空海「十住心論」要約と、真言宗の寺院墓地 (20レス)
空海「十住心論」要約と、真言宗の寺院墓地 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/
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1: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2024/12/10(火) 05:03:56.03 ID:Z7UXGXr50 てす http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/1
2: 名無しさん@京都板じゃないよ [ageやっぱ] 2024/12/10(火) 14:21:52.90 ID:BiTKCGK70 関連スレ 真言宗の寺院墓地(全県)と、十住心論の全巻要約 https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1718106860/l50 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/2
3: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:06:25.46 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論(じゅうじゅうしんろん)」(ちくま学芸文庫)抜粋 00.大綱序 生きとし生ける者たちは迷っているために、帰るべきわが家を知らないから、地獄(じごく)や餓鬼(がき)や畜生(ちくしょう)の世界に沈んで、四種の「生あるもの」に生まれかわり死にかわりして、さまよい苦しんでいる。 「四生」とは、1.母胎から生まれる、2.卵から生まれる、3.湿気から生まれる、4.突然に生まれる。 如来は、そのような無知な者をあわれんで、その帰るべき道を、お示しになったのである。帰り道には、「まっすぐなもの」もあれば、「まがったもの」もある。 しかし、密教のすばらしい車は、虚空を速やかに飛び越えて、この一生の間に、かならず到着することができる。 いま、この「大日経(だいにちきょう)」を根拠として、真言行を実践する者の、心のありかたの次第を明らかにしてゆこう。 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心1 羝羊(ていよう。雄羊)は動物の中で、もっとも性向が下劣で劣っている。それは、ただ水と草と淫欲とのみを思って、ほかに知ることがない。故に、インドの語法の上から、迷える者の類に喩えたのである。 大火事の家の中にいるような、八つの苦しみを直視しなければ、どうして「罪の報いとして、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる」と信ずることができようか。 迷いの世界における、「生」「老」「病」「死」が四苦。 さらに、「愛別離苦(あいべつりく。愛する者と離別する苦)」「怨憎会苦(おんぞうえく。にくむべき者と会う苦)」「求不得苦(ぐふとくく。求めても得られない苦)」「五陰盛苦(ごおんじょうく。肉体上・精神上の苦)」を加えて八苦。 身体の「悪しき、はたらき」には三種ある。殺すこと、盗むこと、男女の道を乱すこと。 言葉の「悪しき、はたらき」には四種ある。嘘をつくこと、ののしりの言葉を使うこと、二枚舌、うわべを飾った言葉。 意の「悪しき、はたらき」には三種ある。貪り、怒り、癡(おろか)さ。 以上のような、十種の「悪しき、はたらき」は、その一つずつが、みな「三種の悪しき世界(三悪道)」に至る原因となる。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/3
4: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:06:59.49 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心2 ・地獄趣 二つの八大地獄がある。炎と寒であって、たがいに通ずることはない。煮られ、ただれることは、魚や鳥のようであり、焼かれることは、いつの年に終わるのであろう。 極熱地獄は、「殺し」「盗み」「男女の道を乱すこと」「飲酒」「虚言」「偏見」「修行の尼に過失を起こさせること」の七悪による。 無間地獄は、「母を殺す」「父を殺す」「聖者を殺す」「仏の身体を傷つける」「教団の和合を破壊する」 という五つの重罪による。 ・餓鬼趣 すべての餓鬼は、みな貪りや妬みが原因となって生ずる。さまざまな悪心によって、さまざまな悪業をつくり、飢渇の火によって、その身を焼かれる。 少しの食物も分かち、甘味を割き与える者は、そのままに、この災難から脱れることができる。 「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」に依る。 ――もし邪まな道を実践し、邪まな考えによる教えを説き、「これは真実である」と思って、正しい真実の教えを信じなければ、魔羅身(まらしん)餓鬼の中に堕ちる。 ・畜生趣 畜生は、どこから出現したのであろうか。もとはと言えば愚癡(ぐち)の人間である。 情も身もほしいままにし、聖人・賢人のいましめを信ずることがない。悠々たる彼の愚かな者は、これこそ畜生と生まれる原因である。 強弱たがいに食いあって、助けを誰にむかって呼べばよいのであろうか。 「正法念処経」に依る。 ――相随(そうずい)畜生というものは、誰でもが、ただ生死のために布施をなすとき、ついで二人ともに、「来世に再び夫妻となろう」という願いを起こし、のちに命命鳥(みょうみょうちょう)・オシドリ・ハトとなって生まれ、多く楽しんで愛欲をなす。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/4
5: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:07:33.28 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心3 ・龍趣 「正法念処経」に言う。 ――法にしたがう行為をなす龍王の住む宮殿には、熱沙を雨降らさない。それは、前世において外道の戒をうけ、布施をするけれども、清浄ではない。 ――善心をもっているので、時には雨を降らし、もろもろの世間の五穀をみのらせ、豊作の安楽を与え安穏にして、霰(あられ)の災厄を降らさず、仏・法・僧の三宝を信じて、四天下に甘露の雨を降りそそがせる。 ――理法にかなった行ないをしない龍王の住むところには、常に熱沙が降り、宮殿やその眷属を焼き尽くし、それらは滅してまた生ずるのである。 ・阿修羅(あしゅら)趣 「おもねり」「たかぶり」の心によって布施をする者は、死後、かならず阿修羅道に至るであろう。 「正法念処経」に言う。 ――あらまし二種類がある。1.餓鬼道におさめられるもの、2.畜生におさめられるもの。 ――餓鬼道におさめられるものは、魔身(ましん)餓鬼であり、神通力をもっている。信仰がなく、常に戦闘を願うものは、羅ご阿修羅の中に生まれる。 ――種々の食物を破戒雑行の人に施して、心に正しく思念することがない。このように施しをした者は、陀摩(たま)ご阿修羅の中に生まれる。 ――精進(しょうじん)持戒(じかい)第一の人が来るのを見て、その乞い求めに応じて一食を施し、「お前は下賤の人である、何の福徳があろうか」などと言う者は、鉢呵婆(はかば)阿修羅の中に生まれる。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/5
6: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:07:52.50 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心4 ・人間趣(1/2) 「華厳経(けごんきょう)」に言う。 ――殺生の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、短命であること。二つは、多病であること。生命を傷つけ殺すからである。 「華厳経」に言う。 ――盗みの罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、貧窮であること。二つは、「共通の財産しかなく不自由である」こと。物を欠乏させるからである。 「華厳経」に言う。 ――邪淫の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、「婦人が貞節でない」こと。二つは、「意にしたがう仲間がいない」こと。人の愛するものを奪うからである。 「華厳経」に言う。 ――虚言の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、多く「そしられる」こと。二つは、人に「たぶらかされる」こと。誠実ではないからである。 「華厳経」に言う。 ――二枚舌の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、悪い仲間を得ること。二つは、不和の仲間を得ること。人の親愛を離れさせるからである。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/6
7: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:08:20.41 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心5 ・人間趣(2/2) 「華厳経」に言う。 ――悪口の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、常に不快な声を聞くこと。二つは、「言葉を発するところに、常に諍いがある」こと。もろもろの道徳に逆らっているからである。 「華厳経」に言う。 ――「正しい意味内容のない言葉」の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、「何を言っても人の信用を受けられない」こと。