法学★ 日本の歴史関係 ★裁判 [無断転載禁止]©2ch.net (47レス)
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18: 法の下の名無し [] 2016/04/18(月) 06:55:04.39 ID:47Roqd9r >>15 >韓国大使は「日本と戦った韓国人部隊が中国にあった。 これは満州で戦った抗日部隊の事を言っています。 「日本と敵対していた事実」としてこの部隊を出したわけですが、 その実態はどのようなものだったのでしょうか? ------------------------------------- 抗日義士・独立軍の構成員は主に二つ。 一つは旧支配階級である両班出身者、日本統治の為にその支配的地位を奪われた者達で、 安重根や李承晩も両班出身者である。 そしてもう一つは馬賊や土匪のならず者集団である。 これらはそれぞれ別個に抗日していたわけではなく、基本はコラボである。 両班は力を得、馬賊や土匪は(犯罪をする為の)大義名分を得るためです。 まずは後者から・・・・金完燮著「親日派のための弁明2」から引用する。 =============================================== 「独立軍の正体」 韓国において独立運動家は、大変な尊敬と羨望の対象となっている。 なかでも特に、満州で日本軍と戦った独立軍は人気がある。 大学生が集会のときによく歌う独立運動の歌は、ほとんどが満州の武装独立軍を礼賛した内容である。 「親日派のための弁明2」(独立軍の正体)より 金完燮 扶桑社 =============================================== http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/18
19: 法の下の名無し [] 2016/04/18(月) 06:57:55.90 ID:47Roqd9r >>18の続き 金完燮著「親日派のための弁明2」から引用 ===================================================================================== 3 証言 一九二〇年代から一九三〇年代にかけて臨時政府の重要人物であった金九は、 満州地域独立軍の実態について、次のように書いている。 ・・・私たち韓人(朝鮮人)は中国境内に居住したが、最初はどの家でも毎年独立運動機関である正義府や新民府に真心こめてせっせと税金を払った。 しかし、このような純朴な同胞たちも、私たち武装隊伍の度外れな威力と侵奪を受けるようになると、 次第に反発心が生じるようになった。 独立軍が自分の家や町に到着すると、秘密裏に倭奴(ウェノム※1)に告発する悪風 まで生じた。また、独立運動家までも次第に倭に投降する風習が生じ、 東北三省の運動根拠地は自然と脆弱にならざるをえなかった。 そのうち、倭奴の保護下に満州国が誕生し、満州は「第二の朝鮮」となってしまった。 これはどれほど心の痛むことだろうか。 (『白凡逸志』一九四七年) 金九 ------------- 朝鮮人がかつては「独立運動機関」に自発的に税金を払った部分は実に信じられないが、 いずれにせよ当時、朝鮮人の間に、独立軍が現れれば日本軍に告発する 「風習」があったことは、金九自身も認めている。 そのうえ、最大限に婉曲した表現で「武装隊伍の度外れな威力と侵奪」と書いたが、 前で引用した新聞記事※2をみれば、これが具体的にどのような行為であったかは容易に推測できる。 独立軍は満州地域の同胞を武器で脅して財産を略奪し、殺人や放火、拉致、 強姦などの犯罪を恣行し、それだけでは飽き足らず、随時国境を越えて入り込んでは同胞の財産を強奪していったのである。 また、他の証言もある。 「親日派のための弁明2」(独立軍の正体)より 金完燮 扶桑社 ======================================================================================= 引用者注釈 ※1 倭奴(ウェノム)・・・日本人の蔑称 ※2 前で引用した新聞記事・・・ 著者(金完燮)が朝鮮日報のデータベースから 当時の馬賊・土匪(独立軍)の犯罪記事を11ページにもわたって多数紹介したもの http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/19
20: 法の下の名無し [] 2016/04/18(月) 07:26:27.08 ID:47Roqd9r 「親日派の弁明2」から臨時政府の重要人物であった金九の自叙伝『白凡逸志』から引用し、 満州独立軍の実態を解説しているのを見てもらいました。 著者金完燮の疑問について >朝鮮人がかつては「独立運動機関」に自発的に税金を払った部分は実に信じられないが、 これをついて少しコメントさせてもらいます。 >最初はどの家でも毎年独立運動機関である正義府や新民府に真心こめてせっせと税金を払った。 この真心こめて税金を払っていた「純朴な同胞」に対しての略奪や暴力をするわけですが、 >しかし、このような純朴な同胞たちも、私たち武装隊伍の度外れな威力と侵奪 >を受けるようになると、次第に反発心が生じるようになった。 何故そんな事をしたのかの理由が書かれていない。 ここの部分は誰でも疑問に思うでしょう? せっせと税金を払っていたのに略奪や暴力・・・・ つまり実際は自主的に税金を出していたわけではなく、「税金」と称して恐喝していたわけだ。(実行部隊は手下の馬賊や土匪) そして支払いが滞ったり、差し出すお金が少なかった時に、「度外れな威力と侵奪」である。略奪、殺人、放火、拉致、強姦などをしていたという事。 それしか「純朴な同胞」に対し非道を働く理由が無い。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/20
21: 法の下の名無し [] 2016/04/18(月) 07:30:54.07 ID:47Roqd9r >>18 >抗日義士・独立軍の構成員は主に二つ。 >一つは旧支配階級である両班出身者、日本統治の為にその支配的地位を奪われた者達で、 >安重根や李承晩も両班出身者である。 >そしてもう一つは馬賊や土匪のならず者集団である。 それでは次は両班について ※>>19の金九も両班階級出身 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/21
