古代エジプトの謎 第二王朝 (63レス)
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1: 2024/09/25(水)19:01 ID:0(1/63) AAS
スフィンクス、ピラミッド、ツタンカーメン、オンム・セティ…
古代エジプトの謎を語ろう。
2: 2024/09/27(金)13:18 ID:0(2/63) AAS
BSスペシャル
古代エジプトの謎を追え 〜挑戦者たちのバトン〜
3: 2024/09/28(土)19:22 ID:0(3/63) AAS
ああな
4: 2024/09/29(日)00:32 ID:0(4/63) AAS
外部リンク[html]:www.gizmodo.jp
樹脂を使ったミイラ製造法は、もともと紀元前約2500年にエジプト古王国で発明されたと長らく考えられてきました。しかし2014年の研究が南エジプトのモスタゲッダで発見された葬式用の生地を分析した結果、エジプトにおけるミイラ製造の発端はさらに1500年以上前であることが示唆されました。
Mummy S. 293はかつて、高い気温と乾いた砂漠の環境が作り出した自然のミイラであると考えられていたそうです。しかし今回の研究でこれが植物油や熱された針葉樹の樹脂、植物から抽出されたアロマや植物性のゴム質の混合物を使ったエンバーミングによるミイラだということが確かめられました。
5: 2024/09/29(日)00:33 ID:0(5/63) AAS
外部リンク:news.yahoo.co.jp
新たな研究で、エジプト最古のピラミッドであるジョゼル王のピラミッドは、4700年前に原始的な油圧リフトを使って建造されたことが示唆されている。
6: 2024/09/29(日)00:38 ID:0(6/63) AAS
外部リンク:natgeo.nikkeibp.co.jp
古代エジプトの墓:動物園の原型
古代エジプトの初期王朝が栄えた都市、ヒエラコンポリスの墓地の片隅で発掘されたヒヒの骨。約3500年前に埋葬されたもので、付近では9匹の犬と6匹の猫の骨も見つかった。
7: 2024/09/29(日)07:35 ID:0(7/63) AAS
外部リンク:www.nikkei.com
5000年前の古代エジプトの2体のミイラにタトゥーが見つかり、学術誌「Journal of Archaeological Science」に発表された。ミイラは1900年に発見された6体のコレクションの一部で、発見地点であるナイル川沿いの地名にちなみ、ゲベレインのミイラと呼ばれている。
ミイラの年代は、2体ともに紀元前3351年から3017年の間と判定されていることから、タトゥーのある遺体としては古代エジプトで最古のものとなった。
男性の体からは、雄牛と、バーバリーシープ(北アフリカ産のヒツジ)と思われる絵が見つかった。
女性の体には、肩関節の上にアルファベットの「S」のような記号が4つ並んでいるのと、「L」字型の線があることが判明した。後者について、考古学者たちは棒か木製のつえかもしれないと考えている。
8: 2024/09/29(日)16:36 ID:0(8/63) AAS
ああた
9: 2024/10/12(土)23:56 ID:0(9/63) AAS
奈良文化財研究所は、京都府峰山町の赤坂今井墳丘墓から出土した頭飾りのガラス製管玉に、古代中国の青色顔料「漢青」(ハンブルー)の結晶が混在していたことが分かったと発表している。管玉に混在している漢青の成分はケイ酸銅バリウム(BaCuSi4O10 )
エジプトには紀元前3000年ころに開発された「エジプトブルー」と呼ばれる人工顔料がある。この化学組成はケイ酸銅カルシウム(CaCuSi4O10)で漢青(ハンブルー)と極めて類似している。
平原遺跡には約1800年前の女王の墓があり、銅鏡やアクセサリー類がたくさん見つかっている。その中には、886点に及ぶ紺色の「重層連珠」と呼ばれるガラス玉もある。
ソーダガラスは地域によって、融剤に使うソーダの原料が大きく二つに分かれる。古代の西アジアでは、植物の灰を原料にした。一方、ローマ帝国が支配していた東地中海沿岸では、エジプトの塩湖から取れるナトロンという塩類を使っていた。
平原遺跡から出土した重層連珠とよく似たガラス玉を、モンゴルとカザフスタンの遺跡からも発見した。そこで、これら2カ所から出たガラス玉と、平原の重層連珠の成分を、最新の蛍光X線分析装置を使って比較してみた。3カ所から出たガラス玉は、どれもマグネシウムとカリウムが少ないことから、ナトロンを使ったソーダガラスであることがわかった。
10: 2024/10/13(日)00:26 ID:0(10/63) AAS
