【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 (465レス)
上下前次1-新
リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
1(1): 2024/03/07(木)04:34 ID:0(1/465) AAS
※落ちてたので復活しました
ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人・政治家である。
ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。
フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。
また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。
日本において世界史上最も有名な人物の一人である。
385: 2024/08/14(水)17:10 ID:0(385/465) AAS
>>382
セントヘレナ組から選ぶとすればベルトラン一択になってしまいそう
いかんせんモントロンとグールゴーはやばすぎる人たちなので
ベルトランの美点をアピールするまでもなく消去法で彼になるのでは
386: 2024/08/15(木)10:47 ID:0(386/465) AAS
>>379
個人的にはベシェールかな?
元帥になってらかもイタリア方面軍のguide(司令官護衛隊くらいの意味か)風にアレンジした元帥服を着ていたし
ダークブルーの元帥服の中でベシェールのグリーンの元帥服は目立つね
まぁ好き放題やってたミュラは別にしてw
387: 2024/08/17(土)13:45 ID:0(387/465) AAS
ナポレオン麾下で最良の将軍は誰か? という質問だと
ChatGPTは「最良の定義が曖昧ですが」と前置きしてからランヌとかダヴーとか何人も挙げるの
それなのに忠義を問うたときは留保なしでネイに一点張りとか、AIの思考回路はよくわからん
388: 2024/08/17(土)14:47 ID:0(388/465) AAS
ふーんでも俺はそれ以前にAIの回答自体がどうでもいいんだけど
389: 2024/08/17(土)16:22 ID:0(389/465) AAS
ネイ「そーでもねい」
390: 2024/08/17(土)18:33 ID:0(390/465) AAS
>>36
そもそも欧米とか中国以外の外国の歴史モノ自体が日本のそれに比べて圧倒的に少ない
日本で歴史物というと大半日本史で、あとはたまに三国志など中国古代ものが出てくるぐらいで
例えば有名なローマ帝国時代とかもっとあっても良いのに多くの人が知るような作品はない
古代や中世欧州とかゲームやアニメとかじゃやたらそういう世界観の話ばかりだが史実を元にした
歴史モノは有名なのは少数。他の地域に至っては絶無に近く天は赤い河とか極めて珍しい存在
391: 2024/08/17(土)21:16 ID:0(391/465) AAS
ウィキペディアの「スモールソード」の記事にナポレオンの剣(いわゆるアウステルリッツの剣)の写真が載っていて
「彼がアウステルリッツの戦いにおいて携えたこの剣は、その命を救った」と説明がついているんだが
アウステルリッツで皇帝本人が応戦しないといけないほど敵が肉薄した局面はなかったよな?
と思ったら、ナポレオンの命を救ったというのは
英語版の"he kept all his life"(彼は生涯その剣を佩用していた)の誤訳っぽい
392: 2024/08/20(火)13:02 ID:0(392/465) AAS
フランスサッカー界の将軍といわれたプラティニもナポレオンと同じイタリア人なんだよな
393: 2024/08/21(水)09:31 ID:0(393/465) AAS
コルシカ人が果たしてイタリア人と同じなのか異論のあるところ
394: 2024/08/24(土)16:57 ID:0(394/465) AAS
ワーテルローはシンプルにベルティエがいたら勝ち確だった
ナポレオンもスルトじゃなくてベルティエならグルーシィ呼び戻すために何十人か伝令送ってたはずって言ってるし
395: 2024/08/24(土)19:25 ID:0(395/465) AAS