二つは、「何かを言っても意味をはっきりさせられない」こと。みな愚かであることによる。 「華厳経」に言う。 ――貪欲の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、多欲であること。二つは、満足に至らないこと。求めて厭(あ)くことがないからである。 「華厳経」に言う。 ――怒りの罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、「すべての人びとから常にその長所・短所を指摘される」こと。二つは、「常に他の人びとから悩まされ傷つけられる」こと。「他人を包容することができない」からである。 「華厳経」に言う。 ――邪見の罪は、生ける者を地獄・餓鬼・畜生に堕とすことになる。 ――もし、人間界に生まれれば、二種類の報いを受ける。一つは、「邪まな見解の、持ち主の家に生まれる」こと。二つは、おもねりの心を持つこと。正しい理法を知らないからである。 もし、よく悪に反して善をなす人がいれば、その人は、すなわち我が師である。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/7
8: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/17(火) 16:09:09.91 ID:L1X5/cJb0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心6 ・羝羊外道 「時間や物質要素や自在天が存在の本源だ」と考える外道、ヨガの実習で自我を究竟する外道、魂の存在を主張する外道、「すべての存在は自然に有る」と考える老荘、三十の大外道は、それぞれに、真実に迷い輪廻する。 仏教の中の犢子部(とくしぶ)と、および説一切有部(せついっさいうぶ)との両部は、「過去・未来・現在の、三世を通じての実在がある」と主張している。 もし、「過去・未来・現在が実在している」のであれば、「数取趣(さくしゅしゅ。個体存在)が存在している」のと同じである。 これは、仏のお説きになった、三種の真理のしるし「諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」に矛盾する。 インドのもろもろの菩薩(ぼさつ)が、種々の論を著して、これらの主張を論破している。 諸行無常とは、「世の中の一切のものは、常に変化し、生滅して、永久不変なものはない」こと。 諸法無我とは、「あらゆる事物は、因縁によって生じるものであり、不変の実体である『我』は存在しない」こと。 涅槃寂静とは、「あらゆる煩悩や苦しみから逃れた、安らぎの境地が、もの静かである」こと。 また、もし魂が輪廻の世界に遍在するのであれば、どうして、また生と死があるのか。 もし、仏教を信ずる人が、自らの心の、真実の姿を見ることなく、誤って認識し、それに執著(しゅうちゃく)すれば、「我あり」とする誤った見解と同じことになる。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/8
9: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:54:37.91 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地1 愚童持斎心(ぐどうじさいしん)というのは、すなわち、人間としての存在(人趣)において、やや善なる心がきざし、迷える者が、自分の心の根底に本来、有する、仏の心に帰るはじめである。 あやまちを知れば、かならず改め、賢人を見ては、「それと等しいものになろう」と思い、初めて因果の道理を信じ、だんだんと善い行ないと悪い行ないの、報いの結果にうなずく。 ・六心 種子(しゅうじ)の心とは、「大日経疏(だいにちきょうしょ)」に言う。 ――世の中には、遠いはるかな昔より、今に至るまで、次第に伝え伝えられてきた、善と言われる物事がある。突然として、おのずから善に対する思いが生ずる。 牙種(げしゅ)の心とは、「大日経」に言う。 ――「貪り求めるのを止めたことで、内に利益・安楽を得る」のを見て、「この善きことを実践して増大せしめよう」と思うから、自分の財として用いるものを捨てて、最も親しい人々に与えるのである。 疱種(ほうしゅ)の心とは、「大日経」に言う。 ――また、これをもって見知らぬ他人にも施し与える。 葉種(ようしゅ)の心とは、「大日経」に言う。 ――また、この施しを「才能のすぐれた徳の高い人」に与える。すなわち、これは聡い性質が次第に開けて、正しい道理を説く者にめぐりあう理由である。 花種の心とは、「大日経」に言う。 ――音楽家や長老など、施すところの相手の是非を分けてえらび取り、「その他の者のためになる」ことを見る。 成果の心とは、「大日経」に言う。 ――布施を実践して心が純粋に熟し、ただ歓喜するだけではなく、また、よく親しみ、慈しむ心によって、すべての、すぐれた行ないの人に施し与える。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/9
