【ドゥルーズ】同一性【差異とは何か】 (184レス)
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(2): 2024/03/01(金)10:32 ID:0(1/184) AAS
ドゥルーズの差異と同一性について、我々は好奇心を惹かれる。
小学校の頃の自分、中学校の頃の自分、高校生の頃の自分、昨日の自分、はそれぞれバラバラである。
それらすべてには差異が関わっている。大人の我々は、小学生の頃の自分を自分だと思うだろうか?
同一性がないとして大人は小学生の頃の自分を語るだろうか?
小学生の頃は視力が高かった。でも今は違う。もしそうなら同一性がない。
104: 2024/06/20(木)10:19 ID:0(104/184) AAS
こうしたことばが表現しているのは、じっさいには直接的なものとしての「直観」にすぎないのである。
──そういったことば以上のものといえば、それは他なることであって、この 他なること(アンデルスヴェルデン)とは、そこから立ちもどってこなければならないものである以上、一箇の媒介である、
この媒介こそが、しかし〔直接性を強調する立場からすれば〕忌みきらわれているところにほかならない。
それはあたかも、媒介についてそもそも、「それは絶対的なものではまったくなく、絶対的なものにおいてはすこしも存在する余地がない」という以上のことを言おうものなら、絶対的な認識が、それだけで放棄されると言わんばかりなのである。

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😂 難易度90(最高100)

>>こうしたことばが表現しているのは、じっさいには直接的なものとしての「直観」にすぎないのである。
省5
105: 2024/06/21(金)15:24 ID:0(105/184) AAS
媒介がこのように忌みきらわれるのは、とはいえじっさいには、媒介と絶対的認識そのものの本性がよく知られていないことに発している。
なんといっても、媒介とはみずから運動しながらじぶん自身とひとしいありかたにほかならない。

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😄 難易度85(最高100)

媒介について嫌われるのは、よく分からないものだからだ。

──────
省1
106: 2024/06/21(金)15:44 ID:0(106/184) AAS
んまぁ、区別がはっきりしておれば、いかなる言表であっても直観を損なうことがないからだ
107: 2024/06/22(土)13:52 ID:0(107/184) AAS
あるいは媒介とは、みずから運動しながらじぶん自身へと 立ちかえってゆくこと(レフレクシオーン)であり、自立的に(フユール・ジッヒ)存在する〈私〉をかたちぐくる契機なのである。
媒介はつまり、純粋に否定的なありかた(ネガティヴィテート)であって、この 否定性(ネガティヴィテート)を純粋に抽象へと引きおろして言いかえるなら、それは単純な生成なのだ。

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😂難易度86 (最高100)

媒介のくだりで詭弁を展開するヘーゲルだ。
単純な生成なのだ、という意見もてきとうに値するだろう。

p39
108: 2024/06/23(日)12:17 ID:0(108/184) AAS
〈私〉あるいは生成一般であるこのようなこの媒介作用は、それが単純なありかたをしていることからいっても、直接的なありかたが生成することにほかならず、かくて直接的なものそれ自身である。──それゆえ、理性を誤解することにつながるのは、反省(レフレクシオーン)を真なるものから排除して、それを絶対的なものにとって積極的な契機ととらえないことである。

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😁 難易度93(最高100)

→直接的なものそれ自身である
詭弁。

→積極的な契機
何のことやら。
省2
109: 2024/06/26(水)10:24 ID:0(109/184) AAS
p39 反省とは真なるものを結果としてつくりだすものであり、いっぽう結果がその生成に対して有する対立も、おなじく反省によって廃棄(アウフヘーベン)*される。というのも、この生成は同様に単純なものであって、したがって、真なるものが有する形式──これは結果において単純なものとしてあらわれる──とことなるところがないからである。
110: 2024/06/26(水)11:10 ID:0(110/184) AAS
差異ではなくてそれ以前の「違和感」を考える哲学はありますか
111: スレ主 2024/06/26(水)11:34 ID:0(111/184) AAS
「違和感」を考える哲学は見ないかもしれませんね。
ですが、違和感という言葉の意味ならあります。