ベルティエは衰えがみられるようになったから、不測の事態に備えて在任中からスルトを後任に据える案が浮上していたんだよな
しかも百日天下で陸相となるダヴーとは犬猿の仲で有名で危うく作戦を空中分解寸前になったこともあった
だから、たとえベルティエがワーテルローに参戦しても勝てるかどうか
396: 2024/08/24(土)19:33 ID:0(396/465) AAS
肝心なとき頼りにならなかった3人の元帥について
マルモンは虚栄、オージュローは情報不足、ベルティエは無気力が原因であったと
ナポレオンがセントヘレナで語ったなんてことがラスカーズの回想録に書いてある
ベルティエとオージュローはさもありなんという感じだが、マルモンの虚栄心はよくわからんな
397: 2024/08/24(土)19:35 ID:0(397/465) AAS
で、同じ皇帝の側近でもベルトランなんかはワーテルローどころかセントヘレナまでついていったんだが
忠誠心もさることながらベルトラン(42歳)とベルティエ(61歳)の年齢の違いはやっぱり無視できないよね
398: 2024/08/24(土)19:42 ID:0(398/465) AAS
実際のベルティエは気性が荒いうえに自分の権益に異常なまでに固執する問題児だったんだよな
また、参謀次長をはじめとする部下を自らの腹心で固めて、各軍団に諜報を放って監視していたって話がある
399: 2024/08/24(土)19:52 ID:0(399/465) AAS
陸軍省の要職もベルティエの息のかかった連中で締められていたんだろうか
と思ったら、これまたラスカーズが典拠なんだが
そっちの人事は大臣ではなく皇帝副官(当初はデュロック、後にベルトラン)が担当していたそうだ
ベルティエを牽制する意図がナポレオンにあったかは知らんけど
400: 2024/08/24(土)21:53 ID:0(400/465) AAS
確かスルトを参謀総長に推薦したのはダヴーなんだっけ
一説では、かつてベルティエのもとで参謀次長を務め、ベルティエ不在のため参謀総長を代行していたバイイ・ド・モンシオンが参謀総長に就任するのを阻止するためだったとか
というのも、ダヴーは犬猿の仲のベルティエの参謀次長であるバイイ・ド・モンシオンを嫌っていたからだそうで
401: 2024/08/24(土)23:39 ID:0(401/465) AAS
バイイ・ド・モンシオンって話題になることの少ない人だけど
凱旋門には名前が刻まれてるのな(西柱31列の下から2番目)
402(1): 2024/08/25(日)08:45 ID:0(402/465) AAS
ダヴーは私情を挟まない剛鉄の元帥のイメージがあるけど、実際には私情を挟んでいたんだよな
「不滅の三人」の中で最優秀とされていたモラン師団長が異動するのをありとあらゆる手を使って妨害したなんてエピソードもあるし
「私のギュダン」と寵愛するギュダン師団長が病気で休養を取ると代わりの師団長(プショ将軍)が派遣されるや「貴様のような無能なカスが私のギュダンの代わりを務められると思っているのかね?」と罵倒したという大人気ないエピソードもある
もっとも、プショ将軍はダヴーの罵倒に腐らず優秀さを見せつけたため、ダヴーは公の場で自分の見る目のなさを認めて深々と謝罪したので
プショ将軍はすっかり感激してダヴーに忠誠を尽くしたというオチがつくけど
403: 2024/08/25(日)12:11 ID:0(403/465) AAS
バイイ・ド・モンシオンは、日本語のウェブサイトだと言及しているところが本当に少ない
desaixjp氏のブログでは、彼を持ち上げている資料は信憑性に乏しいと指摘されてたな
404: 2024/08/25(日)16:02 ID:0(404/465) AAS
>>402
>「不滅の三人」の中で最優秀とされていたモラン師団長が異動するのをありとあらゆる手を使って妨害したなんてエピソードもあるし
これは練度を維持するためだから私情ではないような?
405(1): 2024/08/25(日)16:13 ID:0(405/465) AAS
>代わりの師団長(プショ将軍)が派遣されるや「貴様のような無能なカスが私のギュダンの代わりを務められると思っているのかね?」と罵倒した
これ相手がヴァンダムかケレルマンかナンスーティあたりだったら確実に決闘沙汰になってたなw
406(3): 2024/08/26(月)06:23 ID:0(406/465) AAS
