マルティン・ハイデガー6 (749レス)
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86(1): 2020/02/10(月)09:24 ID:0(86/746) AAS
>>80
>有るとは、常になにものかであるということ。
それは〈有ること〉についての一規定であって、現象学をそこで思い起こせばよい。
「何かがある」「何かである」という場合、「何か」「(何かがあると言明する主体)」「何かを直観
する対象化」という3つがある。
「何ものか」だけに照明を当てるしかしないとなれば上記のような、「何ものか」だけにしか
視点が行かないことになる。そうなると事態を正確に視てはいない、ということになる。
省8
90: 2020/02/10(月)20:50 ID:0(90/746) AAS
>>86
君の文は、主観(主体)と客観(客体)がごちゃごちゃになってる。
現象学というのがまさに主客の混同から生まれた哲学。
結局収拾がつかなくなって、人間の態度の問題という主観の海に沈んだのがフッサール。
ハイデガーは、無意味な存在一般なるものを想定したが、同じく主観の海に落ちてしまった。
「存在」といっても「有」といっても、そこに神を見出したかっただけともいえる。
哲学者ではなく、宗教家であり、処世家であると見られることが多いのも理由のないことではない。
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