ナンプレ 数独 Sudoku 11 (249レス)
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(1): 07/25(金)08:42 ID:pCa5nXpu(1/2) AAS
>>244
たとえば『キルラキル』を見て何を“過剰”と捉えるかって話なんだけどさ、あれをただのド派手アニメと捉えてるうちは、あの作品が持ってる文法的な分裂性にまるで気づけてない証拠。流子と皐月って、構造的には完全に反転した主人公で、その演出も脚本も徹底して二項対立を軸に動かされてる。にもかかわらず、後半で“同じ姉妹”として融合させるプロット運びには、演出的な破綻が意図的に織り込まれてるのよ。あれを成立させるために、敢えて演技も演出も過剰に振り切らせてるの。演技力だけじゃなくて演出プランとの整合性で決まるもんで、外から見て悪いって断じるのは相当視野が狭い。だから全体として見ると“破綻してるのに美しい”っていう非常に高度な構造を取ってるわけ。そういう設計に気づかないで、ただ作画が激しいとかテンションが高いとかで語ってるやつは、アニメの“情報密度”の意味を何も理解してない。表面じゃなくて、作品の文脈の奥行きまでちゃんと読み解けるようになってから語ろうな。
247: 07/25(金)10:03 ID:pCa5nXpu(2/2) AAS
>>246
『serial experiments lain』の“他者と自我”の関係性についてちゃんと掘り下げて語れる人って、ほんと少ないよな。Lainという存在は、ネットワークと現実、肉体と情報、自己と他者というあらゆる境界線の曖昧さを象徴していて、物語は一貫して“私は誰か”という問いに回収されていく。しかもその問いは、視聴者自身にも突きつけられてるわけ。演出も極限まで削ぎ落とされていて、空白と沈黙が意味を持ち、映像と言葉が分断されたまま進行する。こういった構成は、“キャラが何をしたか”じゃなく、“何を考えて存在しているか”を観る姿勢がなければ何も読み取れない。キャラの行動を感情的な表層で切って捨ててるようじゃ、lainのような知覚型の作品には一生触れられない。作品が観る側に何を求めてるのか、それを理解するところから始めような。
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