>>405
ヴァンダム「あ⁉︎うるせえぞこのクソハゲ!皇帝陛下ですら一目置く俺様を無能なカス扱いするとは!よほどぶん殴られてえようだなあ?ちょっと表に出ろや」
ケレルマン「ヴァルミーの英雄の子でありマレンゴの立役者たるこのケレルマンを無能なカス呼ばわりするとはなんたる無礼!このケレルマンなくして皇帝は即位出来なかったのだ!」
ナンスーティ「ほう、不潔でド近眼のあなたが胸甲騎兵の第一人者である私に騎兵の心得を説かれるおつもりか。その貧相な頭で一生懸命考えられたご様子。是非ともお聞かせ願いましょうか」
407: 2024/08/26(月)06:50 ID:0(407/465) AAS
>>406
ワーテルロー戦役にダヴーがいたらと言う論争に終止符が打たれるなw
408(1): 2024/08/26(月)06:59 ID:0(408/465) AAS
>>406
ダヴーのメンタルを徹底的にえぐりにきてるナンスーティw
409: 2024/08/26(月)09:13 ID:0(409/465) AAS
>>406
元帥になってもおかしくない実力があるコイツらが遂になれなかったのは…
性格に問題がありすぎて敵が多かったからw
これ豆知識な
410(1): 2024/08/26(月)09:36 ID:0(410/465) AAS
ナポレオンの参謀部が現代のそれとは異なるものだったってのはよく知られた話だが
じゃあ具体的にどんな仕事をしていたのかというと、フラーの制限戦争指導論によれば
ベルティエの下にいた参謀長補佐たちは今日でいう主計総監に相当したそうだ
411: 2024/08/26(月)09:40 ID:0(411/465) AAS
ナポレオンが陸軍省の人事を皇帝副官にやらせてた(つまり自分の眼が届くようにしていた)反面
参謀部のほうはベルティエに任せっぱなしだったってのは、要するに興味がなかったんだろう
いや主計総監だって重職には違いないんだが、ナポレオンとしては自身の作戦立案が適切に遂行される限り
その仕事を誰がやっているかは意に介することもなかったのでは
412(1): 2024/08/26(月)09:47 ID:0(412/465) AAS
長谷川ナポレオンで劣勢の軍が「全てを握る主計長が捕虜になりました、立て直しは不可能です」て報告を受けて和睦交渉に入ってたけど
そんなに大事なのか
413: 2024/08/26(月)15:27 ID:0(413/465) AAS
>>412
リソースマネジメントの要だから・・・・
414: 2024/08/26(月)16:43 ID:0(414/465) AAS
>>408
ナンスーティの元上官が高潔な人格者で知られ部下から絶大な人気を誇ったオートポールなのが皮肉
415(1): 2024/08/26(月)19:56 ID:0(415/465) AAS
>>410
ナポレオン期の主計総監的な役割やってたのベルティエの子分たちじゃなくてダリュなはず
まあナポレオン時代の軍政部門ってナポレオン本人の口出しの激しさ&分権への忌避
陸軍大臣だがお飾り気味なクラークや側近の関与で誰に権限あるかコロコロ代わるが
416: 2024/08/26(月)20:41 ID:0(416/465) AAS
ワーテルローで勝ったとしてもナポレオンはそこからどれだけ盛り返せた?
何か最終的着地点はあったんだろうか
417: 2024/08/29(木)15:03 ID:0(417/465) AAS
>>415
ダリュがやってた仕事は軍政レベル、ベルティエの子分たちのは軍令レベルじゃないかな
フラーはオカルトがかった極右おじさんで、個人的にはあまり引用したい人じゃないけどね
418(1): 2024/08/29(木)15:09 ID:0(418/465) AAS
ライプチヒ後に「ライン川とアルプスの自然国境で手打ちしよ」と言われてたのを蹴ったんでしょ?ナポ
ワーテルローで勝ってもライン川で止まる気がないのなら、早晩破滅しそう
419: 2024/08/29(木)15:55 ID:0(419/465) AAS
百日天下時代は議会がそろそろ講和しろって言ったら従いそうだけどね
良くも悪くも
420: 2024/08/29(木)20:20 ID:0(420/465) AAS
>>418
蹴った原因の一つは国務長官マレの進言が大きいと言われてるな
