑の一派の言葉がモンゴル系だって説が有力になってきてるのね。烏桓の方も、「鮮卑の言葉と烏桓の言葉は同じだよ」って昔の文献に書いてあるから、鮮卑がモンゴル系なら烏桓もモンゴル系って考えるのが自然な流れだよね。

だから、はっきりとは断言できないけど、今のとこは「モンゴル系だった可能性が高い」ってのが一番近い答えかな。でも、研究が進めばまた違う説が出てくるかもしれないし、歴史ってそういうもんだから。
10: 08/29(金)06:57 ID:0(10/11) AAS
日本国民は
科学系ノーベル賞獲得数日韓比較24対0
正義と秩序を基調とする
科学系ノーベル賞獲得数日韓比較24対0
国際平和を誠実に希求し
科学系ノーベル賞獲得数日韓比較24対0
国権の発動たる戦争と
省20
11: 09/10(水)19:31 ID:0(11/11) AAS
モンゴル高原に興亡した騎馬民族の源流をたどる旅は、歴史のロマンに満ちている。かつて、後漢代に北辺を脅かした鮮卑や烏桓は、その後のモンゴル系民族の祖先なのか、という問いは長年の関心事だった。結論から言えば、彼らを現代のモンゴル人と直結させるのは早計だ。しかし、その系譜には連なる可能性がある。

烏桓は、紀元前3世紀頃から遼西に住んでいた東胡の末裔とされ、鮮卑もまた、東胡の別種とされている。東胡がモンゴル高原東部に居住していたという歴史的記録や、彼らの風俗が後のモンゴル系民族と共通点を持つことから、言語や文化的な繋がりは否定できない。

例えば、モンゴル系民族が築いた元朝の歴史書『元朝秘史』には、祖先が「蒼き狼と白き鹿」から生まれたという神話が記されている。この神話は、遊牧民特有の自然崇拝やトーテム信仰を反映しており、鮮卑や烏桓の信仰とも類似している。時代や部族が異なっても、彼らは共通の精神的土壌に根ざしていたのかもしれない。

歴史の複雑な流れの中で、彼らの血統は混ざり合い、言語は変化し、やがて「モンゴル」という新たなアイデンティティを形成していったのだろう。鮮卑や烏桓は、現代のモンゴル人という大河に注ぎ込む、重要な源流の一つであったと言える。彼らの足跡を追うことは、遊牧民族の壮大な歴史を解き明かす鍵となるのだ。
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