【ものぐさ精神分析】岸田秀 (58レス)
【ものぐさ精神分析】岸田秀 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/
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1: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:41:30.55 『ものぐさ精神分析』などで有名な日本の心理学者・精神分析学者・エッセイスト・翻訳家の岸田秀さんのスレ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/1
2: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:44:41.64 岸田秀先生からの回答 www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/page030.html 「岸田秀先生からの回答」、「岸田秀先生と再び」が、このたび出版された岸田秀 「日本人はどこへゆく」青土社(1,900円)に掲載されています。 書籍でお読みいただければ、また印象が違うかと存じます。(H17.07.23) Q8)なぜ、母性的宗教は世界宗教になれないのか。多神教的、血縁的ということと、父性・母性ということは 連動しているのですか。 A)われわれは母親から生まれるのですから、母親とのつながりは具体的、現実的です。宗教というものは、 われわれに恵みを与えてくれる偉大な存在を崇拝するのが出発点ですから、まず初めは、母性的宗教となるのは 当然過ぎるほど当然です。そして、最初の中心的恵みは母親からくるわけですが、現実に周りを見渡せば、 母親のほかに、太陽、大自然、山川草木など、われわれに恵みを与えてくれるものはいっぱいあります。 母性的宗教が多神教的になるのは当然の成り行きです。 しかし、母性的宗教は母親との血のつながりが信仰の基盤ですから、どれほど拡大解釈したとしても、 家族共同体、村落共同体、部族共同体以上には広がりません。したがって、部族や民族を超えた世界宗教には なれないと思います。父親とのつながりも、彼の精子がわれわれの生命の根源なのだから、具体的、現実的では ないかと言われるかもしれませんが、そのような生物学的理論はあとからくっつけた理屈であって、父親との つながりは、母親とのつながりと比べて、抽象的、観念的です。限りなく拡大することができます。世界宗教と なるためには、父親または父親的存在を神にする必要があります。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/2
3: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:47:59.30 Q16)なぜ日本にはイスラム教やキリスト教は浸透しないのか。 A)イスラム教やキリスト教そのものがどうだこうだというより、一神教の考え方、さっきも言ったように、 抽象的、観念的規範に基づいて世界を把握し構築する考え方を日本人は受け付けないのですね。 なぜ受け付けないのかと言えば、拙著『幻想の未来』で述べたように、日本人の道徳というか、 行動規範の基盤は人間関係に、人々にどう思われるかということに基づいているからです。 戦国時代にやってきた切支丹伴天連の死を賭けた必死の努力も(彼らは、それまで他のところでの 布教の最大の障害であったユダヤ教やイスラム教を日本人は信じていないので、宗教的に真空の 日本には簡単にキリスト教を布教できると思ったらしいです)、キリスト教が解禁になった明治の 初めの宣教師たちの真摯な努力も、敗戦後のアメリカ占領軍に支援された布教活動も、 日本国民を0.数%以上はキリスト教徒にすることができませんでした。戦国時代は切支丹以外の 南蛮文化、明治時代は天主教以外の文明開化、敗戦後はキリスト教以外のアメリカ文化は大々的に 受け入れたのにね。肌が合わないのでしょう。ついでながら言えば、日本人がマルクス主義、 共産主義を受け付けないのも同じ理由からでしょう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/3
4: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:49:02.98 「日本がアメリカを赦す日」岸田秀 hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122 個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、 とんでもない間違いでしょう。特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、 あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。何ら特別のことはない 普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを 引きずっている人に見られる考え方です。ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。 ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと 思い込んでいる男が、現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、 一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も 国家も、現実には不適応になるしかありません。普通の人が普通である自分の存在に価値を見出し、 そこにプライドをおけばいいんですよ。自分の存在価値を証明するために何か特別のことをする 必要なんてないんですよ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/4
5: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:49:47.11 嘘だらけのヨーロッパ製世界史 その1 yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=4 岸田さんは白人に関して以下のように考えた。 白人種は意図的に努力して保持していなければ消滅したはずの人種であった。(p17) これは、「DNAとの対話」で学んだように対立遺伝子としての白人種は劣性遺伝子で あったからです。白人遺伝子は劣性なので有色人種と交雑したら有色の子孫になる 可能性が高く、生き残ることが不可能だからです。 嘘だらけのヨーロッパ製世界史 その2 yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=3 本当に自信があるのであれば、おのれの優越感を繰り返し、うるさく主張する必要はないし、 精神分析を持ち出すまでもなく、優越感は劣等感を補償するためのものでしかないから、 このようなヨーロッパ人の主張の背後には強い劣等感があると推定されるが、この劣等感の起源は どこにあるかは非常に興味深い問題であり、わたしはその起源を人類における白人種の発生まで 辿っているのである。(p68) 日本人と日本病について その6 yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=5 (岸田)日本の社会が悪人を必要とするのは、皆が自分は善人だと考えるからであって、 自分の内なる悪に無自覚なためですね。自分の内なる悪に無自覚だから、他人にそれを なすりつけなければならなくなる。ほんとうの悪人というのがいるとすれば、それは 他人を悪人に仕立ててあげる人なんですよね。そうしているという自覚なしに。(p113) (岸田)ヨーロッパ人にとって恐ろしいことは、神との契約、神の戒律に背いて神の怒りを 買うことですが、日本人にとって恐ろしいことは、人びとに迷惑をかけ、人びとから 非難され見捨てられることです。(p67-68) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/5
6: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:50:19.29 官僚病から日本を救うために その9 yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=6 精神的苦痛を受けた後、どのように対応するかというのが非常に大切です。 大きな精神的苦痛を受け、とても受け止めきれないので正当化したり 忘れようとか隠そうとすると心の傷(トラウマ)は抑圧され、必ず神経症 として発現してきます。これは個人的にも集団的にも同じように言えることなのです。 好ましくない事件、すなわちトラウマを正当化すると、個人も国家もその正当化に 支えられることになるからそれを維持しなければならなくなり、そのため、 同じようなことを強迫的に繰り返さざるを得なくなります。(p268) 嘘を正当化しようとすると、嘘に嘘を塗り固めなければならなくなるという ことですね。そもそも正当化しなければ生きていけないように思っている 向きが多いけれど、正当化こそ人間の心を蝕むものはないと思います。 それを屈辱でなかったんだと自己欺瞞しても、自己欺瞞はいつか必ず破綻します。(p274) 嘘とインチキの上にわけへだてなくみんな仲良くすることを強制されるから、 無理に無理が重なって陰険ないじめが蔓延する。(p153) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/6
7: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:53:02.67 官僚病から日本を救うために その6 yoshi-imajuku.blog.jp/tag/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80?p=7 のんびりした社会は、せこい競争社会に負けてしまう。(p120) 劣化とは、集団としても、個人としても現実から目を逸らし、自分が見たいと 思うような「幻想」を見て、その幻想のほうで物事をやっていこうとする ところから生まれるのではないですか。いくら目そ逸らしても現実に 存在する以上、自分の願望と現実とのあいだに矛盾が生じ、そこに劣化が 出てくると思います。(p136) (日本人が認めるべき事実とは)日本は、アメリカの占領下にあるという事実です。 なぜアメリカの言いなりになって、日本がイラクに自衛隊を派遣しなければならないか。 日本がアメリカの占領下にあるからです。たとえ屈辱的であろうが、この事実を 認めないことは、何事も始まらないでしょう。(p96) 自我なんてものは、もともとつくりものであって、不安定なものなんですが、それを 何とか無理やり安定させようとすると、狂信的になったり、原理主義になったりして 弊害が大きいんです。安定した自我と不安定な字ががあるのではなく、つねに崩れる 危機を孕みながらやっとのことで成り立っているのが自我なのです。安定な自我など あり得ません。だから不安定な自我を恐れることなく、不安定さに耐えながら、 しかも自我を崩すことなく生きるしかないわけです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/7
8: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:54:07.34 315−2.岸田秀の史的唯幻論 www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm 彼は史的唯幻論と言う説を唱え、国家や集団を一つの人格と同じようにとらえ、精神分析し、 歴史を検証します。参考までに「二十世紀を精神分析する」から一部以下に引用します。 十一、近代国家の成立 本能が壊れていない動物においては、本能にブレーキが組み込まれている。ある条件下、ある限度内でしか 攻撃行動をしないとか、発情期に一定の形でしか性行動をしないとか。本能が壊れた人類においては、 本能のブレーキの代りに文化のブレーキが設定された。さまざまな民族がつくった固有の文化には神々がいて、 いろいろなタブーが張りめぐらされていた。当の民族はそれらのタブーの起源や理由を知らないのだが、 全体として社会秩序の維持に役立っているのであった。 固有の文化を放棄させられた西欧民族においては、固有の文化に伴っていたタブーも消し去られ、その代りに キリスト教の戒律が押しつけられた。この戒律は、自生のものであるタブーと違って押しつけられたもので あるだけに、どうしてもある程度は従わせられる低抗感があり、したがって人々に納得させるためにその起源と 理由を説明する必要があった。そのため、キリスト教の戒律はタブーと違って必然的に意識的、自覚的なものとなる。 つねにその正当性を立証しつづけなければならない。西欧に神学やスコラ哲学が発達したのはそのためである (この伝統は哲学や思想に形を変えてまだつづいている)。 しかし、その努力はもとより無理な努力であった。人々を納得させる決定的な理由などあるわけがないからである。 その無理は必然的にあちこちで綻びはじめた。世界の諸民族のなかで西欧民族ほど、とくに中世の終り頃から、 凄まじい殺し合いをしてきた民族はいないが、それも綻びの徴候であった。そして、近代においてついに決定的な 破綻が訪れた。神を信じつづける者もいたが、一部の者は無理な努力に疲れ果て、神を殺してしまった(ニーチェ)。 もちろん、外来の神だから殺すことができたのであった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/8