10: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:55:06.02 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地2 ・三帰戒(さんきかい) 子牛に母牛がなければ、必ず死ぬことは疑いがなく、ヤマイヌや狼が、すべて走って、やって来る。 生けるものが仏に帰依しなければ、悪魔や鬼人が、みな、やって来て取り囲む。世間の道徳をたもって犯すことがなければ、来世に美名をはせる。 王は彼に語って、汝が恐れなきことを求めるならば、我が国境から出てはいけない。我が教えに違反してはいけない。必ず汝を救い護るであろう、と言うようなものである。 仏・法・僧の三宝に帰依し、仏の教えに違うことがなければ、悪魔に囚われることはない。 ・五戒 そもそも五戒とは、中国の典籍にある五常の教えと同じである。すなわち、仁・義・礼・智・信である。 「あわれんで殺さない」のを仁と言い、相手を害なうのを防いで「男女の道を、乱すことをしない」のを義と言い、「ことさらに、心に酒を禁ずる」のを礼と言い、「清らかに思察して盗みをしない」のを智と言い、「道理にのっとった言葉でなければ語らない」のを信と言う。 「薩婆多論(さばたろん)」に言う。 ――過去七仏中の第六の、迦葉(かしょう)仏のときに、在家の男性の信者がいた。彼は飲酒することによって他人の妻を犯し、他のものの鶏を盗んで殺した。他人がやって来て問うのに、「盗まない」と言って、嘘の罪を犯した。 偈に言う。 ――五戒は身をたすけて、人間界・天上界に生まれる果報を受ける。 ・八戒(はっかい) 八戒とは、八斎戒(はっさいかい)の略で、在家の信者が一日一夜、守るべき戒めのこと。毎月の六斎日(8日、14日、15日、23日、29日、30日)に守る。 一には、生物を殺さない。二には、盗みをしない。三には、邪まな関係をもたない。四には、嘘をつかない。五には、酒を飲まない。六には、きらびやかに飾ることなく、歌舞を聴視しない。七には、高くゆったりとしたベッドに寝ない、という戒めである。 「善生経(ぜんしょうきょう)」に言う。 「八戒を受ける者は、五逆罪(「母を殺す」「父を殺す」「聖者を殺す」「仏の身体を傷つける」「教団の和合を破壊する」)を除いて、他のすべての悪はみな消滅する」と云々。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/10
11: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:55:29.94 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地3 ・十善戒 「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」巻二に言う。 ――殺生と怨みとを離れて、慈しみを生ずれば、神々に守護される。死後、天界に生まれる。 ――盗まず、「足る」を知って施せば、みな信頼する。死後、天界に生まれる。 ――異性に対する邪まな行為を離れて、煩悩の心がなければ、自分の配偶者に満足し、もろもろの善きことを摂める。死後、天界に生まれる。 ――嘘を離れたならば、すべての人は、みな信じる。死後、天界に生まれる。 ――二枚舌を離れた者は、親しい人とも、疎い人とも関係が確かで、「怨みによって破られること」はない。死後、天界に生まれる。 ――悪口を離れて、やさしい言葉で語れば、人はみな安らかである。死後、天界に生まれる。 ――飾った言葉を離れた人は、正しい言葉を説くので、世の中で尊重される。わずかに、やわらかい言葉で説くと、他人に理解されやすい。死後、天界に生まれる。 ――他人の財産を貪らず、心に願わなければ、現世に珠宝を得る。死後、天界に生まれる。 ――怒りを離れた者は、人びとによって愛し念われ、「恐ろしい悪処(地獄)に関係をもつこと」もない。死後、天界に生まれる。 ――邪まな見解を捨てた者は、すべての煩悩という、害をなすものから、みな、ことごとく離れる。死後、天界に生まれる。 ――このような十善の、上と中と下の部類は、小国の王と転輪聖王(てんりんじょうおう。理想の帝王)と三乗(さんじょう)との、いずれかになるものである。 ――三乗とは、1.「教えを聞いて」さとる声聞乗(しょうもんじょう)。2.「自分で」さとる縁覚乗(えんがくじょう)。3.「他者をさとりに到らせる」よう努める菩薩乗(ぼさつじょう)。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/11
