沖縄による奄美差別 (117レス)
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93: 名無しさん [sage] 2023/04/13(木) 15:02:22.90 ID:0mYy9qZD >>92 座間味島民に自決命令を出して大量殺戮したのは、座間味村役場の宮里盛秀助役。 梅澤隊長は集団自決など止めるよう、村長や助役や校長を懸命に説得した人。 オール沖縄の【人間のクズ】は、自分達の島民殺戮の戦争犯罪を隠蔽するために、 論破されても、論破されても、ウソを1億回叫ぶしか能がない(嘲笑 『ウソを叫び続ければ事実になるんだ!』と思い込んでる卑劣なパヨクが多い(オェー ■■集団自決、隊長はいさめた ■沖縄・座間味 日本軍強制説否定する新証言 H20.02.23 産経 http://sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222314002-n1.htm 沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に 集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していた ことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝え られている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。 沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯 した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。 宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後 10時頃、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、 女子青年団の宮城初枝さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。そこで、 宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英に獣のように扱わ れるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「既に住民は自決するため、 忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴弾、 毒薬などの提供を求めた。 これに対し梅沢少佐は「そんなものは渡せない。我々の役目はあなた方を守る ことだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散さ せ避難させよ」と命じた。村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、 梅沢少佐が「俺の言う事が聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、 村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。 http://pug.5ch.net/test/read.cgi/okinawa/1559796008/93
101: 名無しさん [sage] 2023/04/13(木) 17:45:10.44 ID:0mYy9qZD >>94 ※証言者の宮平秀幸さんの証言は、梅澤少佐に会いに行った5人の島民で唯一の生き残り である宮城初枝さんの証言と、さらに梅澤裕少佐自身の証言とも、完全に一致している。 ■梅澤少佐に自決命令を求めに行った5人の中で唯一の生き残りで「沖タイ史観」に基づいたウソの 戦争語り部をして大儲けしていた宮城初枝が、沖縄人ジャーナリストの冨村氏に「梅澤少佐は北関東 で生きている」と教えられて、ようやく語った本当の体験談。5人の中で唯一の女性である宮城さん は、梅澤少佐に会いに行くのが「自決の申し入れ」だという事を知らず、その場で仰天している。 ・米軍の艦砲射撃が行われた昭和20年3月25日の宮城初枝さんの真の証言 一九四五年三月二十五日。その夜、初枝さんに「住民は忠魂碑の前に集まれ」 と伝令の声が届いた。初枝さんはその伝令を含め、島の有力者四人と共に梅澤 隊長に面会した。意味もわからぬまま、四人に従っていったのだ。有力者の一人 が梅澤隊長に申し入れたことは、「最後の時がきた。若者たちは軍に協力させ、 老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」と言う ものだった。初枝さんは息も詰まらんばかりのショックを受けていた。梅澤隊長に ?玉砕?の申し入れを厳しく断られた五人はそのまま引き返した。初枝さんを 除いて四人はその後自決した。 ■「島民に自決命令を出して大量殺戮した」「慰安婦と共に爆死した」と沖縄タイムスの 『鉄の暴風』に書かれ、鬼畜殺人鬼扱いされた梅澤裕少佐の昭和20年3月25日の行動 梅澤さんはこの場面について大城将保さんへの手紙(一九八六年三月の沖縄 資料編集所紀要)の中で次のように記している。『二十五日夜十時頃、戦備に 忙殺されていた本部壕へ村の幹部が来訪してきた。助役宮城盛秀氏、収入役 宮平正次郎氏、校長玉城政助氏、吏員宮平恵達氏および女子青年団長宮平 (現宮城)初枝さんの五名。その用件は次の通りであった。一、いよいよ最後の 時が来た。お別れの挨拶を申し上げます。二、老幼婦女子はかねての決心の通 り軍の足手まといにならぬよう、また食料を残すため自決します。三、つきまし ては一思いに死ねるよう、村民一同忠魂碑前に集合するから中で爆薬を破裂 させて下さい。それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少しあるから 実弾を下さい。私は愕然とした。私は答えた。一、決して自決するでない。軍は 持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食料を運んであるではないか。 生き延びて下さい。共にがんばりましょう。二、弾薬は渡せない。しかし彼らは 三十分ほども動かず、懇願を続け、私はホトホト困った。折しも艦砲射撃が再開 されたので、彼らは急いで帰って行った』 http://pug.5ch.net/test/read.cgi/okinawa/1559796008/101
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