ヘーゲル・スレ Part2 (580レス)
1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

1: 2022/01/29(土)10:45 ID:0(1/580) AAS
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

出身地:ドイツ シュトゥットガルト

生年月日:1770年8月27日

死亡年月日:1831年11月14日(享年61歳)

ドイツの哲学者。ドイツ観念論を完成させた思想家。
省1
2: 2022/01/29(土)10:45 ID:0(2/580) AAS
前スレ

ヘーゲルスレがなくね?
2chスレ:philo
3: 2022/01/29(土)11:10 ID:0(3/580) AAS
ヘーゲルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

外部リンク:colorfl.net
4: 2022/01/29(土)11:13 ID:0(4/580) AAS
誰も来ないから
また自演が大変だ・・
5
(1): 2022/01/29(土)11:19 ID:0(5/580) AAS
自演も何も、前スレは5年半かかっている

学問板では普通だろ
6: 2022/01/29(土)12:11 ID:0(6/580) AAS
>>5
ワロタ
長い間お疲れさまでした。

ネット時代だしどっかで発表したら?
書きこんできたのがモッタイナイじゃん
7: 2022/01/29(土)12:12 ID:0(7/580) AAS
あ、ここも一応ネットだけど
5ちゃんはもう誰も来てないからね

ノシ
8: 2022/01/29(土)12:12 ID:0(8/580) AAS
それではパヨクとネトウヨが喜びそうな話題を取り上げましょう。
前スレ
996 ヘーゲルとマルクスといえば、黒田寛一
998 まさに黒田寛一みたいなのがゴミの典型として考えていた
9: 2022/01/29(土)12:20 ID:0(9/580) AAS
自分が乱立させたクソスレを一斉に削除されたからといって、5chを恨むのはイカガなものか

それこそ、自業自得というものだ
10: 2022/01/30(日)12:07 ID:0(10/580) AAS
理性的であることが自分にとって合理的であるわけではない。

例えば、自分が病気にかかったとして、その病気の治療を望んでいるが、
現在まだ、その治療法が確立されていない場合、それでも何もしないより
ましだと考えて、効果があることが実証されておらず、医薬品として
認可されていない治験薬を、臨床試験の一環として自己責任で投与して
もらうことに合意する場合がある。しかし、臨床試験なのだから、
統計データで効果を確認する必要があり、そのためには比較対象で
省15
11: 2022/01/30(日)12:13 ID:0(11/580) AAS
そのような「合理的であるかどうか不明」な「正しい」判断をすることが、
「理性」であると説得される場合が、治験薬の場合に限らず、現実の生活
の判断においてはとても多く、それを躊躇したり、「正しくない」判断を
すると、しばしば、「理性的でない」と非難される。無論、説得をしよう
とする方にとっては、相手がそのように「正しい」判断をすることが
完全に「理性的」であるとしても、つまり、その説得に嘘がないとしても、
そのことによって、その「正しい」判断をすることが、相手にとって
省1
12: 2022/01/30(日)12:17 ID:0(12/580) AAS
本人にとって重要なのは、その判断に従ったことによってもたらされる「結果」
であり、もたらされた「結果」が吉であれば、判断は「正しかった」ことになり、
「結果」が凶であれば、判断は「間違っていた」ことになる。
13: 2022/01/30(日)16:30 ID:0(13/580) AAS
マルクスはヘーゲルを理解してないだろ
『経済学・哲学草稿』『ドイツイデオロギー』見ても表面をかすってるだけ
キルケゴールにしても同じ
彼らは哲学の完成をヘーゲルにおいて直観したが
哲学の限界も直観したゆえに、マルクスは客観的現実(社会)に
キルケゴールは主観的現実(実存)に定位してそこからヘーゲルを否定した
14: 2022/02/02(水)08:26 ID:0(14/580) AAS
人類を歴史上はじめて物質的稀少性から解放した資本主義とその担い手として
自信をつけた市民階級がそれまで支配的だった貴族階級を打倒して
自由と民主主義の近代国家を樹立したが、実際に実現された国家は
資本主義の家畜としての貪欲という人生の目的を与えられた疎外された大衆社会
有限な地球環境の中で無限の欲望を追究するシステムの資本主義の限界が
誰も目にも明らかになっているのにどの国家も解決し得ない
そうこうするうちに人間は欲望する機械(フーコー)
省4
15
(1): 2022/02/02(水)08:45 ID:0(15/580) AAS
資本主義批判としてのみ価値のあるマルクスの系譜(フランクフルト、ハバーマス)も何の力もない
批判と言うのは誰でもできるからだ、真に難しいのは、本質にまで遡って真理を把握する事
そこで出て来る結論は歴史は終わったということだろう
16
(1): 2022/02/04(金)13:00 ID:0(16/580) AAS
金子武蔵が『精神の現象学』の解説の末尾でマルクスを最大限持ち上げているのは
いかに当時マルクス主義が学者の良心を侵食していたかの証
17: 2022/02/04(金)19:02 ID:0(17/580) AAS
>>16
良心があるから、マルクスに傾倒したんだよ。
いまの人は良心がないから、マルクスを否定することに注力して、保守右翼政権の補完物になってる。
18
(1): 2022/02/04(金)19:34 ID:0(18/580) AAS
正直言って、マルクス研究者、マルクス学者の中でも有名な人ほど、
マルクスを若干否定している感じがあるのは気のせいか?
19: 2022/02/04(金)20:07 ID:0(19/580) AAS
>>18
気のせいだよ。
ソ連や中国に対する批判と混同してるんだろう。
20: 2022/02/04(金)20:42 ID:0(20/580) AAS
となると、廣松渉や佐々木隆治も食わず嫌いせず読んどいたほうがいいのかなあ。
なんか両者共に独自性がありすぎて、
細かいところではマルクスの世界観から外れてそうだと感じるのは、
気のせいだと思いたい。
21: 2022/02/05(土)13:37 ID:0(21/580) AAS
ヘーゲルの解説について、例えば彼の弁証法のことであるけれど、ある解説書(タイトルは忘れた)においては「大福」(テーゼ)とそれに対立する「苺」を止揚することによって「苺大福」の概念が作り出されるとしていた。ヘーゲルの言う「止揚する」というのが「足し算する」ではないことは、ヘーゲルがそれを「否定しつつ保存する」として表現したように明らかであろう。

