▲富士火災を懐かしむ(昭和→平成前半) (592レス)
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4: 富士火災OLD社員 2022/12/31(土)17:30 AAS
〇自動車保険の満期申込書で腹が立つのは保険料が空欄。持っていく前に手書きで書くわけだが、うわあ!搭乗者傷害の医療特約の行をみてた!不備が・・・

〇今では信じられないが ム−3−5とかム−5−5とか。
なんの呪文かというと対人無制限 対物300万 搭乗者500万ってことで、これがかつては標準補償ラインだったのだ。

〇自賠責発行システム 富士丸クン→バージョンアップして富士エ門。

〇昔は当然リモート会議などない。月1の会議で集まる支社長や営業担当。
遠隔地の支社の人はちょっとした小旅行であった。

〇転勤してなれないうちはワープロ打ちの代理店名簿を社有車に乗っけていて地図を見ながら訪問するのであった。

〇昭和の頃は公衆電話に差し込むカードを与えられ、自動的に支社にかかるというものだった。それがピーピー音が出るだけのポケベル。次に電話番号ディスプレイが出るポケベルへ。さらに携帯がではじめ、自分で通話料をはらっているのでとんでもない料金になっていた。貧乏社員はPHSなので常に電波の入るエリアに移動した。

〇本社ビルの地下に配送センターがあっておじさんたちが社内便を仕分けていた。コピー請負専任の社員さんもいた。

〇飲むのが好きな支社長のいる支社は大変だった。なぜならサンピを3か月で使い切っちゃうので営業担当者の接待費はすべて自腹になるという・・・

〇茨木にある研修所。富士火災のマークがはいった浴衣。

〇夏までトランクに入っているカレンダー

〇証券送付用封筒の窓あき部分が油紙になっていてこれでこすると印鑑を複写できるという裏技があった。

〇たまにやってしまう住宅金融公庫融資物件の建物引受。所属長真っ青。

〇積立保険のパンフレットのモデルが無名時代の江角マキコという贅沢な時代が。

〇もはや誰も知らないジャンボ保険やら積立火災・煌 
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