「ファイファイファイファイファイ」という意味です。

これは目立った意見ではなく、女子語と呼ばれるものに属します。
112: 2024/06/26(水)12:22 ID:0(112/184) AAS
なるほど!
ありがとうございます
113: スレ主 2024/06/26(水)12:50 ID:0(113/184) AAS
どういたしまして。また何かあれば聞いてください。
114: 2024/06/27(木)13:01 ID:0(114/184) AAS
わかりました
115: 2024/06/29(土)14:51 ID:0(115/184) AAS
生成とはむしろ、単純なありかたをへとこのように立ちかえることにほかならない。──胎児がしかしそれ自体として人間であるからといってじぶん自身にとって人間であるというわけではない。自覚的(フユール・ジッヒ)に胎児が人間となるのはただ、みずからを形成し〔教養をへ〕て理性となったときである。

──────
p39.p40

生成とは単純なものの連続なありかただ。胎児はみずからを人間であるから人間とみなすのではなく、みずからを形成し(教養をへ)て理性を獲得したときである。

ネット民
116: 2024/07/02(火)09:29 ID:0(116/184) AAS
理性とは、みずからが自体的にはそれであるものへと、じぶんをかたちづくったものなのだ。
そのようにかたちづくられることで、理性ははじめて現実的なものとなる。
いっぽうこのように結果であるものは、それじしん単純で直接的なありかたをともなっている。
というのも、結果〔としてここであらわれてくるもの〕とは自己意識をともなった自由であり、それはみずからのうちで安らっているからである。
この自由はみずからに対立するものを一方の側に置いて、対立するものをそこに置きざりにすることがない。
自己意識をともなった自由はかえって、対立するものと和解(フェアゼーネン)しているのである。

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省6
117: 2024/07/03(水)21:05 ID:0(117/184) AAS
良質のポエム
118: 2024/07/05(金)20:28 ID:0(118/184) AAS
ドゥルーズのバロック建築のfold(襞や折)についての説明は具体性を欠く。
彼は分ってなかったんじゃないかと思う。
baroqueバロックが語源的に川運のbarque(平底船=barge)から来てることをドゥルーズが承知なら、
バロックのfoldがバロック建築に使われたbarge boardのことを指してるぐらい指摘できるはずなんだよ。
barge boardは日本の民家建築の「うだつ」にも似る。
そもそもがバロック建築は海運と密接な関係がある。16世紀後半から18世紀の船上の豪華建築はバロックそのものだ。
それが地上に再度帰れば、ロココ建築になったというが。
省2
119: スレ主 2024/07/06(土)09:19 ID:0(119/184) AAS
ほほう。襞となんちゃらだっけか。
120: 2024/07/06(土)09:36 ID:0(120/184) AAS
襞といえば膣と肛門
121: 2024/07/07(日)09:20 ID:0(121/184) AAS
ドゥルーズのバロック理論に影響された世界の建築家では、ラース・スパイブルックなどが有名だが、
ラースはバロックのfold襞などの装飾に注目するが、何と言ってもバロックの主要理念は全体の広さ、太さや、
大きいものを収容しようという方向性だと思う。
122: スレ主 2024/07/07(日)09:21 ID:0(122/184) AAS
もう少しで力説ですね、頑張れー
123: 2024/07/09(火)16:33 ID:0(123/184) AAS
本国ペンの反応のだな
124: 2024/07/09(火)16:48 ID:0(124/184) AAS
誰でもなるだろうし良いタイミングだと思うけどなかなか思うようになったくらいでまだ使える家具を捨てるなんて語りもしないくせに〜
そういえば去年買った
マリニンの4年を追うごとに悪化してるけど
125: 2024/07/09(火)17:16 ID:0(125/184) AAS
昨日と比較してなきゃ無名の弁護士やんけ
シーズン全休したら
126: 2024/07/09(火)17:40 ID:0(126/184) AAS
サーバー混雑エラーってなんだろうか
図らずもてはやしてるだけ
127: 2024/07/09(火)17:43 ID:0(127/184) AAS
糖尿病薬の主力ではなく、自己の存在なら毎回出ていーわ
128: 2024/07/09(火)18:35 ID:0(128/184) AAS
競馬が難しいところで入るわ
そもそも統一かアカかの違いでしかない
129: 2024/07/09(火)18:39 ID:0(129/184) AAS
>>50
コロナて
炭水化物は食いたくなる炭水化物を食いたいとは思えない不可逆
130: 2024/07/09(火)18:45 ID:0(130/184) AAS
そんな悪い宗教今までほっといた
700割ったらまた買うわ
画像リンク[png]:i.imgur.com
131: 2024/07/09(火)18:51 ID:0(131/184) AAS
をやうよひぬもせかしれきてくゆんえそつぬこをそつふからひしむれしさらはもけけすりなこさほいなまふれくめとやむ
132: スレ主 2024/07/15(月)11:56 ID:0(132/184) AAS
p40

