【アクトゥアリテート】永井均 11【レアリテート】 (313レス)
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236: 2021/08/15(日)02:58 ID:0(236/313) AAS
>>228
誰だか知らないけれど・・・日大文理に入る人いるんだったら
おそらく(写真の「プロ」育成が目的の)日芸写真では無視されているであろうR・バルトの写真論
(論じようとしていることは存在論哲学みたいなことなんだろうけど意味論っぽい語彙ばかり)
「プンクトゥム」を論じているあたりWittgenstein経由で永井氏の私的言語の存在論と関連させて、
彼が死んだ母の写真の中に見て取りながらも論じ損ねているものをより正しく論じるとか・・
誰かやってくれる人いないの?
『明るい部屋』→このタイトルも誤訳っぽい・・から引用(翻訳P.122、「公的なもの私的なもの」という所)
「一方には「映像一般」があり、他方には私だけの写真がある。つまり、一方には無頓着さと
上滑りと騒音と非本質的なものがあり、他方には、切実なもの、傷ついたものがあるのだ。
(一般にアマチュアは、芸術家として未熟な状態にある者、と定義される。それはある職業にとって
必要な腕前に達することができない者__または達することを望まない者である。しかし、「写真」の実践
の場においては、逆にアマチュアこそ専門家の極致である・・略・・。)」
良くも悪くもこの本のバルトって何か子供っぽい書き方で、「プロ」は扱いにくいんだろうけど。
(確か故多木浩二氏もこの箇所引用して論じてました、ちょっと手に負えないやって感じの書き方でした
バルトの書き方が子供っぽいとも書いていたと思う、『比喩としての世界』だったと思う)
(あと・・デジタル化して写真が無くなるどころか世の中より写真っぽくなってきたんじゃないのかなあ。
良くも悪くも。大分前からtable tableau tablet(テーブル タブロー タブレット)という語彙で高山宏氏
が論じてたはずだけど。四角越しで観るものばかりがこれだけ行き渡ってしまって。あとはピクチャレスク
picturesqueという言い方もしてた。それ見て飯沢耕太郎(日芸)なんて勘違いしてピクトリアリズム
(絵画主義写真)論じてたりした、まあ昔の話だけど本は残ってるから・・)
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