タレーランやフーシェばかり目立ってオミットされがちなナポレオンの文官側近の一人
421: 2024/08/30(金)13:29 ID:0(421/465) AAS
ラファイエット「戦争で国民を苦しめる皇帝はいらないと追放したら、絶対王政を信奉するブルボン王家が復古したでござる……」
422: 2024/08/30(金)13:59 ID:0(422/465) AAS
七月革命において若手の共和主義者達が「オルレアン公は反動化するのでは?」と危惧したけど「君達はまだ若いからオルレアン公をよく知らないのだ。オルレアン公については私がよく知っている。オルレアン公は反動しないと保証しよう」と大見得を切ったラファイエット
ラファイエットのバックアップを受けて即位したオルレアン公がどうなったかというのはその後の歴史が語る通り
423: 2024/08/30(金)14:07 ID:0(423/465) AAS
ラファイエットは1814年や1815年にもオルレアン公を擁立できないかと思っていたが
オルレアン公は父親が革命中にかなりブルボン王家と対立していたのでしばらくの間は大人しくしている必要があった
しかも百日天下ではルイ18世について行かずイギリスに亡命する独自の道を選んだので第二次王政復古でも評判はよくなかった
それでもオルレアン公とラファイエットは七月革命までずっと自由主義王党派の象徴ではあった
424: 2024/08/30(金)15:26 ID:0(424/465) AAS
ラファイエットはなんというかやる事が空回りしているって印象だな
しかもマイナスな方向に転がっていくという
本人は100%善意なのがタチ悪い
425(1): 2024/08/30(金)15:37 ID:0(425/465) AAS
シャン・ド・マルスで共和派の平和的な嘆願署名を銃撃で追い散らしたのが善意なはずないだろ
426(1): 2024/08/30(金)16:49 ID:0(426/465) AAS
>>425
軍隊に投石した市民を鎮静化させようとパリ市長が威嚇発砲をやらせたところ、市民がかえってパニック状態になって押し合いへし合いになったのが実情
死者は多くて15名しかおらず、しかもパニックに巻き込まれて圧死だったのが判明している
だから今では虐殺でなく単なる威嚇発砲による事故だと扱われている
これがどうして虐殺とされたかというと、情報が錯綜した中で3000人が虐殺されたと誤報が広まり、みんなが信じ込んでしまったから
一説によると、共和主義者達がラファイエットをはじめとする立憲王政主義者を陥れるために、わざと大袈裟に喧伝したのだともいわれている
427: 2024/08/30(金)16:57 ID:0(427/465) AAS
>>426
だから追い散らしたって書いてるじゃん
書いてもない部分に対して反論しないで
重要な部分はラファイエットが嘆願署名を暴力的な手段で強制的に終わらせたという点
428: sage2024/08/30(金) 17:18:15.62 0 >>427 ラファイエットとパリ市長は事前に計画を把握していて、請願するために示威行進をする民衆を国民衛兵を動員して解散させようとした というのもデモ隊が暴徒化する危険性があったからだといわれている 思ったより平和的な示威行進だったので拍子抜けした国民衛兵は引き上げようとしたのだが、軍が現れてパニック状態になった市民が投石を始めてしまった 現在では、ラファイエットが嘆願署名を暴力的な手段で強制的に終わらせたという定説は間違いであり?世界@名無史さん 08/18(月)16:04 ID:0(428/465) AAS
アレクサンドル1世はルイ18世が嫌いだった
ルイ18世が皇妹アンナを甥ベリー公の嫁に迎えたいと申し込んできた時は冷たく断った
しかしウィーン会議直前になって気が変わってアンナとベリー公の婚姻を許そうと考えた
けれどルイ18世はアンナに見切りをつけて両シチリア王国の王女を嫁に迎えることを決定した
密偵の報告でそれを知ったアレクサンドル1世は自分のことは思い切り棚に上げて怒り狂ったのだった
429: 08/22(金)10:40 ID:0(429/465) AAS
なんかスレが壊れているように見える
去年の8月までの書き込みしか表示されない
430: 08/23(土)07:49 ID:0(430/465) AAS
大陸軍でイケメンランキングを開催したら誰が該当するだろうか?
