従軍慰安婦と日本兵の間に子供がいない件 (77レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
5: 2012/12/21(金)22:08 ID:rI+vByDp(1/4) AAS
海軍経理学校補修学生第十期文集刊行委員会企画編集『滄溟』(1983年,同委員会)所収の坂部康正氏の手記(312頁)

命の心配がなく、食事も充分と言う事となると夜考えるのは女の事、なんで日本女性を泡を食って帰したか、今更くやんでも始まらない。
我々ガンルームは始めから現地女性とうまくやっていたから不自由はなかったが、
収まらないのは偉いさん達、特にM参謀はこの件についてご熱心で、転勤前に山形長官からお許しを得ているからという事で、
アンボンに東西南北の四つのクラブ(慰安所)を設け約一〇〇名の慰安婦を現地調達する案を出された。
その案とはマレー語で、「日本軍将兵と姦を通じたるものは厳罰に処する」という布告を各町村に張り出させ、密告を奨励し、その情報に基づいて
現住民警察官を使って日本将兵とよい仲になっているものを探し出し、きめられた建物に収容する。
省9
6
(1): 2012/12/21(金)22:11 ID:rI+vByDp(2/4) AAS
禾晴道『海軍特別警察隊』(1975年,太平出版社)p109〜116

IX 慰安婦狩り

アンボン島のような小さなケシ粒のような島にも、中国大陸の戦線と同じように、男性の生理的欲求を処理するための「慰安所」が設置されていた。
日本国内にもあった「赤線地区」であり、昔は「女郎部屋」と呼ばれていた売春宿であり、軍隊がつくっていた公認のものであった。
そこには日本女性も動員されていたし、もちろん現地人女性が多く集められて運営されていた。
彼女たちは、軍人を慰める目的であることから「慰安婦」と呼ばれていた。国家権力による強姦強要でもあった。 (109〜110頁)
そして、再び現地人の女性を集めて、慰安所をつくろうという動きが海軍司令部からだされていた。  (112頁)   
省8
7: 2012/12/21(金)22:13 ID:rI+vByDp(3/4) AAS
>>6の続き

こんな小さな島に、これだけの銃をもった日本軍が陣地をつくっているのだから、日本軍の要求することを拒否もでき、承諾もするという対等な自由が、
本当に存在すると思っている考え方もじつに自分勝手であったのだろうが、そんなことに気づいていなかった。
(中略)
民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。
「あの慰安婦集めでは、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!! 娘を返せ!! と叫んだ声が耳に残っていますよ。
省5
8: 2012/12/21(金)22:14 ID:rI+vByDp(4/4) AAS
森利『モリトシの兵隊物語ー一兵士の哀歓ー』(1988年,青村出版社)227〜228頁

私は三日間の休養日に開設する特設慰安所の長を命ぜられる。
先ず、前線司令部のある○城の軍政部に、自動車二台と一個分隊の警備兵を伴って出頭する。
軍政部の係官と書類手続きを済ませ、二十五人の慰安婦と賄婦、監督(やりてばばあ)、総数三十人を受領する。
彼女等は朝鮮ピーと違い、現地で徴発した支那ピーで、半分は素人、半分がセミプロ程度のようだった。
軍政部から金が支払われている。二台の車に分乗させ、逃亡されないように警備も分乗する。
外部リンク[html]:www.geocities.jp
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.015s