その解説書においては「ある概念をより優れた概念にする」ことを弁証法の肝要にしているように見える。仮にそうであるならば、概念は我々の自然的な「発見」ではなく想像的な「想造」によるものと言えるだろう。自然法則は専ら前者(発見)にあたる一方で社会的価値は後者(想造)にあたるように思われる。

止揚された帰結「苺大福」は、さて、社会的価値として私たち価値の想造者と対応するものではないだろうか。そうでなければ、単に「洗練された概念」として解説書で説明されるような概念は、はじめの概念「大福」とどのように差異があるか(同一があるか)を未だ説明しないだろう。(もしかすると学校教科書の説明の弁証法の図式の再説明かもしれない)

社会的価値はその想造者を通して自らを展開する。洗練された「苺大福」の概念には、例えば「犬」の概念が柴犬や秋田犬といったバリエーションを支えるように、概念とバリエーションの相補性の観点を付け加えるべきではないかと思われた(部分的な読書だから実際には書かれてあるかもしれない。その場合はゴメンナサイ)
22: 2022/02/16(水)07:13 ID:0(22/580) AAS
大金持ちの家でない限り、自分の糧は自分で稼がねばならない
そこでどこかのゲゼルシャフトに所属して働くことになるが
集団と言うのは支配者がおり、その支配者の思想・傾向が
その集団の思想・傾向となる
例えば、会社というのは、大小それぞれとも、その支配者・経営者は
金と権力を追求することが人生の目的と見なしている連中で
決して道徳を目的とはせず、ましてや真理追求などとは全く縁遠い俗物である
省6
23: 2022/02/16(水)07:36 ID:0(23/580) AAS
哲学と道徳は真理において一致する
ヘーゲル論理学において善の理念は最高の契機(内容)である
その上に絶対的理念というのがあるけれど
それはそれ以前の契機を総合したものとして、それ自身は無内容である
しかし善は、それを知っただけでは善としては未完成である
善は、実行を促し、実行してこそ善となる
即ち善は自己を止揚しなければならない
省1
24
(1): 2022/02/25(金)00:10 ID:0(24/580) AAS
簡単にいうと、ヘーゲルは世界(自然)の運動法則(発展法則)を説明した人。