22: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 07:34:37.35 ID:47Roqd9r 名無しになっていましたが日本丸太郎です。ついでにトリップもつけました。 投稿制限喰らわないように休み休みレスします。 ========================================================================= 002.03.07 韓国中央日報記事より抜粋 【コラム】民族と親日 姜偉錫(月刊エマージ編集人) 日帝が朝鮮を併合した際、朝鮮にはこの併合を恥じる主体の民族意識がなかった。 民族は民族意識と同じだ。したがって朝鮮には「民族」がなかった。 李完用(イ・ワンヨン)らが「売国」した朝鮮には主権と領土はあったが、 自らを国民だと意識してその主権と領土が自分たちのものだと主張する民族がなかった。 王と両班のものとしての朝鮮朝の主権は、韓日合併前、既にほとんど自滅していた。 外勢との争いに敗れて滅亡したのではない。 李完用らが「売国」したというのは誇張された修辞である。 争いは清国、日本、ロシアという外勢の間で、無主物となった朝鮮の主権を先取りしようして行われた。 親日派、親ロ派、親清派は名前を付け替えた四色党派の変種にすぎないと見るのがいっそのこと適切でないだろうか。 日本が朝鮮の主人となった後、親日派という朝鮮のエリートは老論の世の中を継承しただけだ。 滅亡した朝鮮朝に忠誠だった「臣下」を民族主義者だったということはできない。 民族は外部的には他の民族との境界ないし葛藤、内部的には民族主権という2つの側面をたどって意識化される。 朝鮮王朝のように「民」には垂直的に捧げる忠誠だけがあり、 水平化された自由と人権がない国家では、民族主権がないため、国家があっても民族意識はあり得ない。 さらに自由と民主主義がない国の民族意識は虚偽意識(false conciousness)でしかない。 日本人は日帝が韓国に鉄道と学校を建設したことを誇りに思っている。 ウォン・イルファン(H.B.アンダーウッド)教授は、日帝が韓国に及ぼした功労は鉄道や学校の建設ではなく両班階級の破壊だと話す。 驚くべき洞察力だ。 しかしおそらく日帝のもっと大きな功労は、たとえこれを感謝することはできないとしても、 他民族による支配という苦痛と葛藤を通じて韓国人に民族意識を芽生えさせてくれたことではなかろうか。 ------------------------------------------- http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/22
23: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 07:36:28.08 ID:47Roqd9r >>22 >しかしおそらく日帝のもっと大きな功労は、たとえこれを感謝することはできないとしても、 >他民族による支配という苦痛と葛藤を通じて韓国人に民族意識を芽生えさせてくれたことではなかろうか ここの部分はおかしい。 「民族意識」が無かったのだから「他民族支配」に苦痛なんて起こらない。 日本が学校を建てて、朝鮮の歴史などを教える過程で民族意識が芽生えていったのだ。 さて、民族意識がこのような状態だったので、併合当日の状況も推察できるだろう。 朝鮮各地で大争乱など起こるわけがない。 ・・・続き http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/23
24: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 18:19:29.79 ID:47Roqd9r >>23 >併合当日の状況 ==================================================== 韓国日報(韓国語)(2007/08/28 18:00) http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200708/h2007082818000124390.htm 1910年8月 22日、大韓帝国純宗皇帝が臨席した形式的な御前会議で、 総理大臣李完用(イ・ワニョン)は朝鮮と日本の強制併合案を可決させた。 日帝はこの事実を1週間も極秘にして おき、8月29日に純宗皇帝の玉璽を捺印させて併合条約を布告した。 庚戌の年に起きた恥辱ということで「庚戌国恥」と呼ばれる。 97年前のことだ。この呆れた知らせを聞いて、錦山郡守の洪範植(ホン・ボムシク)は山に登って首を吊って自決し、 梅泉黄ヒョン(訳注:「ヒョン」は王へんに玄)は「絶命詩」を残して毒を仰ぎ殉国した。その後も幾多 の憂国志士が自決の道を選んだ。 今まで、教科書でそう学んだ。このため、当時の全朝鮮人が当然に悲痛な思いで嘆いたと 思っていた。ところが、必ずしもそうではなかったようだ。 3・1万歳義挙の際に民族代表33人中の1人として活動し、 後に主張を変えた崔麟(チェ・リン)は、韓日併合が公布されたその日の鐘路通り(訳注:京城の中心街)の 朝鮮人らはまるで「何事も無かったかのように」賑やかに商売をしたり飲食する「日常」を失わなかった、と述 べている。 これを信じがたいと思ったある歴史研究者は、「俄かには理解できない。もしかしたらこの 日は29日ではなく、李完用と寺内正毅との間で秘密裡に条約が締結された22日の風景 なのかもしれない」と述べた。 (続く) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/24
