【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】 (652レス)
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1(1): 2023/12/25(月)23:06 ID:0(1/652) AAS
前スレ
【資料】カルタゴについて語るスレ4【少な過ぎ】
2chスレ:whis
(⚫︎ω・`)<試しに立ててみるよ
572: 07/10(木)04:52 ID:0(572/652) AAS
新石器時代イラン農耕民系統はエトルリア人と関係があるのか?(アナトリア半島からヨーロッパに渡ってきた人々?)
青銅器時代ヨルダン人は、いわゆる地理的に「フェニキア」と呼ばれる地域に住んでいた人々が、(カルタゴではなく)帝政期のローマの住民と結び付いている?
573(2): 07/11(金)14:36 ID:0(573/652) AAS
カトリック系施設から乳幼児の遺体約800体、専門家が鑑定へ アイルランド
ロイター 7/9(水) 15:56
外部リンク:topics.smt.docomo.ne.jp
ユダヤ・キリスト教の正体はバアル崇拝であり、フェニキア人の習慣である
子供の人身御供も、裏で脈々と受け継がれてきたのではないか。
574: 07/11(金)15:02 ID:0(574/652) AAS
チャールズ・H・H・ライト著 『エジプトのパピルスからの光』
「ネブカドネザル王 [新バビロニア王、前605〜562年] がエルサレムを破壊した後、
ユダヤ入植者の一団がエジプトの南側国境のアスワンに進んだ。そこで彼らは、
自分達の家と土地を手に入れた。
金貸しとしての商売を営む者もいた。銀行家とも言えるかもしれない。
これらは、L印の付いたパピルスから分かる。L印パピルスには、お金の貸付の
通例の契約が、正式に記録されている。貸したお金に対して月々返済される利息
省8
575(1): 07/12(土)15:51 ID:0(575/652) AAS
エジプト東部のナイルデルタで栄えた古代都市イメットの発見により、厚く頑丈な壁構造に支えられた多層階式の「タワーハウス(塔型住居)」は、(古代エジプト・プトレマイオス朝)後期からローマ帝国時代にかけて建てられた、エジプトの他の地域ではほとんど見かけないものであり、建築や都市計画、またイメットの守護神としてまつられていたコブラの化身・女神ウアジェトについてなど、新たな知見が掘り起こされることとなった。
プトレマイオス朝中期にあたる紀元前200年頃の建造物も新たに発見されている。石灰岩の漆喰で塗り固められた床と、スタッコ(化粧漆喰)を施された特徴的な柱をもつ建物だ。ウアジェットの神殿へと続く、かつての参道を跨ぐようにして建てられていたことから、この頃すでにウアジェット信仰が下火になっていたものと推察され、古代エジプトにおける宗教の変遷を知るための手掛かりになると研究者たちは見ている。
当時のイメットを彩った宗教文化については、エジプト第26王朝(紀元前664〜紀元前525年)の時代の陶磁器製のウシャブティ(葬儀で死者とともに埋葬された小型の立像)、蛇を抱いて2頭のワニの上に立つハルポクラテス神(古代エジプトのホルス神がギリシャ神話に転じた沈黙の神)のステラ(文様の施された石碑)、音楽と豊穣の女神ハトホルの双頭をあしらった青銅製のシストラム(神を崇拝する時に用いられる楽器で、女神ハトホルの持ち物の一つ)などの発見によって研究が進んでいる。
>>541
ハルポクラテス神がフェニキア人の神パタイコス ?
576: 07/13(日)00:42 ID:0(576/652) AAS
>>573
外部リンク[html]:archive.archaeology.org
元々の人間の習慣に嬰児殺しがあって宗教的意味は後付けだろう
古代世界の様々なところで(イスラム以外)男女比で男が多かった
女児が生まれたら確認して殺されていたため
577: ウムウル 07/13(日)09:23 ID:0(577/652) AAS
>>553
これの産地が記憶と違う気がするな
>>575
シストラム気になるんよな
なんでタンバリンの原型なんだろう
578: 07/13(日)18:34 ID:0(578/652) AAS
>>573
アイルランド・ゴールウェー県チュアムの、未婚の母親のためのカトリック系母子施設の跡地から、およそ800体の乳幼児の遺骨が見つかった。
2021年に同様の施設を対象に行った政府の調査によると、アイルランド全域でおよそ9000人の子供が死亡しており、カトリック教会による養護施設運営の暗い歴史の一端が露呈した。
カトリックは「人工妊娠中絶」を禁止にしてる話だろう
579: 07/13(日)18:37 ID:0(579/652) AAS
子供の死に関しては、カトリック教会による養護施設運営の問題
580(1): 07/15(火)09:53 ID:0(580/652) AAS
イタリア半島中央部個体群は、YHg-R1b系統が青銅器時代に草原地帯関連集団の移動とともにイタリア半島に拡大したことを示唆します。
紀元後千年紀には、YHg-R1bの頻度は40%程度と減少し、YHg-Jのような近東関連Y染色体系統がより高頻度となります。(地中海東部祖先系統が、ローマ帝政期にエトルリア人関連の遺伝的特性の大部分を置換しました)
581: 07/15(火)10:13 ID:0(581/652) AAS
イタリアには、古代ローマ時代にティリンスの城壁で有名な「サイクロプス式壁」と呼ばれる巨石で作られた壁がいくつか存在します。
アラトリの城壁が有名です。
582(1): 07/15(火)15:42 ID:0(582/652) AAS
イタリアの遺伝子は中東?