そして人間の意識はこの自然や運動法則を能動的に反映し認識していくことができる
ものであることを指摘。
この場合、人間の意識も世界の運動に合わせて運動・発展していくものであり、
このときの態様やメカニズムを論理(弁証法的論理)として説明した。

客観的実在を認める点では唯物論者であり自然科学的態度の人。
人間が客観的実在や真理を認識できるとした点では不可知論とは一線を画する。
25
(1): 2022/02/25(金)08:28 ID:0(25/580) AAS
ヘーゲルは本人も言っているように観念論だよ
ただしスピノザやライプニッツのようなカントによって否定された観念論ではなく
カントを踏まえた観念論
自然の存在は認めはするが、自然は真理とは程遠い存在にすぎないという位置づけ
真理は、感性的、直接的に捉えられるものではなく、概念によって捉えるもの
普通、我々現代人は、科学的思考を学校で教え込まれて来たから
自然の認識や数学的認識が一番確実なものと信じ込んでいるが
省5
26: 2022/02/25(金)20:42 ID:0(26/580) AAS
>>25
ヘーゲル哲学はカントへの批判から始まってる。

>>24に賛成。
27: 2022/03/06(日)12:44 ID:0(27/580) AAS
直接性は時間と空間の形式によって把握され、その実在(リアリティ)はあくまでも媒介されたものとして現れる。その点でカントは自体存在を保持していたことをヘーゲルに批判される。
28
(1): 2022/03/07(月)07:27 ID:0(28/580) AAS
いやしくも哲学をしようとするなら、現代に対する問題意識を常に念頭に置くべきだろう
ヘーゲルと言う200年前のドイツの哲学を学ぶにあたって
現代の、この日本の精神的状況と対比して、理解しなければ意味がない
現代社会の、国際的にも覆い尽くしている思想は、経験論を基礎にした功利主義だと言っても過言ではない
ベンサム流の最大多数の最大幸福を追求することだろう
しかし功利的利害によって道徳的善悪を置き換えてしまえば、正義の客観的考察が抜け落ちてしまい
ひいては道徳の根拠、宗教も廃れてしまう
省2
29
(2): 2022/04/03(日)21:16 ID:0(29/580) AAS
知泉書館の全集てドウヨ?
30
(2): 2022/04/04(月)20:41 ID:0(30/580) AAS
>>29
今のところ、政治的には一応無色透明かと。
岩波版全集の注釈のように、大論理学を資本論に直結させる、といったような方向での「色づけ」は見られない。
しかし、ナショナリズム、全体主義を正当化する論理へと誘導していくようなウヨでもない。
31
(1): 2022/04/05(火)21:27 ID:0(31/580) AAS
>>30
政治的に無色透明であるということは、現政権の容認。
32: 2022/04/05(火)22:11 ID:0(32/580) AAS
こいつ、顔面力で言えば哲学者最強やろ
33: 2022/04/05(火)22:16 ID:0(33/580) AAS
>>28
経験論ってそういう風に批判されがちだけど、
合理論と経験論、演繹と帰納は両輪で回らないと哲学というか学問は成り立たないと思う。
34: 2022/04/06(水)00:04 ID:0(34/580) AAS
>>29-31
お前ら、話が噛み合ってないんじゃないか?