『ヨッパの占領』は紀元前1292–1077年にパピルスに記録された物語で
「(物語の冒頭は失われている)ディジェフティはヨッパの王子を、町の外にある自分の野営地での宴会に招いた。彼は王子を気絶させ、200人の兵士を荷馬に積んだ袋の中に隠し、御者を遣わして、エジプト人が降伏して貢ぎ物を送っていることを町に知らせた。町に運ばれると隠れていたエジプト兵が現れ、町を征服する。」
ホメロスの『イーリアス』でミケーネのギリシア人たちがトロイアの木馬に隠れてトロイアに潜入した話やアラビアの『千夜一夜物語』のアリババの物語とも比較される。
11: 2024/10/13(日)10:24 ID:0(11/63) AAS
古代エジプトのミイラが古代の中東の人々と密接な関係にあったことが明らかになり、北部アフリカの人々はサハラ以南の人々とは異なる遺伝的ルーツを持つことが示唆された。彼らと最も近縁なのは、新石器時代から青銅器時代にかけてレバントという名で知られた地中海東岸地方に住んでいた人々だった。意外なことに、古代エジプトのミイラは、現代エジプト人よりも古代の欧州人やアナトリア人と密接な関係にあった。
12(1): 03/08(土)19:02 ID:0(12/63) AAS
地球ドラマチック エジプトの女性神官
13: 03/08(土)19:09 ID:0(13/63) AAS
謎の空洞が
14: 03/10(月)18:44 ID:0(14/63) AAS
シュメールで発見された Proverbs: from Urim
" …… the gods are three. So it is said, so let it be!"
古代エジプトでも "All gods are three: Amun, Re, and Ptah"
"アムン神の妻" は実在した伝説の王の妻を指す。伝説の王がアムン神。
"アムン神の妻"はヒエラコンポリスのHK43 (労働者墓地)に眠る人物。
エジプトの王権の象徴である flail (フレイル)。
先が3つに分かれているのは、古代メソポタミアの影響。 紀元前 3300-3000年頃の円筒印章に描かれている。
省2
15: ウムウル 03/17(月)00:03 ID:0(15/63) AAS
今日の地球ドラマチック
ちと気になるな
16: ウムウル 03/17(月)03:37 ID:0(16/63) AAS
>>12
たぶんおんなじのだな
クシュのピイの妹だった
17: 03/19(水)17:07 ID:0(17/63) AAS
「エジプト史上最も偉大」ラムセス2世の黄金期とは
動画リンク[YouTube]
18: 04/12(土)14:04 ID:0(18/63) AAS
古代エジプトはアマルナ美術以外ないの?
19: 04/23(水)10:17 ID:0(19/63) AAS
古代エジプトは神々の誕生の地
ヒエラコンポリスは旧約聖書の創世記の舞台
20: 04/23(水)10:20 ID:0(20/63) AAS
『古代エジプトの謎: 動物の顔をした神々』を観て下さい。
ヒエラコンポリスの調査報告書を読んで下さい。
21(1): 04/23(水)11:19 ID:0(21/63) AAS
外部リンク:www.hierakonpolis-online.org
ヒエラコンポリスの調査報告書はこちら
22(1): 04/30(水)12:09 ID:0(22/63) AAS
ヒエラコンポリスの紀元前12世紀後期に属する C-Group cemetery at HK27C の Tomb 9 の女性の遺体から「点々」の刺青が発見されました。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には「点々」の布を被った男性が描かれています。
「その風俗では、男子はみな点々の入れ墨をする」魏略逸文(翰苑、唐、雍公叡注)
「すなわち最も遠くの地は小人の国で、この小人はヤシの葉を身につけていること」ヘロドトス 歴史 第四巻 (邦訳:前田滋)
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には、鳥と鹿がいる川(水路)が描かれている。
「道路は鳥や鹿の道のようである」魏志倭人伝
23: 04/30(水)12:24 ID:0(23/63) AAS
>>22
訂正: 紀元前12世紀後期 → エジプト第12王朝後期
エジプト第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)
24: 04/30(水)15:13 ID:0(24/63) AAS
新疆ウイグル自治区和静(Hejing)県に位置する、霍爾古(Horgutu)水力発電所墓地(以下、霍爾古墓地)