583: 07/15(火)16:42 ID:0(583/652) AAS
>>582
>>580 の続き
ヨーロッパ北部祖先系統からのかなりの遺伝的流入が、中世初期におそらくはゲルマン部族のイタリア半島への拡大を通じてもたらされました。
イタリア半島中央部および南部の現代の人口集団の遺伝的構成は、紀元後千年紀の末までにほぼ形成されました。
584: 07/15(火)17:49 ID:0(584/652) AAS
誤) 紀元後千年紀 → 正) 紀元後1000年
585(1): 07/15(火)18:31 ID:0(585/652) AAS
1868年、クロアチア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国の一部)のザグレブ博物館が、古代エジプトの女性のミイラを手に入れた。ミイラを包んでいた布は前の所有者によってほどかれていたが、ミイラと一緒に引き渡された。
ミイラになった女性は王族や聖職者ではなく、一般人だった。しかし、彼女を包んでいた亜麻布には、非常に興味深い謎があった。亜麻布に書かれていた文字が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)ではなかったのだ。
亜麻布を調べたオーストリアのエジプト学者ヤーコプ・クラールは、謎の文字の解読に成功した。文字は、一部の人が推測していたコプト文字ではなく、ローマ帝国以前にイタリアを支配していたエトルリア人が使っていたエトルリア文字だった。このミイラは、エトルリアの亜麻布の書を裂いた布で包まれたことになる。
現在のイタリア中部トスカーナ州(州都はフィレンツェ)は、古代エトルリア人の故郷とほぼ一致している。紀元前8世紀に現れたエトルリア人はギリシャ人と交易して、金属加工、絵画、彫刻などの高度な文化を発達させた。交易によって、エトルリアの品々、ギリシャの神々、それにエウボイア島で使われていた西方ギリシャ文字が各地に運ばれた。エトルリア人は、このアルファベットを用いて、右から左に書く独自の文字を作った。
実は、このミイラを包むのに使われていた文書はエトルリアの亜麻布の書だけではなかった。エジプトの「死者の書」のパピルスも使われていたのだ。このエジプトの書物にはネシ・ホンス(「家の女主人」)という女性が登場する。今日の学者たちは、この女性こそがミイラになった女性だと信じている。20世紀後半には、彼女が生きていたのは紀元前4世紀〜前1世紀の間で、30代で亡くなったことが判明している。
586: 07/15(火)20:00 ID:0(586/652) AAS
一方で、古代エジプト人のゲノム解析
>>551
古王国時代のゲノムを後の時代のエジプト人と比較したところ、第三中間期(紀元前787〜544年)のエジプト人ではレバント地域からの遺伝的影響が大幅に増加していました。現代エジプト人のゲノムはさらに複雑で、この古王国時代の祖先に加え、レバント青銅器時代の祖先、そしてより最近になって東アフリカや西アフリカからの祖先が混じり合って形成されていることが示されました。
587: 07/15(火)21:21 ID:0(587/652) AAS
>>551 「NUE001」の Y 染色体ハプログループ は E1b1b1b2b
中世シチリア島のイスラム教徒とキリスト教徒との間の遺伝的差異
Y染色体ハプロタイプは墓地間の差異を示唆しており、イスラム教徒墓地の個体群はアフリカ北部と関連するE1b1b1b1a(M81)およびE1b1b1b1(M310.1)と、地中海東部と関連するJ2b2a(M241)だったのに対して、キリスト教徒墓地に埋葬された9個体のうち4個体はR1b1a1b(M269)で、これは現在ではおもにヨーロッパ西部で見られるYHgです。
イスラム教徒墓地に埋葬されたSGBN2のmtDNAハプロタイプはL3e5で、これはおもにサハラ砂漠以南のアフリカで見られます。
588: 07/17(木)05:23 ID:0(588/652) AAS
研究者たちは、チュニスの郊外にある丘の上に位置するタファト・エル・ボニー神殿の遺跡付近で、埋葬跡と5枚の金貨を発見しました。この神殿は、かつてバアル・ハモンとタニトの神々に捧げられた地方の記念碑でした。
発見された金貨の直径は2.5センチメートル(約1インチ)未満で、カルタゴ人にとって豊穣と母性の象徴である古代の女神タニトを描かれていました。
過去1世紀にわたるカルタゴでの発掘調査では、新生児から4歳までの子どもの遺骨を含む数千の墓石と壺が発見されました。
キリスト教の聖書には、カルタゴの神バアル・ハモンへの子供の人身供犠に関する記述があり、ギリシャとローマの伝説にも乳児の殺害の残酷な場面が伝えられている。しかし、疑わしい供犠場で見つかった遺骸の精密な分析結果から、その場所は乳児と胎児のための通常の墓地であったことが示唆されています。