>>29が言いたかったのは「どウヨ(超右翼)」じゃなくて、「どうよ(どうなのよ)」じゃないのか?
それを>>30が誤解して、「政治的に右翼かどうか」を論じ始め、>>31がそれを追認しているんじゃないのか??
35
(1): 2022/04/06(水)00:40 ID:0(35/580) AAS
文脈から見て、「無色透明」とはそれについての否定的本質を言っているように見えるし、それを理解出来ていたら「現政権の容認」なんて言えないでしょうねえ
36: 2022/04/06(水)00:48 ID:0(36/580) AAS
特定のどれでもないということはどれでもある、ということになるからある意味で合ってると言えるか
37
(1): 2022/04/07(木)19:49 ID:0(37/580) AAS
>>35
「無色透明」な思想も解釈もあり得ないということだね。
人は自分の立場を肯定して生きているから。
このスレではなじみがないだろうが、宇野弘蔵はそれを自覚していた珍しい経済学者。
38
(1): 2022/04/12(火)08:28 ID:0(38/580) AAS
唯物論者が、ヘーゲルを踏まえて理論構築をしているというなら
「闇の中の黒い馬」のように精神は見えないと言えば正しかった
ところば弁証法的唯物論者は全体的なものが自分には透見出来ると主張する
イデアリズムの唯物論は間違っている
ノミナリズムの唯物論はイデアリズムの観念論と同等に
哲学史上に一つの地歩を占めることが出来るが
イデアリズムの唯物論の哲学史上に占める地位はない
39: 2022/04/12(火)10:45 ID:0(39/580) AAS
>>38
精神もまた、言葉や行動によって表れる。
40
(1): 2022/04/15(金)22:12 ID:0(40/580) AAS
>>37
完全に中立であること(「無色透明」)は不可能だけど
それでもそれを目指すのだ、という立場を取ることは可能だと思う
41
(1): 2022/04/15(金)22:29 ID:0(41/580) AAS
>>40
そのためには、まず中立とはなにか、ということを考えないといけない。
政治的な立場だけ見ても、右とはなにか左とはなにかということが分かっているわけではない。
右と言っても左と言っても中立と言っても、それぞれの価値観に過ぎないということでもある。

うのが心掛けたのは中立になるということではなく、自分は現状の価値観の中にいるという、自分の価値観の自覚のこと。
42
(1): 2022/04/15(金)23:58 ID:0(42/580) AAS
>>41
その自分の価値観の自覚というのも不可能だと思うけどね
まあそれでもそれを目指すという立場を取ることはやはり可能だけど
43
(1): 2022/04/16(土)09:10 ID:0(43/580) AAS
>>42
カントもそうだが、ヘーゲル哲学もまた自分の価値観の客観性を確認するためのもの。
哲学というのは支配の学問ではあるが、その支配の客観性(=正当性)を構築するもの。
だから、その中の誤りを見つけ出せば、価値観の客観性に一歩近づく。

たとえばマルクスは、「資本論」でそれを徹底したとも言える。
44
(1): 2022/04/16(土)10:23 ID:0(44/580) AAS
>>43
そうして彼らは皆、哲学をすることで、価値観の客観性から一歩後退するわけだ
完璧な体系の構築というのもまた不可能だからね
45
(1): 2022/04/17(日)10:20 ID:0(45/580) AAS
>>44
価値観の客観性というのは、たとえば自分や他人がなぜその価値観を持っているのか、という問いかけからはじまる。
現実と価値観がどう結びついているかということを解明しようとする。

ヘーゲルは、”神”を設定することで、言い換えれば現実は”神”が作ったものという考え方をすべての現実に当てはめて見せて、”神”に近いほど価値が大きいと主張した。
マルクスは、”神”が現実を作っているのではなく、自然と人間が現実を作り、その中で価値観は経済的な立場の要因が基本になると証明して見せた。
46
(1): 2022/04/17(日)11:54 ID:0(46/580) AAS
>>45
そんなことはもう言われなくてもわかっているが、それがどうした?
そのことのどこがこちらの主張(その種の探究は不条理である、という主張)への反駁になっているというのだ?
47
(1): 2022/04/17(日)16:00 ID:0(47/580) AAS
>>46
>その種の探究は不条理である、という主張

どこが不条理だと思うの?
48
(1): 2022/04/17(日)21:05 ID:0(48/580) AAS
>>47
結局、その種の探究というものは、ある価値観を自分の価値観(=自分という現実のあらわれに対応する価値観)だと断定したうえで、その価値観にも現実のすべてのあらわれにも整合的な体系を構築してゆこうとする試みであるわけだ
しかし、その結果として構築される体系は、その体系それ自体や、その体系において自分の価値観だと断定されている価値観が、"真に"現実に即しているものなのかどうかを、どうしても示すことができないと考えられる
というのも、その体系を構築するという行為や、ある価値観を自分の価値観だと断定する行為によって、現実もまた変わりうると考えられるからだ
それにもかかわらず、その体系は、それだけでありとあらゆるものごとを説明できるものとして与えられているがゆえに、そうした変化ないし変化の可能性に関心をもつことができない
したがって、その種の探究は、その目的(=現象の説明体系の構築)を達成することが絶対にできないと考えられる