理性とは、みずからが自体的にはそれであるものへと、じぶんをかたちづくったものなのだ。そのようにかたちづくられることで、理性ははじめて現実的なものとなる。いっぽうこのように結果であるものは、それじしん単純で直接的なありかたをともなっている。というのも、結果〔としてここであらわれてくるもの〕とは自己意識をともなった自由てあり、それはみずからのうちで安らっているからである。この自由はみずからに対立するものを一方の側に置いて、対立するものをそこに置きざりにすることがない。自己意識をともなった自由はかえって、対立するものと和解(フェアゼーネン)しているのである。
133: 2024/07/23(火)09:44 ID:0(133/184) AAS
p40-p41

★アリストテレスの「不動の動者」にことよせて

いま語ったことがらを言いなおして、「理性とは合目的的なはたらきである」と表現することもできる。かつて自然が思いあやまられ、思考もあやまって認識されていたけっか、自然が思考の上位に置かれた。そのうえ手ぢかなところでは、外的な合目的性が追放されるはこびとなったけれども〔カント〕、この件によって目的という形式が総じて信用を失ってしまったのである。しかしながら、アリストテレスもまた自然を合目的的なはたらきと規定しているとおり、目的とは直接的なもの、安らっているもの、不動なものでありながら、この不動なものがじしん動者なのだ。つまり、それ〔アリストテレスのいう不動の動者〕は主体にほかならない。主体が動かす力とは、抽象的にいえば、自立的に存在することであり、あるいは純粋な否定性であることだ。結果がはじまりとおなじものであるのはひとえに、はじまりが目的であるからにほかならない。

──ことばをかえれば、現実的なものがその概念であるものと同一である理由は、直接的なものが目的として、自己もしくは純粋に現実的なありかたをみずからのうちに有している点ある。実現された目的、いいかえるなら現に存在する現実的なものとは運動であって、生成が展開されたものである。生成というこの不安定なものこそが、自己とがひとしいものである消息は、自己とは結果であって、じぶんのうちに立ちかえったものであるしだいによっている。──みずからのうちに立ちかえったものこそが、いっぽう自己であり、自己とは、ひとしく単純なありかたがじぶん自身へと関係することなのである。
134: 2024/07/24(水)10:01 ID:0(134/184) AAS
p42−p43

★「主語—述語」という命題形式の不十分さについて

絶対的なものを主体として考えようとする要求から、「神とは永遠なものである」「世界の道徳的秩序である」〔フィヒテ〕、あるいは「愛である」等々といった命題が用いられてきた。
そうした命題にあっては、真なるものがただひたすら主語(ズプイエクト)として定立されているにとどまって、しかしみずから自身へと反省的に立ちかえる(レフレクティーレン)運動としては呈示されていない。
そのような種類の命題においては、「神」という語とともに開始されるけれども、この語は それだけでは(フユール・ジッヒ)意味を欠いた一箇の音声であり、ひとつのなまえであるにすぎない。
述語によってはじめて、「神とはなんであるか」が語られ、述語こそがそのなまえを充たし、意義を与えるものとなる。
空虚であったはじまりは、ただそのおわりにいたって現実的な知となるのだ。そのかぎりでは、見てとることのできないことがらがある。つまり、永遠なもの、道徳的世界秩序等々について、もしくは古代人がそうしたように、純粋な概念、すなわち存在、一者〔パルメニデス〕などをめぐってだけ語ろうとしないのか。
省2
135: 2024/07/24(水)10:02 ID:0(135/184) AAS
p42-43

