日本の憲法学界は倉山満氏の憲法学へ反論しないのか [転載禁止]©2ch.net (543レス)
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(2): 2017/02/04(土)20:59 ID:h74QEou1(1/3) AAS
>>114
 「革命説」は昭和廿年の八月十五日に日本に革命があつた。ポツダム宣言受諾即革命である。
其に因つて帝國憲法は無くなつて仕舞ひ、日本は君主主權國から民主主權國になり、欽定憲法から民約憲法になつたのである。
革命に因つて憲法が無くなつて仕舞つた無法の地盤に日本國憲法が帝國憲法とは全く無關係に新しく作られた者である。
だから日本國憲法の成立が帝國憲法の條章に反するからと云つて、其の成立は無效であるとは云へぬ。
帝國憲法から見れば違法であり、無法であつても、帝國憲法は八月革命で消滅してゐるのだから、
其とは沒交渉に全く新しく出來た日本國憲法は有效に成立してゐると云ふ縡が出來る。

 此の「革命」と云ふのは唯日本國憲法は有效なりと云ふ縡を言ひたいが爲に説明の便宜上「革命」と云ふ觀念を借りてきた丈の机上の操作に過ぎぬ。
革命が未だ實現出來てゐない縡は革命の本元たる共産黨が存在してゐる縡からも能く判る。
116: 2017/02/04(土)21:02 ID:h74QEou1(2/3) AAS
>>114
 抑法とは「法理の筋を通して處置する縡が最小限度の要件」(井上孚麿)である筈なのに、其の最小限度の要件すらも御座なりにして、
國民の思惟や感情、更には現實はかうである等と云ふ尤もらしい理窟を以て、法の法たる最低限度の要件すらも否定してゐるのである。
かう云ふ輩に憲法の權威や法の恪遵等何うでも宜く、法に因る拘束力以上に國民の思惟や現實こそが勝ると云つてゐるのである。
之こそが「獨裁」なのであり、立憲主義、法の支配の否定の何者でも無い。
118: 2017/02/04(土)23:03 ID:h74QEou1(3/3) AAS
>>117
 全く通つてゐないが(嗤)。
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