つまり、現象の説明体系を構築せんとする営み、これを哲学とするならば、哲学は、それ自体が現象を変化させうるがゆえに、必ず失敗すると考えられる
省1
49
(2): 2022/04/18(月)08:26 ID:0(49/580) AAS
はじめから「現実と価値観は結び付いてる」なんて言ってたら、それはただの性善説的な世界観のお話。ヘーゲルの場合はそうではなくて、その無自覚な結び付き性を明らかにして自覚していくんだ。その点で「ヘーゲル哲学における『客観的な価値観』」にはこの結び付き性を考えることが欠かせない
50
(1): 2022/04/18(月)09:47 ID:0(50/580) AAS
>>48
>ある価値観を自分の価値観(=自分という現実のあらわれに対応する価値観)だと断定したうえで

断定もなにも、ある価値観は現実の自分の価値観であるか、現実の他人の価値観であるかのどちらかでしかないよ。
それが、”価値観”という言葉の定義で、なにか抽象的、一般的な”価値観”なるものが存在するわけではない。

>その体系は、それだけでありとあらゆるものごとを説明できるものとして与えられている

体系というのは”ありとあらゆるものごと”を説明しようとするものではなく、言ってみれば”ありとあらゆるものごと”をどう分類するかを切り分けていくもの。
これもまた、”体系”という抽象的、一般的なものがあるわけではない。
省3
51: 2022/04/18(月)09:49 ID:0(51/580) AAS
>>49
>「現実と価値観は結び付いてる」なんて言ってたら、それはただの性善説的な世界観のお話。

現実は性善説的な世界観とも性悪説的な世界観とも関係がない。
ただそこにあるだけのこと。
現実のないところに価値観は生じない。
52
(1): 2022/04/18(月)13:55 ID:0(52/580) AAS
>>50
まず、価値観について。
私は別に価値観の実在性を主張してなどいない。
言い換えれば「なにか抽象的、一般的な”価値観”なるものが存在する」なんて言っていない。
ただ、「君が言うように、「ある価値観は現実の自分の価値観であるか、現実の他人の価値観であるかのどちらかでしかない」としても、どの価値観が自分のものでどの価値観が他人のものかを正確に区別することなど、誰にもできない」という主旨のことを私は言っている。
要するに「何が自分の価値観かなんて分からないよね?」と言っているだけ。

次に、体系について。
省11
53
(1): 2022/04/18(月)16:50 ID:0(53/580) AAS
>>52
>どの価値観が自分のものでどの価値観が他人のものかを正確に区別することなど、誰にもできない

誰にでもできるよw
自分が、この”もの”や”こと”が大切だと思えば、それが自分の価値観。
他人の価値観が侵食しているという精神上の可能性はあることと、自分が個としての自分であることは別のこと。

>「”ありとあらゆるものごと”を説明しようとするもの」と「”ありとあらゆるものごと”をどう分類するかを切り分けていくもの」の違いがよく分からない(まったく同じものの言い換え表現でしかないと思えてならない)

哲学の体系というのは、ある一定の範囲でのことを切り分けて、その範囲の中での連環を説明しようとしていくもの。
省6
54
(1): 2022/04/18(月)17:42 ID:0(54/580) AAS
>>53
うーん…
どうやら君は私が提示した論点を把握できていない(というかそもそも把握する気がない)みたいだし、私も君の反論の主旨がどうしても読み取れない(返答しようにも今までに書いてきたことと同じ主旨のことしか書きようがない)。
現状では対話が成立していないし、今後もしなさそうなので、ひとまずここで君との議論は中断させていただきたい。
ただ、一つだけ言わせてもらうとすれば、思考というものの現象としての側面を完全に無視する君の考え方は、観念論ではなく、実在論だ。
それもかなり素朴なものだと言わざるをえないな。
55: 2022/04/18(月)17:54 ID:0(55/580) AAS
>>54
逆だよw