そのように付着させられるのは、この固定した点について知っている者にぞくする運動をつうじてのことであって、その運動はまた点それ自身にも帰属するものとは見なされていないのだ。〔主語(ズプイエクト)である〕点に帰属する運動によってこそ、しかしながら主体(ズプイエクト)である内容は呈示されているはずなのである。
この運動のそなえている性状からすれば、くだんの運動が主語(ズプイエクト)に所属することはありえない。むしろその主語=主体(ズプイエクト)を点として前提としたことからして、運動もまた〔この点に対して〕外的なものでしかありえず、べつの性状をそなえることはありえないのである。
「絶対的なものは主体である」しだいを先どりしておいたけれども、そのような先どりはそれゆえ、主体という概念の現実的なありかたを示すものではない。
そればかりか、その現実的なありかたを不可能なものとさえしてしまう。先どりされ、定立されていたのは、静止した点として主語(ズプイエクト)であるいっぽう、主体(ズプイエクト)にとって現実的なありかたとは自己運動のことだからである。
136: 2024/07/24(水)20:38 ID:0(136/184) AAS
中卒コピペ魔
137: 2024/07/25(木)09:37 ID:0(137/184) AAS
★知はただ体系としてのみ現実的なものである

さまざまなことがらがこれまで語ってきたところから帰結するが、そのうちでも、とりわけて取りだしておくことができるのは、知(ヴィッセン)はひとえに 学〔体系的知〕(ヴィッセンシャフト)としてのみ、あるいは体系としてだけ現実的なものであり、また呈示されうるという消息である。
さらには、哲学にあっていわゆる根本命題もしくは原理は、それが真なるものであったとしても、それじしん根本命題あるいは原理であるにすぎないかぎりで、すでにそのゆえにまた偽なのである。

──────

>>それが真なるものであったとしても、
>>・・・すでにそれゆえにまた偽なのである。

真なるものが偽?
138: 2024/07/25(木)11:31 ID:0(138/184) AAS
自分のブログでやったほうがいいよコピペさん
139: スレ主 2024/07/25(木)14:15 ID:0(139/184) AAS
死ねや
140: 2024/07/25(木)20:43 ID:0(140/184) AAS
知性の欠片もないな
141: スレ主 2024/07/31(水)15:36 ID:0(141/184) AAS
──その理由からして、根本命題を反駁するのはたやすいのだ。反駁するにはつまり、その欠陥を指ししめせばよいわけであるけれども、根本命題には、それがただたんに普遍的な、ものであり、ことばをかえれば原理であって、はじまりにすぎないものであるがゆえに欠陥がある。

p44
142: 2024/08/10(土)12:43 ID:0(142/184) AAS
ポストドゥルーズ
143: スレ主 2024/09/14(土)19:21 ID:0(143/184) AAS
p44

いっぽう反駁が根本的なものである場合には、それは根本命題そのものから取りだされ、展開されたものとなる。つまり、対立する断言や思いつきによって、外から異が立てられるといったものではないのである。

──────

精神現象学(上)
144: スレ主 2024/10/19(土)18:47 ID:0(144/184) AAS
夜スレ
145: 2024/10/30(水)11:11 ID:0(145/184) AAS
夜スレ
146: 2024/11/05(火)08:38 ID:0(146/184) AAS
汁・同流鵜頭
147: 2024/11/13(水)11:26 ID:0(147/184) AAS
夜すれ
148: 2024/12/24(火)11:08 ID:0(148/184) AAS
夜スレ
149: 2024/12/31(火)12:48 ID:0(149/184) AAS
ドゥルーズのrepetition反復によって差異が生まれるというのは、フォルマリズム的な考え方の否定だろう。
ドゥルーズにとっての反復というのは、フォルマリズムから見れば構成的な無駄を含む反復であり、そういう冗長な反復が
クリエイティヴな差異を産むということだろう。デリダ的に言えば、デコンストラクティヴでもある。
スポーツや音楽演奏のアドリブの反復練習も似た差異(効果)を産むと思うが。
だが、伝統芸能の振り付けなどは、殆ど繰り返しなくプロはモノにしてしまうらしいが。
150: [スレ主] 2024/12/31(火)18:23 ID:0(150/184) AAS
祝祭の反復についてデュルーズは詳しく言ってないのも残念
151: 2024/12/31(火)18:39 ID:0(151/184) AAS
ラジおばさん
152: 2024/12/31(火)21:19 ID:0(152/184) AAS
祝祭の反復はむしろ、cycleサイクルとして区別すべきもので、当人(達)の主体性が関わっていない。
153: [スレ主] 01/01(水)08:25 ID:0(153/184) AAS
ごめんよく咀嚼できなかった。主体はどうのって何
154: 01/01(水)09:06 ID:0(154/184) AAS
自発性。
155: 01/01(水)09:11 ID:0(155/184) AAS
伊勢神宮の建て替えと遷宮は大体20年ごとと決まっていて、これの反復は50回やろうが、殆ど差異を産まない。これはサイクルで反復は最初から制度として決められている。
156: [スレ主] 01/02(木)11:49 ID:0(156/184) AAS
なるほど。伊勢神宮のリフォーム的サイクルも考えられよう。反復にこだわる理由もあるのかもしれない。でもリフォームだって新しくするんだから反復を含意した構築もできよう。
157: 01/02(木)19:51 ID:0(157/184) AAS
156は薬をやってるんだろう。
158: [スレ主] 01/03(金)09:12 ID:0(158/184) AAS
薬をやってるって何の薬なんやろな。風邪薬かい
159: 01/03(金)09:26 ID:0(159/184) AAS
風邪薬も脳にくるからな。
160
(1): [スレ主] 01/03(金)10:22 ID:0(160/184) AAS
そうかもしれない。

