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● 女性恐怖症の孤男 ● (507レス)
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51: 名前は誰も知らない [sage] 2014/07/02(水) 08:16:03.66 ID:nNegYsKg0 鎌倉・段葛の景 The Far East http://image1.shopserve.jp/atq-yokohama.co.jp/pic-labo/photo-0002.jpg?t=20120829221651 http://www.atq-yokohama.co.jp/SHOP/photo-0001.html 神奈川の旧東海道を歩く 東海道五十三次[神奈川宿] http://book.geocities.jp/kentazajp/KANAGAWA/KANAGAWA.HTM 焼餅坂 http://book.geocities.jp/kentazajp/YAKIMOCHI/YAKIMOCHIZAKA.HTM http://book.geocities.jp/kentazajp/YAKIMOCHI/yakimochi1.jpg http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3d/a5122cb9993607ac216cace75b079802.jpg http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/e/0da92d7a5fc8f1cc3ae680e427893bb8 東海道五十三次[平塚宿] 明治14年頃の平塚江戸方見附の写真 大正7年頃の高麗山の写真 http://book.geocities.jp/kentazajp/HIRATUKA/HIRATUKA.HTM 東海道五十三次[箱根宿1] 幕末の三枚橋 幕末・旧街道の風景 http://book.geocities.jp/kentazajp/HAKONE1/HAKONE1.HTM http://book.geocities.jp/kentazajp/HAKONE1/onna8.jpg フェリーチェ・ベアトの鎌倉旅行 1864(元治元)年11月19日、ベアトと、画家でIllustrated London Newsの特派員ワーグマンは、外国人居留地のある横浜を出発して、一路金沢に出かけた。 ベアトは写真帖に、横浜から馬で2時間もあれば行ける「お気に入りの場所」として、金沢を紹介している。 ベアトとワーグマンは、根岸湾に沿って海岸線を走り、起伏に富んだ絶景にしばしば馬を止めつつ、金沢に到着したと思われる。 そして翌20日は、鎌倉を散策し、鶴岡八幡宮や大仏を撮影している。 その後、長谷から七里ケ浜に馬を進めた後、江ノ島を訪れた。 二人は、参道の土産物屋を冷やかし、神社などを見物している。 21日の朝、ベアトは江ノ島で、横浜駐屯地から遊びにきていたイギリス人士官らと朝食をとった。 いっしょに鎌倉へ行かないかと誘われたが、ベアトは丁重に断っている。 そしてワーグマンと藤沢へ向かった。 午後7時頃、宿に着いたベアトの元に、イギリス人士官殺害のニュースが届いた。 ベアトとワーグマンはすぐに鎌倉に引き返し、事件現場を取材、撮影している。 1862(文久2)年に起きた英人殺傷事件、生麦事件の2年後のことである。 来日前のベアトは、インド、中国などで戦場カメラマンとしてのキャリアを積んでいた。 古い時代が、新しい歴史で塗り替えられる瞬間を記録し、伝えることが、ベアトに与えられた仕事だったのかもしれない。 ベアトが撮影したイギリス人士官殺害の現場 http://a1.cdn.japantravel.com/photo/sbj-photo16065/800/photo16065.jpg http://ja.japantravel.com/view/金沢八景 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/alone/1389006973/51
