[過去ログ] 【イエス】万人救済 16【キリスト】 (1002レス)
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13: Milet ◆7qn.J6Jvj6 07/07(月)17:59:54.73 ID:wb7xGU+5(13/32) AAS
カトリック東京大司教区
外部リンク:tokyo.catholic.jp›archbishop›message
2022/08/30 —

罪を犯して出て行ったのは人間の方なので、あの最初の状況、つまり、すべての人が神のもとで一緒に生きているような状況をまた創り上げたい、そのためには、「あの人この人」ではなくて、すべての人がそこに救われて神とともに生きるようなことにしたいわけです。

「救われる者は少ないんですか、多いんですか」という質問は、イエスにとって全く意味がない質問なんですよね。救われる人はすべての人のはずなんです。すべての人を救いたい。でも実際には、救われないようにしているのは、神の側、つまり神が選択をしているのではなくて、人間の側が離れていってしまっている。

教皇パウロ6世が第二バチカン公会議の後に「福音宣教」という文書を出したんですけれども、その中に「神は何らかの方法ですべての人を救うでしょう」と書いてあるんですね。つまり、わたしたち人間が何もしなくても、神は人間を愛しているので、何らかの方法で人間を救おうとするだろうと書いてあるんですね
21: Milet ◆7qn.J6Jvj6 07/07(月)18:48:57.73 ID:wb7xGU+5(19/32) AAS
神は創造主としてすべての中心に存在します。
人の中心に永遠に存在する神は万物の中心に存在し、
外の世界を愛で抱擁しておられます。
人が存在の中心に神を認めることができないときのみ、
人は人間中心に陥り、正真正銘の偶像崇拝に堕落します。
神を知る前の私は自分しか思いませんでした。
今の私は神しか思いません。
省10
190: 07/15(火)08:03:11.73 ID:Zh9CL1VM(4/8) AAS
己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ

出典
論語(ろんご)・顔淵(がんえん)―論語(ろんご)・衛霊公(えいれいこう)

意味
他人からしてもらいたくないことは、自分も他人にしない。自分がいやなことは、他人もいやなのだからしないことである。
BEアイコン:25cie.png
317: 07/23(水)00:20:01.73 ID:jG6uJOjh(1/3) AAS
匿名で幾ら荒らされても何にも思わないよ
仕事してないとそんな当たり前も理解できないんだな
427: 07/30(水)14:59:21.73 ID:pdUvr23k(4/10) AAS
>>423
他者への裁きが凄いですね。
462: 拒否柴 08/01(金)16:51:29.73 ID:Qeayls6P(1/2) AAS
外部リンク:limo.media
663: 08/07(木)22:36:25.73 ID:Rxdn683s(2/12) AAS
梨々香
BEアイコン:25hu7.png
698
(1): メシア 08/11(月)19:12:41.73 ID:Yl6jKpyQ(3/3) AAS
姦通罪廃止は間違っている。
廃止にしたことで他人の妻と不倫する男が増えている。刑法は善悪の知識を国民に与える。

男女同権は間違っている。

一夫一妻制も間違えているが、これに関しては吟味が必要。

自分らしさ政策は間違っている。

女性参政権は間違っている。
省2
831: きなり 08/12(火)23:41:28.73 ID:QkoQDxAP(10/12) AAS
>>818
まちこさんは本当の心の祈りを拒否しました。
そう言う事です。
918: 08/16(土)08:03:11.73 ID:8KAMdp/3(8/8) AAS
おおよ!
988: 神の奴隷 ◆7iTzTsrJ.Q 08/18(月)19:25:34.73 ID:U1xUmoAl(14/16) AAS
ルルドはフランスにあり、ピレネー山脈に囲まれている。1858年、13歳の貧困で喘息を患う少女ベルナデッタ・スビルーは、2月11日から7月18日の間に、マッサビエルの廃墟の洞窟で聖母マリアを18回見たと主張した。今日、ルルドは奇跡的な治癒で知られている。

疑問: それは聖母マリアだったのか?
ベルナデット・カステロは、1858年3月25日にその女性が自分は無原罪の宿りであると述べるまで、ベルナデットはその女性が誰なのか知らなかったと証言している(69ページ)。無原罪の宿りとは、マリアは原罪なしに宿り、したがって罪のない人生を送ったというカトリックの教義を指す。

ベルナデットはヴィックの司祭に聖母マリアを見たと話したが、ほとんどの場合、それは「あのかた」、「霊」、「幻」あるいは「レディ」であると慎重に言った(154ページ)。彼女はその話を何度も語った。数年後、ヌヴェールのサン・ジルダール修道院にいたときも、彼女は聖母マリアではなく「レディ」を見たと言った(155ページ)。

1860年に、ベルナデットはまだその幻影を「あのもの」、つまりアクエロaquero と呼んでいた(155ページ)。アズン・ド・ベルネタスによる対談において。彼女は、幻視の間、アクエロの存在にすべての注意が奪われ、幻視の間に何が起こったのか、自分が何をしたのか、ほとんど何も話せないと彼に話した(155ページ)。
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