12: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:55:55.98 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地4 ・不正治(ふしょうじ)国王 「金光明経(こんこうみょうきょう)」に言う。 ――四天王(してんのう)は、ともに仏に申し上げた。 ――もし人間の王があり、その国土に、この経典があっても、広まっておらず、よく聞こうと願わず、供養することがない。 ――正しい理法を信ずることなく悪人に親しみ、国中の大臣と役人とが、「へつらい」と「おもねり」を心にいだいて、ともに、ことごとく非法を行う。 ――国を守護する諸天および薬叉(やくしゃ)は、国の領土を捨て去って他方に行く。国土に、災害変事が、たびたび現れる。 ・正治国王(1/3) 「金光明経」の経文にしたがえば、国王の正しい政治には、かならず3つの条件がある。 1つには、怠けることなく、有徳の人に親しみ近づく。2つには、正しい信仰をもって、この経文を聴聞し受持する。3つには、「王法を犯した者」を正しい理法によって罰する。 「王法正論経(おうぼうしょうろんきょう)」に言う。 ――「国王の過失」とは、どういうことか。 ――族姓が高くない。官僚のいましめにしたがうので、詩歌管弦(しいかかんげん)の遊びを興さない。群臣の小さな過失を見て、重い法をもって刑罰を加える。 ――群臣たちが仕え守ること清廉であっても、手柄に報いることが完全でなく、滞ったりして、ようやく与える。 ――心のねじけた者の、おもねりの言葉を受け取る。さまざまな仕事を、国の法律の中において、委任するにたえない者に任す。 ――恩賞を与えるべき者に刑罰を与え、刑罰を与えるべき者に恩賞を与える。 ――慈(楽を与える)・悲(苦を除く)・喜(「他者が安楽を得る」のを喜ぶ)・捨(他者に対し愛憎など心の差別がない)の心をもって、広く救済する行為も起こさない。 ――年老い衰えた、かつて親しみ仕えていた群臣に、階位・給与を与えず、捨てて、かえりみない。五欲(財・色・飲食・名・睡眠)にひたすら沈み、慎むことができない。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/12
13: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:56:24.70 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地5 ・正治国王(2/3) ――「国王のすぐれた特性」というのは、どういうことか。 ――王族に生まれ、あらゆる人民を恵み養い、仏・法・僧の三宝を浄らかに信仰する。これを、「族姓が高い」と言う。 ――詩歌管弦の遊びを興し、命令が広く行きわたって、滞ることがない。 ――群臣たちが、少々のあやまちを犯すことがあっても、よく許す。群臣たちに「大きな誤り」があっても、重い法律をもって刑罰せず、過失の軽重によって、あわれみをもって裁く。 ――群臣の心が清廉であれば、時々、正しく円満な言葉でいたわり、恩賞をわかち与える。忠実で、潔白で、よく法律にしたがう人の進言を信じ用いる。 ――何かをなすときには、よく思い、よくえらんで、そののち実行して、また乱暴でない。 ――群臣たちの集まりにおいても、意見の終わりまで、言葉を発して、「他の人の論」を中断させることなく、かならず待って論議を起こし、先王の教えのとおりに実行する。 ――「王の衰え」とは、どういうことか。 ――群臣たちの忠信・技芸・智慧の区別を、よくえらびとることなく、厚く位階・給与を与え、重ねて地位を与え、委任し、いたわる。 ――この群臣は、財宝を浪費し、敵に遭っても逃げだし、主君を心配することもない。 ――群臣の忠信・技芸・智慧をえらびわけても、位階・俸禄を与えず、相当する仕事を任せることがない。急難の時にのぞんで、諸臣たちに特別の位階を与える。 ――群臣たちは互いに言う。「国王は、危険がせまっているので、我らにしばらく恩恵を与えようとしているが、長つづきする心からではない」と。 ――国王がいて、国務などの事において、時々に独り、あるいは智慧ある士とともに、なすべき手だてを正しく考えず、布施や恩賞をなさず、戦時の任務を心におかない。 ――国王がいて、王家・宮廷・庫蔵への人の出入りを禁じず、国家の秘密を婦人に向かって説き、狩猟や賭博に財宝を浪費する。 ――国王がいて、清らかで聡明な沙門に質問し、教えを聞くことができても、そのとおりに修行しない。 ――この国王は、「現世の報いを失い、来世には人間界・天界の福徳を失う」と知るべきである。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/13
14: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/18(水) 10:57:23.91 ID:2jjQhYZV0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地6 ・正治国王(3/3) ――「王の愛すべきもの」とは、どのようなものか。 ――すべての正しい事柄をはっきりと認識し、手段を講じて争うことなく反対派を包容する。 ――倉庫の増減を考えて、物惜しみせず平等に、時候の様子にしたがって給与する。医者に食事の内容を聞いて、その指示にしたがって、分配する。 ――「王の善き事柄を勤め修める」とは、どういうことか。 ――国王がいて、王子・大臣と、ともに布施を実践し、受戒・瞑想をなし、護摩の息災と増益をなし、壇を建立して師より法を授かり、「弟子となることを許可される」灌頂(かんじょう)の法を受ける。 ――毎日、早朝に、この秘密主(金剛薩た)の教を、あるいは読み、あるいは唱えて、これによって修行する国王を、聖王と名づけ、法王と名づける。 ――諸仏・菩薩・護法の神龍は、常に守護する。 (cf)高野山または高野山東京別院での結縁灌頂(けちえんかんじょう)と、高野山参与会https://odaishi.fun/ ・輪王 「順正理論(じゅんしょうりろん)」に依る。 ――「契経(かいきょう)」に言う。「善王が、王族に生まれ、王位を継ぎ、仏の戒めを受けるとき、東方に『王を先導して敵を降伏させる』金輪宝(きんりんぼう)が現れる」と。 ――「同経」に言う。「七宝(しちほう)が世間に出現する。いわゆる輪宝(りんぼう)と象宝と馬宝と珠宝と女宝(理想の妃)と主蔵臣宝(しゅぞうじんぽう。財政を司る、有能な大臣)と主兵臣宝(しゅぴょうじんぽう。すぐれた将軍)とである」と。 「起世経(きせきょう)」に言う。 ――転輪聖王(てんりんじょうおう)が歿(ぼっ)すれば、七宝も、みな隠れてしまう。城はかわらと土に変わり、人民が減少して滅亡してしまう。 「十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)」に言う。 ――「聖位の菩薩の、十の修行段階」のうちの、「第二の境地」にいる菩薩が、まだ欲望を離れていないならば、転輪聖王となる。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/14
15: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:32:32.29 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地1 愚かな児童のような心も、心のうちにある、絶対真実の影響によって、苦を嫌がる。 仏の戒めを守って天界に生まれ、善を修めて地獄を脱しようとする。そうなると、下をにくむ心と、上を喜ぶ願いが、はじめて起こってくる。 嬰童(子供)とは、「初心ということ」から名づけられ、無畏(畏れなきこと)とは、「煩悩の束縛を脱すること」にちなんで名がたてられた。 ・仏教以外の三宝(さんぼう)と世間的な瞑想 「大日経」に言う。 ――これは天であり、すべての楽を与える者である。もし真心をこめて供養すれば、願いとするところのものは、みな満足する。 ――いわゆる自在天(ヒンドゥー教のシヴァ神の異称。仏法の守護神)・梵天(古代インドで宇宙の根源とされたブラフマンを神格化したもの。仏教護持の神)である。誰でも、このようなことを聞いて、心に喜びをいだき、恭しく敬い、したがい、修行する。 これは、戒めを守って、仏教以外の三宝(仏宝・法宝・僧宝)に帰依することである。 「大日経疏(だいにちきょうしょ)」に言う。 ――戒めを守ることにより、現世でもろもろの恩恵を得て、名聞と利得のために心身が安楽である。死後は、天界に生まれることができる。 仏の教えの、すぐれていることを聞いて、帰依する。 「大日経疏」に言う。 ――もし修行者が、正しく「原因と条件との意義」を理解せずに、瞑想を修めれば、自らの心に執著(しゅうちゃく)して、それを内的な自我だとする。 ――世間の、すべての存在するものは、心によって存在することを見て、「神我(しんが)によって創造された」と思うのである。 ――深奥なる境地を求めれば、自我のみが独り存在する。あるいは、「すべてが空である」と観察する瞑想を明らかにする。 ――このゆえに、かえって迷いの世界に堕ちる。これは、外道の、世間の人びとの瞑想である。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/15
16: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:33:28.24 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地2 ・十六外道 第一は、「原因の中に結果がある」と執われる雨際(うさい)外道。 第二は、「本よりある存在が、条件によって顕れる」と考える、インド六派哲学の、精神・物質の二元論や、声常住論。 第三は、「過去・未来という時間が実在する」と考える、インド六派哲学の勝論(かつろん)や、バラモン教系の時間論。 第四は、「自我が実在する」と考える、ジャイナ教や、仏教部派の犢子部(とくしぶ)。 第五は、最高神イーシーカを祀る外道などで、「何か永遠なるもの」を考える。 第六は、「苦を生み出す、過去世の悪しき原因を消滅させる」と執れ、苦行を修める無繋(むけ)外道。 第七は、「苦楽は、大自在天(ヒンドゥー教のシヴァ神の異称。仏法の守護神)が原因である」と考える。 第八は、「肉を食べたいので、供犠(くぎ)は正しい」と討論する、五濁悪世(ごじょくあくせ。1.時代のけがれ。2.思想の乱れ。3.煩悩がはびこる。4.生けるものの質の低下。5.生命が短くなる)の婆羅門(バラモン教の司祭)。 第九は、「限界と無限界について瞑想する」が、有限の想念に住する。 第十は、「不死であるところの、秘密の天に仕えている」などと言う、四種の不死矯乱(ふしきょうらん)外道。