9: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:55:11.61 十五、続・フランスの狂気 一つ嘘をつけばその嘘がバレないようにするために嘘に嘘を重ねなければならなくなるのは、自分に対する嘘、 すなわち自己欺瞞の場合も同じである。 十六、植民地解放 二十世紀も終りに近づいたが、二十世紀初めの世界と現在の世界を比べてみると、目につく違いの一つは あれほどあった植民地がほとんどなくなったことである。とくにこの前にはソ連帝国が崩壊したため、東欧が 解放されただけでなく、共和国という名の旧ソ連の植民地も解放されつつあり、今や残っている植民地は ごくわずかで、それもそのうち解放されるであろう。 このような植民地の消滅は人類が進歩し、ますます正義が実現されるようになったためであるとも考えられるが、 必ずしもそうとは言えない。正義には何種類もあるからである。二十世紀初めには、非西欧世界を支配し、 西欧文明を伝えるのは西欧人の権利であるだけでなく、義務でもあると西欧人は考えていた。西欧人は、 非西欧人を虐待し搾取しているつもりはなく、主観的には正義のために重荷を背負っていたのである。 西欧人が植民地を獲得し維持し得たのは、このような正義の幻想を信じていたからであり、植民地人もまた 西欧人のこの幻想を受け入れ、そして、西欧人の力を信じ恐れていたからである。ソ連とその植民地に関しても まったく同じであって、ソ連帝国が存続し得ていたのはひとえに共産主義の正義が信じられ、ソ連軍の強さが 恐れられていたからであった。 要するに、植民地は植民勢力の正義の幻想と力の幻想との二つの幻想に支えられているのだから、この二つの 幻想が崩れさえすれば植民地はたちまち消滅する。アジアにおける西欧の植民地を支えていた二つの幻想が 崩れたのは、日本が戦争を惹き起こして西欧植民勢力に挑戦し、一時的に勝利し、最終的に敗北したからである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/9
10: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:56:13.84 一時的に勝利した日本軍は占領地のアジア人の眼の前で捕虜にした西欧人を支配し使役し侮辱した。西欧人女性を 慰安婦にした。このことが西欧人は強く、服従するほかないとのアジア人の幻想を打ち砕いた。支配1-服従関係は 幻想にもとづいているのだから、幻想が崩れれば終りであった。たとえば、日本敗北後のインドネシア独立戦争で、 日本軍が訓練したインドネシア兵が独立軍の主力になったとか、日本軍が連合軍に禁止されたにもかかわらず、 独立軍に武器を横流ししたとか、多くの旧日本兵が独立軍に加わったとかのことはあったが、そうしたことよりも、 日本軍の占領中に日本人に卑屈に服従していたオランダ人を見てオランダ人に関する幻想が崩れ、日本敗北後に 戻ってきてまた主人づらをしようとしたオランダ人をインドネシア人が腹の底から馬鹿にしていたことが独立に成功した 最大の原因であった。日本軍がとくにその独立のために力を貸さなかったベトナムでも、戻ってきたフランス人が 結局は追っ払われたことからも、それはわかる。 連合国は正義の名のもとに、敗北した日本を侵略者と決めつけ、植民地を放棄させたが、この正義の原則にもとづき、 西欧植民勢力を含む連合国が全面的に正義で、アジアの植民地解放のために戦った面がないではない日本を単なる 侵略者とするのは無理であった。この無理が回り回って結局は西欧の正義幻想を疑わせ、揺るがせることになった。 アジア各地を占領し、一時的にせよ植民地化した日本を侵略者として非難すれば、その非難は植民地をもつ西欧諸国に 返ってくるからである。日本軍に協力してインパールに攻め込んだインド国民軍の兵士を反逆罪で裁こうとしたイギリスの 裁判がインドの民衆の反発を招いて頓挫し、イギリスの正義が貫けなかったことがインド独立のきっかけとなったのも その一例である。もちろん、日本は日本のために戦ったのであって、アジア解放を第一目的として意図したわけではないが、 意図したかどうかはさておき、日本がアジアの植民地解放に果たした役割は大きかった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/10
11: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:57:20.75 十七、侵略者か解放者か 前回は日本がアジアの植民地解放のために貢献したかどうかの問題を論じたが、この問題に関しては 正反対の二つの見方がある。一つは皇国史観の見方で、東亜の盟主、日本はアジアを搾取する 西欧植民帝国に義憤を感じ、アジア解放のために断乎立ちあがったとする。もう一つは、東京裁判史観の 見方で、帝国主義国家、日本はアジアを侵略し、植民地にしようとしたのであって、アジア解放はその 口実に過ぎなかったとする。 この二つの見方はともに一面的であろう。アジア解放が日本の侵略の口実に過ぎなかったかどうかは 微妙な問題であってそう簡単には決着がつかない。日本の軍部の首脳のなかにも、主観的には心か ら日本はアジア解放のために尽くすべきだと考えていた者はいたし、末端の日本兵にはこの目的のために 真剣に戦っていた者は大勢いた。 精神分析においては、ある主観が自己欺瞞かどうかを判定するには、行動とその行動がもたらした現実の 結果を見ればよいわけで、主観と現実の結果とが矛盾していれば自已欺瞞だと判定して間違いないのであるが、 日本の対米英蘭戦争は現実の結果としてアジア解放をもたらしており、言ってみれば、主観と現実の結果が 一致しているわけで、この場合の日本の主観が口実でしかなかったとするのはいささか無理である。 しかし、日本は現実に朝鮮と満州(中国東北部)を植民地にしており、占領地の人間を労役に使い、産物を奪い、 大いに搾取してもいるわけで、侵略者の面は否定できない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/11
12: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 17:58:35.01 この問題はアメリカの南北戦争で北軍が掲げた奴隷解放のスローガンが南部支配の口実に過ぎなかったかどうかの 問題とよく似ている。小中学生向けの歴史教科書にはもちろん、北軍はこの崇高な目的のために戦ったことに なっているし、実際、北軍の将軍や兵士のなかに主観的にはそう信じていた者が少なからずいたことは確かである。 北軍に加わって戦った黒人も大勢いた。 しかし、このスローガンは戦争がはじまってしばらく経ってから唱えられはじめたこと(日本のアジア解放のスローガンも 宣戦布告文のなかにはなく、戦争がはじまってしばらく経ってから唱えられた)、また、肝腎のリンカーンが必ずしも 奴隷解放論者でなかったことはよく知られており、要するに、北部はその発達した産業資本の勢力下に南部を おきたかっただけであって、奴隷解放のスローガンは、道義的に南部を追いつめるため、また、イギリスや フランスが南部の側につく道義的理由を奪い、それを防ぐためのものでしかなかったと言えなくもない。 奴隷解放を唱えながら、北部自体の内部ではけっこう黒人を差別しており、タテマエとホンネの矛盾も目立つ。 しかしまた、南北戦争の現実の結果として、黒人奴隷が解放されはじめたことは事実であって、奴隷解放における この戦争の意義は否定できない。 日本の問題に返れば、日本はアジアに対して侵略者と解放者という二つの矛盾した顔を持っているわけであるが、 この矛盾は明治維新が孕んでいた矛盾であり、近代日本が抱えつづけている矛盾である。脱亜入欧をして、西欧の 一員となり、西欧と同じようにアジアを侵略し搾取するか、あくまでアジアの一員として他のアジアの諸国と手を組んで 西欧に対抗するか。日本はまだこの矛盾から解放されていないと思われる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/12
13: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:00:01.91 十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で 近代日本が一八五三年のペリー・ショックのために、欧米諸国を崇拝し、欧米諸国に屈従する外的自己と、 欧米諸国を憎悪し、誇大妄想的自尊心に立て籠る内的自己とに分裂し、その分裂状態はまだ続いている という見解を発表してからもう二十年ぐらいになるが、今なお事態は全然変っていないようである。 ここでは分裂し、内的自己から切り離されて浮遊する外的自己の症状を主として問題にしてみよう。 個人の精神分裂病の場合も同じであるが、外的自己は、内的自己から切り離されているため、自分と敵 (内的自己から見たところの-以下同じ)と同一化し、敵の立場に立って内的自己を攻撃する。敵を崇拝し、 敵と同じようになろうとする。外的自己には、自分が敵と同じような正しい優れた存在になるのを妨げているのは 内的自己であると見え、外的自己は内的自己の「無知と傲慢さ」にいらいらする(他方、内的自己には、外的自己 は「恥知らずの裏切り者」と見える)。近代日本において、外的自己の症状はさまざまな形で表れたが、とくに 戦後から現在に至るまでの症状を列挙してみよう。 第一の症状は占領軍を解放軍として歓迎したことである。大東亜戦争を無謀で愚かな侵略戦争と断定し、 東京裁判史観の立場に立って戦争遂行に力を貸した日本のあらゆる要素を断罪し、それまでの歴史と絶縁した 新しい民主主義日本を建設しようとしたのは典型的な外的自己の症状と言えよう。戦前の皇国史観、戦争中に 猛威を振るっていた本土決戦、一億玉砕、神州不滅の妄想などの内的自己の症状に対する反動としてこれらの 症状が生じてきたのであろうが、一瞬にして正反対の極に走るのが精神分裂病の特徴である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/13
14: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:01:04.62 十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で 近代日本が一八五三年のペリー・ショックのために、欧米諸国を崇拝し、欧米諸国に屈従する外的自己と、 欧米諸国を憎悪し、誇大妄想的自尊心に立て籠る内的自己とに分裂し、その分裂状態はまだ続いている という見解を発表してからもう二十年ぐらいになるが、今なお事態は全然変っていないようである。 ここでは分裂し、内的自己から切り離されて浮遊する外的自己の症状を主として問題にしてみよう。 個人の精神分裂病の場合も同じであるが、外的自己は、内的自己から切り離されているため、自分と敵 (内的自己から見たところの-以下同じ)と同一化し、敵の立場に立って内的自己を攻撃する。敵を崇拝し、 敵と同じようになろうとする。外的自己には、自分が敵と同じような正しい優れた存在になるのを妨げているのは 内的自己であると見え、外的自己は内的自己の「無知と傲慢さ」にいらいらする(他方、内的自己には、外的自己 は「恥知らずの裏切り者」と見える)。近代日本において、外的自己の症状はさまざまな形で表れたが、とくに 戦後から現在に至るまでの症状を列挙してみよう。 第一の症状は占領軍を解放軍として歓迎したことである。大東亜戦争を無謀で愚かな侵略戦争と断定し、 東京裁判史観の立場に立って戦争遂行に力を貸した日本のあらゆる要素を断罪し、それまでの歴史と絶縁した 新しい民主主義日本を建設しようとしたのは典型的な外的自己の症状と言えよう。戦前の皇国史観、戦争中に 猛威を振るっていた本土決戦、一億玉砕、神州不滅の妄想などの内的自己の症状に対する反動としてこれらの 症状が生じてきたのであろうが、一瞬にして正反対の極に走るのが精神分裂病の特徴である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/14