52: 名前は誰も知らない [sage] 2014/07/02(水) 08:20:08.00 ID:nNegYsKg0 . ペリーの威嚇による開国要求 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-377.html 第二次アヘン戦争(アロー戦争)の頃の中国・日本の写真 http://pokkekun.jp/blog-entry-583.html 幕末日本の風景と人びと-フェリックス・ベアト写真集 http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/52320658.html 原町田 http://book.geocities.jp/kentazajp/KANAGAWA/kosatu7.jpg 鶴岡八幡宮 http://ocw.mit.edu/ans7870/21f/21f.027/beato_places/image/image_det/18_Kamakura_detcap9513.jpg http://nippon5374.img.jugem.jp/20061014_232367.jpg http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/HSD10025.JPG http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/tsurugaoka.html 生麦事件の現場 http://img.umscd.jp/bkm/img/389.jpg?copyright=yes&cache=no&thruHdr=yes&thruParam=yes&size=100pw&limit=35P&target=wp&uid=NULLGWDOCOMO http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/904/33/N000/000/008/134762598166913104211.jpg 開港と攘夷行動 攘夷殺人及び事件 http://www.japanusencounters.net/portopening.html 鎌倉大仏 http://ja.japantravel.com/view/鎌倉大仏 http://a0.cdn.japantravel.com/photo/sbj-photo60369/800/photo60369.jpg 川崎 http://tatsuo.gnk.cc/tokai53/tk02_kawasaki.htm 幕末に来日した写真家、フェリーチェ・ベアトの写真を特集 横浜美術館コレクション展 出品リスト http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2006/collection/1/exhibition4.html http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/alone/1389006973/52
53: 名前は誰も知らない [sage] 2014/07/02(水) 09:09:35.85 ID:nNegYsKg0 小室信夫の生涯 幕末・明治にかけて活躍した人物に、小室信夫(こむろしのぶ)という人がいます。 それほど知名度は高くないのですが、それでも、結構、多彩な経歴の持ち主で、 意外と歴史の表舞台にも顔を出してきたりします。 主な略歴としては、 幕末期、尊王攘夷活動に参加するも、やがて幽閉され、 維新後に釈放されてからは、一転して、自由民権運動の立ち上げに参画。 板垣退助らが主唱した「民撰議院設立建白書」を起草し、 日本初の政党「愛国公党」の結成にも加わりました。 その後は、実業界へと転身、 鉄道や銀行、郵船など、いくつもの企業を興しました。 という感じで、 まさに、幕末・明治という時代を生きた典型であるかのような、 激動と変転の生涯であったといえます。 小室信夫が生まれたのは、天保10年(1839年)の9月。 丹後国与謝郡岩滝村(現在の京都府与謝野町)で、 生糸縮緬商を営む豪商・山家屋の家に生まれました。 信夫というのは明治以後の名で、この頃は利喜蔵と名乗っていたそうです。 やがて、山家屋の京都支店の監督責任を任されることとなり、京都に在住することになります。 ちょうど、この頃は、幕末の尊王攘夷運動が高まりを見せはじめていた頃で、 いつしか、小室も、尊攘派の志士たちと交わり始めました。 そうした、小室が歴史の表舞台に出ることになったのが、 文久3年(1863年)の「足利将軍木像梟首事件」。 この事件は、平田派国学の有志を中心とする尊王過激派がひきおこしたものなのですが、 小室は、この事件の主要メンバーの一人として加わっていたのです。 「足利将軍木像梟首事件」というのは、 京都・等持院に安置されていた、歴代の足利将軍の木像のうち、 足利尊氏・義詮・義満、三体の木像が持ち出され、 三条河原に獄門台を据え、この木像の首が梟首(さらし首)されたという事件。 木像の脇には、高札が立てられて、 そこには、足利将軍は「逆賊」であると記され、 この木像の首をはねて梟首することにより、 大義名分を明らかにするものである旨が記されました。 これは、足利幕府になぞらえて、現在の徳川幕府を非難したもので、 将軍・家茂が、近々に上洛する予定になっていることに対して、 プレッシャーをかけるという意味合いもありました。 そして、この高札の文章を起草した人物が、 小室信夫であったと言われています。 