25: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 18:23:42.82 ID:47Roqd9r >>24の続き -------------------------------- しかし、崔麟の記録を裏付ける主張がいくつも出ている。 中国の知識人である梁啓超は、 1910年9月に書いた文章の中で、合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために 涙を堪えられないのに※1、 当の朝鮮人たちは楽しそうにしており、高位の官吏らは毎日、 新時代での栄爵を得ようと嬉々として奔走するだけだった、と主張している。 信じがたい言葉だ。ただ、当時の朝鮮人たちが「日常」を失わなかったという点は納得せ ねばならないようだ。実際、8月29日当日は意外に平穏で、反対デモも全く無かったという。 当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。 韓国日報(韓国語)(2007/08/28 18:00) http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200708/h2007082818000124390.htm ---------------------------------------- 引用者注釈 ※1合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために 涙を堪えられないのに、 悲しんだのは属国にしていた清国だけ。他にどこの国がどのような理由で悲しむというのか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/25
26: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 18:25:36.88 ID:47Roqd9r >>25 >当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。 それは違う。民族意識(=民族)が無かったのだ。 現在の韓国人達が持っている過度の民族主義が当時にもあったと思う事、 それが韓国人達の捏造歴史の種であり、歴史詐欺の被害者である我々日本人からすれば 捏造歴史を受け入れる素地になった。 つまり民族意識(=民族)が無くて抵抗しなかったのに、 「抵抗しなかったのは(現在の韓国人の激しい民族意識を当時の人々にも投影して)凄まじい弾圧をしたからだ」となり、 それに合わせるように嘘の歴史が作られていったという事。 これが捏造歴史が大きくなっていった背景である。 ではあの激動の時代、民族意識が生まれなかったのはどうしてだろうか? 日本の場合はどうだったか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/26
27: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 18:26:59.78 ID:47Roqd9r 開国前の日本人は自らを「日本民族(大和民族)」として意識してわけではなく、 帰属意識はそれぞれの藩にあった。 しかし外国の脅威にさらされた事で、天皇を中心として日本の民族意識が芽生え、 しかもその脅威に比例(対応)する形で早く強く意識された。 朝鮮の場合も似たような状況だったのにどうしてそうならなかったのか? その原因は奴婢制度(身分制度)にあった。 併合前の1894年、朝鮮の改革(甲午改革)を指導していた日本によって 奴婢解放(身分制度廃止)が行われた。 朝鮮の身分制度を、日本のそれと同じように捉えている者がいるが違う。 奴婢は品物のように売買・相続・譲与の対象であった階級であり、日本にはそんな 階級は無かった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/27
28: 日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [] 2016/04/18(月) 18:30:07.13 ID:47Roqd9r 「奴婢」の「奴」は男、「婢」は女 「婢女」について http://www.tamanegiya.com/sennnennzotkokuianfu2.7.html 『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国、平凡社1987) 「人間家畜の奴婢制度」という章の一節より。 奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が 殴っても 犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題は なかった。 それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具 にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、 ひどい場合は打ち殺されることもあった。 外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、 売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、 韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている 年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。 局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具に なった末に奥方に殺された 不幸な運命の主人公であった。 --------------------------------- 当時の朝鮮には自力では修復する事の出来ない階級間の深い溝が出来ていた。 日本がその身分制度を破壊し、その溝を埋めた。 >>22 >ウォン・イルファン(H.B.アンダーウッド)教授は、 >日帝が韓国に及ぼした功労は鉄道や学校の建設ではなく両班階級の破壊だと話す。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:fd4e39b9894cff091d5a4966a996b151) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1454838926/28
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