589: 07/17(木)05:40 ID:0(589/652) AAS
考古学者が20世紀に古代文明の発掘を開始した際、トフェトと呼ばれる墓地で、数千人の赤ちゃんの焼骨、若い山羊や羊の焼骨が入った壺を発見しました。この墓地は紀元前700年から300年にかけて使用されていました。最盛期には、トフェトはサッカー場よりも広かった可能性があり、9層の埋葬層を有していたと考えられています。
2010年にシュワルツとその研究チームは、540人の歯の遺骸を用いて、その遺跡が主に儀式的な子供殺害のためのものではなかったと主張しました。
研究チームは、トフェトで発見された多くの歯の断片は、実際には胎児や死産児の顎から発達途中の歯の芽であり、生贄として捧げられたものではなかったと主張しています。証拠として、彼らは歯の半数に「新生児線」と呼ばれる出生時の痕跡が欠如していることを示しました。出生時のストレスは新生児の歯の成長を一時的に停止させ、歯の芽に小さな暗い線を生じさせますが、この線は出生後1週間から2週間経ってから形成されます。
スミス氏の研究チームは2011年に、シュワルツ氏の歯の分析を疑問視する論文を発表しました。彼女は、火葬時に発生する驚異的な熱と圧力により、新生児の歯の線は通常消えてしまうため、その欠如は年齢を判断する信頼できる指標ではないと指摘しました。スミス氏は、シュワルツ氏の研究チームが火葬時の歯の収縮率を誤算したため、乳児の年齢を過小評価する結果になったと主張しました。
590: 07/18(金)14:35 ID:0(590/652) AAS
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
591: 07/20(日)02:35 ID:0(591/652) AAS
古代の多くの地域では男女人口比が歪だった
女は障害者扱いで生まれてすぐ殺されていた
日本はそれがなく、イザベラバードなんかも男女同じくらい、みたいなことが書いてた気がする
592(1): 07/20(日)17:21 ID:0(592/652) AAS
中世シチリア島西部に位置するセジェスタ遺跡のキリスト教徒の被葬者墓地である17号墓に埋葬されていたのは、全員男性乳児であった。
古代マヤで最も栄えた都市の1つチチェンイツァの貯水槽「チュルトゥン」とそこにつながる洞窟で、考古学者たちが多数の人骨を発見した。このチュルトゥンは8世紀にわたって若い成人や子どもの生贄の埋葬に使われ、遺体のほとんどが若い女性とされてきた。
しかし、2024年6月12日付けで学術誌「ネイチャー」に発表された論文が定説を覆した。回収された64体の遺骨のDNAを分析したところ、すべて男児で、多くが3歳から6歳だったのだ。
意外だったのはそれだけではない。埋葬されていた子どもの多くが近親者だった。少なくとも4分の1の遺体が、同じ洞窟に埋葬された別の少年の兄弟かいとこで、一卵性双生児が2組も含まれていた。
アルゼンチン北部のジュジャイジャコ火山(標高6739メートル)の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見された。古代インカの生贄の儀式カパコチャで生き埋めにされたミイラは、保存状態が極めて良く、非常に安らかな表情で知られている。
イギリス、ブラッドフォード大学の法医学と考古学の専門家アンドリュー・ウィルソン(Andrew Wilson)氏はまず、13歳の少女のミイラについて生化学分析を行った。
少女は死を迎えるまでの1年間、トウモロコシやリャマ肉といった栄養価の高い食事が与えられ、栄養状態が劇的に改善していた。加えて今回、同時期のコカ摂取量の大幅増加が判明し、特に死の1年前と半年前にその傾向が顕著に表れている。
省1
593: 07/24(木)18:59 ID:0(593/652) AAS
(⚫︎ω・`)<試しに立ててみるよ
594: 07/24(木)19:42 ID:0(594/652) AAS
イギリスの王室とロシアの起源は同じ
595: 07/24(木)19:45 ID:0(595/652) AAS
どちらもノルマン人によってもたらされた
ヨーロッパ大陸の民族と国の複雑な絡み合いを感じずにはいられない
日本にはそういうものはないイメージ
596: 07/24(木)19:46 ID:0(596/652) AAS
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
597: 07/24(木)19:47 ID:0(597/652) AAS
墨子って何で儒学に代わって国学にならなかったん?
