[過去ログ] 長靴半ズボンその4 (1002レス)
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972: 2020/06/06(土)13:47 ID:WGD+XgRsB(3/24) AAS
反省文を書かされ、DQQの指導も受けることになった。
M代もK子も反省文に書いた、
校舎を汚さないためにも荒天時は積極的に長靴をはくべきだという趣旨に、DQQは噛みついた。

勝手な判断をするんじゃない、
派手な長靴で風紀が乱れたらどうするんだ、
違反ソックスを履くための言い訳だったのだろう、
Y東高校をめちゃめちゃにしてもいいのか、
そんな了見でいると長靴を履いてする仕事にしか付けないぞ、
この学校は国公立を出すんだ、

などである。
省15
973: 2020/06/06(土)13:48 ID:WGD+XgRsB(4/24) AAS
夕食時、父親が校則を守るように注意した。

なぜ学校に長靴を履いてきてはいけないのか、小学校では雨の日や雪の日は長靴を履いてくるようにと決められているのに、とB斗が不思議そうに聞いた。
小学校と高校は違うと、母親は答えた。
するとB斗は、長靴を履くからにはハイソックスを履くほうがいいじゃないかと食い下がった。
お姉ちゃんの高校ではハイソックスは禁止されている、と母親は答えた。
B斗は、「お姉ちゃんの学校、絶対、変(へん)!」と言った。

K子が突然泣き出してしまった。
K子はDQQの言葉を繰り返した。
「わかった。」父親はそういうと、食卓を離れた。
974: 2020/06/06(土)13:49 ID:WGD+XgRsB(5/24) AAS
翌日、K子の父親は学校に校長を訪ねた、というより、怒鳴り込んだ。
会社の作業着に長靴を履いて。

校則違反であったことは申し訳ない、校則は守るべきだ。
ただ、雨の日や雪の日はむしろ長靴を履いて、校舎を汚さないようにするべきではないか、
ハイソックスの禁止もわかるが、長靴の着脱で周囲に迷惑をかけないためならいいではないか、
まあ、それはいい、お宅の規則なら仕方がない。
だが、長靴を履くような仕事しかできないようになるぞ、とは何事か。
私は土建屋だ、長靴を履いて仕事をしている、
娘に、この学校の生徒に私のような人間になるな、と指導するのか、うちの会社の社員のような人間になるなと指導するのか、

という趣旨である。
省6
975: 2020/06/06(土)13:50 ID:WGD+XgRsB(6/24) AAS
M代とK子がアイドル志望をやめて小学校教員を目指すようになったのは、Jとの出会いがあったからである。
Jとの出会いは高2の春、DQ1らに長靴着用が校則違反としてとがめられた少し後である。
その後のM代とK子は、地元駅弁大学の教育学部進学に全力を尽くした。

M代とK子は学力を着実に向上させてきた。
DQ1らは自分たちの指導の成果であると思い込んだ。

M代とK子が卒業すると、DQ1はX県で一番の進学校X高校の校長に着任した。
国旗、国歌のことをX高校でも徹底させた。
Y東高校では意に沿わない教員は暴力校に飛ばされた。
X高校の教員はプライドが高いが、権力の威光を受けたDQ1に逆らうことはできなかった。
Y東高校の教員よりも従順ではあったが、それでも意に沿わない教員は暴力校に飛ばした。
省3
976: 2020/06/06(土)13:52 ID:WGD+XgRsB(7/24) AAS
その時、X県知事は、JM党と一部の野党の支持を受けた平凡な保守であったが、自治省(当時)の落下傘候補ではなく、地元の大規模な土建屋であった。

その県知事に汚職の疑いがかかった。
というより、その知事とJM党県連との間に、利権的かつ感情的な対立が生じたのだった。
JM党は一部野党と組んで、その知事を金権と呼んで非難し、対立候補としてDQQを担いだ。
DQQは、中央ともつながりのあり、X県の教育を立て直した功労者であると宣伝した。
現職、DQQ、KS党の三つ巴となった。

K子の父親は迷った。
K子の父親の会社は現職と深いつながりがある。
でも、時の流れはあまりにも現職に不利だ。DQQに少しでも早いときに取り入っておかねばならない。
DQQの「長靴を履いた仕事」に対する偏見には懸念はあったけれども、そろそろ考えを改めているはずだとも思った。
省10
977: 2020/06/06(土)13:54 ID:WGD+XgRsB(8/24) AAS
K子は地元駅弁大学の教育学部を卒業して、東京都の教員採用試験に受かって小学校教諭となっていた。
X県の小学校教諭採用試験も受けたが、こちらは落ちていた。
K子が社会人2年の年、B斗が中3の年、DQQはX県知事に当選した。圧勝だった。
大手マスコミも、金権対良心の戦いで、両親が勝利したと報じた。

B斗はY市3番手の進学校(なあんちゃって進学校)Y西高校に進学した。

その年、ついにDQQはK子の父親の会社に牙をむいた。
DQQはK子の父親を許してはいなかった。
公共事業から外されたために、K子の父親の会社は倒産した。

K子の父親の会社には正社員はおらず、全員がX県や近県からの出稼ぎの人であった。
社長として、次の就職先は知り合いのつてと使って最善を尽くした。
省2
978: 2020/06/06(土)13:55 ID:WGD+XgRsB(9/24) AAS
倒産に伴い、自宅兼会社の地所も含めて銀行に差し押さえられた。
同情した同業者たちの紹介で、K子の父親はトラックの運転手として働くことになった。寮に住むこともできた。