ちょうど、この頃は、 松平容保が京都守護職に着任して間もないころのことで、 この事件を聞いた松平容保は、激怒したといい、 早速、この件についての、徹底的な、捜査・捕縛を行うよう指令が出されました。 小室信夫は、追われる身となり その後、四国・九州などを転々とする日々を送ります。 しかし、結局、最後は、逃げおおすことを断念。 そこで、逃げ込んだ先が、徳島藩邸でありました。 これは、一緒に逃げていた同志が、たまたま徳島出身であったためで、 結局、小室は京都の徳島藩邸に自首して出ることになります。 ところが、自首された側の徳島藩にすれば、 これは、全くいい迷惑で、その取り扱いに困りました。 幕府に伺いをたてますが、 その回答は、「貴藩にて預かれ」というもの。 犯行から時間も経過していて、もう、ほとぼりが冷めていたということもあるのでしょう。 結局、徳島藩は、この二人を、そのまま藩邸に幽閉することになります。 こうして、5年ほどの間、小室は外出も許されない幽居生活を送ることとなりました・・・。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/alone/1389006973/53
54: 名前は誰も知らない [sage] 2014/07/02(水) 09:13:14.52 ID:nNegYsKg0 ところが、明治維新となり、その状況が一変します。 維新後は、討幕に功があったものが重用される風潮となり、 明治政府からも、有用な人材を出仕させるようにという指示が、各藩に出されます。 ところが、旧幕時代、ずっと佐幕派であった徳島藩には、 薩長に橋渡しが出来、明治政府と関係が保てるような適当な人材が全くいません。 そこで、目をつけたのが、幽閉中の小室信夫でした。 何せ、彼は「足利将軍木像梟首事件」という、 討幕派からすると、輝かしい経歴を持っています。 徳島藩は、小室を釈放するや否や、 彼に、一躍、藩の家老級の待遇を与え、徳島藩士として新政府に出仕させます。 こうして、彼の人生は、急展開していくことになりました。 明治5年には、元阿波藩主・蜂須賀茂韶に同行して、 イギリスへと渡り、各国を視察して帰国。 これが、さらに、彼の経歴に箔をつけ、さらなる次のステップへと導いていくことになります。 1874年(明治7年) 前年、征韓論論争に伴う政変により政府を去った、板垣退助・後藤象二郎・江藤新平らが、 政府に対して、民選議会(国会)の開設を要望。 世に言う「民撰議院設立建白書」が提出されます。 これが、後の自由民権運動の端緒となっていくわけですが、 この「民撰議院設立建白書」の文案を起草したのが、小室信夫でありました。 当時、英国視察から戻ってほどない小室がヨーロッパ事情に詳しい、 ということを聞きつけた後藤象二郎が、小室に声をかけ、文案の起草を依頼したもの。 小室は、同じく帰朝組の古沢滋とともに、この起草に携わったのでありました。 この「民撰議院設立建白書」では、 板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣・由利公正など 錚々たる明治の顕官経験者とともに、小室信夫も連署に名を連ねることになります。 また、この頃、小室は、 日本初の政党である「愛国社」の創設にも参加。 さらに徳島を地盤とした新たな政党、「自助社」を設立したりもしています。 このように、草創期の民権運動・政党創設の中心人物として活躍を見せていた小室信夫。 しかし、その後、彼は、何故か政治家としての道を進もうとしませんでした。 実業界へと転身。 そちらで活躍を見せることになります。 第百三十国立銀行、奥羽鉄道、京都鉄道、小倉製糸、共同運輸、等々 多くの会社を起業し、その社長や重役を務めました。 小室信夫、明治31年6月に死去。 享年、59才でした。 以上が、時代の波に翻弄されたともいえる小室信夫の生涯。 尊王の志士であり、官僚であり、また、自由民権活動家でもあり、実業家でもあり、 彼の肩書は、様々に表現することが出来ます。 ただ、それだけ多彩な経歴を持っている人物である割には、知名度も低く、 また、逆に、色々なことをやりすぎたためなのか、 焦点が絞りにくい人物であるという印象も残ります。 しかし、彼が最終的に実業家の道を選んだということからして、 もともとが豪商の出身でもあり、彼が本当にやりたかったのは、 実業の道だったようにも思えてきます。 そう考えると、起伏が激しかった彼の生涯も、 最後は、自分が望む道を進むことが出来た、納得の人生だったといえるのかも知れません。 http://plaza.rakuten.co.jp/gundayuu/diary/?ctgy=19 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/alone/1389006973/54
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