霍爾古墓地個体群の主要なミトコンドリアDNA(mtDNA)はユーラシア西部に固有のハプログループ(mtHg)D4およびG2aで、現代および古代のユーラシア西部人口集団で一般的に見られるmtHg-U5もありました。
霍爾古墓地個体群の父系のY染色体ハプログループ(YHg)には、アジア北部で優勢なQ1aとEMBAの草原地帯特有のR1bが含まれていました。巴達木墓地の1個体は黄河上流〜中流域の古代人(黄河_LNと黄河_LBIAと黄河上流_IAによって表されます)と類似の遺伝的特性を示し、この1個体で見られるYHg-O2a2と一致しました。
25: 04/30(水)15:56 ID:0(25/63) AAS
いわゆる『魏志』倭人伝は、エジプトのヒエラコンポリスの出来事を記録した中国の史書
26: 05/03(土)23:04 ID:0(26/63) AAS
ゲベレインマン(大英博物館、EA32751)は、その赤い髪から非公式に「ジンジャー」とも呼ばれている。
ゲベレインで発見された若いエジプト人男性のミイラで、およそ紀元前3400年頃のものである。
彼は、死亡時18歳から21歳で、背中を大きな鋭利なもので刺され、殺害された。
27: 05/03(土)23:38 ID:0(27/63) AAS
外部リンク[php]:www.phrp.be
古代エジプトの壁画
A51 : as A50 with flagellum S45
A52 : noble squatting with flagellum S45
「黄色い旗」(黄幢)を持った姿で描かれている
28(1): 05/04(日)00:00 ID:0(28/63) AAS
「次の突出部はペルシャに発して紅海に延び、ペルシャの地とこれに続くアッシリア、そこからアラビアへと至る。この突出部は、ダリウスがナイルから運河を開いたアラビア湾に終っている。事実としては終わってはいないが、通念としてそう云っている。
ペルシャからフェニキアの間はきわめて広大な陸地になっているが、フェニキアから我らの海寄りには、シリア・パレスチナとエジプトがある。そして突出部はここで終わっている。この突出部に住んでいるのは三つの民族だけである」
ヘロドトス 歴史 第四巻 (邦訳:前田滋)
上記は「アラビア半島」についての記述 (朝鮮半島ではない)
「アラビア半島」の先端がヒエラコンポリス (またはエジプト)に隣接していると、古代の中国人が勘違いした。
29: 05/06(火)20:52 ID:0(29/63) AAS
古代エジプトの分数
分子は1の単位分数のみ(1/2,1/3,1/4,1/10など)
それ以外は単位分数の和で表す
2/3は例外
30: 05/06(火)21:35 ID:0(30/63) AAS
ヒエラコンポリスの第100号墓の壁画には、「牛」を抑えつけている人物が描かれている。
ウルのスタンダードには、背中に赤い布を被せた「牛」を抑えつけ歩いている人物が描かれている。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画にも、「牛」を抑えつけ歩いている2人の人物が描かれている。
ルーブル美術館のローマ時代のレリーフにも、背中に布を被せた「牛」を抑えつけ歩いている人物が描かれている。
中国の陝西省礼泉県韋貴妃墓出土の『献馬図』には、背中に赤い布被せた「馬」を抑えつけ歩いている2人の人物が描かれている。
2人の人物はそれぞれ黄色い服と赤い服を着ている。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には、黄色い服(卑弥呼)と赤い服(壹與)を着た女性2人が描かれている。
省1
31: 05/06(火)22:19 ID:0(31/63) AAS
ヒエラコンポリスのHK6 (エリート墓地)では、ダチョウの羽根で作られた扇子の一部が発見されている。
ダチョウの羽根は、エジプトの女神マアト(Ma'at)のシンボル。
ダチョウの羽根の扇子は『三國志』の諸葛亮孔明のシンボル。
32: 05/06(火)22:23 ID:0(32/63) AAS
高松塚古墳壁画の「飛鳥美人」では、赤い服を着た女性が「杖」持ち、黄色い服を着た女性が「扇子」を持っている。
33: 05/06(火)22:57 ID:0(33/63) AAS
ヒエラコンポリスのHK6 (エリート墓地)の Tomb 16, Tomb 23, Tomb 72 は墓の上に木造の豪華な建造物があり、柵で囲われ、またそれぞれの墓を囲むように他の小さな墓が幾つもあった。
そのうちの一つの墓を囲む柱の跡に大量の貝殻が発見された。
旧約聖書の創世記の『ソドムとゴモラ』の「塩の柱」
