バトルフィーバーJ その16 (919レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
747: (ワッチョイ 912b-VFA4 [240a:61:5036:a8d:*]) 2024/09/08(日)12:10 ID:jhX6XWgg0(1) AAS
 そして、さらに特殊でその後見られない設定があったのが、1979年から放送された『バトルフィーバーJ』です。本作には、各国の「ダンス」の要素が取り入れられていました。タイトルに「フィーバー」の名がつく通り、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本でも1978年に公開され、世は空前のディスコブームでした。また「フィーバー」という言葉がひとり歩きして、流行語にもなっています。
 ただ、作中では、メンバーが各々名乗りをあげるときのポーズにダンスの要素があったものの、バトルには特にダンスは取り入れられていません。実は企画段階では、ダンスの動きが闘いやアクションの源という、もっとダンスとバトルが融合した作品になる予定だったようです。
番組プロデューサー平山亨氏の著書『泣き虫プロデューサーの遺言状』(講談社)によると、当初、東映テレビ事業部部長だった渡邊亮徳氏は、戦隊メンバーがそれぞれの国のダンスを踊って出てきて、ダンスがアクションの源になることに納得していました。
 しかし、その後について同書では、「初号試写の時、亮徳さんが『踊りってのは何ごとだ。そんな軟弱なもの』と怒りだした。『ダンスの名手ってのは強いんだ』と説明したが、『俺は気にいらねえ」』。(中略)仕方なく踊りの部分をカット。その結果、ポーズの意味が判らなくなってしまい残念。頑張っていれば踊りからくる新しいアクションの可能性が開けたかもしれない」と語られています。渡邊氏の一言で、ダンスでバトルする斬新な設定を、活かしきることができなかったようです。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.041s