15: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:02:07.49 次にこの症状は占領軍総司令官マッカーサー元帥への日本国民の大量の手紙に表れている血日本を アメリカ合衆国の第四十九番目の州にして欲しいと頼んでいるのや、元帥の子どもを産みたいので、どこそこで 待っているから来て欲しいという誘いなど、昨日までの敵の大将に対してよくもこのようなことを考えつくものだと 驚かざるを得ないようなものが多数あるが、なかでも目立ったのは、誰それは連合軍捕虜を虐待したとか 殺害したとかの密告の手紙であった。なかには根も葉もない中傷もあったが、事実をありのまま通報しているのも多く、 占領軍はそれらの密告を手掛かりに大勢の戦犯を逮捕し処刑することができた。占領軍は日本人の「協力ぶり」に 感謝するというより驚いたとのことである。 第三の症状は全面的なアメリカ崇拝と急激なアメリカ化である。国家形態から日常生活の些事に至るまで 日本的なものはすべて野蛮で封建的で遅れているとされた。民主主義が水戸黄門の印籠のような有無を言わせぬ スローガンとなった。アメリカで起こった社会現象は数年遅れて必ず日本でも起こると言われ、日本人はアメリカの 現在を見て日本の未来を予測した百終始アメリカ一辺倒の戦後の日本政府もこの症状の一環であろう。 言うまでもなく、戦後五十年を経た今日でもこれらの症状は依然として続いている。 白人国でもないのにテレビのコマーシャルその他の広告にこれほど白人が登場する国は日本をおいて他にはない。 ファッション雑誌に日本人のモデルが登場することはめったにない。今や日本はいろいろな面で世界の最先端を 行っているので、白人の知人に「日本人は白人に劣等感を持っている」と言ってもなかなか信じてもらえない。 ところが、日本にやってきて広告を見ると、彼らは納得する。消費者は広告に登場する人物と同一化して、 その人物が消費する商品を買う気になるのであるが、日本人は同じ日本人より白人とより容易に同一化 するわけである。ついこの前も『おとなのイギリス人、子どもの日本人』という本を見かけたが、日本人は欧米人を イデアルティプス(理想型)とおき、日本人をまだそこに達していないとして非難し叱咤する習癖が明治以来まだ 抜けないらしい。これも外的自己の症状である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/15
16: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:03:13.43 このあいだの細川首相の侵略戦争発言に見られるように、東京裁判史観はまだまだ根強く生きている。また、 マッカーサー元帥への密告の手紙の主と同じように、敵(内的自己から見たところの)と同一化し、あたかも日本人では ないかのように敵の立場から、日本人の戦争犯罪を糺弾する日本人も途絶えることなく次々と輩出してくるようである。 かの密告の手紙の主にしても、推察するに、密告という卑劣なことをしているつもりは全然なく、(アメリカの)正義の 立場に身をおいて日本人の犯罪を告発したのであろう。南京大虐殺事件に関しても、また同じように最近の 従軍慰安婦問題に関しても日本人の告発者が次々と現れたが、彼らも主観的には正義の士であることに一点の 疑いもない。彼らの言説が客観的にも正義にもとづく正しい言説であるか、それとも、いたずらに内的自己を攻撃する のをこととする外的自己の症状であるかは、その言説が論理的に首尾一貫しているかどうかによって判定できるで あろう。たとえば、日本の戦争犯罪に関する細川首相の謝罪は外的自己の症状であると言わざるを得ない。 彼の謝罪が首尾一貫するためには、彼は日本とは比較にならないほど雇人な犯罪を諸民族に対して犯しつづけてきた イギリスにも謝罪を要求して然るべきである。しかし、彼は来日したイギリス首相に対して日本の犯罪を謝っただけであった。 外的自己はひたすら内的自己を攻撃するのに急で、それ以外のことは眼に入らず、言説に一貫性をもたせる余裕はない。 外的自己のさまざまな症状を挙げてみたが、もちろん、内的自己が正しいと言っているのではない。内的自己も 外的自己に劣らず病んでいる。病んでいる外的自己と病んでいる内的自己とが対立し葛藤しているのが明治以来の 日本の状況である。このような状況のなかで生きているわれわれ日本人に心の晴れる日がないのは当然であろう。 心の晴れる日がないのは仕方がない。しかし、かつて日本人は内的自己に引きずられて対米戦争をはじめ、 国を誤らせたが、今度は外的自己に引きずられて同じように国を誤らせるのではないかとわたしは不安である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/16
17: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:04:20.64 吉本隆明氏 岸田秀氏に「私の理論、そのうちわかるだろう」 www.news-postseven.com/archives/20120330_97688.html?DETAIL 吉本さんの考え方に出会ったのは1970年代、40歳を過ぎてからでした。すべての著作を読んだわけでは ありませんが、『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』に影響を受けました。 国家や社会は確固たる現実的基盤の上に立っているのではなく、多くの人の共同幻想で成り立っている ――吉本さんの共同幻想論に触れたとき、思わず「そうなんだよ!」と膝を打ちたくなるほど共感しました。 かつて日本がアメリカを相手に起こした日米戦争にしても、日本人は共同幻想によって誰一人疑うことなく、 じつに真剣に戦いました。しかし、戦争が終わるとその幻想はきれいに消え去り、誰もが 「何をやっていたんだ」と我に返った。共同幻想で考えればストンと腑に落ちるのですが、当時、そんなことを 考える人はいませんでした。国家を幻想という概念で捉える――独創的な理論ですね。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/17
18: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:06:01.25 「哀しみ」という感情 岸田秀 books.rakuten /rb/5934934/ 評価5.005.00 投稿日:2014年03月28日 p.163「嫉妬の人間学」 嫉妬は、とくに卑劣な者だけが持つ衝動ではなくて、ごく普通の者が持つ卑劣な衝動である。嫉妬される者にとって 嫉妬は恐ろしいが、嫉妬する者にとっても嫉妬は苦しい。われわれは、自分が人に嫉妬していることを認めたくない。 それは、自分がその人より劣っていることの何よりの証拠だからである。したがって、いったん嫉妬し始めれば 不可避的に悪循環の地獄に陥る。嫉妬していることが劣等感を強め、強められた劣等感がさらに嫉妬を煽るからである。 われわれは、この悪循環の地獄から逃れようとして、嫉妬を正当化し、相手を悪人に仕立て上げ、悪人に対して 正義の鉄槌を下すつもりになろうとするが、このような自己欺瞞は長続きしない。それが自己欺瞞であることは相手に 明らかであって、そのような自己欺瞞にすがる見苦しいわれわれを開いてはますます軽蔑し、それを感じてわれわれは さらに劣等な状態に追い込まれる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/18
19: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:07:15.57 p.234「好ましくないことを否認しない」 難しいが、精神病にならずに悩みを解消するためには、それしかない。好ましくない現実を現実と認識するしかない。 夜、なかなか眠れないのは、心が二つに引き裂かれているためであることが多いが、したがって、安らかに 眠るためには、もはや現実とはなり得ない好ましい状態を望み続けるのをやめて、好ましくない現実の認識を 徹底させるしかない。なかなか眠れないときにわたしが具体的にどうするかというと、わたしにもたとえば自分に 関していろいろたくさん好ましくない現実があるが、それらの現実を追っ払いたい気持ちを捨てて、好ましくない 現実に目を据えるのである。過去を振り返ってみると、恥ずかしいこと、みっともないこと、見苦しいことを したことがいっぱいある。人の弱みに付け込んでいい思いをしたこともある。己惚れていい気になって 威張ったこともある。必要もないのに意地悪をして人を傷つけたこともある。相手が怖くて当然の権利を 主張しなかったこともある。人に気に入られようとして卑屈に迎合したこともある。些細な利益にこだわって あさましいことをしたこともある。それらのことはすべて「なかったこと」にしたいところだが、それはできない ことだと諦めて、敢えてわざわざそれらの好ましくないことをできる限りはっきりと思い出して、これこそが現実の 自分なのだと自分に言い聞かせていると、そのうち心が落ち着いて安らかに眠りに入ることが出来る。 books.rakuten.co.jp/rb/1679931/?l-id=search-c-item-text-12 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/19
20: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:08:31.54 (4)感情について <怒り> _ 八嶋聡ブログ omoinoha.exblog.jp/23104714/ (4)感情について <怒り> (読書ノート) 『続・ものぐさ精神分析』 岸田秀(中公文庫) <怒り> P307〜 われわれの自尊心は幻想にすぎない。 その自尊の幻想が崩され、おのれの無力さがさらけ出されたとき、怒りが生じる。 侮辱を受けても、自尊の幻想が崩れなければ、相手に対する自分の優位への自信がゆるがなければ、怒りは生じない。 たとえばわれわれは、子どもにひっぱたかれても腹を立てないであろう。 怒りとは、さらけ出されたおのれの無力を否認し、崩された自尊の幻想を回復しようとする衝動である。 したがって、怒りの背後には、おのれの無力への恐怖があり、無力感と自尊の幻想との葛藤がある。 われわれがおのれの無力を容認して、それを否認しようとする企てを断念し、従来の水準での自尊の幻想を放棄 するならば、攻撃行動に発散しなくても怒りは消え去るであろう。 どれほど破壊行動に発散させようとも、無力感と自尊の幻想との葛藤があるかぎり、怒りはいつまでもつづく。 怒りは、単なる攻撃エネルギーではなく、この無力感と自尊の幻想との葛藤を解決することによってしか怒りは解消しない。 怒りが単なる攻撃エネルギーではないということは、腹の立つ相手に向けた攻撃行動でも、ただ単に相手に害を 加えただけでは怒りはおさまらないことからも明らかである。 相手に害を加えたことが怒りの衝動を満足させるのは、それが相手を屈服させることによって自分の優位を 証明するかぎりにおいてであって、相手が害を受けること事態に重点があるのではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/20
21: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:09:42.51 (怒りっぽい人) 怒りっぽい人というのは、人一倍攻撃エネルギーをたくさんもっている人ではなく、その自尊心を支えている幻想が 共同化されていない人である。共同化されていなければいないほど、彼の自尊の幻想は人びとに無視される機会が それだけ多いからである。 彼の自尊の幻想が共同化されていないということは、その内容を当人が意識していないということに通じる。 彼自身、自分が・・・そんなつまらないことに腹を立てる理由がよくわからない。 それは、彼が自分の自尊の幻想の内容を意識していないからである。 自分がそれほどつまらぬことにプライドをおいているとは思っていないのである。 彼がどんなことに腹を立てるかによって、彼のの自尊心の水準がわかる。 とくに怒りっぽい人ならずとも、われわれは、無意識の水準では多かれ少なかれ幼稚な自尊の幻想をもっている。 そうでなければ、どうして礼儀作法なるものが必要であろうか。 ・・・それはひとえに、相手の自尊の幻想に対する配慮であり、われわれは、失礼な扱われ方をされると、 何の実害がなくとも不愉快なのである。 無力感と自尊の幻想との葛藤があり、おのれの無力を否認しようとあせるとき、そのあせりがすなわち怒りである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/21