君があまりにも言葉の遊びが好きだから、それを一つずつ指摘してる。
言葉で遊んでる限り、ゼノンのパラドックスは解けないし、人間は存在しないということにもなる。

もちろん、実在とは素朴なものであるし、観念的実在論など論じるだけ無意味だ。
繰り返すが、いくら君が考えても、目の前のコップは動かない。

ちなみに、ヘーゲルはむしろ素朴実在論だぜ?
56
(1): 2022/04/18(月)19:31 ID:0(56/580) AAS
ヘ、ヘーゲルが、素朴実在論者とは、恐れ入った…orz
57
(1): 2022/04/18(月)19:38 ID:0(57/580) AAS
ヘーゲルは文体がキツイし仕方ない
というか「素朴実在論」の意味すら知らなさそうなのがちょっとね🤤
58
(1): 2022/04/18(月)20:47 ID:0(58/580) AAS
できれば高校生以下
せめて大学生であってほしいが
宇野弘蔵の名前を出してきたとなると…
59: 2022/04/19(火)08:38 ID:0(59/580) AAS
>>56
読めばわかるよw
60: 2022/04/19(火)08:40 ID:0(60/580) AAS
>>57
実在をそのまま実在として認めるのが素朴実在論。
というか、観念論者がものの実在を認めたくないから、実在を認める思考を勝手に素朴実在論とか呼んでるだけw
61: 2022/04/19(火)08:40 ID:0(61/580) AAS
>>58
君は、そこにあるコップが実在しないと思ってるの?
62: 2022/04/19(火)08:57 ID:0(62/580) AAS
ヘーゲルの哲学は、ものの実在を認めなければ成り立たない。
論理はすべて、ものの実在を前提にして進められている。
63
(1): 2022/04/25(月)09:06 ID:0(63/580) AAS
ま、まあ、そうね、科学万能主義って面白いわよね
ヘーゲルの哲学がそれだとは思えないけれど
64
(1): 2022/04/25(月)10:12 ID:0(64/580) AAS
実はその種の実在論者が科学的という訳ではない。そして同じくヘーゲルが素朴実在論者とも考えられない
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
それはさておき、ヘーゲルはニュートンの万有引力の法則などを用いて現象と法則の弁証法を展開したね
65: 2022/04/25(月)13:14 ID:0(65/580) AAS
>>64
実在というのは見えるものとか見えないものとかとは関係がない。
空想の中にではなく、現実にそこに存在すればそれが実在だ。

重力は見えないが実感することはできる。
重力波なのかどうかは知らないが、そこ(ここ)に実在することは確かだ。

アメリカ人の半数は、進化論を否定し、天動説を信じるとも言われている。
それが素朴実在論ではない観念論だ。
66: 2022/04/25(月)13:27 ID:0(66/580) AAS
>>63
ヘーゲルの自然哲学は、まさに科学としての素朴実在論だけど?
67
(2): 2022/04/25(月)23:37 ID:0(67/580) AAS
ヘーゲル哲学・自然哲学の内容どころか、「観念論」や「素朴実在論」といった基礎概念の意味も、そしてそれらよりさらに基礎的な「実在」という哲学用語の意味さえも、まったく理解できていない
それにもかかわらず自信満々に語れるところが凄いわね
科学を盲信するのはいいけど、その盲信に哲学者たちを巻き込まないで欲しいわね
68: 2022/04/25(月)23:45 ID:0(68/580) AAS
>>67
前にも書いたが、素朴実在論なる理論は観念論者の頭の中で作り上げただけの、”実在”しない理論w
観念論者は自分勝手な”哲学用語”をジャーゴンとして仲間内で使い回して、社会に通用しない自分たちを慰め合ってる。
いい加減に自覚しなさいね。
69: 2022/04/25(月)23:48 ID:0(69/580) AAS
>>67
人間が実践的に自然と交渉する場合、自然は直接的で外面的なものそのものであり、人間もまた直接に外面的な、したがって感性的な個体である。
(「エンチクロペディ」自然哲学序論)
こんな文章は暗記してると思うが一応引用しておくね。
70
(2): 2022/04/26(火)00:02 ID:0(70/580) AAS
その引用は、ヘーゲルがいうところの、自然に対する「実践的態度」の説明でしかないわね
ヘーゲルはその後の部分で、そういう態度を「感覚的個別性に拘泥するものだ」といって批判したのよ
『エンチクロペディー』から引用したのは偉いけど、その本ちゃんと最後まで読んだの?
71: 2022/04/26(火)00:05 ID:0(71/580) AAS
>>70
前にも書いたが、それがヘーゲルの自然哲学の大前提。
ものの実在を前提として理論を構築していくから”素朴実在論”だと言ってる。
そんなこともわからないのかよw
72: 2022/04/26(火)00:10 ID:0(72/580) AAS
>>70
反論があれば書いといてね。
僕は眠くなったから、また明日。
73
(1): 2022/04/26(火)01:04 ID:0(73/580) AAS
案の定、ありがちな勘違いをしているわね…

