【テレビ、新聞、雑誌、書籍報道レポート】Part4 (516レス)
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(3): ホ−リ− 2010/09/10(金)20:28 AAS
題「少年A 関東医療少年院院長が語る「完治の証拠」 杉本研二(元関東医療少年院院長)」

「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った14歳の少年Aが神戸で児童連続殺傷事件を起こしてから13年になる。関東医療少年院などで7年半の矯正教育を受け、社会に出てから6年余。
今、28歳の青年になった彼は、どんな生活をしているのか?森下香枝記者(現・週刊朝日編集部)が関東医療少年院院長だった杉本研二氏に聞いた。

「彼がどこに住んでいるのか、詳細はあえて聞いていないのでわかりません。ですが、仕事は続けており、毎月の被害者遺族への賠償金は欠かさず、今も両親の口座へ送金しています」(Aのサポーター関係者)
1997年5月、中学校の校門に被害者の頭部を晒し、『ボクは殺しが愉快でたまらない(略)』などと記した挑戦状を新聞社へ送り付けた大胆不敵な犯行は、日本中を震撼させ、少年法が改正されるなど社会に大きな影響を与えた。
それだけに、島根の女子大生バラバラ殺人など残虐な未解決事件が発生するたび、Aの名前がメディアで取り上げられ、再犯の可能性が論議される。
「絶対に再犯はないと僕は信じています」
こう答えるのは、当時、Aが収容されていた関東医療少年院の院長だった精神科医・杉本研二氏(71)だ。
杉本氏が最後にAを見たのは、彼が関東医療少年院を仮退院した04年3月−−。
当時、170㎝近くに背が伸びた彼は、仮退院に備え、坊主頭から髪を伸ばし、職能訓練を受けたおかげで細かった身体に筋肉がつき、随分とたくましくなっていた。
院長室で退院証書を手渡した時、「今までありがとうございました」と真っ直ぐに見つめ返した彼の目を見て、「大人になったものだな」と眩しく思えたことを今でもよく覚えているという。
杉本氏には理屈ではなく、直感で、「もう大丈夫だ、病理は消えた」と確信した瞬間があったという。

関東医療少年院を仮退院する間際、粘土細工が得意だったAは土を一心不乱に捏ねたことがあった。
彼は事件当時からシュールレアリズムの大家・サルバドール・ダリを敬愛し、美術が得意だった。
少年院内でも、NHK学園の通信教育を受け、月1回、課題作品を提出するなどしたが、5段階評価でほとんどがAだったという。
彼が仮退院の前、作り上げたのは大きな海亀にひとりの青年が跨ったオブジェだった。
竜宮城で寄り道したけれど、亀に跨って古里へ帰る浦島太郎に、これから社会に戻る自分を重ね、創作したのだ。
青年の期待と不安が交錯する感情がきれいに表現され、その印象は瑞々しく、健全そのものだったという。
自身も絵心があり、美術鑑賞が趣味である杉本氏はこう語る。

「Aの作品を見て安堵したと同時に少しだけ正直、寂しくも思いました。彼の作品から攻撃性、混乱、グロテスクさ、毒気……。あらゆる負のエネルギーが消え、感情が整理され、きれいに統合されていた。普通の青年になったもんだな、としみじみ思いました」

関東医療少年院にやってきた97年10月当時、彼が放出する“殺気”ともいえるそのエネルギーは凄まじいものがあった。
そのエネルギーをぶつけるように、彼はただもくもくと、独房で粘土細工を作り続けたという。
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