22: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:11:02.44 (9) 感情について <嫉妬> _ 八嶋聡ブログ omoinoha.exblog.jp/23109974/ (9) 感情について <嫉妬> (読書ノート) 『絞り出し・ものぐさ精神分析』 岸田秀 (青土社) <足を引っ張りたい心>(嫉妬、この厄介なもの) P191〜 嫉妬は人間特有の感情である。 嫉妬とは、嫉妬の対象を貶め、破壊してしまいたい攻撃衝動である。 なぜ人間だけが嫉妬という厄介な感情を持つに至ったかというと、それは人間が本能の壊れた動物だからである。 本能が壊れた人間は、動物のように本能に基づいて現実の状況に適応できないので、つねに不安である。 そこで人間は、本能の基準の代わりに、自我を基準として行動するという策を考え出した。 自我は幻想であって、本質的に不確実、不安定である。 したがって、自我が安定するためには、外部のなんらかのものに支えられる必要がある。 → 人びとに好かれるとか、愛されるとか、尊敬されるとか、恐れられるとか。 → 地位とか、役割とか、名誉とか、財産とか、業績とか。 (女に振られて、男は嫉妬し、女を殺したり、恋敵の男を殺したりする。) ・・・女に振られたことは、彼の自尊心を傷つけ、自我の安定を崩した。 彼は崩された自我の安定を回復しようとしたのである。 「隣の貧乏は鴨の味」というが、隣の人が貧乏であっても、何ら彼の生存に役立つわけではない。 隣の人が裕福であれば、彼は自我が不安定になり、嫉妬に苦しむのである。 嫉妬とは、自我の安定を脅かす者に対する攻撃行動である。 本能が壊れた人間は、嫉妬するのを免れることはできない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/22
23: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:12:06.66 嫉妬は、人間の最も基本的な感情であり、嫉妬しない人間は存在せず、個人や民族や国家の歴史は嫉妬で 動いていると言っても過言ではない。 人間は自分と他人を比較するのを止めることができない。 なぜなら、人間は他者との関係においてのみ何かであり得るのだから。 人間は他者との関係において意味ある存在、価値ある存在、優越した存在、誇りをもてる存在であることを必要とする。 本質的に不確実、不安定な幻想である自我は、それを支える意味、価値、優越、誇りを欠くことができない。 つまり、自我は、意味、価値、優越、誇りに関して、自分より劣る他者を必要とするということである。 自我は幻想であり、本質的に不安定であって、完全に安定することはあり得ない。 ところが、人間は自我が不安定であることに耐えられないので、何とか自我を安定させようと焦る。 そのため、人間の争いは限度のないものとなる。 人間は、自我の安定のために、自分が他者に勝つこと、他者より優越していて価値があることを求めるので、 どこまでいっても最終的に満足することはない。 自分が他者より優越していて価値があるためには、自分より劣等で価値が低い他者が必要であり、 そのため、他者を劣等で価値が低い立場におこうとする。 人間の争いは、個人の場合も民族や国家などの集団も、現実の利害得失をめぐってではなく、自我の安定、 権威と誇りの維持をめぐって、それを脅かす者を引きずり下ろそうとする嫉妬を動機とする争いが主であり、 そのような争いは、百害あって一利なきものであるが、人間とはそのような争いを免れることができない哀れな 浅ましい動物であることを明確に自覚しておくことが、国家間においても個人間においても、嫉妬がもたらす害毒を、 なくすることはできないまでも、できるだけ少なくする唯一の方法ではないかと思う。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/23
24: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:13:07.90 (12) 「自己欺瞞の最大の被害者は自分である」 (岸田秀を読む) _ 八嶋聡ブログ omoinoha.exblog.jp/23174842/ (12) 「自己欺瞞の最大の被害者は自分である」 (岸田秀を読む) (読書ノート) 『絞り出し・ものぐさ精神分析』 (青土社) 『自分に嘘をつかない』 P185〜 「嘘も方便」という諺もあり、人に嘘をつくのは必ずしも悪いわけではないと思うが、自分に嘘をつくこと、 すなわち自己欺瞞は決定的に悪い。 道義的意味おいて悪いかどうかはさておくとして、自己欺瞞は自分の精神的、身体的健康という純粋に 利己的な観点からもきわめて有害である。 自己欺瞞の最大の被害者は自分である。 自分に嘘をつかず、そのまま現実を生きていれば、現実とのかかわりのなかで自ずとやりたいことが湧いてくるし、 自分の助けを必要としている人が自ずと眼についてくるし、自ずと生き甲斐は感じられてくる。 生きていることが虚しいのは現実を生きていないからである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/24
25: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:14:12.68 何か不都合なことがあると、「なかったことにしましょう」と言う人がいるが、あること、あったことを 「なかったことにする」ことこそ、ほんとうの生き甲斐を失わせる最大の原因である。 それはまた、不可避的に現実への不適応をも招く。 これは個人に関して言えるだけでなく、集団に関しても言える。 日米戦争における日本軍の惨敗の最大の原因は、物量の差ではなく、日本軍が不都合なことを 「なかったこと」にして現実から目を逸らしていたことである。 そのため、現実には不可能なことが可能のような気がして愚劣な作戦を強行したり、また、作戦の失敗の 原因が見えず、同じ失敗が無限に繰り返されたりするのであった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/25
26: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:15:15.69 ストレスの本質について<非心理学者が語る心理学−4> _ 八嶋聡ブログ omoinoha.exblog.jp/16027439/ 2011年 05月 25日 ストレスの本質について<非心理学者が語る心理学−4> <ストレスの本質とは> フロムが述べているように、私たちのエネルギーの大半は、「抑圧」することと、その抑圧に触れられた時に 「抵抗」することに費やされています。このことは、ストレスの本質を明らかにします。 ストレスの本質は、マイナス感情を抑圧するための、心的エネルギーの消耗であると考えられます。 マイナス感情というのは、敵意、憎悪、恨みといったようなネガティブな感情のことです。 それは破壊性のエネルギーを含み、もしそのまま表現されるとすれば、彼は保護を失って危険にさらされる かもしれない、本人にとっては不都合な感情です。したがって、マイナス感情は強く抑圧されなければなりません。 自分の中にある本当の感情を自覚することは、あまりにも恐ろしいことなので、人は無意識的に 「その感情を意識しない」ことを選択するのです。この抑圧のために、絶えず大量の心的エネルギーが 使われるので、ストレス状態では消耗します。ストレスを感じるというのは、こうした状態で感じる不快な 感情であると考えられます。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/26
27: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:16:14.38 <身近で大切な人に対してこそストレスは生じる> ストレスは、マイナス感情の抑圧によって生じます。 したがって、実に意外なことかもしれませんが、本当にストレスの対象となる相手というのは、その本人にとって 身近で大切な人なのです。自分を保護し守ってくれる大切な人に対してこそ、マイナス感情は抑圧されなければ なりません。その抑圧のためにストレスが生じるのです。その典型的な例として、「子どもの母親に対する感情」や、 「部下の上司に対する感情」などが挙げられます。 無力な子どもは母親に全面的に依存し、服従せざるを得ません。 「子どもは意識的には安定と満足とを感ずるかもわからないが、無意識的には自分の払っている代価が自分自身の 強さと統一性の放棄であることを知っている。服従は子どもの不安を増大し、同時に敵意と反抗とを生みだす。 その敵意と反抗は、子どもが依存しているまさにその人に向けられるので、それだけいっそう恐ろしいものとなる」 (「自由からの逃走」) ということです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/27
28: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:17:37.92 「自分が依存している、まさにその大切な人に対してこそ、敵意を隠している」 このことは、私にとって大発見でした。 かつての上司との関係が思い出されます。 「あの上司はとっても“いい人”で信頼できる」と全面的に信じ込み、「それなのになぜ私のことを分かって くれないのだろう」、「やはり私が至らないからなのだ」、というよう考え、自分を責め続けていました。 実は、その上司は本当に「いい人」でしたが、人を愛する余裕はなかったのです。 そして実際に頼りにされていたのは、おそらく私の方だったのです。 しかし私はその上司から嫌われること、見捨てられることを恐れ、私の中にある本当の感情 (つまり不満から生じる敵意)を抑圧してストレスをため続けていました。 こうした人間関係は、日常のいたるところで容易に見出されるものです。 「自分が依存している、まさにその大切な人に対してこそ、敵意を隠している」 このことを知ったときには本当に愕然としました。 しかし、それをきっかけにして、私自身の身近な人間関係を見直していくことができたのです。 それは、私自身の幼少期における母親との関係にまで遡りました。 自分を責める傾向にあった私の感情の根源には、たぶん「いつもいい子」であることを求めた私の母親との 関係が大きく影響したのだろう、ということに気づいたのです。 私が自分自身を受け入れることができたのは、たぶんそのときのことです。 「自分を受け入れることと、親からの心理的離乳は同時に起きる」という、まさに加藤諦三先生の言葉どおりの ことを体験したのでした。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/28
29: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:19:13.32 <ストレスの解消について> ストレスの本質が理解できれば、ストレスの根本的な解消方法も自ずと明らかになります。 抑圧のために余計なエネルギーを消耗しなければいいのです。 つまり、抑圧しなければならないマイナス感情を意識化できればいいのですが、それはそう簡単なことではありません。 不都合な感情だからこそ抑圧されているのであり、また抑圧には抵抗が伴うからです。 人びとは、自分の本当の感情が暴かれそうになると、必死になって抵抗を示し、防衛しようとします。 自分が認めたくない本当の感情が真実であればあるほど、彼は不機嫌になり、ときには激怒し、 攻撃的にさえなって防衛するのです。 本当の自分自身を理解することは、人間の大きな目標です。 フロイトが目的としたところも、「人間は独立を獲得するために、自己を理解し、無意識の覆いを 取らなければならない」ということでした。 認めたくないことを認められること、この能力を少しずつでも築きあげていくことが、根本的なストレス解消のための 唯一の道なのだろうというように考えています。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/29
