教師は差別を実行し、差別主義者を量産する悪の権化 (227レス)
上下前次1-新
1 2019/10/17(木) 00:59:00.53 ID:Jbxbu3vz(1)
イメージで特定の人間(例えば髪を染めている人間)などを差別的に扱い、それを生徒らに強制し、洗脳し、結果的に差別主義者を大量に生む点が害悪である。
しかも彼らが差別するのは基本的に法的に許されている行為をしている人たちであり、そういう人がいることが問題とは客観的に説明できないことばかりで、感情論で人を否定する。
いじめがいけないと言いつつも、自らいじめ同然の差別的行為をしている時点でまともな人間はほぼいない。
2 2019/10/17(木) 15:18:31.72 ID:iyZ0lSKU(1)
紀伊國屋書店中部営業部
福原稔
3 2020/01/25(土) 13:04:44.18 ID:q8yLvIlV(1)
差別大好きだもんな
4 2020/01/26(日) 13:30:29.96 ID:0b69CI5u(1)
1は単なる「無政府主義」で程度低い。
なら会社組織に雇ってもらう事も害悪であり、復讐の権利を取り上げてる国家というものも害悪である。
無人島で自活するしかない。
5 2020/01/26(日) 13:50:36.45 ID:ly1gi+3A(1)
でも無政府主義者ってのも結局「徒党」を組んで「疑似国家」を作る。(オウム真理教と同じこと)
そこでは「法では許されていること」を悪として差別して、時には「裏切者として粛清する」(これもオウムで信者殺害など散々あった)
どの辺が学校や教員と違うのだろうか?
自分らだけ特別というのか?
6 2020/01/26(日) 18:52:25.80 ID:8Y6SdIO9(1)
正直「県トップ高」なんかだと、
成績がそれなりならば「鼻ピアス」だろうが「甚平で学校に行こうが」
「長ラン着ようが」相当自由じゃねーかね?小説青葉茂れるじゃないけど。
1はそういう所に行けば良かっただけ。
偏差値60以下だと服装とか厳しいだろww
7 2020/02/03(月) 16:58:28.26 ID:DVkQxy8o(1)
中学時代は生きづらさのかたまりだった。
誰とも噛み合わない会話や、集団行動への嫌悪感からは、自分の社会性のなさを突きつけられるようだった。
学校も地獄、きっと大人になってからも私は社会で生きていけない人間なのだろう。
あの頃の恐怖は、大人になって居場所を見つけてからも拭いきれない。私は手放しで安心することはないし、何年も文章にすらすることができなかった。
中学生の時、なにもかもすべてがダメ、という感じだった。誰だって多かれ少なかれそうだったのかもしれないし、「そんなことない、楽しかった」という人もいるのかもしれない。
私にとって学校生活をそつなく送れる子たちは少し変で、ものすごく特別に見えた。
その子たちも、本当のところは何を思っていたのかわからないけど、もし本心は辛かったのだとしたら、私には辛抱強さが足らないのだと思う。
いずれにせよ、誰かと中学時代の話をすることはないので、私はいまだに少しだけ孤独だ。
●姫乃たま
1993年2月12日、下北沢生まれの地下アイドル/ライター。
アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。
16才よりフリーランスで地下アイドル活動を始め、ライブイベントへの出演を中心に、文筆業も営む。
そのほか司会、DJとしても活動。音楽作品に『First Order』『僕とジョルジュ』、著書に『潜行〜地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)がある。
7インチレコード「恋のすゝめ」「おんぶにダッコちゃん」をリリース。
8 2020/02/13(木) 00:06:47.73 ID:sdFifKML(1)
日本は残酷な国である
そしてそれを促してきたのが学校教育だ
協調が大事と言いながら個性を認めず出る杭を叩く教育=いじめの温床
戦時中は特攻隊員として国の為にたった一つしかない命を捧げることを強要し
生きて帰ってきただけで恥晒しの非国民
国に疑問を持つ者は治安維持法で迫害、虐待、虐殺
江戸時代には獄門や市中引き回しもやってた国が日本という国である
年間3万人の自殺者が依然出るのも日本が残酷な国だからである
この現実を直視し、それを元に日本から残酷慣習を廃して新しい国を作るべきである
9 2020/02/23(日) 04:53:10.90 ID:JjkMqJ2a(1/2)
http://www.asahi-net.or.jp/~kf3n-akmt/taibatsu.html
4. 学校教育と軍隊教育の結びつき
学校教育が軍隊教育とどのようにして結びつくかということについて、佐藤秀夫は次のように述べている。
「近代的な学校が、全国民を対象にした低コストの教育をするためには、どうしても集団的な教授の形態をとる。はみ出る人間にはびしびし懲戒を加える必要が発生するわけです。
集団的な統制、規律というものが近代公教育に不可欠であった時代には、日本の場合も欧米の場合も、その直接のモデルは、軍隊に求められました。
ですから、軍隊の集団規律がそのまま公教育の学校に入ってくる。」このように規律維持を契機として、軍隊教育の方法が学校教育に入ってきた、という。
日露戦争後は、今までの兵学の常識を越える軍事力が必要であり、「総力戦」であることを戦陣訓として残した。
また国内には厭戦気分があり、兵士の逃亡も相次いだため、軍は国民に服従の観念の徹底をはかる必要に迫られたのである。以後一貫して軍は教育に要求(干渉)するようになる。
その点で、臨時教育会議での教育政策の方策は、その後の教育に対する影響は大きく※、1917(大正6)年の「兵式体操振興ニ関スル建議」も1925(大正14)年には、
文政審議会が学校における軍事教練の実施を可決し、同年の文部省と陸軍省の覚え書きにより、体操科主任に配属将校をあてることになった。
「陸軍現役将校学校配属令」がこれであり、これにより現役将校が学校に入り、軍の教育への主導権が確立した。
※久保義三著『日本ファシズム教育政策史』41頁(明治図書 1969年)によれば、審議会には軍部の代表である 山梨半造中將が財閥の代表や右翼の代表とともに会議に列し、発言権を持ったことが書かれている。
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