431: 09/17(水)08:20 ID:0(431/465) AAS
大陸軍のイケメンを挙げてみた
ミュラ:惚れ惚れするほどのイケメン。あまりのイケメンっぷりに抱いてほしいと恋焦がれる男が続出するほどだった。
ジュノー:颯爽としたイケメンっぷりで「ラ・タンペット」というあだ名がついていた。史実ではポーリーヌが惚れ込むほど。
グールゴー:あまりのイケメンっぷりにセントヘレナ中の女達が黄色い歓声をあげて押し掛けるほどだった。
セナルモン:童顔系のイケメンで将軍の地位にありながら新兵と間違えられた逸話あり。
ルフェーブル=デヌエット:ナポレオンにイケメンっぷりを気に入られて自宅をプレゼントされるほどだった。
デヴォー・ド・サンモーリス:親衛騎馬砲兵連隊長に就任したのは知的系イケメンだったのもある。
省3
432: 09/18(木)11:40 ID:0(432/465) AAS
必ずしもミュラ一強というわけでもないのね
433(1): 09/18(木)15:56 ID:0(433/465) AAS
> 喉に銃弾を受ける致命傷を負っても復活したという化け物じみた逸話あり。
うえっ、もはや人間ですらねーって
なんだよ、この世界びっくり人間大会でぶっちぎり優勝しそうなヤツは
434: 09/18(木)17:36 ID:0(434/465) AAS
揚げ足をとるようだが、致命傷ってのは「死の原因となる重い傷」のことなんで
死ななかったら、それは致命傷ではなかったんだよな
435: 09/18(木)17:37 ID:0(435/465) AAS
>>433
カサノーヴァが重傷を負ったってのはアッコ包囲戦の時の出来事やね
彼自身の生命力もすごかったのかもしれないが
むしろ治療に当たったラレーを称えるべきだと思う
436(2): 09/19(金)05:57 ID:0(436/465) AAS
ランヌにカサノーヴァ並みの生命力がなかったのが惜しまれる
437: 09/19(金)08:04 ID:0(437/465) AAS
>>436
ランヌの脚を切除したのもラレーなんだが、その手術自体は成功して
ランヌはいったん小康状態になったそうなんだよな
命取りになったのは、そのあとに発症した壊疽なので
出血に耐えればよかったカサノーヴァとは状況が異なると思う
438: 09/19(金)10:14 ID:0(438/465) AAS
>>436
カサノーヴァはある意味人間やめてるんで•••
439: 09/19(金)18:09 ID:0(439/465) AAS
グールゴーのセントヘレナ日記の英訳版がインターネット・アーカイブで読める
1903年度版
外部リンク:archive.org
1932年度版
外部リンク:archive.org
1903年度版のグールゴーは理想的な忠臣だが、1932年度版ではドロドロの舞台裏が明らかになっており
なんだかミステリの解決編を読まされているような趣がある
440: 09/19(金)18:41 ID:0(440/465) AAS
セントヘレナから帰ってきたグールゴーは、ナポレオンは仮病だと吹聴し
この情報が陸軍・植民地事務次官のゴールバーンを通じてバサースト伯に伝わったため
オメーラ医師が島から退去させられ皇帝の健康状態がますます悪化することになったそうな
グールゴーのとち狂った言動は、ナポレオンの意を受けて
欧州で工作するためのカモフラージュだったのではと窺わせる書簡もあるが
その手紙を書いたのはモントロンだったりする
つまりグールゴーはナポレオンに幻滅して彼を悪し様に言いまくったのでなければ
省1
441(2): 09/19(金)19:39 ID:0(441/465) AAS
セントヘレナの随行者の中にカロル・ピオントコウスキというポーランド人大尉も含まれていた
ポーランド人でありながら熱烈的なナポレオン崇拝者でありワーテルローの戦いでも槍騎兵大尉として従軍していた
本人は伯爵と号していたけどあくまでも自称に過ぎないといわれている
ロウ総督の意に従わなかったピオントコウスキは従僕兼工作員のサンティーニと共に追放された
ピオントコウスキはサンティーニと行動を共にしていることからナポレオンと示し合わせて工作活動するためにわざと追放されたといわれている
その後、ボナパルト一族に保護されて年金をもらいながらヨーロッパ各地を旅して回ってナポレオンの顕彰活動をした
もっと知られていい人物かも
442: 09/19(金)23:38 ID:0(442/465) AAS
グールゴーは忠臣か否か問題の続き
モントロンがグールゴーに宛てて書いた1818年2月19日付の手紙は親しげな調子で助言を与えるもので
その内容を信じるなら、ナポレオンやモントロンとグールゴーの不和はハドソン・ロウを欺く芝居だったことになる
ただし皇帝はワーテルローで戦死したほうがよかったなどとグールゴーの日記には書いてあり
セントヘレナで彼の精神がだいぶ荒んでいたのも事実
くだんのモントロン書簡は矛盾しており不自然なので、捏造すら疑われている
443: 09/19(金)23:47 ID:0(443/465) AAS
これはグールゴーのセントヘレナ日記(1832年度版)を編纂したノーマン・エドワーズの仮説なんだが
書簡はモントロンによる真筆、ただし日付がおかしい可能性がある
つまり帰国してグールゴーと和解したモントロンが彼のために忠誠の証拠をこしらえてやったのでは? というわけだ
グールゴーには皇帝を見捨てて逃げ出したという負い目があり、一方モントロンもナポレオン毒殺説があるほど胡散臭い人物
グールゴーもモントロンもナポレオンに忠実であり志を一にしていたというストーリーは互いの利益になるものだったろう
まあ何が真相かは定かでないんだが、忠臣グールゴー、佞臣モントロンという単純な対立構造でないのは確かだと思う
444: 09/20(土)06:10 ID:0(444/465) AAS
>>441
ピオントコウスキはポーランドでは文学小説になるほどの有名人なんだってね
サンティーニも調べたらナポレオンの墓守となって一生を終えたと書いてあった
445: 09/20(土)06:20 ID:0(445/465) AAS
>>441
この人?