30: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:20:17.91 岸田秀『日本がアメリカを赦す日』 www.sam.hi-ho.ne.jp/quimito/kisida2.html アメリカ人は、銃でインディアンを大量に殺したという過去の歴史を正当化している。 それゆえに、心理的に銃を禁止することができない。彼らは日本人にインディアンの亡霊を見て、 過敏な反応と的外れの言動を繰り返す。それと同じような行動を他の国に対してもとるので、テロを招いていると。 インディアン・コンプレックスを克服する方法は、幼児期のトラウマのために神経症になっている患者を 治療する方法と同じです。インディアンに関するすべての事実の隠蔽と歪曲と正当化をやめ、 すべての事実を明るみに出し、それに直面し、それとアメリカの歴史、現在のアメリカの行動との関連を 理解することです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/30
31: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:21:05.51 D.モリス「人間動物園」/岸田秀「ものぐさ精神分析」/延島信也「迷路の中の女たち」 心のメカニズム?3冊の本 (検査と技術 11巻4号) 医書.jp webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1543202734 最近出版された岸田秀の「ものぐさ精神分析」ではわれわれが生きているこの世界,社会も風俗も はたまた男も女も,親子関係や恋愛も"思い込み"や"幻想"のうえで成り立っていて,他者との 関係のなかで,自分の存在を確認して安定させているという.それらの幻想の中では,エゴイズムや 私的幻想をその成員が平均化して持っているもので,極端にいえば"共同幻想"を構成させているものは, 狂った幻想の側面を共同化しているのである.その集団は,その中の賢明な人はもちろんさらに 平均的な個人よりも愚かになることすらあり,それを他の共同幻想をもとにしない人からみれば, 狂っているか異常としか見えないというわけである.遠くはドイツのアウシュビッツ,近くはわが国の 圧力団体などをあげている.先の動物のノイローゼも共同幻想の異常化も,少しずつ進むから気付かず, あまりにも普遍化していると異常とは感じなくなる.私はこのあたりに怖さを感ずる. 岡田クリニック www.clinic.kokoro-support.net/menu2-f.html 借りてもない物を返す青年 精神分析学者の岸田秀さんは、青年の頃、奇妙な癖に悩まされたという。その癖とは、借りてもいないものを 返したくなるというものであった。 彼岸過ぎた「先」へ 夏目漱石とフロイト|wilco|note note.com/wilco81/n/n3f6445ed4b44 現実を見るか見ないか、その差が現実の結果を決定します。 国家にしろ個人にしろ同じ事です。 神経症も幼い時の親子関係とか、自分に関する苦痛な都合の悪い現実を見ないから起こるのです。 これまで見ていなかった現実を見さえすれば神経症は基本的に治ります。非常に単純な事ですよ。(岸田秀) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/31
32: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:22:06.74 「日本がアメリカを赦す日」岸田秀 hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122 個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、 とんでもない間違いでしょう。特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、 あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。何ら特別のことはない 普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを 引きずっている人に見られる考え方です。ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。 ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと 思い込んでいる男が、現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、 一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も 国家も、現実には不適応になるしかありません。普通の人が普通である自分の存在に価値を見出し、 そこにプライドをおけばいいんですよ。自分の存在価値を証明するために何か特別のことをする 必要なんてないんですよ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/32
33: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:28:20.60 岸田秀 屈辱的現実から眼を逸らすな! gekkan-nippon.com/?p=6876 岸田 簡単に歴史を振り返りましょう。幕末では開国派と攘夷派が激しく対立していました。 幕府は不平等条約を結んで国際社会に適応しようとしました。しかし、このような屈辱は 神州日本にとってあるまじきことです。したがって薩長は幕府に背いて攘夷を貫こうとします。 しかし内的自己は外的現実と他者から切り離されているので、現実的な適応能力を持っていません。 それゆえ薩長は薩英戦争と下関戦争に敗けて、攘夷は不可能だという現実を突き付けられます。 これを機に薩長は攘夷派から開国派に転じて明治維新となりました。 この争いの結果、勝利を収めた外的自己が表舞台に立ち、敗北を喫した内的自己は裏舞台に退きました。 その後、日露戦争に勝った日本は欧米から「白人クラブに入れてやる」と認められて不平等条約の 改定を達成しました。外的自己は現実の適応に成功したのです。日本人はこの近代化すなわち 欧米化の成功体験から明治維新を誇りに思ったり、「名誉白人」と呼ばれて嬉しがったりしました。 しかし内的自己は外的自己が成功すればするほど傷つけられます。また白人は本心では白人の振りを している日本人を馬鹿にしていて、日本人もそのことに薄々気づいています。 だから日本人は欧米化の成功に満足すると同時に不満を感じています。 ……以下全文は本誌7月号をお読みください。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/33
34: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:29:29.54 百人一言詠み人知らず my-a.net/adachi/back/rettokan.html 「劣等感」 今回は、心理学者岸田秀著「不惑の雑考」より掲載します。 劣等感のない人はいないと思うが、人間はなぜ劣等感をもつのであろうか。それは他者と自分とを比較するからである。 ではなぜ人間は他者と自分を比較するのであろうか。 他者と自分とを比較するのをやめれば、たちどころに劣等感なんかなくなってしまうであろうが、 それがやめられないのはなぜであろうか。それは、人間にとって自分というもの(自我と呼んでもいいが)が そもそも他者との比較の上に成り立っており、他者がいないとすれば、自分も存在しなくなるからである。 我々は自分が他者にとって何であるか−−親にとって子であり、男(女)にとって女(男)であり、 患者にとって医者であり、友人にとって友人であり、優者にとって劣者であり、劣者にとって優者であり、 等々−−ということによって、自分のアイデンティティを見いだし、 世界の中における自分の位置を見定めることができるのであり、我々の存在は他者によって支えられているのである。 他者の支えがなくなれば、我々の自我は空中分解する。したがって、劣等感に苦しんでいる者に、 人のことなどどうだっていいではないか、人が自分より優れていようが劣っていようが気にすることはないではないか、 自分は自分ではないか、自ら自分を省みてそれでいいと思えるなら、それでいいではないか、などと言ってみたところで、 説得力はないであろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/34
35: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:31:05.73 しかし、上を見ればキリがなく、下を見ればキリがなく、自分より優れている者もいっぱいいるけれども、 劣っている者もいっぱいいるわけで、それなら、いつも自分より劣っている者と自分を比較して優越感だけもっていればいいのに、 我々はともすれば、自分より優れている者と自分を比較し、わざわざ苦しい劣等感にとらわれるのはなぜであろうか。 自分より優れている他者とはいったい、誰であろうか。それは、実のところ、他者ではなくて自分なのである。 自分だからこそ、気にしないでいることができないのである。自分といっても、それは、現在の現実の自分ではなく、 幼かった遠い昔のナルチシズムの時代、天上天下唯我独尊の時代の全知全能の誇大妄想的な自分、幻想的な自分である。 そのような幻想我と現実の自分とを比較するのだから、現実の自分が劣っているのは当然である。 このナルチシズム時代の自分、つまり幻想我は今や失われているのであるが、我々はこの失われた自分を常に探し求めている。 その全体を復元できないまでも、せめてその一部分、一要素なりと復元できないものかとつねづねウロウロ、ガツガツしている。 しかし、現実の自分はあまりにもありふれていて、みすぼらしく、現実の自分においてそれを復元しようとするのは容易なことではない。 そういうとき、それを一部分なりと復元しているかのように錯覚される他者を見いだすのである。そして劣等感に襲われる。 そのときの他者とは、本来ならば自分が手に入れるべきものを横取りした奴であり、我々は対抗意識を燃やし、 もし可能ならば彼を引きずりおろそうとするが、たいていの場合は不可能なので、劣等感を抱いて悶々とする。 あるいは、彼をいやが上にも賛美し、彼の崇拝者として彼につながることによって、 あたかも彼を自分の分身であるかのように感じ、彼と自分との距離を消すことによって劣等感から逃れることもある。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/35
36: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:32:09.99 こういう場合も、崇拝者は被崇拝者に対する敵意を心のどこかに秘めているものであって、それが表に現れれば、 熱狂的なファンが憧れのスターに硫酸をひっかけたり、ピストルの弾をぶちこんだりする事件となる。 被崇拝者も本来ならば崇拝者に属するべきものを横取りした奴であることには変わりはないからである。 被崇拝者の崇拝すべき点が、崇拝者と関係のないものであれば、あるいは一般的に言えば、優者の優れている点が 劣者と関係のないものであれば、賛美するはずもないし、羨ましがるはずもないし、劣等感を抱くはずもない。 我々は自分が空を飛べないからといって、飛んでいる雀に劣等感はもたないし、桜の花が美しいからといって、 桜に劣等感はもたない(世の中にはいろいろな人がいるので、雀や桜に劣等感をもつ人もいるかもしれないが)。 劣等感は人間につきものみたいなものであるから、劣等感から決定的に解放される方法はないであろう。 もしただ一つ、その方法があるとすれば、自分より優れている人たちを自分とは関係のない別の世界の人たちと見なして、 あきらめることであろう。昔の庶民は貴族に対して別に劣等感はもっていなかったであろう。 ところが、現代は平等主義の時代で、タテマエとしてはすべての人が平等に何にでもなれることになっているから、 現代人は昔の人より劣等感に苦しんでいるのであろう。別に平等主義がいけないとは言わないが、 人々の劣等感を大いに刺激し、増大させたことはまちがいない。 また、大人と青年を比べてみると、青年は将来に希望をもち、いろいろな者になれる可能性を まだあきらめていないことが多いであろうから、大人よりも青年のほうが劣等感が一般に強いであろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/36