四種とは、1.真理を会得していない者、2.思いあがりを起こした者、3.心境が確定できていない者、4.愚鈍な者。 第十一は、「すべての存在に原因はない」と考える無因外道。 第十二は、「自分が死ねば、何も存在しない」と考え、断を計する論者。 第十三は、「因果もなく、善悪もなく、聖者もいない」と考え、空見を計する論者。 第十四は、「婆羅門は勝れた族姓だが、他は劣っている」と考える。 第十五は、「沐浴・犬のマネ・裸形・苦行、あるいは、灰や油墨(ゆぼく)や糞穢(ふんえ)を身に塗るなどの行為で、清らかになる」と考える。 第十六は、「吉祥の相を占う」と日月を供養する。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/16
17: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:34:03.03 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地3 ・瞑想の四段階と精神世界 初めの瞑想とは、「順正理論(じゅんしょうりろん)」に言う。 ――下方の段階である、欲望の世界を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。 ――上法の段階である、離生喜楽地(りしょうきらくじ。「欲望の世界の悪を離れる」ことによって生ずる喜楽を得る段階)を対象とするとき、静寂・殊妙(しゅみょう)・分離のうち、1つがあらわれる。 第二の静慮(じょうりょ)とは、 「順正理論」に言う。 ――第1段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。 ――上法の段階である、定生喜楽地(じょうしょうきらくじ。瞑想によって生ずる喜楽の段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。 第三の瞑想とは、 「順正理論」に言う。 ――第2段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。 ――上法の段階である、離喜妙楽地(りきみょうらくじ。妙なる楽を得る段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。 第四の瞑想とは、 「順正理論」に言う。 ――第3段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。 ――上法の段階である、捨念清浄地(しゃねんしょうじょうじ。念慮を捨て去った清らかな段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。 「倶舎論(くしゃろん)」に言う。 ――上方の段階の瞑想において、下方の段階の汚染を離れているから、「解脱への道の、第九の段階の尽きるところ」が現れるときには、かならず上方の段階の瞑想に入る。 ・三界(さんがい)の諸天 「戒めを守って天に生まれる」ということに、三種がある。 一には、仏教以外の教えの護戒生天(ごかいしょうてん)。二には、上座部(じょうざぶ)仏教の護戒生天。三には、大乗(だいじょう)仏教の護戒生天。 天界の分類に、三種がある。 一には、欲望の世界である「欲界(よっかい)」。二には、物質世界である「色界(しきかい)」。三には、精神世界である「無色界(むしきかい)」。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/17
18: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:34:58.46 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地4 ・欲界(よっかい)の諸天 - 食欲と性欲との、二欲を有する者の住処 「起世経(きせきょう)」に言う。 ――帝釈天(たいしゃくてん。雷霆神《らいていしん》インドラ。仏法の守護神)の宮殿の外に、三十三天の宮殿がある。 「倶舎論」に言う。 ――次の生涯において、仏となることが約束されている菩薩は、都率天(とそつてん)の中に生まれる。 十の善を修めることによって、下の部類は、星・月・日の天宮に生じる。 中の部類は、四天王と、三十三天(さんじゅうさんてん)と、夜摩天(やまてん)に生じる。 上の部類は、都率天(とそつてん)と、化楽天(けらくてん)と、他化自在天(たけじざいてん)に生ずる。 欲望の世界の、六つの諸天は、みな煩悩の心がある。彼が、怠けることがなければ、この天の上に生まれ、もし怠ければ墜落するであろう。 ・色界(しきかい)の諸天 - 食欲と性欲との、二欲を離れた者の住処 「順正理論」の第八十に言う。 ――上の階位の生を受くべき、現世の行為が、次の次の未来世に結果を受ける業をつくったのである。 ――かの行為の報いがすでに熟して、まさに目のあたりに現れようとするとき、勢力がたかまって瞑想を起こさせることとなる。 ――まだ下方の段階の煩悩が離れていない場合には、かならずしも上方の段階に生まれることはない。 無想天(むそうてん)とは、「倶舎論」に言う。迷える者・仏教以外の者は、この瞑想による。 ――彼らは「想念がない」ということに執われ、それを真実の解脱と考え、「煩悩から離れ出よう」という想いを起こして、瞑想を実習する。 瞑想は善であるから、かの天の報いを招く。無想天において死ねば、かならず欲望の世界に生まれるが、五趣(地獄・餓鬼・畜生・人・天)のいずれかは不確定である。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/18