Tomb 16, Tomb 23, Tomb 72 は、全て故意に火をつけられ燃やされた跡も発見されている。
ウルのプアビの墓から金製の貝殻の化粧箱が発見されている。
ミロのヴィーナスも貝殻から誕生した姿で描かれている。
日本にも「貝塚」が存在する。
省1
34(1): 05/07(水)00:01 ID:0(34/63) AAS
古代の人々も現代の我々と同様に聖地ヒエラコンポリスを発掘調査した。(古代の人々が発掘調査をした痕跡がある)
遺体、遺された建造物、そして遺物を見て聞いて物語を作った。
だから古代の物語や神話に「死後の世界」(冥界、日本でいう黄泉)の話が出てくる。
ピラミッドもツタンカーメンの黄金も、神殿、教会、モスク、シナゴーグ、神社、寺も全て実在した人物たちを(のちに神々となった)祀る施設、捧げ物に過ぎない。
紀元前3650年頃に起きたヒエラコンポリスとゲベレインの争いが全ての始まり。
>>21 ヒエラコンポリスの発掘調査報告書を読んで下さい。
35: 05/11(日)16:27 ID:0(35/63) AAS
ヒエラコンポリスと『旧約聖書』の創世記
1. アダムとエバ
アダムは、HK43 (労働者墓地) で発見された首が切断され鼻に陶器の破片が埋め込まれた老人 (ナルネルパレットに描かれた顔だけの人物)
エバは、HK43 (労働者墓地) で発見された頭蓋骨の一部がない木の皮のパジャマを着た老女
2.カインとアベル
アベルは、第100号墓の壁画に描かれた片膝をついて降伏した戦士で、羊を捧げていると解釈されたのであろう
降伏した戦士の右側の人物は、ヤハウェ (アベルが羊を捧げている人物)
省8
36: 05/11(日)19:57 ID:0(36/63) AAS
5. ソドムとゴモラ
ヒエラコンポリスのHK6 (エリート墓地)の 23号墓、72号墓は墓の上に木造の豪華な建造物があり、柵で囲われていた
23号墓には、いくつかの遺体が発見されたが、胴体だけや脚が見えた状態で発見されている
墓を囲む柱穴の跡に大量の貝殻が発見された - 「塩の柱」
72号墓として知られる場所に埋葬されていたのは、死亡時17〜20歳の男性だった
墓の主は骨をばらばらにされ、墓の木の柱は火災による損傷の跡があった。調査団を指揮する大英博物館の考古学者レネー・フリードマン(Renee Friedman)氏は、この墓は被葬者の死後間もなく侵入され、亡骸と墓を覆う木の建造物が故意に放火されたと考えている
多くの副葬品が墓の内部に残っていることから、墓荒らしの目的は盗掘ではなく、死者に対する何らかの復讐行為だったと推測される。フリードマン氏は、「墓の主が引きずり出されている一方、他の品々は手つかずで残っている」と指摘する
省2
37: 05/30(金)08:59 ID:0(37/63) AAS
>>28
「アラビア半島」ではなくて「シナイ半島」かな
38(1): 07/03(木)17:33 ID:0(38/63) AAS
外部リンク:gigazine.net
【古代エジプトの4800年前の歯から初めてヒトゲノムが解読される】
このゲノムは、エジプトのカイロから南へ265kmのナイル川沿いにある遺跡で発見された、紀元前2855年から2570年の間に生きていた古代エジプト人のものです。この年代は、エジプト初期王朝時代と古王国時代にまたがり、最初のピラミッドが建設され始めた時期と重なります。遺体はミイラ化されておらず、土器の壺の中に埋葬される「ポット葬」という形式でした。この特殊な埋葬方法が、DNAを良好な状態で保存する一因になった可能性があると研究者らは考えています。
「NUE001」と名付けられた遺体は、骨格や歯の分析から遺伝的に男性であり、茶色の目と髪を持ち、肌の色は濃い色から黒色の範囲だったと予測されています。
ゲノム解析の結果、彼の祖先の約80%は、約6000年前の北アフリカの新石器時代人に由来し、特にモロッコの中期新石器時代人と最も近縁であることが明らかになりました。残りの約20%は、メソポタミアを含む「肥沃な三日月地帯」に起源を持つゲノムに由来していました。研究チームは、これは古代エジプトとメソポタミアの間で家畜や栽培植物、文字体系、ろくろといった文化的な交流だけでなく、人的な移動も伴っていたことを示す直接的な遺伝的証拠となると論じています。
39: 07/03(木)21:33 ID:0(39/63) AAS
古代エジプトで生み出された世界最古の合成顔料「エジプシャンブルー」。その正確な製造法はおよそ1000年にわたって失われていたが、このほどワシントン州立大学が率いる研究チームが顔料の完全再現に成功したことをNPJ Heritage Science誌で発表した。