37: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:33:19.72 しかし、すべてにあきらめてしまって劣等感をもたなくなったら人間はやることがなくなるのではなかろうか。 嫉妬は人間の最も強い感情であり、劣等感補償は人間行動の最大の動機である。人が言ったりしたりしていることの大半は、 難しい複雑なことを考えなくても、嫉妬と劣等感補償が動機ではないかという仮説を立てれば明快に説明がつく。 幼い時に話し方に障害があったが後に雄弁家になったとか、子供の時に小児麻痺で歩けなくて後にマラソン選手になったとかの話が劣等感く。 補償の例によく出されるが、別に雄弁家やマラソン選手になることが価値のあることかどうかはわからないけれども、 少なくとも、当人にとっては人生においてやることがあったと言えるだろう。人間行動のこの最大の動機は、 人生の退屈さを紛らわす効用が大いにあると言えよう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/37
38: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:34:27.68 岸田秀の史的唯幻論 www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm 一、史的唯幻論 ニ、ペリー来航と真珠湾 三、戦争犯罪と謝罪 四、ソ連邦の崩壊 七、コメ問題 八、資本主義はなぜ世界を制覇したか 九、続・資本主義はなぜ世界を制覇したか 十、続々・資本主義はなぜ世界を制覇したか 十一、近代国家の成立 十二、近代国家の罪過 十二、近代国家の妄想 十四、フランスの狂気 十五、続・フランスの狂気 一つ嘘をつけばその嘘がバレないようにするために嘘に嘘を重ねなければならなく なるのは、自分に対する嘘、すなわち自己欺瞞の場合も同じである。 フランスは、それ以後その中華思想、大国意識のために身を誤り続けることになる。 つまり、国力の正しい評価ができず国力以上のことを企てて失敗したり、大国の誇りを 傷つけられるようなことが起こると、それを認めまいとしてかえって 傷を大きくするといったことを繰り返す。 十六、植民地解放 要するに、植民地は植民勢力の正義の幻想と力の幻想との二つの幻想に支えられているの だから、この二つの幻想が崩れさえすれば植民地はたちまち消滅する。 十七、侵略者か解放者か 精神分析においては、ある主観が自己欺瞞かどうかを判定するには、行動とその行動が もたらした現実の結果を見ればよいわけで、主観と現実の結果とが矛盾していれば 自已欺瞞だと判定して間違いないのであるが、 十八、日本人はなぜ不機嫌か 外的自己と内的自己の相剋の中で >皆さんも、本屋に行って、岸田秀「20世紀を精神分析する」文芸春秋を買ってください。 >お願いします。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/38
39: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:35:50.33 岸田秀『日本がアメリカを赦す日』 www.sam.hi-ho.ne.jp/quimito/kisida2.html ペリー来航から日本人の内的自己と外的自己の分裂が始まった。 これが従来の主張だった。『起源論』で、このような分裂は日本建国のころから すでにあったと修正した。 岸田秀の史的唯幻論 ★★★ www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm 20世紀を精神分析する 二十世紀を精神分析 狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の悪い現実から眼を起らせば、 眼を逸らした程度に正確に比例して狂うことになる。 ぽこえ帳_ 岸田秀の日本論:内的自己と外的自己 pocohechodesanmiguel.blogspot.com/2016/08/blog-post.html 「日本近代を精神分析する」の趣旨を言い直してみると、 日本という国は「長年の鎖国によって数百年に渡って平和に自閉してきたところを、ペリーによって 強姦されたことで精神分裂状態に陥った」のだそうです。 このとき日本人は「外的自己 = 他者や社会との折り合いをつけるための表面上の振る舞いを担当する役」 と「内的自己 = 外的自己とは反対の妄想的な自己愛、ナルシズム」に分裂しました。 幕末における「開国派」と「攘夷派」の対立構造はそのままこの外的自己と内的自己の関係に符合しています。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/39
40: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:37:01.57 42歳でしゃべられるようになった伊丹十三(2) 愛・正義・平和 seturi597.blog.えふc2.com/blog-entry-53.html 一神教vs多神教 岸田秀 (1_3) Terakaz.com terakaz.com/2013/09/monotheism-polytheis/ 宗教 Terakaz.com terakaz.com/tag/%E5%AE%97%E6%95%99/ 岡田斗司夫 世紀末・対談 マジメな話 岡田斗司夫 Free Download, Borrow, and Streaming Internet Archive archive.org/details/1998_20190904_201909/page/n222/mode/1up 岸田秀 岸田秀・柳澤健『日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論』亜紀書房 2016年12月刊 mixi.jぴー/view_diary.pl?id=1958484233&owner_id=17423779 岸田秀 屈辱的現実から眼を逸らすな! gekkan-nippon.com/?p=6876 明治維新 「日本がアメリカを赦す日」岸田秀 ★ hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122 岸田秀先生からの回答 www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/page030.html (10) 『日本近代を精神分析する』 (岸田秀を読む) omoinoha.exblog.jp/23161930/ 内的自己 外的自己 [書評]「精神分裂症を患っている危険な日本」 文化 hankyoreh japan japan.hani.co.kあーる/arti/culture/27065.html http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/40
41: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:38:02.80 (再録)岸田 秀+八木誠一「自我の行方」(春秋社・1500円+税) ameblo.jp/old-ball-boy3412/entry-12873884227.html 岸田 秀+八木誠一「自我の行方」 ◉自我というものは……ものすごくたけだけしいんですよね。 あんまり人のことを言えた義理じゃないんですが。イヤンなっちゃうくらい強いんですね。 ◉対談の結論は、イヤンなっちゃう、ということですか(笑)僕だって、人のことを言えた義理じゃなくて、 自我は幻想だとか相対的だとか、エゴイズムの愚かさなんて口幅ったいことを言っていますが、 自分が正当な権利と思っているものを侵害されたり、侮辱されて自尊心を傷つけられたりすると、 平静ではいられませんからね。……本当に「自我は諸悪の根源なり」ということなんですが、 それが、やめられないという人間の悲劇があるんですね。 ◉ええ、全く。このままではほんとうに人類、滅びちゃいますよ。 ◉……大昔の大型爬虫類がなぜ滅んだかはよくしりませんが、人類が滅びるとすれば、自我への固執、 神への固執、国家への固執のために滅びるのでしょうね。 【レビュー】ものぐさ精神分析 ameblo.jp/essential-insight/entry-12858172180.html http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/41
42: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:39:05.89 「日本がアメリカを赦す日」岸田秀 - 手探り、手作り hiroki-hayashi.hateなblog.com/entry/2019/04/02/222122 第三章「ストックホルム症候群」 現実を見ないとどうなるかというのは、非常に単純なことですよ。何度も繰り返しますが、日本軍の作戦なんて、 現実を見ていなかったから失敗したわけです。都合の悪い現実を無視して作戦を立てるから、 どれほど必勝の信念をもとうが、死を恐れぬ勇気をもとうが、身を犠牲にして戦おうが、不可避的に負けます。 現実を見るか見ないか、その差が現実の結果を決定します。 国家にしろ個人にしろ、同じことです。神経症も、幼いときの親子関係とか、自分に関する苦痛な都合の悪い現実を 見ないから起こるのです。これまで見ていなかった現実を見さえすれば、神経症は基本的に治ります。 非常に単純なことですよ。 その場合、神経症が治ったからといって、天にも昇るような素晴らしい気分で人生が送れるようになるわけではありません。 いやな現実を見るわけだから、前より不幸になるかもしれません。 しかし、生きるということは、現実を見て現実に生きることだと思います。現実を見るというのは単純なことです。 しかし、それができなければ、国も個人も、長い目では必ず失敗します。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/42
43: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:40:18.29 第四章「嘘のプライド」 日本だって、わが国は万世一系の天皇がしろしめす神の国であるとか、大和民族は同じ血で つながっている純粋な民族であるとか、日本兵は忠勇無双で死を恐れないとか、いざとなれば、 元寇のときのように、神が助けてくれるとかの非現実的なことにプライドをおくのではなく、 現実の日本の歴史に、現実の日本のいろいろな面に誇るべきところはたくさんあるのだから、 そこにプライドをおくべきだと思います。そうなれば、いたずらに誇大妄想と卑屈のあいだで揺れ動くのではなく、 現実の日本をより誇らしいものにしようという気にもなるというものです。 それが現実的なプライドのもち方だと思います。 個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、とんでもない間違いでしょう。 特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、 あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。 何ら特別のことはない普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。 そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを引きずっている人に見られる考え方です。 ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。 ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと思い込んでいる男が、 現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、 一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も国家も、 現実には不適応になるしかありません。 普通の人が普通である自分の存在に価値を見出し、そこにプライドをおけばいいんですよ。 自分の存在価値を証明するために何か特別のことをする必要なんてないんですよ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/43