598: 07/24(木)19:48 ID:0(598/652) AAS
清朝末期に西洋の技術を取り入れるために、科学技術を重んじた墨子を国学にしなかったのはなぜなのかねー?
599: 07/24(木)19:48 ID:0(599/652) AAS
墨子の思想は反体制側
600: 07/24(木)19:49 ID:0(600/652) AAS
日本にはもと王あり、そのしたに関白と称する者ありて最も尊し。時に山城州のかしら、信長をもってこれと為す。 たまたま猟にいで、一人の樹下にガするものにあう。驚起して衝突す。とらえてこれをなじる。みずから言う 「たいらの秀吉、薩摩州の人のやっこたり」と。ユウケンキョウショウにして口弁あり。信長、これをよろこび、馬をボクせしめ、名づけて「木下人」という。のちにようやく事を用う。信長のために画策し、二十余州をあわす。ついに摂津の鎮守大将となる。
601: ウムウル 07/24(木)19:58 ID:0(601/652) AAS
時空が繋がったのかw
602: 07/25(金)00:20 ID:0(602/652) AAS
チュニジアの Zita は紀元前5世紀から西暦450年まで居住されていた考古学遺跡です。 Zita のトフェ内の壺や穴から発見された12体の遺体(乳児と子供を含む)の骨格分析に焦点を当てています。
分析対象の12人のうち、9人に壊血病の疑いがある所見が認められました。壊血病はビタミンC欠乏症による疾患であり、子どもとその授乳中の母親の両方に栄養不足が反映されている可能性があります。
さらに、6名が貧血と関連する疾患であるクリブラ・オービタリウムの症状を示し、2名は重度の貧血に典型的な頭蓋骨の病変を呈していました。
この研究が特に興味深い点は、調査対象の遺骸に死前外傷や暴力の直接的な証拠が欠如している点です。
603: 07/25(金)02:12 ID:0(603/652) AAS
誤)クリブラ・オービタリウム → 正)クリブラ・オルビタリア(=眼窩篩)
604: 07/26(土)11:00 ID:0(604/652) AAS
クリブラ・オルビタリア(=眼窩篩)
605: 07/26(土)11:01 ID:0(605/652) AAS
昔は上が普通だからなあ
606: 07/26(土)12:39 ID:0(606/652) AAS
誰も用いてくれなかった私の策を
607: 07/26(土)12:40 ID:0(607/652) AAS
先生と呼ばれるようになっただけで自分は偉くなったと勘違いする人もいるくらいだから、絶大な権力を持つと人は狂っちゃうよね…。
608: 07/26(土)12:42 ID:0(608/652) AAS
短期間にできたこととは思えないし、部下がついていったとは考えにくい。暴君だったのだろうか。
609: 07/26(土)12:45 ID:0(609/652) AAS
俺がもっとも望むもの
610: 07/26(土)12:45 ID:0(610/652) AAS
それは…………
611: ウムウル 07/26(土)20:54 ID:0(611/652) AAS
>>549
コシャルはクレタとの
関連性が述べられていたが根拠は不明
もうちょい追ってみるか
612: 07/28(月)11:04 ID:0(612/652) AAS
(⚫︎ω・`)<カルタゴワインうめぇ
スパイスがガッツリ効いたツマミが欲しいなぁ
613(1): 07/29(火)06:05 ID:0(613/652) AAS
はいよ!
カルタゴ名物赤ん坊の丸焼き一丁!