エジプシャンブルーは貴重なラピスラズリやトルコ石の代替として3500年以上前に生み出されたと言われている。古代エジプトで広く利用されていた孔雀石などの銅鉱石に、石英とアルカリ性の溶液を加えた溶液を固形化し、顔料として使用したほか、基性ナトリウム塩を加えて釉薬として使い、貴石の代用品とした。
研究チームはスミソニアン博物館保存研究所、カーネギー自然史博物館と連携し、二酸化ケイ素、銅、カルシウム、炭酸ナトリウムなどを使用した12種の調合法を開発。混合物は古代の職人が使用したと思われる条件に倣い、およそ摂氏1000度で最大11時間加熱した。その後冷却時間を調整するなどした結果、古代のものと化学的に正しく一致する青色を生み出すことに成功した。
40: 07/03(木)21:49 ID:0(40/63) AAS
外部リンク:sites.google.comようこそ結晶美術館へ/色彩の博物誌/エジプシャンブルーとハンブルー
エジプシャン・ブルーはシリカ(石英砂、二酸化ケイ素)、酸化銅または孔雀石(塩基性炭酸銅)、石灰(炭酸カルシウム)および反応を媒介するソーダ灰(炭酸ナトリウム)を破砕混合し、800-900℃前後に加熱することにより得られる青い結晶性のケイ酸カルシウム銅(CaCuSi4O10)である。
古代の中国では、エジプトとはまったく独立に、ハン・ブルー(チャイニーズ・ブルー(注))という合成青色顔料の合成法を開発し、顔料として用いていた。これはエジプシャン・ブルーのカルシウムをバリウムで置換した化合物、ケイ酸バリウム銅(BaCuSi4O10)に相当する。
ハン・ブルーは、周代(紀元前1046年頃〜紀元前256年)に盛んに使われた。秦の始皇帝陵を代表とする多くの兵馬俑は、長期の客土埋設により今では色がくすんでしまっているが、製作時はハン・ブルーにより鮮やかな青に彩色されていたようだ。
エジプシャン・ブルーとハン・ブルーは結晶学的には同形であり、環状の Si4O4 骨格が酸素を介してシート状に連結し、残りの酸素原子が銅に四配位している。この層状の骨格構造に由来して、高い熱および化学的安定性を有する。
41: 07/07(月)13:44 ID:0(41/63) AAS
>>38 「NUE001」の Y 染色体ハプログループ は E1b1b1b2b
42: 07/12(土)12:02 ID:0(42/63) AAS
古王国時代のゲノムを後の時代のエジプト人と比較したところ、第三中間期(紀元前787〜544年)のエジプト人ではレバント地域からの遺伝的影響が大幅に増加していました。現代エジプト人のゲノムはさらに複雑で、この古王国時代の祖先に加え、レバント青銅器時代の祖先、そしてより最近になって東アフリカや西アフリカからの祖先が混じり合って形成されていることが示されました。
43: 07/19(土)15:00 ID:0(43/63) AAS
エジプト先王朝時代の古代都市「ヒエラコンポリス」の埋葬地で、意図的に形を変形させた羊の頭蓋骨が見つかった。
全部で6頭のオスの羊たちはすべて去勢されており、角は自然の向きではなく、例えば外側についていたり、完全に取り除かれているものもあった。
角は意図的に上向きに伸びるよう人為的に手を加えられている。その結果、角が平行に直立した状態となる。
ヒエラコンポリスの羊の頭蓋骨は家畜の角を改造した最古の証拠で、こうした習慣の最初の例となるそうだ。
44(1): 07/19(土)15:14 ID:0(44/63) AAS
古代の人々における羊の象徴性
改造され変形した角を持つ牛を描いた最古の芸術作品は、紀元前2686〜2160年頃の古王国にさかのぼる貴族の墓で見つかった。
羊に関しては、アビドス(小アジアの古代都市)の神殿にある背の高い陶器の壺台に取り付けられた羊をかたどった粘土の装飾や、儀式用陶器の容器に描かれた長いらせん状の角を持つ2頭の羊の例がある。
第1王朝時代(紀元前3500年以降)に羊の象形文字が表記体系に組み込まれてから、羊の出番が増えた。さまざまな羊の神の化身としての宗教体系にも取り入れられた。
第4王朝(紀元前2600年以降)には、墓室の壁に羊の群れがまかれた種を踏みつぶしている農耕の場面が描かれた。
省2
45: 07/19(土)15:34 ID:0(45/63) AAS
太い尾を持つヒツジは、古代メソポタミアで記録され、シュメール語で gukkal ("fat-tailed sheep")
のちに旧約聖書にも "fat-tailed sheep" が登場する。
さらにカルタゴのトフェの石碑にも "fat-tailed sheep" の絵が刻まれている。
ミノア文明では、角が平行に直立した「聖なる角」がシンボルなる。
46: ウムウル 07/19(土)16:07 ID:0(46/63) AAS
>>44
φ(・ω・*)フムフム...