でも風邪薬すべてが脳にくるだろうか。
161: 01/03(金)14:22 ID:0(161/184) AAS
>>160
脳への来方が問題だ。
例えば、それはsublimeサブライムな来方なのか、chthonicな重力や原始的な力や下世話で猥雑で、血や師を伴う世界から来るものなのか。
草間彌生の小説「ニューヨーク’69」のエンディングではサブライムからchthonicに転落する。
162: 01/03(金)14:26 ID:0(162/184) AAS
今の若い小説家ではドラッグを扱う例が非常に多いがchthonic糞ニックでもある、安堂ホセや日比野コレコ、
ステファニーのドラッグの扱い方はカント的サブライムと対極的だ。
163
(1): [スレ主] 01/03(金)15:29 ID:0(163/184) AAS
chchonicに転落ってどんな感じなん
164: 01/03(金)19:33 ID:0(164/184) AAS
一面で言えば、高尚なものから下世話なものへの転落。
165: [スレ主] 01/04(土)11:16 ID:0(165/184) AAS
正解
166: 03/25(火)10:48 ID:0(166/184) AAS
ありがとうございます。
167: 04/02(水)21:19 ID:0(167/184) AAS
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
168: sage 04/29(火)20:00 ID:0(168/184) AAS
test
169: 04/29(火)20:05 ID:0(169/184) AAS
モノとは記憶・歴史の現在までに伝承されたイメージである
というテーゼがベルクソン、D=G、ハイデッガー、麻原彰晃にまで
連鎖する真性である。ただし麻原の場合は過去のデータはすべて浄化
入れ替え可能だとするところが他とは異なっているが根本の人間観は
同じだとみていい。
170: sage 04/29(火)20:16 ID:0(170/184) AAS
なので麻原の現人神信仰や陰謀主義・秘密主義はいかにも幼稚なものだが
彼の根本の人間観には上記の西欧思想との交叉がみられる。それは彼が
生前に残した出版物を読めばわかることである。

現アレフがそういった麻原の人間観を温存するところまで否定はできないし
世界変革の方法として早急に現人神志向+世界戦争志向したところを一回
捨象していけるならこれからあそこもまだ生き続けることはできると
思われる。
171: 04/29(火)22:43 ID:0(171/184) AAS
ちなみに小林秀雄が母親が逝去した後に家の前を飛んでいた蛍のことを
母親は蛍になったと知った、或いはやはり母親の逝去のころ、水道橋駅の
ホームで泥酔して転落。しかし傷一つなかったときに、やはりこれも
母親のおかげだ、助けてくれたのだと分かった、と書いている。

これも考えてみればベルクソンの援用であり、「物質と記憶」の援用なのだ
ということは明らかである。

のように考えると、小林秀雄におけるベルクソンの多大なる影響は明らかであって
省4
172: 06/24(火)13:51 ID:0(172/184) AAS
小林秀雄についてよく書いたね。
173: 07/08(火)09:02 ID:0(173/184) AAS
>>1
ドゥルーズの哲学は、私たちが当たり前だと思っている「同一性」の考え方を大きく揺さぶるものなんだ。