ヘーゲルの方法は「提示と批判が一体化」したものなのよ
つまり彼はね、哲学的な議論をするときにはいつも、まず彼が批判したい何らかの哲学的立場をいったん前提として提示するの
そしてその次に、「その前提に従って考えを進めてゆくと、どうしても綻びが出てきてしまい、結局はその前提を維持できなくなってしまう」と示すことで、その前提を批判するのよ
いつだってその繰り返しなの
74
(1): 2022/04/26(火)01:05 ID:0(74/580) AAS
もちろんこれは『エンチクロペディー』にもいえることだわ
確かにあなたのいうとおり、彼は自然哲学について論じるとき、最初にいったん実在論的な考え方を前提として置いてはいるわ
でもそれはあくまで、後でそれを叩きのめすために、仮にそうしているだけなのよ
したがって、彼が「ものの実在を前提として理論を構築」していっていることは、彼の立場が実在論的であることを、決して意味しはしないのよ
それどころかむしろ、彼の立場は観念論的であるということになるわけね
(実際彼自身も「自分の立場は「絶対的観念論」だ」と言っているわね)

残念だけど、あなたはまだまだ、ヘーゲルを読めるレベルに達していないと思うわ
75
(1): 2022/04/26(火)07:25 ID:0(75/580) AAS
「ものの実在を前提として理論を構築していくから”素朴実在論”だ」

この主張自体がものの「実在」に固執拘泥しているように見える。そして「理論」という言葉を用いるならば、またヘーゲルについて言うならば、何かしらの理論が何かしらの実在に受け返されるようにも言わなければヘーゲルの主張の半分未満しか述べられていないように考えられるがどうなんだろうかね
76
(2): 2022/04/26(火)07:28 ID:0(76/580) AAS
唯物論と素朴実在論ってどういう関係なんだろう。
「素朴実在論」ってカント的な、人間はモノに関しては現象しか認識できない
というテーゼを受けたものだよな?
77: 2022/04/26(火)09:08 ID:0(77/580) AAS
>>73>>74
君はヘーゲル読んでないだろw
解説本を読み散らかして、俗っぽいヘーゲル像を真に受けてるだけだもんね。
僕が引用した部分のあとの数ページだけでもいいから、自分で読んでごらんよ。
78: 2022/04/26(火)09:10 ID:0(78/580) AAS
>>75
そこにあるものを有ると認めるのが素朴実在論。
そこにあるものが実在しないと主張するのが観念論。
どこにもないものを存在すると主張するのも観念論。
79
(1): 2022/04/26(火)09:17 ID:0(79/580) AAS
>>76
そもそも素朴実在論なる理論は、観念論者の他を貶めたい藁人形論法であって、もともと存在しない。
唯物論という呼び方が適切だが、僕は観念論者に付き合って、”素朴実在論”と言ってあげてる。

カントについていえば、物自体という概念を設定したことが無意味の始まりだが、それを捨てればデカルト的経験論と倫理の融合になるだけとも言えるだろう。
ちなみにハイデガーは、その物自体の正体を追求しようとして空中分解した。
80
(1): 2022/04/26(火)13:13 ID:0(80/580) AAS
素朴な思い付きだけど、
カントとヘーゲルを対比するとしたら、
前者が二元論(物と物自体、形式と内容)で、
ヘーゲルが一元論(唯物論、精神駆動、国家主義)という感じ?
81
(1): 2022/04/26(火)18:15 ID:0(81/580) AAS
>>76
関連する存在論的諸概念の定義を整理するとしたら、こんな感じになるかしら

・実在論:現象の実体を実在とする立場
 ・唯物論   :実在論のうち、実在の性質を物質的とする立場
 ・観念実在論 :実在論のうち、実在の性質を観念的とする立場
 ・素朴実在論 :実在論のうち、現象の有様を実在の性質の反映とする立場
・観念論:現象の実体を観念とする立場
省8
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