外部リンク[html]:www.napoleon-series.org
446: 09/20(土)06:31 ID:0(446/465) AAS
サンティーニはモントロンの弱味を握っていたらしく皇帝が死ぬとモントロンの家に出向いて何かを囁いた
真っ青になったモントロンはサンティーニに多額の金を払ったのが判明している
サンティーニが握っていたモントロンの弱味は不明だけど皇帝の死に関するものとされている
その証拠にナポレオン3世はモントロンだけにはすごく冷淡で遠ざけた
そしてモントロン死後にこんな事を言っている
「モントロンが伯父上の傍に葬られる資格がないのは、他ならぬモントロン自身が知っていることだ」
447: 09/20(土)06:51 ID:0(447/465) AAS
そのモントロンとグールゴーがつるんでいたんだから世の中わからないものだな
448(2): 09/20(土)07:44 ID:0(448/465) AAS
モントロンとグールゴーがつるんでいたかどうかはあくまでも憶測でしかない
ただこの2人は対照的な人生を歩んだ
グールゴーは軍で順調に出世していって要職を歴任した傍でナポレオン戦記の歴史家として成功を収めた
モントロンは皇帝の莫大な遺産を僅か数年で溶かした挙句に借金まみれになって落魄れる末路を遂げた
グールゴーの記録が本人の嘘をつけない性格から信憑性が高いと評判の一方で
モントロンの記録はセントヘレナ仲間から嘘まみれと酷評される出来だった
449: 09/20(土)08:30 ID:0(449/465) AAS
少なくともフランスに帰ってきてからのモントロンとグールゴーは協力関係にあったな
ナポレオンのため小異を捨てて大同についたといえば聞こえはいいが
それだけではなく、それぞれ個人的な利益になるものでもあったのだろう
グールゴーがモントロンに協力して何の益があるんだよと思ったんだが
やはり最後まで皇帝のそばにいてあげなかったというのが相当な引け目だったんだろうねえ
450: 09/20(土)08:35 ID:0(450/465) AAS
>>448
グールゴーのセントヘレナ日記の信頼性が高いのは本人の性格などという曖昧な根拠ではなく
公開を前提としない文書だったことと、ナポレオンに関してネガティブな記述も多々あるからだろう
ちょっと笑ったのは、皇帝と喧嘩したグールゴーが「私は陛下の命をお救いしたこともあるのに」といったところ
「そんなことあったっけ?」という反応が返ってきたというくだり
戦場で九死に一生を得るなどナポレオンにとっては珍しくもないので、いちいち覚えていられないということだろうか
451(1): 09/22(月)04:43 ID:0(451/465) AAS
ナポレオンの側近の中にバクレール・ダルブ男爵という砲兵将軍兼地理学者兼地図製作者兼画家がいた
バクレール・ダルブ男爵はナポレオンの執務室やテントの隣に住み込んでいて24時間体制で地図の製作にあたっていた
ナポレオンは戦いの前に必ずバクレール・ダルブ男爵を訪ねて地図の解説だけでなく戦略や行軍に関する助言も仰いでいた
意外にもベルティエ参謀総長はナポレオンの意思決定を伝達するだけでナポレオンの戦略や行軍に助言する立場ではなかった
だもんだから海外では「ナポレオンの軍師」「ナポレオンの意思決定に誰よりも関与した将校」「皇帝の聖域の最も秘密の中枢」と評されている
452: 09/22(月)07:27 ID:0(452/465) AAS
はえ〜
大陸軍てほんま人材豊富なんやなぁ
453: 09/22(月)10:05 ID:0(453/465) AAS
>>451
Bacler d'Albeの読み方はむしろ「バクレ・ダルブ」じゃないかな?