>>34
この辺りで読んでいるスレを間違ってたことに気がつく
47: 07/21(月)00:55 ID:0(47/63) AAS
ヒエラコンポリスのHK6(エリート墓地)11号墓に埋葬されていたのは、10〜12歳の子供で、牛の足の彫刻が施された脚が付いた木製のベッドの上に埋葬されていたと考えられている。
のちに、アビドスから牛の足の彫刻が施された木製の脚が発見される。
のちに、メソポタミアのウルの王家の墓からも、牛の足の彫刻が施された脚が付いた木製のテーブルが発見される。(大英博物館所蔵)
のちに、サントリーニ島のアクロティリで、牛の足の彫刻が施された脚が付いた木製のテーブルが発見される。
各地で、牛の足の彫刻が施された木製の脚が発見される。
48: 07/21(月)01:51 ID:0(48/63) AAS
ヒエラコンポリスの100号墓の壁画には「舟」「争い」「動物」が描かれている。
メソポタミアのウルのスタンダードには「争い」「動物」が描かれ、「舟」の代わりに「チャリオット」が描かれ「勝利の宴」も描かれている。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には「舟」「争い」「動物」が描かれている。
イスラエル、フコックの遺跡で見つかったシナゴーグを飾るモザイク画には「舟」「争い」「勝利の宴」「動物」が描かれている。
「チャリオット」はメソポタミアの影響であり、ギリシャ、エジプト、さらにローマでも描かれるようになる。
「チャリオット」は、王、王女や神々の乗り物として描かれるようになる。
「チャリオット」はヒエラコンポリスの100号墓で描かれた絵を間違って解釈したためで、正解は「舟」である。
49: 07/22(火)01:08 ID:0(49/63) AAS
古代エジプト文明がマヤ文明にも影響を与えている。
マヤ文明の都市ティカルの遺跡を発掘していた考古学者らが、1600年前の祭壇を発見した。
繁茂した密林に覆われた遺跡をLiDAR(ライダー、レーザー光による検知と測距)装置を用いてスキャンしたところ、この聖域内には巨大なピラミッド型の神殿が存在していたことがわかった。
ティカルの遺跡で見つかったマヤのペトログリフ(岩面彫刻)には、西暦378年にシヤフ・カックと呼ばれる「異国人」がやってきたと記録されている。シヤフ・カックは軍の指導者であり、その名はマヤ語で「火が生まれる」を意味する。
また、シヤフ・カックが到着したその日にティカルの前のマヤ王が「死んだ」ことも記録されており、その後は新たな王としてテオティワカンの支配者の息子と見られるヤシュ・ヌーン・アイーン(マヤ語で「最初のワニ王」)が即位した。
祭壇の側面には、淡い赤色の塗料で下絵が描かれ、その上から赤、オレンジ、黄色、黒で彩色されていた。
完成した絵に描かれていたのは、テオティワカンの嵐と戦争の神の顔だ。この神の名はわかっていないが、数世紀後にこの神を信仰するようになったアステカ(メシカ)の人々からは「トラロック」と呼ばれていた。
50(1): 07/22(火)01:32 ID:0(50/63) AAS
福岡県糸島市の弥生時代末の墳丘墓・平原(ひらばる)遺跡で出土したガラス玉が、ユーラシアのシルクロードの一つ「草原の道」を旅してもたらされたとみられることが、奈良文化財研究所(奈文研)の田村朋美主任研究員らの分析で判明した。
田村さんは、古代のガラス交易路の調査で訪れたモンゴルで、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴(きょうど)の墓で出土したガラス連珠が平原遺跡のものと色や形がよく似ていることを確認。また、文化庁による奈文研とカザフスタン国立博物館の拠点交流事業でも、同じ連珠がカザフスタンの遺跡で出土しているのを見つけた。
そこでモンゴル、カザフスタン両国の研究機関や平原遺跡の出土品を収蔵する糸島市立伊都国歴史博物館と協力し、3遺跡の連珠の成分を蛍光X線分析装置で測定。その結果、どの連珠もナトロンという塩類を使ったソーダガラスで、アンチモン、マンガンなどの微量成分を含んでおり、同じ場所で作られた可能性が高いことが分かった。
ガラス原料の石英の加工時に熔融融点を下げるための添加物に地域差があり、地中海中央アジアはNaナトリウム、中国はPb鉛、インド東南アジアはKカリウムだが、地中海沿岸産だと判明。
カザフスタンで同埋葬されてた特殊な白いガラス品(金層ガラス玉)がエジプトで多く発見されてる。
匈奴のショムブージン・ベルチル遺跡の地元のエリート墓地の19号墓は、明らかに出産時に死亡した若い成人女性1個体の遺骸を含んでおり、この女性個体は乳児とともに埋葬され、子供の保護と関連するエジプトの神であるベス(Bes)の男根を描いた、ファイアンス焼きの玉を含む玉で作られた首飾りを身に着けていました。