614: 07/30(水)06:41 ID:0(614/652) AAS
羂索が領域展開後も夏油を乗っ取り続けていたし希望はある…と思いたい
615: 07/30(水)06:41 ID:0(615/652) AAS
海の民のは明らかにガレー船ではない
重要なのはオールの漕ぎ手を完全に隔絶して、弓などの攻撃も喰らわないようにすること
アッシリアのレリーフに書かれたフェニキア船は確実に衝角つきガレー船
その後の海戦戦術でもわかるが「衝角つきガレー船に対してはガレー船でしか対処できない」これが鉄則
まずギリシャ海賊が出てきて、それをフェニキア人が片っ端からガレー船で沈めまくった
省3
616(1): 07/30(水)06:42 ID:0(616/652) AAS
「日本の建国はいつですか」「建国したのは誰ですか」について答えられる高校生がわずかで、日本は「マッカーサー」が建国したと答える生徒もいた。
作家、竹田恒泰さんが先日の仙台「正論」懇話会の講演会で、高校生を対象にした調査の話題をあげ、戦後歴史教育を危惧していた。
617: 07/30(水)06:42 ID:0(617/652) AAS
ウクライナ軍が“ロシアの中枢”を一斉破壊!火薬&化学工場・鉄道22路線・8空港をドローンで同時制圧、戦争インフラが完全消滅へ!補給断絶で兵站壊滅、迎撃ミサイルは住宅地に落下し国民パニック!
618: 07/30(水)06:43 ID:0(618/652) AAS
ローマの住民の遺伝的構成
紀元前2300〜紀元前900年頃となる青銅器時代の標本はありません。
紀元前900〜紀元前200年となる共和政期を含む鉄器時代では11人のゲノムデータが得られました。鉄器時代の個体群の遺伝的構成は銅器時代と明らかに異なっており、草原地帯系統の追加と、新石器時代イラン農耕民系統の増加として解釈されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけて、イタリア中央部集団は、ポントス-カスピ海草原起源の遊牧民集団より30〜40%程度の遺伝的影響を受けたとモデル化でき、これはヨーロッパの多くの青銅器時代集団と類似しています。
紀元前27年〜紀元後300年までの帝政期48人の最も顕著な傾向は、地中海東部系統への移行と、ヨーロッパ西部系統の少ない個体群が存在することです。帝政期48人は遺伝的に、ギリシア・マルタ・キプロス・シリアなど現代の地中海および近東集団とほぼ重なります。鉄器時代個体群と比較して、帝政期個体群は青銅器時代ヨルダン人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています。
619: 07/30(水)06:44 ID:0(619/652) AAS
新石器時代イラン農耕民系統はエトルリア人と関係があるのか?(アナトリア半島からヨーロッパに渡ってきた人々?)
青銅器時代ヨルダン人は、いわゆる地理的に「フェニキア」と呼ばれる地域に住んでいた人々が、(カルタゴではなく)帝政期のローマの住民と結び付いている?
620: 07/30(水)06:44 ID:0(620/652) AAS
チャールズ・H・H・ライト著 『エジプトのパピルスからの光』
「ネブカドネザル王 [新バビロニア王、前605〜562年] がエルサレムを破壊した後、
ユダヤ入植者の一団がエジプトの南側国境のアスワンに進んだ。そこで彼らは、
自分達の家と土地を手に入れた。
金貸しとしての商売を営む者もいた。銀行家とも言えるかもしれない。
これらは、L印の付いたパピルスから分かる。L印パピルスには、お金の貸付の
通例の契約が、正式に記録されている。貸したお金に対して月々返済される利息
省8
621: 08/01(金)23:27 ID:0(621/652) AAS
【ローマ時代の「教会」、シナゴーグだった可能性 スペイン南部】
スペイン南部のある遺跡について、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)だった可能性を示す証拠が浮上した。
現場の遺跡はこれまで、4世紀の教会と考えられていた。発掘調査に当たる専門家たちは遺物や建築上の証拠を発見し、この建物が実際にはシナゴーグだったとの仮説を導き出したという。今月発表された研究で明らかになった。
スペイン南部の旧ローマ人居住地カストゥーロでの発掘調査では、オイルランプの破片やメノーラー(ユダヤ教の儀式で使用する燭台<しょくだい>)の装飾を施した屋根瓦などの遺物が見つかった。一方でキリスト教信仰と明確に関連のある遺物は見つかっていない。
対照的に町内の別の遺跡では、キリスト教の礼拝の証拠が見つかった。
622: ウムウル 08/03(日)08:35 ID:0(622/652) AAS
>>585
おいらの記憶だと
最も古いフェニキア語の記録が
