死にたい Part.2 (312レス)
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抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

255: 2021/12/31(金)23:03 ID:qenDyWGZ0(1/5) AAS
自分語りさせて。

俺は、こういうのもなんだが、頭はそこそこよくて顔も決して悪くはない。ただ、不幸なことに、暴力を振るう親の元に生まれてしまった。

両親は俺が小学校低学年の頃に離婚して、俺と兄弟は全員父方に引き取られた。父親は普通に働いている人だったから、実際にはほぼ同居していた父方の祖母に育てられたようなものだった。
俺は長男だったからか父からも祖母からも風当たりが強かった。というか、後になって考えたら虐待を受けていた。

父親はすぐに怒鳴る、体が吹っ飛ぶほど殴る、レストランなんかの店員に高圧的、ものをぶん投げてぶっ壊すという、尊敬など一切できないような奴だ。しかも、父は身長が180以上あったので、子どもの頃の自分は、毎日毎日、父になにか怖いことをされないかという恐怖に怯えながら過ごしていた。
256: 2021/12/31(金)23:08 ID:qenDyWGZ0(2/5) AAS
では祖母はどうだったのかというと、こちらはこちらで問題がある人間だった。

祖母は県内でも指折りの大きな病院で働いていたらしいが、偶然祖母のことを知る当時の同僚から、祖母がおかしな人だったという話を聞いたことがある。

端的に言えば、祖母も父と同じくヒス気味で、よくなんだかよくわからないことを理由に愚痴を言われていた記憶がある。その中でも一番ショックだったのは、あんたのことなんて好きで育てているわけではないという一言だった。

今でこそ、「そうか、うるせえなBBA」とそんな言葉を跳ね除けることはできるだろうが、当時小学生だった自分にはキツすぎる一言だった。
257: 2021/12/31(金)23:23 ID:qenDyWGZ0(3/5) AAS
そんな畜生どもの元で育った人間が、健やかな心を持った立派な大人になれるだろうか?
答えは明白、俺の心はねじ曲がったまま成熟してしまった。

まず、人に全く興味がない。だから雑談なんて何を話していいかわからないし、人が面白そうに話す内容なんて大抵クソつまらねえなって思いつつも作り笑顔でやり過ごしてる。

あと、やたらと論理的にものを考えるようになってしまった。これは考えようによっては長所にもなり得るが、どちらかと言うと短所のほうが目立った仕上がりになってしまった。

例えば、友達とか恋人が俺に対して失礼なことや不利益になることをしたとする。そうなると、もうどうにも、なぜ彼らがそのような行動をすべきではないのかということを、論理的に説明して理解させないと気が済まない。

結果はもうわかるよね。人との関係が継続できない。どんなに理詰めで自分の正しさを説くことができたって、相手にとってそれは「反論する余地のない論理という刃」でしかないんだ。
省1
258: 2021/12/31(金)23:31 ID:qenDyWGZ0(4/5) AAS
幼い頃に親から満足に愛情を受けられなかった人間は自己肯定感が低くなるって聞いたことがあるが、俺もそれに該当すると思う。

小学生の頃はただただ父親が怖くて、母親がいないことが寂しくて、恐怖と寂しさで心が埋め尽くされていたから、自分自身が持つ価値についてなんて考える暇がなかった。中学生になってからは行動範囲や交友関係が広がるにつれて、色々な考えに触れる機会が増えた。その影響もあり、なんというか自分自身を俯瞰で見られるようになっていった。第三者的な視点で自分を見ることができるのはいいことだが、それはつまりは自分の悪い部分も目の当たりにすることになるということだ。

そう、俺が自分に生きる価値があるということを疑い始めたのはこの頃だった。
259: 2021/12/31(金)23:51 ID:qenDyWGZ0(5/5) AAS
今でこそ「生きる価値や生きる意味なんて、考えても仕方ない。ただ、生きるだけだ」なんて多少冷めた感じで人生を認められるようにはなったが、そう考えられるようになれたのなんて30手前になってやっとだった。中学生、高校生の頃の俺には、そんなに割り切って自分の人生について考えるなんてできっこなかった。

詳細は割愛するが、中学生の頃から10年以上、死にたくて死にたくて仕方がなかった。大学生の頃は「あと1週間のうちに良いことがなかったら死のう」なんて考えて、死ぬための道具をAmazonで買ったりしていた。でも、死にたいと思い続けていたにも関わらず、不思議なことに勉強だけは頑張ることができた。最近になって気付いたんだが、多分当時は無意識のうちに「勉強を頑張れば、父や祖母から認めてもらえて、幸せに暮らせる」と考えて行動していたのかも知れない。そのお陰か、高校も県内でも割と評判のいいところに入れたし、大学もまあ悪くない所に入学することができた。

大学に入ってからも上述の通り常に死にたいと思っていたが、その程度は中学生、高校生の頃の比ではなかった。というのも、大学に入学してからは金という新たな悩みが出現したからだ。

上述の通りあまりいい家庭環境ではなかったので、大学に入学してから2ヶ月程経った頃に家を飛び出して一人暮らしを始めた。大学の学費は、入学した後に父から自分で工面しろと唐突に言われてしまったので、学費と生活費を稼ぐために必死でアルバイトをした。ちなみに、下の兄弟は野球がしたいという理由で馬鹿大に入学して、バイトもせずに学費も寮費も全て父からの仕送りで賄っていたらしい。

もちろん奨学金も借りていたが、学費と生活費の両方を工面するためにそれなりの時間をアルバイトに充てた。眠い目を擦りながら勉強にも励んで、在学中に結構な難易度の資格を取ることもできた。途中でどうしても学費が足りなくて休学をして働いたりもした。とにかく必死だった。必死だったが、常に死にたかった。死にたくても、心のどこかで幸せな家庭という幻想を追いかけて頑張っていたのかも知れない。
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