匈奴帝国の象徴である太陽と月を表す金属製の円盤と三日月形も、エリートの墓で頻繁に発見されています。
51(1): 07/22(火)01:51 ID:0(51/63) AAS
旧約聖書の「ソドムとゴモラ」で、ロトの妻が、神の命令に背いて後ろを振り返ったために塩の柱になった。
ギリシャ神話では、オルフェウスは冥王ハデスから「地上に戻るまで決して後ろを振り返ってはいけない」という条件付きで妻を連れ帰ることを許されますが、地上近くで不安になり振り返ってしまい、妻を失う。
日本神話では、イザナギは黄泉の国で亡くなった妻イザナミを連れ戻そうとしますが、イザナミは「決して振り返ってはいけない」と告げます。しかし、イザナギは約束を破り、振り返ってしまい、イザナミは再び黄泉の国に留まることになる。
52(1): ウムウル 07/22(火)18:01 ID:0(52/63) AAS
>>50
匈奴のシンボルは
ノーマークだったな
探してみよう
ネブラ・ディスク - Wikipedia 外部リンク:share.google
53: 07/22(火)18:59 ID:0(53/63) AAS
>>51
全部、振り返ってはいけないっていう約束を破っちゃうところが共通してるんだね。なんというか、人間ってそういう失敗しちゃう生き物なんだなって思っちゃうわ。神話とかって、時代を超えて同じような教訓が込められてるのが面白いよね。
54: 07/27(日)20:11 ID:0(54/63) AAS
【2000年前の岩窟墓をエジプトで発見! 最高級の美しい保存状態に一同驚き】
エジプト南部アスワンの西岸に位置するアーガー・カーン廟の丘で、エジプトとイタリアの合同考古学チームが、岩をくり抜いて造られた古代の墓を発見した。
なかでも注目されているのが、ギリシャ・ローマ時代に築かれた「第38号墓」だ。それは9段の石階段を下りた、地中およそ2メートルの場所にひっそりと眠っていた。
この墓には、高さ約180センチの石灰岩製の人型石棺が、岩を削って造られた台座の上に据えられていた。石棺の側面には、地元の神々への祈りと、墓の主である高官カ・メシウの名がヒエログリフで刻まれており、その保存状態は非常に良好。
石棺には精緻な顔立ちが彫られた人型の蓋が付けられ、装飾的なかつらや鮮やかな彩色も確認された。墓の内部からは複数のミイラが発見されており、子どもの遺体も含まれていたようだ。
55: 07/27(日)21:57 ID:0(55/63) AAS
【古代エジプト人はどうやってピラミッドの巨石を積み上げた? 新たな説が浮上】
紀元前27世紀ごろ、古代エジプト人がエジプト第3王朝のファラオ、ジェセル王のために建設した階段ピラミッドは、高さが約62メートルあり、当時、最も高い建造物だった。
同研究チームは、古気候学(過去の気候の研究)や考古学データなど、利用可能なさまざまなデータを分析した結果、古代の小川の水がサッカラ台地の西から、階段ピラミッドを囲む深い堀やトンネルで構成されるシステムに流れ込んでいたと示唆する。
最古のピラミッドである階段ピラミッドは実験的な構造物であり、当初はマスタバ(平らな墓)として建設が始まったが、最終的に階段状のピラミッドとして完成した。
階段ピラミッド内のシャフトは、長さ200メートルの地下トンネルにつながっており、その地下トンネルは、ピラミッドの外にある別の垂直シャフトとつながっている。この外部のシャフトは、「深い溝」と呼ばれる「乾いた堀」の水上輸送に使われていたとされる部分につながっている可能性があるが、この点についてはさらなる研究が必要だと同論文の執筆者らは述べている。
専門家の間では、水圧リフトを支えるための構造物を満たすだけの降雨量が常にあったのかについて議論されている。この水圧リフトを支える構造物の一つが、階段ピラミッドやその周辺の構造物を囲む「乾いた堀」と呼ばれる巨大な水路だ。同論文の執筆者たちは、この水路にたまった水が、水力エレベーターの動力源だったと考えている。
56: 07/27(日)21:59 ID:0(56/63) AAS
一方、ピラミッド内部のシャフトは、ピラミッド中心部付近の真下から始まっており、そこには底にプラグが付いた花崗岩(かこうがん)製の箱が置いてある。この箱は、ジェセル王の墓室であると広く考えられているが、論文の執筆者たちは、この箱は水圧リフトを開閉するためのもので、リフトの使用時にシャフトが水で満たされる仕組みになっていると説明している。
他のピラミッドもこの方法で建設されたのかについて、同論文の主執筆者で、古代技術を研究するパリの民間研究所パレオテクニックのシャビエル・ランドロー最高経営責任者(CEO)は、さらなる調査が必要だと述べた。