44: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:41:32.42 岸田秀『嫉妬の時代』bot @kishidashit 嫉妬とはわれわれがやりたいけれどやれなくてがまんしていることをやった人に対する、尊敬の入り混じった憎悪の感情です。 x.com/kishidashit/status/1641376997623623681 警察権力がなぜ戸塚(戸塚ヨットスクール・戸塚宏)にそれほど嫉妬したかというと、 戦後民主主義、刑法、刑事訴訟法の改正などによって手足を縛られている権力が 潜在的にいちばんやりたがっていることを、戸塚がやったからだと思います。 x.com/kishidashit/status/1641278929511284737 昔の人は、有名人にわれわれほど嫉妬しなかったと思います。 中世の農民が貴族の贅沢な暮らしを嫉妬していたとは思えません。 あまりにも隔絶していて、比較の対象にも何もならなかったでしょうから。 x.com/kishidashit/status/1641203446031466496 能力はみんな平等ということになっているので、凡人が本来ならもたなくていい挫折感を持ち、天才に嫉妬するんです。 天才に嫉妬した凡人には、嫉妬の地獄からの出口はありません。 平等主義が、人びとの嫉妬心を猛り狂わせたというのは事実です。 x.com/kishidashit/status/1641180698001420289 一方では憎まなければならないし、他方では憎んでいることを否認しなければなりません。 嫉妬者はにっちもさっちもゆかない袋小路にはまり込みます。だから、嫉妬者の憎しみは「ウジウジ」するのです。 尊敬する人を憎んでいるため、嫉妬者は相手に怯えています。相手を畏怖しています。 x.com/kishidashit/status/1641173213135642627 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/44
45: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:43:03.99 恋愛、尊敬、崇拝というポジティブな感情と、嫉妬というネガティブな感情とは一見、正反対のようですが、根は同じです。 根は同じで、その先がちょっと違っているだけです。簡単に言えば、嫉妬とは裏切られた恋、裏切られた尊敬、崇拝です。 x.com/kishidashit/status/1641029707973136385 嫉妬していることは、相手に対する自分の劣等性の動かぬ証拠です。 心のどこかで相手が勝利者であること、彼のほうが自分より優れていることを知っているからこそ、嫉妬しているのですから。 x.com/kishidashit/status/1641075010440949760 有名人がやっているようなことは、自分にだってできると思えるのです。しかし、実際にはできません。 全能感のため、がまんというものを知らなくなっているわれわれは、耐えがたくイライラします。 x.com/kishidashit/status/1640984414669914112 有名で、われわれよりはるかに収入も多い芸能人が、好き勝手なことをしていい思いをしているのが気になって仕方がないんです。 「あいつらはどんなひどい目にあったっていいんだ。悪いことをしているんだから。天罰だ」と思っているんです。 x.com/kishidashit/status/1640848510626205696 現代ではわれわれみんながはしゃぎたがっていますから、はしゃいで目立って有名になった人は、 人気の的になると同時に人びとの嫉妬を買います。いくらはしゃいでも有名になれない人が大部分ですから、 はしゃいで有名になった人や、有名になってはしゃぐ人をわれわれは羨ましくてたまらないわけです。 x.com/kishidashit/status/1640841067032612865 嫉妬の相手を引きずりおろすか、欲望の対象を引きずりおろすかして嫉妬の苦しみから逃れようとするわけですが、 尊敬を感じざるを得ない相手も、熱烈に欲しい欲望の対象も、当人の人格構造から必然的に出てきているので、 外側の事態をどうかしようとしたってダメなわけです。 x.com/kishidashit/status/1640833406765518848 嫉妬における憎しみには、相手に対するひそかな尊敬の感情が必ず伴っています。 嫉妬者は相手を憎むと同時に尊敬しています。尊敬せざるを得ないからこそ、なおさら憎むのです。 x.com/kishidashit/status/1640773013451984896 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/45
46: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:44:03.16 岸田秀の史的唯幻論 www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210112.htm 「20世紀を精神分析する」文芸春秋 十四、フランスの狂気 すでに述べたように、個人の場合も集団の場合も、そのようなことは起こらなかったと思いたい苦痛な、 不安なあるいは屈辱的な事件が避けがたくときには起こる。そのとき、誰しもそのような事件の経験を否認し、 その記憶を抑圧し、その意味を歪曲しがちである。そうすれば、一時の気休めにはなるが、 その結果必然的に狂気に陥る。狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の 悪い現実から眼を起らせば、眼を逸らした程度に正確に比例して狂うことになる。 どのような個人も集団も都合の悪い現実から多かれ少なかれ眼を逸らしており、 したがって多かれ少なかれ狂っているが、フランスという国家に関して言えば、 近代においてこの国が狂いはじめ、いまだに狂いつづけている端緒となった事件はフランス革命である。 大革命は誇大妄想に駆られたあげくの一大愚行であった。一七八九年のバスティユ襲撃から 一八一四年の王政復古までの二十五年間に、外国人の被害は別としてフランス人だけで 二百万人が死んで(殺されて)おり、経済的、社会的、文化的損害は測り知れない。 それだけ大きな犠牲を払って実質的に得たものはほとんど何もない。 得たのは「自由、平等、兄弟愛」というむなしいスローガンだけであった。 ここで都合の悪い現実の隠蔽と正当化のメカニズムが働く。 フランス国民はこの大きな犠牲がムダだったと思いたくなかった。愚行を犯したとは思いたくなかった。 そこで実質的成果の伴わない「自由、平等、兄弟愛」のスローガンが普遍的、 絶対的価値のある高慢な理想にまで高められ、この理想を実現するためだったとして、 すべての犠牲と愚行が正当化された。フランス国民は人類普遍の理想を最初に掲げ、 その実現へと邁進した栄光ある国民だということになった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/46
47: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:45:07.96 それ以降、フランス国民は空虚な理想の追求と、その理想に反した現実とのあいだに引き裂かれ、 行きつ戻りつを繰り返している。実際、「自由」は混乱と無秩序とテロルをもたらしただけであった。 フランスは現在なおがっちりした階級社会であって、「平等」が実現されたことはもちろん、 真に追求されたことも一度もない。 フランス人は自分のことを自由を愛する個人主義者だと思っていることが多いが、 現実のフランス人はその逆とは言わないまでもその点で他の国民より際立っているわけではない。 つまり、現実のフランス人は「自由」にも「平等」にもあまり関係がないが、断乎としてそのことを認めない。 それを認めれば、大革命が大いなるムダ、愚行であったこと、フランス国民が栄光ある国民 ではないことを認めなければならなくなるからである。 革命以後のフランスの歴史はこの都合の悪い現実を見まいとするが見ざるを得ず、 またふたたび見まいとし、またふたたび現実に引き戻されるという葛藤を繰り返している歴史である。 ルイ十六世を殺しておいてナポレオンという独裁者を引き込んだというのが典型的だが、 第一共和制から第一帝制、王政復古、七月王政、第二共和制、第二帝制、第三共和制、ヴィシー政権、 第四共和制、第五共和制(実体はドゴール独裁制)へとめまぐるしく逆転するフランスの政体は この葛藤の症状であろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/47
48: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:46:04.34 一神教vs多神教 岸田秀 (3_3) Terakaz.com terakaz.com/2013/10/monotheism-polytheism3/ ●ぼくは人間は本能がこわれた動物だと言っていますね。 本能とは現実への適応行動を指示する指針のようなものですから、 本能が壊れたということは、本能と現実の間にズレが生じたということです。 本能の満足と現実への適応とは、人間以外の動物では一致しており、 動物においては、本能を満足させれば、それがそのまま現実へ適応することになるのですが、 人間においては、不幸なことに、この二つのことがズレてしまったのです。 すなわち、人間は、本能を満足させれば、現実不適応になり、 現実適応を求めれば、本能は不満足に陥るのです。 ぼくは、本能の求める自己を「幻想我」と呼んでいます。 壊れた本能は現実から離れて幻想の世界に迷い込んでいるから「幻想我」です。 生き甲斐、価値観、誇り、自尊心、アイデンティティ、己惚れ、誇大妄想などは「幻想我」に由来します。 そして、現実適応を求める自己は「現実我」です。 このような本能と現実とのズレに何とか対処するために自我が形成されたと考えられます。 自我の役割は、絶対矛盾するこの「幻想我」と「現実我」との対立を何とか調整することです。 ●自我というものをつくってしまって、それは厄介なものだから、なくせないまでも、 せめてその厄介さをなんとか減らそうと思って、 みんないろいろと考えるわけですね。ぼくは自我が幻想であることを知れば、 問題解決の糸口が見えてくるのではないかと思ってるんですがね。 しかし、やはり、幻想だとしても、ばらばらで切り離されていると感じられるところが 自我の最大の厄介なところで、それを何とかしようというのが宗教の働きなのでしょう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/48
49: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:47:04.01 LIXIL|企業情報|文化活動|お知らせ&トピックス|LIXIL ブックギャラリー お勧めの本 17 「日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論」 livingculture.lixil.com/archives/culture/information/060_book/003939.html 岸田秀氏は、「人間は本能が壊れた動物であり、幻想や物語にしたがって行動する」と主張し、 『ものぐさ精神分析』がベストセラーとなった心理学者、精神分析家である。人間には怒り悲しみ喜びという感情、 劣等感やプライド、トラウマがあり、それらに駆り立てられ、私たちは行動する。一つの国とてそれは同様なのである。 本書ではこの観点から、建国以来の日本という国と、日本と関わってきた国々の歴史(思惑と行動原理)が分析されている。 そして「なぜ今日本がこうなのか」溜飲の下がる答を示してくれる。 「『なんだ、みんなメチャクチャに生きてきたんだ。だったら私もメチャクチャに生きよう』と読者に思っていただければ、 本書の目的は果たされたことになる。」本書の聞き手、ノンフィクションライターの柳澤健氏の言葉以上に、 私たちに送られる励ましのエールはないように思う。 日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論/岸田秀著・柳澤健(聞き手)/312ページ/亜紀書房/\1,800+税 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/49
50: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:48:05.38 『続 ものぐさ精神分析〔改版〕 (中公文庫)』のレビュー 岸田秀 (y-o-yさん) - ブクログ booklog.jp/users/y-o-y/archives/1/4122025192 自我を手に入れた人間は動物が本来あるべきである自然から乖離した状態になった。 「自己」という人間の根幹にあること自体「幻想」であり、人間の抱く価値観や気持ち、自己の永続性、欲望、 劣等感などの考えや感情などは「すべては幻想である」という独自の前提で一貫して書かれている。 親子関係、アメリカ、タテマエとホンネ、しつけ、文明、恋愛や性に至るまで、人間の様々な側面を明晰に解釈している。 どの話も、読んでいて「なるほど!」と納得してしまうから面白い。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/50