エジプトのミイラの布にあった気がするな
内容はおまじないだったかな
623: 08/05(火)09:08 ID:0(623/652) AAS
スキタイ人の古代ゲノムデータの分析により、スキタイ人氏族の構成員間のROH(同型接合連続領域)から推定されるように、スキタイ社会における高水準の近親婚が明らかになりました。
族内婚は以前には、一部の古代の人口集団で報告されてきました。この社会的慣行は青銅器時代においてエーゲ海社会では一般的で、カルタゴ人(紀元前700〜紀元前400年頃)とサルマティア人とサカ人で報告されています。
624: ウムウル 08/06(水)07:38 ID:0(624/652) AAS
近親婚で有名なエジプトと
族内婚で有名なユダヤ人社会を差し置いて
カルタゴと遊牧民で見つかるのか
何でだろう、、、
625: 08/14(木)10:23 ID:0(625/652) AAS
カルタゴって結局ローマに滅ぼされたんでしょ?第三次ポエニ戦争でボロボロにされて、住民は奴隷にされたり虐殺されたりして、都市も徹底的に破壊されたんだよね。なんか、その滅亡の仕方がすごい悲惨すぎて、現代でも語り継がれるくらいやばい。ローマの執念が強すぎたというか、もうライバルを完全に消し去るって感じだったのかな。カルタゴの領土はローマのアフリカ属州になって、それから一世紀くらい経ってからカエサルとかによってローマの都市として再建されたらしい。すごい歴史だよね。
626: Donguri! 08/16(土)03:37 ID:0(626/652) AAS
何やそのAIみたいなコメ
627: Donguri! 08/16(土)03:37 ID:0(627/652) AAS
何やそのAIみたいなコメ
628: Donguri! 08/16(土)03:37 ID:0(628/652) AAS
何やそのAIみたいなコメ
629: 08/20(水)11:40 ID:0(629/652) AAS
(⚫︎ω・`)<>>613おお、美味そ…って
食うかんなモン!あと名物どころか存在せんわ!
630: 08/24(日)11:31 ID:0(630/652) AAS
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
631: ウムウル 08/24(日)11:49 ID:0(631/652) AAS
>>616
大国主だろう
チャーチルはイギリスの建国は
カエサルが上陸したときって言ってましたね
632: 08/24(日)12:11 ID:0(632/652) AAS
イタリア中央部のローマ共和政期の男性個体のゲノムデータ
タルクイーニアのファルガリ村遺跡で発見された1個体(BSP71)からDNAが抽出されました。
古代の個体群を現代の個体群と比較したY染色体分析は、個体BSP71と他共和政の4個体(R437、R10337、R10341、R850)の東地中海祖先系統の手がかりを示します。
個体BSP71のYHgはR1b1a1b1b(M269/Z2105)で、おもに後期青銅器時代/鉄器時代アルメニアの東方の数個体とクラスタ化します(まとまります)。個体R437は姉妹単系統群のYHg-R1b1a1b1a1a2(M269/P312)に属しており、このYHgは現在ではヨーロッパ西部において高頻度ですが、青銅器時代のクロアチア人でも観察されます。個体R10337のYHgはR2(M479)単系統群で、現在のアジア西部集団および古代の中東の人々で観察されます。最後に、個体R10341のYHgはJ1a2a1a2(M267/P58)、個体R850のYHgはT1a(M70)です。これらの系統は今ではおもに中東の人口集団で観察されますが、おもにギリシアとアナトリア半島の古代の東地中海個体群にも存在しました。個体BSP71のmtHg-T1a1はシチリア島のヒメラ遺跡のギリシア植民地の1個体で見つかっており、これは恐らく、母方の遺伝的繋がりを示唆しています。
紀元前2世紀〜紀元前1世紀に属する標本の数は少ないものの、この結果は、帝政期ではなく共和政後期にイタリア中央部で東地中海の遺伝的影響の拡大が始まった可能性を示唆しているかもしれません。
633(1): 08/26(火)16:10 ID:0(633/652) AAS
イベリア半島の古代のウマのゲノムデータを報告した研究が公表されました。
ウマは中期更新世以降イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)に生息しており、イベリア半島は家畜化の中心地として提案されてきました。
イベリア系統の野生ウマが後期更新世以降にイベリア半島に生息していた一方で、ポントス・カスピ海草原地帯原産の家畜化されたウマがすでに紀元前1850年頃に到来していた、と報告されます。混合年代測定は、少なくとも紀元前350年頃までの継続的な野生ウマの補充を含む繁殖慣行が示唆されており、イベリア系統はその直後に消滅しました。