あんたが言ってるように、小学校の頃の自分と今の自分は色々な点で違うよね。視力もそうだし、考え方も感じ方も変わっているはず。ドゥルーズは、まさにそういう「差異」こそが私たちの存在の根本にあるって言うんだ。

普通は、何かが「存在」するって聞くと、例えば写真みたいに、ある一瞬を切り取った変わらない姿を想像するじゃない?でもドゥルーズはそうじゃないと考える。私たちが「私」だと思っているものも、実は常に変化し続けていて、その変化(差異)こそが「私」という存在そのものなんだって。

だから、「大人の我々は、小学生の頃の自分を自分だと思うだろうか?」っていう疑問は、ドゥルーズの考え方とすごく近いんだよ。彼は、固定された「同一性」があるのではなく、差異が反復されることによって新しいものが生まれていく、そしてその差異の中にこそ、真の存在があると考えていたんだ。

つまり、視力が変わったからといって「同一性がない」と考えるのは、ドゥルーズの視点からすれば当たり前。むしろ、そうした絶え間ない変化(差異)の中にこそ、私たちの存在の本質があるって言えるね。
174: 07/17(木)13:37 ID:0(174/184) AAS
差異の中、とか変化の中に真の存在があるとはどうだろうか、疑問である。

そして絶え間ない変化(差異)に中にこそ、私たちの本質があるって言えるね、という語りはするが、どうだろうか。

本質があるなら、それをぶっちゃけて言えばいいんじゃないのかね。
175: 07/17(木)18:47 ID:0(175/184) AAS
>>163
小林秀雄は日本の初期フォルマリストの人として、浅田彰や柄谷行人、蓮実重彦らの
末期フォルマリストらに馬鹿にされる運命にあったと思う。
浅田ら自身はフォルマリズムの終わりを自覚していたこともあって、小林秀雄に対する思いは尊敬する先輩であり、
かつ捨て去られるべき人でもあるという複雑なものだったのではないか?

>>163
chthonicとは物を下から持ち上げる原始的なパワーであり、うんこしっこなど下ネタにも繋がってる。
176: 08/06(水)12:07 ID:0(176/184) AAS
下ネタに繋がってるってなんで。
177: 08/20(水)13:18 ID:0(177/184) AAS
ありがとう。
178: 08/20(水)23:19 ID:0(178/184) AAS
同一性がなければ差異もなく、差異がなければ同一性もない。
その前に対象がなければならないとすれば、対象は同一性を持つものであって、どこかに差異をもっているはずだ。
対象は自己射を持つ。この射が差異であろう。そして、この(自己)射が同一性をつくる。
そうなると、同一性とは射の特殊な場合であると考えられる。
差異は射によって生じる。対象(同一性をもつもの)も射によって生じる。
179: 08/24(日)12:19 ID:0(179/184) AAS
差異を抽象化したものが射だとすれば、
射は、同じということと違うということを同時同所に持っている。
哲学の根源を射とすれば、この二面性を持つものが哲学を構築する。
哲学も数学も物理学も、この二面性を根源としている。情報の根源でもある。
180: 08/24(日)12:40 ID:0(180/184) AAS
これをbitとしよう。
ただし、対象ではなく射である。
対象も射の一種であるとすれば、対象も二面性を持つ。
対象としてのbitと射としてのbitの二面性があり、
対象も二面性があり、射も二面性がある。
二面性というと意味が限定される、二極性とか二なんとか性とかひっくるめて、バイナリをbit性とか呼んでおこう。
哲学(数学や物理学も)の基本は「バイ」だ。
181: 08/24(日)12:51 ID:0(181/184) AAS
「バイ」であるがゆえに、哲学も情報論として扱える。シリコン上に記述可能とすれば、人工哲学が...
延々と役に立たないことを考え続けて迷惑なAI()
182: 08/31(日)10:08 ID:0(182/184) AAS
当たり前のことを難しくいう技術
183: 09/02(火)13:19 ID:0(183/184) AAS
あり。
184: 09/02(火)15:46 ID:0(184/184) AAS
Reality Bites
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