[過去ログ] 【NGT板】メンバー応援スレ総合(ワッチョイIP付き) (500レス)
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481: 2020/02/18(火)19:00 ID:5aO4L82o0(27/38) AAS
に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。
追われた要吉は物陰に隠れようとしたが、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。要吉の悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、7人が
取り残されている屋内に眼を向けた。ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。このとき、野菜置き場に隠れて
いたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気づいたヒグマは彼女にも襲いかかった。居間に引きずり出されたタケは、「腹破
らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた[7]。
川下に向かっていた一行は、激しい物音と絶叫を耳にして急いだ。そこへ重傷のヤヨと子どもたちがたどり着き、皆は明景家で何
が起こっているかを知った。重傷を負いながらも脱出してきた要吉を保護したあと、男たちは明景家を取り囲んだが、暗闇となった
屋内にはうかつに踏み込めない。中からは、タケと思われる女の断末魔のうめき声、肉を咀嚼し骨を噛み砕く異様な音が響き、熊
の暴れまわる鈍い音がした。一か八か家に火をかける案や、闇雲に一斉射撃しようという意見も出たが、子供達の生存に望みをか
けるヤヨが必死に反対した。一同は二手に分かれ、入り口近くに銃を構えた10名あまりを中心に配置し、残りは家の裏手に回った。
裏手の者が空砲を二発撃つと、ヒグマは入口を破り表で待つ男たちの前に現れた。先頭の男が撃とうとしたがまたも不発に終わり、
他の者も撃ちかねている隙にヒグマは姿を消した[7]。
ガンピ(シラカバの皮)の松明を手に明景家に入った者の目に飛び込んできたのは、飛沫で天井裏まで濡れるほどの血の海、そして
無残に食い裂かれたタケ、春義、金蔵の遺体であった。上半身を食われたタケの腹は破られ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマ
が手を出した様子はなく、そのときには少し動いていたという[8]。しかし1時間後には死亡した。力蔵は雑穀俵の影に隠れて難を逃れ、
殺戮の一部始終を目撃していた。ヒサノは失神し、無防備なまま居間で倒れていたが、不思議なことに彼女も無事だった[8]。急いで
力蔵とヒサノを保護し、遺体を収容した一行が家を出たところ、屋内から不意に男児の声があがった。日露戦争帰りの者がひとり中
に戻ると、むしろの下に隠されていた重傷の巌を見つけた[注釈 5]。巌は肩や胸に噛みつかれて傷を負い、左大腿部から臀部は食
われて骨だけになっていた。
六線沢の全15戸の住民は、三毛別にある三毛別分教場(その後、三渓小学校になるが廃校)へ避難することになり[8]、重傷者達も
3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。巌は母・タケの惨死を知るすべもないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とう
わ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。この2日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われ、3人が重傷を負った。
重傷者たちは翌日さらに3km下流の家に移り、古丹別の沢谷医院に入院したのは12日のことだった。

12月11日

すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、おびえながら固く戸締りをした三毛別の各農家がヒグマ避けに焚く
炎が、昨夜から不気味に寒村を照らしていた。小村の住民だけではもはやなす術はなく、三毛別地区区長の大川与三吉(おおかわ
よさきち,当時47歳)と、村の長老や有志、駐在所巡査、御料局分担区員、分教場教師らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や
行政に頼ることを決議した。その一方、家族に降りかかった悲劇を知らず雪道を往く斉藤石五郎は、役場と警察に太田家の事件報告
を終えて10日は苫前に宿を取り、11日昼近くに帰路についた。下流の三毛別にたどり着き、妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ
伏しただ慟哭をあげるしかなかった。

12月12日

討伐隊の組織
六線沢ヒグマ襲撃の連絡は北海道庁にもたらされ、北海道庁警察部保安課から羽幌分署長の菅貢(すが みつぐ、階級は警部)に討
伐隊の組織が指示された。討伐隊の本部は三毛別にある大川興三吉の家に置かれた[8]。一方、死亡者の検死のため馬橇(うまぞり)
で一足早く現地に乗り込んだ医師は、正午ごろ山道でヒグマの糞を発見した。それを検分し、中から人骨・髪の毛・未消化の人肉を
見つけて立ちすくんだ。
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