河出書房の奇想/国書刊行会の冒険/晶文社の追悼 7 (781レス)
河出書房の奇想/国書刊行会の冒険/晶文社の追悼 7 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1617161113/
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625: 名無しは無慈悲な夜の女王 [sage] 2024/03/27(水) 01:40:58.37 ID:ltgatgjP >>622 後半、説明になってませんよ あと、あなたはずっとそうだけど、まず最初から日本語の作品と海外翻訳を一緒にして考えるをいい加減にやめませんか? 今では普通は使わない言葉や言い回しが翻訳に使われてるのは「時代錯誤」であって「語彙が豊富」ではない(原作者の考えじゃないんだから) 旧訳ファンは好きならそれを読んでればいいが、新規読者を無意味に狭める読みにくい要素はない方が良い 実際に『未来のイヴ』には、齋藤訳を敬遠していたという感想がある(好きな人がいることよりも、そっちが問題) 日本文学を例えに使ってる時点で変なんだけど、補足 漱石が尊大さと滑稽さを意図して使わせてる「吾輩」と、訳者が元の一人称に無いニュアンスを加えた「吾輩」では意味が違う 「I am a cat」の訳だとしたら、「吾輩」の方が訳者が勝負に出たなという感じで、やりすぎの恐れもある 実際に「吾輩」をプレーンな「私」にした改訳の『泰平ヨン』の方が、ユーモアと時にシリアスなSFアイディアのぶつかり合いをしっかりと楽しめる 語り手の立ち位置を考えたら「吾輩」より相応しいのではと、「小生」に変えた『ほら吹き男爵』の新訳では、イメージが変わるので「この人物ならこの場面でこう話しそう」と読者が気にいった方を選べばいい だけど、どんどん新訳が出されなければ、そもそも選べないのよ http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1617161113/625
631: 名無しは無慈悲な夜の女王 [sage] 2024/03/29(金) 13:09:38.72 ID:LMLImnm2 >>625 > 最初から日本語の作品と海外翻訳を一緒にして考えるのをいい加減にやめませんか? こちらからすれば、日本の作家の文章と翻訳の文章を分けて考えるから話がおかしくなると考えている。 まず結論から言うと、現在私たちの使っている言文一致体というものが、そもそも明治期の翻訳文を元にしている。 国語の授業で、二葉亭四迷『浮雲』を日本最初の言文一致体で書かれた小説と習った人もいるだろうけど、その後の作家たちに大きな影響を与え現代文にまで引き継がれてきたのは、むしろ彼の翻訳したツルゲーネフ『あいびき』の文章だった。 二葉亭の「浮雲」も「あいびき」も青空文庫に登録されているので、(どちらが現代文に近いか)両者のさわりを読み較べてみればすぐに納得できると思う。 若い作家たちが「あいびき」に強い衝撃を受けたのは、それが初めて見る口語の逐語訳であり、彼らがすぐに飛びついたのは、それが自分たちの求めていたリアリズムに感じられたからだという。 谷崎潤一郎も、『現代口語文の欠点について』で次のように記している。 要するにわれわれの書く口語体なるものは、名は創作でも実は翻訳の延長と認めていい。故有島武郎氏は小説を書くときしばしば最初に英文で書いて、然る後にそれを日本文に直したと聞いているが、われわれは皆、出来たらそのくらいなことをしかねなかったし、出来ない迄もその心組みで筆を執った者が多かったに違いない。 それは努めて表現を清新にするための手段でもあったけれども、正直のところ、美しい文章、ひびきのいい文章、――ということよりも、先ず第一に西洋臭い文章を書くことがわれわれの願いであった。 斯くいう私なぞ今から思うと何とも恥かしい次第であるが、可なり熱心にそう心がけた一人であって、自分の文章が英語に訳し易いかどうかを始終考慮に入れて書いた。 谷崎の時代はそうかも知れないけど、今は違うでしょと言う人もいそうだけど、村上春樹が出てきた当時も、ハルキは英文タイプで下書きした文章を日本語に直しているらしいなんて噂があった。(実際には、効率が悪くてすぐにやめたらしい) つまり、まだ村上春樹の世代でも、やはり西洋くさい文章をカッコイイと感じそんな噂をする人たちがいたということになる。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1617161113/631
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