もし信長が元親と協調路線を取っていたら (52レス)
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1: 2023/09/05(火)03:30 ID:7Thb9WXj(1/12) AAS
織田軍盟主の織田・長宗我部合同軍で伊予を下して、長宗我部に伊予を譲り、そのかわり讃岐・阿波を織田の管轄地とし、本能寺の変も起こらず、各方面も粛々と進攻が進んでいったら、どのような展望が待っていたのか。
2: 2023/09/05(火)04:08 ID:7Thb9WXj(2/12) AAS
俺が思うに、信長が斃れたのは、この四国の不始末に問題があったと思う。
長宗我部との協調路線を守り、明智の面目を保ち、十河には伊予侵攻後に織田家から付け家老を三人くらいつけて阿波に入ってもらい、讃岐を四国における織田の前線基地とし、あとは中国侵攻に力を入れれば自然と長宗我部を徳川化できただろうし。
柔軟にいけば、決して寝首を掻かれるような、決して難しい局面ではなかったと思うのだが。
3: 2023/09/05(火)05:59 ID:7Thb9WXj(3/12) AAS
中国戦線は信長本隊が侵攻をし、宇喜多・長宗我部にもそれぞれ挟撃させ、最終的には毛利を降伏させ、周防・長門に封じる。
それで、恩賞として、長宗我部には安芸一国、宇喜多には備後一国を与え、瀬戸内海の制海権は何としても村上を支配下に置いて(多分、これが一番難しい)、山陽道を外様大名家で固め、織田本家は海外との交易が盛んだった山陰道を抑え、九州征伐を主に外様大名衆に任せて勢力の拮抗を保つ。
4: 2023/09/05(火)07:47 ID:7Thb9WXj(4/12) AAS
九州征伐の後は、秀吉を筑前筑後、豊前に封ずる。また、弟の秀長に肥前中東部を任せて、別家を立たせる。
親中央政権であろう大友には豊後一国を安堵し、秋月等小大名は軒並み肥前の海岸線に転封。
その際、平戸と後の長崎になるであろう良港は肥前の羽柴秀長が監督とし、筑前の羽柴秀吉の博多との相乗効果で対外貿易策を推し進める。
論功行賞で、毛利を周防・長門から肥後一国に加増転封。残った周防・長門は石見の西部とともに明智光秀の所領とする。
なお、出雲松江城に織田一門の蒲生氏郷を西国探題として配置し、東石見・出雲・伯耆を領する。この際、石見銀山は当然織田家の名代として蒲生家が監督管理をし、日本海交易で海外との交易を強化する。
5: 2023/09/05(火)08:11 ID:7Thb9WXj(5/12) AAS
南九州は、長宗我部に論功行賞として日向をあてがうのだが、ここはあくまで明智の次子を長宗我部の娘に婿入りさせ、惟任日向守氏(長宗我部氏)を立てさせる。
明智宗家は、新たな官職を得て、周防山口を本拠とし、両国経営を行う。
また、関門海峡を挟んで、明智と羽柴にせめぎ合いをさせる事で、強大譜代勢力の削ぎ合いを促進させる。また、羽柴兄弟を分家させることで、秀吉の牙を抜く。
長宗我部も、海を隔てた安芸国は分国にならざるを得なく、分家として二つにわれる。
残った薩摩・大隅は、史実通り、降伏した島津に安堵させる。
7: 2023/09/05(火)09:39 ID:7Thb9WXj(6/12) AAS
>>6
俺が言いたいのは、本能寺の変の四国説に起因する、長宗我部氏との折衝の問題で、仮に四国討伐(長宗我部侵攻)が明智の謀反を誘発したのだったら、の話。
そらたしかに戦略的に考えればまどろっこしいかも知れんけどさ。
8: 2023/09/05(火)09:46 ID:7Thb9WXj(7/12) AAS
もともと信長は、四国のことは元親に任せるって長男に信の字も与えて中国戦線に力を注ぐ方針だったのに、急に方向転換しての四国征伐。
すぐに討伐できる程度の土地なら、わざわざ出向かず、ほっといて、本道の中国戦線に力をまわしていたら、の話。
9: 2023/09/05(火)09:52 ID:7Thb9WXj(8/12) AAS
ちなみに、すぐに討伐できるとは言え、史実通り、信孝と丹羽長秀もろもろだけを差し向けたのだとしたら、間違いなく甘い。
さすがに長宗我部はそこまでザコじゃない。最低一年と半年はかかる。甲斐侵攻とは訳が違う。
今度は丹波長秀が佐久間、林に続くw
11: 2023/09/05(火)10:29 ID:7Thb9WXj(9/12) AAS
>>10
そんな『武』の丹羽なら何故本能寺の変のときに、一番ベストポジションかつ、十分対抗できる軍備の整った大軍を率いてたのに、明智に立ち向かわなかった?
丹羽が吏僚だとは言わないが、いざとなった時の統率力は史実もみても明らかだ。
島津弱いは単なる10倍近くの兵力で押したがわの強者の理論だし、長宗我部だって、総大将を勤めてた訳ではない。
一次資料の評判や単純な勝敗だけで武将を評価するものじゃない。
12: 2023/09/05(火)10:35 ID:7Thb9WXj(10/12) AAS
ちなみに、戸次川の戦いでは仙石の強行策を必死で止めようとしていたのが、長宗我部元親だ。
13: 2023/09/05(火)11:29 ID:7Thb9WXj(11/12) AAS
ともあれ、主題は武将の評価ではない。
信長が四国計略について柔軟路線を取り、明智の謀意も起こさせず、そのまま歴史が進んでいったらどうなっていたのか、それに興味があるのだ。
また、あるいは四国征伐について、はたしてあの時点の織田家にわざわざ四国丸ごと侵略する必然性があったのか、そこについても問いたい。
俺は個人的な意見だが甲斐侵攻にて、いとも容易く武田氏を滅亡させた信長が味をしめてしまって、本来なら無駄な労力を省くであろう信長の性質に反して安易に挙兵を思い至った、所謂今川義元的な、最後の英雄の油断のようなものを感じる。
15: 2023/09/05(火)20:36 ID:7Thb9WXj(12/12) AAS
>>14
官職から最終知行地をあてがえたが、秀吉の筑前はともかく、明智の日向は、最終知行地としてあまりにも相応しくなく、苦肉の策だw
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