51: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:49:06.41 時間と空間の起源――岸田秀「ものぐさ精神分析」(1977)覚書 - 桜心理カウンセリング恵比寿:東京の精神分析的心理療法 sakura-ebisu.com/2020/07/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%A8%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%B A%90%E3%83%BC%E3%83%BC%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80%E3%80%8C%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%90%E3%81%9 5%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90/ 岸田秀氏の「ものぐさ精神分析」収録の「時間と空間の起源」についての覚書 無意識の世界に時間は不要 フロイトは無意識は否定を知らず,すべては肯定されるため,その世界に時間は不要である, そして,意識においてはじめて時間が現れる,とした。この考え方を敷行したN.O.ブラウンは, 人間が時間と歴史をもつようになったのは,抑圧する動物だからであるとした。 悔恨が過去と時間を創出 人間の欲望は幻想と結びついているために限りがない。しかし,人間は欲望を抑圧できる。 そして,欲望を抑圧した際には「もしかしたら欲望を満たすことができていたのでは?」と悔恨が生まれる。 その欲望を抑圧した時点,欲望を満たすことができたかもしれない時点を「過去」とした。 その過去と現在の間に「時間」が構成された。つまり,悔恨が時間を産む。 時間の分割 あらゆる欲望がすぐさま満たされれば,過去と現在は区別できず,人は現在に埋没する。 しかし,満たされなかった欲望を媒介として,過去は,現在に割り込んでくる。 それを阻み,過去は過去であることを認識するために,人は時間を年,月,日,時,分と分割した。 修正される過去としての未来 また,過去をやり直すチャンスが得られるかもしれない時点として,未来を設定した。 つまり,未来とは修正される過去である。 死を恐れるのは,過去を修正するチャンスである未来が限定されるからである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/51
52: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:50:07.92 岸田 秀 『続 ものぐさ精神分析』(中公文庫)2_2 - 週に一冊 oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20160922/1474546440 三島由紀夫論 岸田 秀 カテゴリーの記事一覧 - 週に一冊 oshimayukinori.はtenablog.com/archive/category/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%80%80%E7%A7%80 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/52
53: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:51:03.05 岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)8_8 - 週に一冊 oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20150601/1433120440 <ナルチシズム論> 子供時代の全能感を、 私たちはみんな、いつまでも保持していたい しかし、人間の幼児は、遅かれ早かれ、不本意ながらも現実を発見することになる。 人間にとって、現実とは、まずはじめ、おのれの全知全能性を傷つける憎むべきもの、 否認したいものとして現れる。 幻想我とくらべて、現実我はなんと無力でみじめで、限られた存在であろうか。 だが、現実は否認しようもない。 人間誰しも本音を言えば、幻想我こそ保存したいのであり、現実我の保存は厄介で面倒な、 気が進まないがやむを得ない仕事なのである。幻想我への執着を思い切ることは彼にとって不可能である。 したがって、幻想我と現実我の対立を最終的に解決するには、むしろ現実我を消滅させる方が容易である。 つねに幻想我の邪魔をし、その足を引っぱり、いちいちうるさい条件を付ける現実我を消してしまえば、 高揚した全能感と無限の至福につながる幻想の自画像を永久に保存することができる。 現実我を消し去るとは、つまり自殺することである。自殺にはさまざまな動機がからんでいようが、 わたしの見るところではこの動機がいちばん強い。 動物が自殺しないのは幻想我と現実我の分裂がないからである。 とくに鬱病患者の自殺は、この動機に発するものであって、抑鬱感情とは、 無限の高みにのぼった幻想我の観点からみじめな現実我を見たときの感情であると思う。 三島由紀夫は、派手な仕方で現実我を滅ぼして、幻想我としてのその名の不滅化を図ったのであろう。 虜囚の辱めを避けて死を選ぶのも、同じ動機からであろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/53
54: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 18:52:30.36 岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)6_8 - 週に一冊 oshimayukinori.はtenablog.com/entry/20150525/1432520034 <時間と空間の起源> p220−4 人間は本質的に(過ぎ去ってしまった時間にとらわれる)アナクロニズムの存在である。 人間はいわゆる固着や退行を起こしうる存在、つまり神経症になりうる存在と言い換えても、 その意味するところは同じである。 過去が過去として充足し、現在が現在として充足しているならば、時間は不必要である。 そうでないがゆえにわれわれは、犯行現場に必ず立ち戻ると言われている犯人のように、 多かれ少なかれ過去に釘付けになっていて、つねに過去をもう一度やり直したがっており、 そして、過去を過去をもう一度やり直すチャンスが得られるかもしれない時点として、 過去から現在へと流れる線の延長上に未来という時点を設定したのである。 未来とは、逆方向に投影された過去、仮装された過去にすぎない。 未来とは修正されるであろう過去である。 過去において満足されなかった欲望は数かぎりなく、悔恨の種は尽きないから、 未来は無限でなければならない。 未来が限定されること、すなわち死をわれわれが恐れるのは、 過去を修正するチャンスが限定されるからである。 死刑や死病を宣告された者の絶望とは、悔恨に満ちた過去をついにこのままに とどめざるをえなくなった者の絶望である。 この意味において、死の恐怖を知るのは人間のみである。 欲望の不満がないなら、時間はないということは、われわれの日常的経験に照らしても明らかである。 われわれは、やりたいことをやって夢中で過ごした時間は短く感じる。 欲望の満足を遮られて我慢しなければならなかった時間は長く感じる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/54
55: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/08/30(土) 19:20:25.21 ナルチシズム論――岸田秀「ものぐさ精神分析」(1977)覚書 - 桜心理カウンセリング恵比寿:東京の精神分析的心理療法 sakura-ebisu.com/2020/07/monogusa/ 葛藤の究極の解決方法として,自殺によって現実我を消滅させてしまうことが挙げられている。 死んでしまえば葛藤はなくなるが,それで幻想我を生きられるわけではない。 結局,幻想我を「生き続ける」ことは到底無理な話なのだろう。 しかし,彼が「私たちが非現実的なものに関心をもつのは, そもそも生まれて初めて知った世界が幻想我の世界だからである」と言うように, 一度体験してしまったからには,私たちはその世界への憧憬を捨て去ることもできない。 結果,私たちは「両者の分裂」の中に身を置くしか術はなく,彼の言う通り, 「一時的解決法でごまかしながら,四苦八苦して」, 私たちは,せいぜい,飲酒や恋愛,芸術といったところで,一時的に,疑似体験として幻想我を生きながら, 現実我を生き抜くしかない。 しかしそう思うと,現在,コロナ禍でその体験を制限されている飲酒や芸術に触れる機会が激減していることは,心の健康に大きくマイナスだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/55
56: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/10/14(火) 16:53:31.16 日々の泡[015]評価は他人がするもの【ものぐさ精神分析/岸田秀】/十河 進 - 日刊デジクリ bn.dgcr.com/archives/20190821110300.html また、岸田さんは「人間は自分を正当化せずにはいられない存在である」と書く。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/56
57: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/10/14(火) 16:55:50.78 ものぐさ精神分析(岸田秀)「セルフイメージの構造」 - 読書メモ aburaagekun.はtenablog.com/entry/2018/12/08/125655 「人間は自分を正当化せずにはいられない存在である。 人間は自己正当化によってかろうじて自己の存在を支えられており、 自己正当化が崩されれば、自己の存在そのものが崩れるのである。 したがって、相手に対して不当な要求を持ち出す場合、 不当な要求を不当と知って持ち出すということはなかなかできるものではない。 まずそれを正当化する必要がある。 そして、正当化の根拠としてよく用いられるものの一つが、セルフ・イメージである。」 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/57
58: 名無し戦隊ナノレンジャー! [sage] 2025/10/14(火) 17:13:26.38 【聞きたい。】岸田秀さん 『唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか』 - 産経ニュース www.sankei.com/article/20190428-SQNNMYFTYBPM3E7WUJETXA5LBU/ 唯幻論の出発点には母子関係が横たわっていた、と岸田さんはたびたび書いてきた。 小さなころから神経症や人格障害のさまざまな症状に苦しんできた岸田さんは、 その原因を突き止めようとフロイトの著作を読みあさった。 そして、養子にとった岸田さんの意思をおもんぱかることなく家業(劇場)の跡継ぎに しようとした母の過剰な愛が原因だと考えるようになった。 「私はこのことを幼いころから直観的に知っていたと思われますが、それを認めてしまうと、 私を愛してくれる母との関係が崩れてしまう。そこでこの直観を無意識へと抑圧してしまった。 この自己欺瞞(ぎまん)がさまざまな症状を引き起こしていたのです」 頭ではそう認識し、これを克服しようと、母の悪口を繰り返し書いてきたが、それは徒労に終わった。 「母によって植え付けられた〈お前のためだけに生きてきた〉という観念に抵抗し、 追っ払おうとしてきましたが、85歳の現在も消えることがありません。 母は私が大学卒業直前に死んだにもかかわらず…」。岸田さんは諦観に満ちた表情で語る。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1756543290/58
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