戦後しばらくの日本が反米で親中だった理由 (11レス)
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(2): リン二等兵 01/30(木)01:26 ID:MUkuFgQe0(1/2) AAS
かつての日本の左翼が反米を掲げ、親中や親ベトナムを掲げて支持されたワケは、日本はあの戦争でアメリカには本土を爆撃され原爆まで落とされ目の前で同胞を殺されたけど、中国やベトナムにはそうされてないからだと思う。逆にロシアには大戦末期に侵攻され50万人もシベリアに抑留され北方領土を取られたけど、日本の左翼でロシア好きは聞いたコトが無い。日本赤軍のパレスチナを助けようとして起こしたテルアビブ空港乱射事件も大東亜共栄圏のアジアを開放するという思想の一貫だと思う。逆に近年日本がアメリカを好きになったのは大戦後は子供たちにチョコレートを分けてくれたり独立後は日本を守ってくれたりと何かといい風に扱われたからだと思う。またロシアも戦後は特にいざこざが無かったから今回のウクライナ侵攻でもロシアを支持する日本人も一部ではいたのだと思う。反対に中国に関しては尖閣諸島問題で揉めたり新型コロナを流行らせたり原発の処理水で迷惑電話をしてきたりしたから日本人は嫌いになったのだと思うし、また中国を支持する左派知識人への風当たりも強くなったのだと思う。
2
(1): 01/30(木)10:48 ID:yloltZWF0(1) AAS
>>1
君は平成生まれなんかね?
>日本の左翼でロシア好きは聞いたコトが無い。
70年代までは社会党 共産党 新左翼は親ソ連だぞ。「進歩派」知識人もそう。

戦後政治史。思想史の勉強をしてからスレ立てたまえ。 やり直し。
3: リン二等兵 01/30(木)12:53 ID:MUkuFgQe0(2/2) AAS
>>2平成生まれです。勉強やり直します。
4: 01/31(金)13:32 ID:6wbnAFqI0(1) AAS
スターリン死後に中ソ対立が表面化すると社会主義国はどちらにつくかで割れ、日本の左翼もまた割れた
親ソ反中、親中反ソ、中立、中ソ両否定などバラッバラに 
日本共産党もフラフラにフラつき、左派は5流13派と言われるほどに分派し、もはやノンポリには何が何だかの世界となった1960年代の左翼世界
5: 01/31(金)17:37 ID:7JAhiu3A0(1) AAS
リン二等兵
x.com/tadano1zinnminn
6: 03/22(土)22:06 ID:PFkrO8cG0(1) AAS
ソ連も遠くになったな
7: 05/08(木)14:55 ID:GSyWIlt/0(1) AAS
547本当にあった怖い名無し (コードモ bf19-Enlg [240b:11:22c0:9700:*])
垢版 | 大砲
2025/05/05(月) 11:48:13.16ID:47Wc8x6R00505
戦後、天皇自ら
米軍による長期占領を希望したという。

記録によれば、
天皇は、日本人の本質や欠点を鋭く見抜いており、
省6
8: 07/03(木)18:11 ID:aKBAJIur0(1) AAS
>>1
日本の左翼が反米を掲げた理由だけど、原爆や本土爆撃だけが理由じゃないよ。ベトナム戦争や沖縄の基地問題など、アメリカの帝国主義的政策や日本の従属的立場への批判が大きかった。親中・親ベトナムも、当時の社会主義国の思想や、アジア連帯の観点から支持された面がある。

ロシア(旧ソ連)に関しては、たしかにシベリア抑留や北方領土問題はあったけど、冷戦期にはソ連を支持する左翼も存在したんだ。特に、社会主義の理想を掲げる一部の勢力はソ連に共感を抱いていた。ロシア好きが聞いたことないというのは誤りだね。

日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件は、パレスチナ解放を掲げていたけど、大東亜共栄圏のアジア解放とは思想的に全く別物だよ。大東亜共栄圏は日本の植民地主義・侵略主義を正当化する思想で、日本赤軍とは目的も背景も異なる。一緒にするのは間違いだ。

日本がアメリカを好きになった理由も、チョコレートをくれたからとか、守ってくれたからだけじゃない。戦後の経済復興におけるアメリカの協力や、冷戦下での安全保障上の同盟関係が大きかった。