ナポレオンの遺書で彼が言及されているとウィキペディアにあるんだが見当たらない
どこに名前が書いてあるんだろうか
外部リンク[html]:www.gutenberg.org
454: 09/22(月)13:17 ID:0(454/465) AAS
これナポレオン漫画に絶対に出せないやつだ
出した日にはベルティエやベシエールやデュロックといった側近達が霞んじゃう
455: 09/22(月)14:18 ID:0(455/465) AAS
>>448
「憶測でしかない」というが、グールゴーの遺品の中から見つかったモントロン書簡という物証がある
書簡が偽物であり、グールゴーとモントロンはやはり険悪な関係だったのではないかとする仮説のほうがむしろ憶測の産物
まあ仮に偽物だったとしても、グールゴーの了承のもとに偽造された代物なんだが(彼にはその動機もあるわけだし)
なおグールゴーがナポレオン戦記の歴史家として成功を収めた件だが
グールゴーのはMémoires pour servir a l'histoire de France sous Napoleonモントロンとの共著だったりする
456(1): 09/22(月)17:00 ID:0(456/465) AAS
還暦近いジジイなのに現役のユサール騎兵指揮官として最前線に立っていたティリ将軍とか
インテリな参謀なのに忠誠心がもはや信仰レベルで皇帝に結婚届を書いてもらったのが自慢のバイヨ将軍とか
毒舌かつ自己主張が激しい性格で軍服と礼服がド派手なので有名なナンスーティ将軍とか
あまりに演説が上手すぎて演説集まで出版されちゃった挙句に死んだら葬式に10万人が参列したフォワ将軍とか
元帥以上に強烈なエピソード持ちがゴロゴロいるもん大陸軍は
457: 09/23(火)06:57 ID:0(457/465) AAS
ラサル「ふっ、30歳で死ななかったユサール騎兵はクズだな」
ティリ(56さい)「何を言うかこの若造が!まだまだ若いもんには負けやせん!皆の者、突撃じゃああっ!」
ラサル「あ、行っちゃった。もうヤダこのジジイ……」
こうですかわかりません
458: 09/23(火)10:26 ID:0(458/465) AAS
騎兵将軍にイカれているのが多いのは銃弾が飛び交う戦場を軽装備で突っ込んでいかないといけないからだと聞いたことがある
459: 09/24(水)20:18 ID:0(459/465) AAS
りりちゃんマニュアル読んで、ナポレオンと似てるんじゃないかと思った
りりちゃんって独創的な天才というよりは
その辺の心理学とか経営理論のスキームかじりながら組織化して実践に結び付けてるけど
ナポレオンもそんな感じでしょ
いつか破綻するモデルなのも一緒だし
460: 09/26(金)12:54 ID:0(460/465) AAS
ルイ18世の復位後、タレーランは擁立の功臣として首相兼外相に就任した
しかしタレーランの政敵はルイ18世にこう囁いた
「彼奴はナポレオンにベネヴァント大公にしてもらうなど厚遇されたのに裏切った男です。次は陛下を裏切るでしょうな」
ルイ18世はタレーランを切ることを決意したのだった
かつてカルノーは「ブルボン王家は感謝しないで罷免するだろう。何故なら彼らは復位して当然だと思っているからだ。その時になって後悔しても遅い」と警告したけど
まさしくその通りになったのであった
461: 09/26(金)13:23 ID:0(461/465) AAS
>>456
政治家としてのフォワはリベラル派の指導者だった
彼の葬儀に大勢の人が参列したのは復古王政に対するデモの側面もある
462: 09/26(金)14:22 ID:0(462/465) AAS
ワーテルローは最近の海外記事だと兵隊から将軍まで完全に素人と化してたのにギリ勝てそうなところまで持ってったのが逆にスゴいらしい
463: 09/26(金)14:55 ID:0(463/465) AAS
ネイを左翼総司令官に任命したのは能力を評価したのでなく兵士から絶大な人気があったためやむなくだった
ナポレオンはネイを大軍を率いて戦略を遂行できる器だと思っていなかった
それどころか元帥にしたこと自体が間違いだったとまで酷評している
464: 09/26(金)15:32 ID:0(464/465) AAS
あのグルーシーですらテメーを元帥にしなきゃよかったなんて言われてないのにw
465: 09/27(土)05:17 ID:0(465/465) AAS
略奪虐殺王位僭称のトリプルコンボをかましたスルトのことは縛り首にしとけばよかったとボロクソにこき下ろすも
トゥールーズの奮戦で元帥にしといてよかったと手のひら返しているのが笑える
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.037s