結果として、地球上に生息しているすべての現代の家畜ウマはポントス・カスピ海草原地帯原産の系統に属します。
交易網もしくは戦争に起因するウマの個体群規模の変動は、とくにイベリア系統の消滅と、地中海を戦域としてローマ人とカルタゴ人が対立した紀元前3世紀〜紀元前2世紀のポエニ戦争との間の広範な時間的重なりを考慮すると、重要だったかもしれません。
634: ウムウル 08/26(火)23:24 ID:0(634/652) AAS
>>633
へー、けっこう後まで残ってたんですね
カルタゴと言えば馬だけに
なんか関係あったのかなぁ
635: 08/27(水)00:23 ID:0(635/652) AAS
ヨセフスあたりの時代まではフェニキアの歴史文献とか確実に、しかも大量に残ってたのにどこいったんや
636: 08/27(水)16:48 ID:0(636/652) AAS
(⚫︎ω・`)<実はバチカンあたりもってたりして
馬とヤシは硬貨にもよく使われるデザインだねー
637: ウムウル 08/28(木)01:48 ID:0(637/652) AAS
ふーむ
>>592
シケリアの双子の神パリキ(en)に関して現在まで伝わっている話は、ギリシア神話の影響を受けている。シケリアの精霊タリアが火の神であるアドラヌス(en、ギリシア神話のヘーパイストスに相当する)の子供を身ごもるが、ヘーラーはこれに嫉妬して、大地の神ガイアにタリアを飲み込むように依頼した。その後大地が割れて双子の神が生まれた。
双子の神は、シチリアで航海と農業の後援者として崇拝された。ギリシア神話の古い形では、ティーターン族のティテュオスは母エラレーの胎内にいたころから巨大な身体の持主で、母の子宮を割ってしまったために、ガイアが代わりに生んだとされる。このような伝説に基づいた儀礼のため、食物の成長を願って、生贄として埋葬された二人の子供が発見されることがある。
638: ウムウル 08/28(木)02:33 ID:0(638/652) AAS
>>367
その後、ニドハド王はネリケで眠っているヴォルンドを捕らえ、足の腱を切断してセーヴァルストード島に幽閉するよう命じた。そこでヴォルンドは王のために偽造品を作らされた。ヴォルンドの妻の指輪は王の娘ボズヴィルドに与えられた。ニドハドはヴォルンドの剣を身に着けていた。
復讐として、ヴォルンドは密かに彼を訪ねてきた王の息子たちを殺し、彼らの頭蓋骨からゴブレットを、彼らの目から宝石を、彼らの歯からブローチを作りました。彼はゴブレットを王に、宝石を王妃に、ブローチを王の娘に送りました。ボズヴィルドが指輪を修繕するためにヴォルンドに持っていくと、彼は彼女を騙して誘惑し、妊娠させます。その後、彼はニドハドの広間に飛び、そこで王の息子たちを殺し、彼らの死体から宝石を作り、ボズヴィルドとの間に子供をもうけた経緯を説明します。王は泣きながら、弓兵と騎兵がヴォルンドにたどり着けないことを嘆き、鍛冶屋は二度と姿を見せなくなります。ニドハドは娘を呼び、ヴォルンドの話が本当かどうか尋ねます。この詩は、ヴォルンドが自分よりも強すぎたため、ヴォルンドから身を守ることができなかったとボズヴィルドが述べるところで終わる。
639: ウムウル 08/28(木)02:47 ID:0(639/652) AAS
>>367
ヘパイストスの象徴性は他の神話体系にも見られ、次のような類似点がある。
ウガリットの職人神コタル・ワ・カシスは、特徴的な歩き方で遠くからでも識別され、足を引きずっていることを示唆している可能性がある。[ 99 ]
ヘロドトスが理解していたように、エジプトの職人神プタハは小人の神であり、しばしば裸で描かれていた。[ 100 ]
北欧神話では、ウェイランド・ザ・スミスは身体に障害を持つ青銅細工人でした。
省2
640(1): 09/03(水)13:56 ID:0(640/652) AAS
イベリア半島青銅器時代末集団のゲノムデータ
イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代への移行は、主要な埋葬慣行としての火葬の出現によって特徴づけられます。骨壺墓地文化として知られる集団の文化的属性は、紀元前1300〜紀元前850年頃となる末期青銅器時代にイベリア半島北東部に拡大しました。この集団の出現についてさまざまな仮説が存在しますが、火葬がDNAの保存を妨げています。
本論文は、土葬と火葬が末期青銅器時代にともに見られるロス・カステレッツ2遺跡(スペイン)の集団埋葬塚から発掘された24個体と、ロス・ピオホス遺跡(スペイン)の前期鉄器時代1個体のゲノム規模データを提示します。