ロシアを支持する日本人が一部いたのは、ウクライナ侵攻が始まってからだけじゃない。歴史的に親ロシア感情を持つ人や、反米の立場からロシアを支持する人も以前からいた。
省1
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(1): 07/05(土)09:46 ID:RRqmXP3r0(1) AAS
経済的に日本帝国+満州国+南京政府時代に日本と中国は物理的巨大貿易関係になり不可分の関係だった

当時日本も中国も交互貿易止まればGDPは40%減る
戦後貿易は減ったが密輸貿易関係にあり
密輸貿易は両国政府が公認する最重要貿易取引であり物理的に日本と中国は1937-1970まで交互貿易が最重要貿易だった

これは1980以後中国経済の自給率拡大で疎遠になる
正確には唐国から1980頃まで1300年日中貿易は交互の最大貿易関係にあり
最重要でこの繋がりが王朝と政府の財政経済を成立させた
省2
10: 07/08(火)10:55 ID:POrUu+8f0(1) AAS
>>9
当時日本と中国の相互貿易が止まればGDPが40%減少するという具体的な数値は、信頼できる根拠が見当たりません。日中間の貿易は存在しましたが、それほどまでに両国の経済に壊滅的な影響を与える規模だったという記録はありません。

また、戦後貿易が減ったものの密輸貿易関係にあり、それが両国政府公認の最重要貿易取引だったというのも、不正確な情報です。戦後の密輸は存在しましたが、それが政府公認の「最重要貿易取引」であったという事実は確認できません。

「1937年から1970年まで交互貿易が最重要貿易だった」という点も、歴史的事実と異なります。1937年以降、日中戦争の激化と第二次世界大戦の勃発により、日中間の正規貿易は著しく制限され、断絶状態にありました。戦後も日中国交正常化までは公式な貿易関係は限定的でした。

「唐国から1980年頃まで1300年間日中貿易は交互の最大貿易関係にあり、最重要でこの繋がりが王朝と政府の財政経済を成立させた」というのも、誇張された表現です。日中貿易は歴史的に重要な位置を占めてきましたが、常に「最大」かつ「最重要」であったわけではありませんし、中国の王朝や政府の財政経済が完全に日中貿易のみに依存していたわけではありません。

最後に、「中華帝国は日本からの銀貿易を政府主導で確定しないと財源不安定で中国支配確立できなかった」という点や、「南宋は銀依存が低く、銀貿易主導権も併せ持ったため領土半分でも経済最強時代だった」という点も、一面的すぎる見方です。中国の財政は様々な要素で成り立っており、日本からの銀貿易だけで支配が確立できたわけではありません。また、南宋の経済的繁栄も、銀貿易のみに起因するものではありません。
11: 07/18(金)13:02 ID:RFBeBDK/0(1) AAS
戦後の日本が反米で親中だったってのは、ちょっと違うんじゃないかな。

確かに、戦後すぐはアメリカに占領されてたし、GHQとかの政策で、日本は大きく変わらされたわけじゃん? だから、占領されてるってことに対して、反発する気持ちがあった人も、そりゃいたとは思うよ。でも、それって「反米」っていうより、占領されてる現状に対する複雑な感情って感じじゃない?

それに、アメリカは日本を民主化したり、経済復興を助けたりもしたわけだし、冷戦が始まってからはソ連とか中国に対抗するために、日本を資本主義陣営の重要な国にしようとしたんだよね。だから、むしろ日本はアメリカにすごく依存する形で、経済成長していったんだよ。家電製品とかも、アメリカを意識したものが多かったりして、アメリカ文化が結構入ってきてたし。

親中だったかって話も、戦後の日本は長い間、共産主義の中国(中華人民共和国)を国として承認してなかったんだよ。台湾(中華民国)と国交があった期間の方が長かったくらい。中国との国交正常化は、田中角栄首相の時(1972年)まで待たなきゃいけなかったんだから。

だから、戦後しばらくの日本が「反米」で「親中」だったっていうのは、ちょっと事実と違うんじゃないかなって思うんだけど、どう? どっちかっていうと、アメリカの影響を強く受けつつ、経済復興に邁進していく、って感じだったんじゃないかな。
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