従軍慰安婦と日本兵の間に子供がいない件 (77レス)
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5: 名無しかましてよかですか? [sage] 2012/12/21(金) 22:08:51.38 ID:rI+vByDp 海軍経理学校補修学生第十期文集刊行委員会企画編集『滄溟』(1983年,同委員会)所収の坂部康正氏の手記(312頁) 命の心配がなく、食事も充分と言う事となると夜考えるのは女の事、なんで日本女性を泡を食って帰したか、今更くやんでも始まらない。 我々ガンルームは始めから現地女性とうまくやっていたから不自由はなかったが、 収まらないのは偉いさん達、特にM参謀はこの件についてご熱心で、転勤前に山形長官からお許しを得ているからという事で、 アンボンに東西南北の四つのクラブ(慰安所)を設け約一〇〇名の慰安婦を現地調達する案を出された。 その案とはマレー語で、「日本軍将兵と姦を通じたるものは厳罰に処する」という布告を各町村に張り出させ、密告を奨励し、その情報に基づいて 現住民警察官を使って日本将兵とよい仲になっているものを探し出し、きめられた建物に収容する。 その中から美人で病気のないものを慰安婦としてそれぞれのクラブで働かせるという計画で、 我々の様に現住民婦女子と恋仲になっている者には大恐慌で、この慰安婦狩りの間は夜歩きも出来なかった。 日本の兵隊さんとチンタ(恋人)になるのは彼等も喜ぶが、不特定多数の兵隊さんと強制収用された処で、いくら金や物がもらえるからと言って男をとらせられるのは喜ぶ筈がない。 クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度も聞いて暗い気持ちになったものだ。 果たして敗戦後、この事がオランダ軍にばれて、現住民裁判が行われたが、この計画者は既にアンボンに居らず、 それらの女性をひっぱった現地住民の警官達がやり玉に上って処罰された程度で終ってしまった。 彼女達が知っているのはひっぱった警官だけで、この事件の真相は闇に沈んだ。 *坂部康正氏は、海軍第25特別根拠地隊司令部付きの主計将校だった。 http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1355929973/5
6: 名無しかましてよかですか? [sage] 2012/12/21(金) 22:11:09.73 ID:rI+vByDp 禾晴道『海軍特別警察隊』(1975年,太平出版社)p109〜116 IX 慰安婦狩り アンボン島のような小さなケシ粒のような島にも、中国大陸の戦線と同じように、男性の生理的欲求を処理するための「慰安所」が設置されていた。 日本国内にもあった「赤線地区」であり、昔は「女郎部屋」と呼ばれていた売春宿であり、軍隊がつくっていた公認のものであった。 そこには日本女性も動員されていたし、もちろん現地人女性が多く集められて運営されていた。 彼女たちは、軍人を慰める目的であることから「慰安婦」と呼ばれていた。国家権力による強姦強要でもあった。 (109〜110頁) そして、再び現地人の女性を集めて、慰安所をつくろうという動きが海軍司令部からだされていた。 (112頁) そして慰安婦を集める作業はどこがやるのか、各隊はそれにどのように、どの程度まで協力するかが当然討議されなければならなかった。 問題は現地人を、どううまくごまかすかが会議の本当の議題でしかなかった。それは一つの謀議でもあった。 (113頁) 対象が決定したので、つぎは方法であった。 早急に対象となる女性のリストを作って、本人に交渉する。 ある程度の強制はやむをえないだろうということだった。 (114頁) 副官の大島主計大尉はなにがなんでもやってやるぞ、という決意を顔一面に現わして、 「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、そのためには、宣撫用の物資も用意する。」 (中略) http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1355929973/6
7: 名無しかましてよかですか? [sage] 2012/12/21(金) 22:13:16.95 ID:rI+vByDp >>6の続き こんな小さな島に、これだけの銃をもった日本軍が陣地をつくっているのだから、日本軍の要求することを拒否もでき、承諾もするという対等な自由が、 本当に存在すると思っている考え方もじつに自分勝手であったのだろうが、そんなことに気づいていなかった。 (中略) 民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。 「あの慰安婦集めでは、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、 娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!! 娘を返せ!! と叫んだ声が耳に残っていますよ。 こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。 敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」。 (115〜116頁) *禾晴道氏は1942年1月第一期海軍予備学生として海軍経理学校に入校、ただちに軍令部勤務。 1944年3月以降インドネシアのセレベス民政部アンボン海軍特別警察隊に将校として勤務。 http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1355929973/7
8: 名無しかましてよかですか? [sage] 2012/12/21(金) 22:14:38.53 ID:rI+vByDp 森利『モリトシの兵隊物語ー一兵士の哀歓ー』(1988年,青村出版社)227〜228頁 私は三日間の休養日に開設する特設慰安所の長を命ぜられる。 先ず、前線司令部のある○城の軍政部に、自動車二台と一個分隊の警備兵を伴って出頭する。 軍政部の係官と書類手続きを済ませ、二十五人の慰安婦と賄婦、監督(やりてばばあ)、総数三十人を受領する。 彼女等は朝鮮ピーと違い、現地で徴発した支那ピーで、半分は素人、半分がセミプロ程度のようだった。 軍政部から金が支払われている。二台の車に分乗させ、逃亡されないように警備も分乗する。 http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html http://egg.5ch.net/test/read.cgi/kova/1355929973/8
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