同じ集団塚の個体の2/3は1〜6親等と生物学的に密接な親族関係にあり、男性1個体に最も多くの遺伝的親族がいました。家族集団内の近親婚の痕跡が検出され、すべてまとめると、この塚が家族の壮大な墓として用いられていたことを示唆しています。
ロス・カステレッツ2遺跡におけるすべてのY染色体系統が、典型的なイベリア半島のYHg-R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)と一致するようです。
641: 09/03(水)14:20 ID:0(641/652) AAS
ちなみに古代日本の埋葬文化について
2025年春に国立科学博物館で開かれている特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の監修者である神澤秀明さん
「岩手県の蝦(えび)島という縄文晩期の遺跡からは多くの人骨が出てきます。その中で、埋葬小群といって、近くに埋葬されていた個体や、頭の形態の変異に共通性がある個体、抜歯の特徴が似ている個体などを選んで、ゲノムを見たんです。すると、不思議なことに、実は全然血縁がありませんでした。縄文の埋葬や墓制論の専門家、山田康弘先生(東京都立大)は、『これらは絶対、血縁だろう』と予想されていたんですけど、まさかの結果で、かなり驚いてらっしゃいました。その後、ほかの遺跡でも分析を進めていくと、やはり、あまり血縁は出てこないんです。すぐ近くに埋葬されていても血縁関係がないことが多くて、今まで議論していた埋葬原理にちょっと修正が必要かもしれないと、山田先生はおっしゃってましたね」
642: 09/03(水)14:21 ID:0(642/652) AAS
垢版
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0333 日本@名無史さん 2025/08/07(木) 23:27:50.80
岡山県津山市の久米三成4号墳の被葬者の家族関係を、DNA解析に基づいて推測した研究が取り上げられています。
1977年,現在の岡山県津山市にある丘陵で石を並べて作った石棺が出土し,中から人骨が見つかった。発掘調査を行ったところ,それは全長35mの前方後方墳の一部で,後方部と前方部の中央にそれぞれ石棺があることがわかった。
後方部にある第1の石棺には,30代から40代の男性と,やや若い20代から30代の女性が埋葬されていた。さらに,前方部にある第2の石棺にも,2人の人物が埋葬されていることがわかった。1人は50代の高齢女性で,もう1人は11歳前後の子どもである。
古墳は古墳時代の前期後半から中期の初めごろのもので,比較的小規模な集団の首長のものだと推定された。第1の石棺に埋葬された男性が首長とみられるが,それ以外の3人が誰なのか,当時はまったくわからなかった。
省3
643: 09/03(水)15:04 ID:0(643/652) AAS
カルタゴの都市伝説について語ってってマジか?
あそこってさ、ポエニ戦争でローマに滅ぼされた後、塩を撒かれて不毛の地になったって話、聞いたことない?
あれ、実は違うらしいよ。
ローマ軍がそんなことしたって記録はどこにもないんだって。
塩を撒くってのは、古代からある都市破壊の儀式みたいなもんで、実際にやったってより、象徴的な意味合いが強いみたい。
真実は、後の時代にローマの権威を貶めるために作られた、ただの作り話。 ローマのやり方はもっと巧妙だったってこと。
644: 09/06(土)11:52 ID:0(644/652) AAS
(⚫︎ω・`)<どうせ撒くなら、お金とか餅が良いなぁ
645: 09/06(土)14:13 ID:0(645/652) AAS
バブル時代に「日本≒カルタゴ」論がいろいろ言われていたな
646: 09/06(土)19:06 ID:0(646/652) AAS
>>640
AI作文をコピペする白痴。
647: 09/07(日)17:52 ID:0(647/652) AAS
ウムウルさん元気そうだね
またいろいろ書き込みしてください
648: 09/13(土)11:12 ID:0(648/652) AAS
(⚫︎ω・`)<FE新作にカルタゴっぽい都市が出るって、ま?
649: 09/13(土)11:15 ID:0(649/652) AAS
(⚫︎ω・`)<来ましたね、カルタゴの時代
て事はよ?
その都市の統治者のモデルは俺だったりする?
650: ウムウル 09/13(土)16:10 ID:0(650/652) AAS
おまいは勝ってる時代は
ずっと下っぱだったので、、、
651: 09/16(火)20:00 ID:0(651/652) AAS
(⚫︎ω・`)<下っぱ言うな
一応将軍やぞ
652: 09/24(水)18:44 ID:0(652/652) AAS
こんな奴がいる国から10年間ビザ無しで来るのか?
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