19: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:35:27.68 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地5 ・無色界(むしきかい)の諸天 - 精神世界 「倶舎論」に説一切有部(せついっさいうぶ)が言う。 ――精神世界には、物質的存在がないから、方向も場もない。 「瑜伽論(ゆがろん)」の五十三に言う。 ――精神世界の中には、瞑想の対象界としての身体があって、すべてを変ずる。 諸師の説くことが不同である。引用は右のとおりである。 空無辺処(くうむへんじょ)と識無辺処(しきむへんじょ)と無所有処(むしょうしょ)との、「上ること」と「退くこと」とは、「怠けること」と「怠けないこと」とに、ほかならない。 非想非非想処(ひそうひびそうしょ)の一つのところは、かならず下方に生ずる。「矢を空中に射ても、力が尽きれば地上に落ちる」ようなものである。 ・真言の密意(1/2) 嬰童無畏心(ようどうむいしん)とは、「天に生まれる」という教えである。 「天の教え」には、二種類の理解のしかたがある。一には浅略(せんりゃく)的理解と、二には深秘(じんぴ)的理解とである。 「大日経」に、「我はすなわち天・龍・餓鬼などである」と言う云々。言うところの我とは、大日如来である。 「大日経」に、もろもろの天・人・餓鬼などの真言がある。また、もろもろの世天(本尊の分身である神々)などの、普明の心真言がある。 ――ロキヤロキヤ(世間・暗冥・無明)キヤラヤ(智慧を作る)サラバ(すべての)デイバ(天)ナウギヤ(龍) ――ヤキシヤ(「夜乞叉」という名の「仏法を守護する神」)ゲンタラバ(「健闥縛」という名の「仏法を守護する神」) ――アソラギヤ(「阿修羅」という名の「仏法を守護する神」)ロダ(「掲露荼」という名の「仏法を守護する神」) ――キンダラ(「緊那羅」という名の「仏法を守護する神」)マゴラギヤ(「摩呼羅伽」という名の「仏法を守護する神」) ――デイ(等)カリダヤ(心)タヤキヤヤ(摂めて真理を会得させる)ビシツタラギヤチ(実践)ソワカ http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/19
20: 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2025/06/19(木) 17:37:41.12 ID:v336EH3M0 空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地6 ・真言の密意(2/2) すべての世間の「条件によって、生起するもの」の存在は、さまざまな色彩・形態・相をそなえている。 「一切万有は、本来、生起しない」ことを阿字が象徴表現する、と説く、その阿字門に入るならば、すべての相を離れることになる。 相を離れた相とは、「真実そのものを身体とする仏が、すがたかたちをとった色身(しきしん。生身の仏)」であって、曼陀羅をそなえている。 世天の真言と大日如来の真言とは、「別ならざるもの」なのである。この一字を読誦すれば、すべての、人・天の、教えの法門を持つことになる。 「大日経」に言う。 ――世尊は、さまざまの手段をもって、智慧を説きたもう。この智慧の道は一味であり、如来の解脱(げだつ)味である。 ――あるいは、声聞(しょうもん)乗・縁覚(えんがく)乗の道。 ――あるいは、大乗・五通(ごつう)智の道。 ――1.思うところに行ける神足通(じんそくつう)。 ――2.超自然的な視力の天眼通(てんがんつう)。 ――3.世間のあらゆる声を聞く天耳通(てんにつう)。 ――4.他者の心中を知る他心通(たしんつう)。 ――5.自他の過去の状態を知る宿命通(しゅくみょうつう)。 ――あるいは、天・人中、および、龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・摩喉羅伽(まごらか)に生まれる教えを説きたもう。 ――このような如来の象徴は、菩薩のしるしと同じである。 ――「身体の動作は、みな秘密の印契(いんげい。もともと『釈尊の瞑想』の表徴で、後に、諸仏・諸菩薩の瞑想や誓願を表現)であり、舌より生ずる言葉は、みな真言である」と知るべきである。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1733774636/20
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