■細川俊夫、本スレ■ (758レス)
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321: 2008/07/13(日)07:11 ID:z9z52NQw(1/5) AAS
怪談「Music Tomorrow」
現代音楽論にかえて- (2)
作曲家の意識について・・・
権利ばかり主張する
かつて東京芸大で教えている作曲家と話したことがある。彼は、現代の音楽が社会に受け入れられないことは遺憾なことだが、
しかし、その原因は、作曲家の側だけではなく、受け入れようとしない社会の方にもある、という言い分だった。
これも理屈としては可能な言い分かもしれない。しかし、社会は余りに広く大きく、音楽は余りに小さい存在である。
省9
322: 2008/07/13(日)07:12 ID:z9z52NQw(2/5) AAS
お客無視の行き着く所
こうしてグレた作曲家たちは、それでは誰のために作曲するのだろう?
もし売れる仕事なら、どれだけ売れるかで社会のランクが決まる。またそれが目標にもなる。
より売れることを目標に頑張る。しかし、そもそも喜んで聴く相手かいない音楽を作る場合どうなるか。
はじめから売れる売れないなど眼中になく、売れようが売れまい、黙々として自らの信念に基づいて聴く相手がいない音楽を作り続けるかもしれない。これなら倫理的には立派である。
しかし芸術家にもそうよく出来た人ばかりいるわけではない。カネもほしけれは名声もほしい。
しかし、売れないのだからカネの方は無理である。しかりとすれば残るはもう一つの方、名声である。
省11
323(1): 2008/07/13(日)07:13 ID:z9z52NQw(3/5) AAS
細川、西村、作品は話にならない愚作
こうした状況から「未来の音楽」とか「明日の音楽」という発想が生まれるのである。
現代では相手にされないことを自分から語っているのである。
自覚せずに自分たちの有様を漏らしてしまった結果がこの名称である。
もっとも、それがヘンなことという自覚がないから、むしろ立派なことぐらいに考えているのだろう。
終りに、今回「Music Tomorrow」で演奏された細川作品と西村作品はどちらも話にならない下らない音楽である。
こんなものをチヤホヤする評論家とは「ワレ鍋に閉じブタ」のいい組合せである。
省10
324: 2008/07/13(日)07:23 ID:z9z52NQw(4/5) AAS
助川敏弥氏の 新「方丈記」から転写させてもらった。
外部リンク[htm]:www008.upp.so-net.ne.jp
おそらくここに出てくる助川氏の聞いた「Music Tomorrow」は1989年のものだと思われる。
細川・西村両氏の曲目は
●細川俊夫 オーケストラのための「遠景」?
●西村 朗 2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー
「遠景?」はともかく、「2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー 」は人気のある作品で
省4
328: 2008/07/13(日)21:04 ID:z9z52NQw(5/5) AAS
>>326
うむ、ちょっと判断が早まったかも。
本文にもあるように「80年代の終わりごろ」との記述から1989年と思ったが、
1991年の「光の環」の可能性もあるね。
ちょっと手元に「Music Tomorrow」の資料がなくネット検索にも出て来なかったので
どっちか判断できません。
細川新作、西村再演とあるので1989年であるほうが可能性は高いと思うのですが。
省5
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