そしてランドロー氏は、「これは、クフ王やケフレンのピラミッドなどで見つかった巨石をどのように持ち上げたのかという謎を解明する鍵を握っているかもしれない。これらの巨石は数十トンの重さがあり、人力だけで運ぶのは不可能に思える。一方、中型の水圧リフトを使えば、50〜100トンの石を持ち上げることが可能だ。これらのピラミッドに隠されたシャフトの調査は、ピラミッド研究の有望な手段になるかもしれない」と付け加えた。
57: 07/28(月)11:04 ID:0(57/63) AAS
2024年にエジプトのサッカラで行われた発掘調査で、墓の地下深くに密閉された石棺から5000年前の写本が見つかったとエルサレムポストが報じた。
そこには過去の社会を襲った破滅的な行為が列記されており、人類が同じ過ちを繰り返していることが示唆されていた。
また、死後に関する記述も見られた。特に注目すべきは、不道徳な個人は死後に安息ではなく陰鬱な運命に直面する可能性があると警告していることだ。これにより初期の古代エジプトの人々が現世と来世が関連するものであると信じていたことが分かった。
これらの結果から、一部の研究者は、写本が紀元前1〜 2世紀頃に成立されたとされるエチオピア正教会における旧約聖書の1つ「エノク書」と繋がっていると考えている。エノク書には人間の起源や超自然の存在、宇宙の構造などが描写されており、写本の内容と似通った部分がある。最古の文明の哲学的・宗教的思想についての洞察が得られる可能性があるということから、研究者の関心が集まっている。
58: 07/28(月)17:49 ID:0(58/63) AAS
ナスカの地上絵新たに248点発見 「野生の鳥」「家畜」「神官」…物語やメッセージ伝える目的か 山形大学発表
山形大学は28日、ナスカの地上絵を新たに248点発見したことを明らかにしました。また、地上絵の配置から物語やメッセージを伝える目的で描かれた可能性があることも新たに分かりました。
外部リンク:news.yahoo.co.jp
斬首を持つ人物の地上絵(提供:山形大学ナスカ研究所)
上記の地上絵はエジプトの「ナルメル パレット」、ギリシャのペルセウスの彫刻に類似している。
59: 07/29(火)23:25 ID:0(59/63) AAS
いまから6000年前に栄えたというヒエラコンポリス遺跡。ヒエラコンポリスの支配者階級の人々の墓地からさまざまな動物の骨が発見され、動物園があった可能性が指摘されている。驚くべきことに、これらの動物の多くはエジプトから遠く離れた場所で生息していた種類のものでした。
しかしある時期から動物の骨は発見されなくなった。どうやら動物園がなくなったらしいが、実はその時期に1人の支配者の墓に掘り返された跡があり、しかも遺体が燃やされていた。
60(1): [Sage] 07/29(火)23:36 ID:0(60/63) AAS
ヒエラコンポリスの労働者(非エリート階級層)の墓地からは、首が切断された遺体(遺骨)が何体も発見されている。
「ナルメル パレット」にも首が切断された遺体が何体か描かれている。
61(1): 07/30(水)00:38 ID:0(61/63) AAS
切断された頭部を持つ戦士が描かれている最古の作品は(自分が知る限りでは)
外部リンク[xml]:brill.com
(シリアのエブラ)
切断された頭部を持つ馬に乗った戦士または王
外部リンク[xml]:brill.com
(トルコのサマルまたはサムアルの南門の遺構に描かれていた)
62: ウムウル 07/30(水)03:45 ID:0(62/63) AAS
>>52
これは見た記憶が甦ったが
発展性はなかった
>>61
戦車の下敷きと首塚はあった気がするが
生首直持ちはあんまない気はする
チャタルヒュクのが気になりましたね
63: 08/06(水)23:59 ID:0(63/63) AAS
>>60
ヨハネによる福音書19章17節
彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「ゴルゴダ」という場所に出て行かれた。
「ゴルゴタ」という言葉は、アラム語に起源を持っています。アラム語で「גלגלתא」(グルグルタ)と表記されるこの言葉は、「髑髏(どくろ)」を意味します。同様に、ヘブライ語でも「גלגלת」(グルゴレト)として知られ、「頭蓋骨」を表す言葉として使用されてきました。
福音書の記述には、ゴルゴタが「丘」であったという直接的な記述は見当たりません。ゴルゴタを「丘」として最初に記録に残したのは、333年に書かれた『ボルドー巡礼記』(Itinerarium Burdigalense)でした。この文書の中で、ゴルゴタは「小山」(monticulus)として言及されています。しかし、この場所が広く「丘」あるいは「山」として認識されるようになったのは、それよりもさらに後の6世紀以降のことでした。
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