K子とB斗の母親の実家はY市を流れるZ川の上流のZ川町にある。
母親とK子とB斗は母親の実家に身を寄せることになった。
Z川町には、Z川高校がある。
かつては田舎ののんびりした高校であったが、少し前から暴力校になっていた。
Y市だけでなくX市からも成績が極めて回の者たちが通ってくる。
B斗はZ川町からY西高校に通うが、かつての同級生の中にはY市からZ川高校に通う者もいた。

自転車ですれ違っていたが、いつか向こうが変形バイクに乗ってくるようにもなった。
しばらくすると、知り合いの全員が退学してしまった。
省1
979: 2020/06/06(土)13:56 ID:WGD+XgRsB(10/24) AAS
B斗が高2の年、DQQは米国の某州に出張した。
X県の工業地帯の空き地に進出してくれる企業を探すためである。
なぜわざわざ米国、しかも当時の米国は不況、そんな批判もあった。やはり、外国で遊びたかったのだろうか。

某企業の社長(当時はCEOというものはない)と会談した。
結局、進出できる条件が整わなかったが、DQQにとって心地よい歓談ができた。

話が盛り上がってくると、
米国は素晴らしい、WW2に日本が負けてよかった、ソ連ではなく米国に占領されてよかった、原爆投下には感謝している、
などと米国礼賛を繰り返した。
相手も機嫌がよかった。

さらに相手が共和党員であることがわかると、
省5
980: 2020/06/06(土)13:58 ID:WGD+XgRsB(11/24) AAS
DQQは意気揚々と引き上げてきた。

DQQは気づかなかった。
社長の妻はユダヤ系で、社長はギリシャ系だったのだ。
社長の妻の旧姓も社長の姓も、ユダヤ系やギリシャ系に見えず、アングロサクソン系に見えたからだ。

社長による復讐が開始された。

その年、X県に水害が起きた。
DQQが視察に出ることになった。
DQQは長靴を忘れた。DQQは、長い長靴を履いた職員に背負われて視察した。

その写真は全国紙に出た。
世間の非難はごうごうたるものだった。県知事たる者、水害に対応するために長靴は当たり前ではないか、使命感に欠けると。
省6
981: 2020/06/06(土)14:20 ID:WGD+XgRsB(12/24) AAS
M代はX県の小学校の教員採用試験を受けたけれど、不合格だった。
そこで、X大学の大学院修士課程に進学した。修士1年の時も修士2年の時も不合格だった。

M代はP教授に師事していた。卒論の指導教官というだけではなく、文字通り師事していた。
P教授は、野外教育の専門家であるとともに、自己開示が子どもたちに大切だという持論を持っていた。
P教授の信念はX県教育委員会やX県の各市町村教育委員会とも衝突するものだった。むろん、文部省(当時)とも衝突するものだった。
M代の不合格はそんなところが影響したのかもしれない。

修士課程を修了するとM代はX大学に研究生として残り、教員採用試験に挑戦し続けた。
M代はP教授とともに学部学生に対して野外教育の指導をした。
M代は野外教育のカリスマのようになった。もう当時は教員採用試験は難関で、M代が教員採用試験に落ち続けていることは問題にならなかった。

研究生になってからの夏休み、M代は遠くの県のキャンプカウンセラーになった。
省7
982: 2020/06/06(土)14:58 ID:WGD+XgRsB(13/24) AAS
生まれて初めてのキックボクシングでの勝利をつかんだのは、K太もL気も中1の時だった。
まずL気がU雄に、次にK太がT雄に、判定で勝った。
中2の時、K太がU雄、L気がT雄に、判定で勝った。点差は縮まった。
高1では、K太がT雄、L気がU雄と対戦、高2では、K太がU雄、L気がT雄と対戦、
K太は2戦とも判定負け、L気も2戦とも判定負けだった。
U雄とT雄はプロとなり、「両雄」「2雄」などと並び称されるスターとなった。
K太とL気は「両雄」に勝ったととがあると、ひそかに誇りにしていた。
キックボクシングでの鍛錬とともに、その小さな事実もその後を生きる力になった。

中3の夏、K太もL気もそれぞれの主治医から、1年中半そで半ズボンは不要との言葉を得た。
体質は改善している、喘息の発作もなくなっている、アレルギー反応を起こす食品も減っているのであった。
省2
983: 2020/06/06(土)15:24 ID:WGD+XgRsB(14/24) AAS
K太もL気も高校生になった。
K太は輪切りされて2番目の進学校に入った。L気はそのままF大学付属高校に内部進学した。
K太にもL気にもアレルギー治療のための脱感作療法が始まった。
アレルギーとしては軽傷でメジャーな食品に対する適応を図るためである。

K太はひそかにキックボクシングジムに通い続けるために、中学と同様、運動部には入らなかった。
絶対に部活に入らなければならなかったので、中学と同様、科学部に入った。
中学の時に某科学雑誌で表彰されているので、周囲も自然のことと思った。

L気はアレルギー治療のためのキックボクシングのことが周囲に理解されているので、そのまま帰宅部のままであった。

系統的脱感作療法で発作が起き、欠席しなければならいことは2人とも多かった。
L気の学校ではJもおり、結構理解してくれたが、K太の学校では出席時数不足になりそうになり、呼び出されることも多かった。
省15
984: 2020/06/06(土)15:48 ID:WGD+XgRsB(15/24) AAS
K太は首都圏の国立大学の工学部に進学した。材料工学のようなことを専攻した。
L気も首都圏の国立大学の工学部に進学した。人間工学のようなことを専攻した。
K太もL気もソルジャー営業になるのはいやだから、修士課程に進んだ。

K太は化学メーカーの技術職となった。
L気は製靴メーカーの技術職となった。

A樹は地元駅弁のX大学を教育学部を出て、X県の職員となった。
B斗は関西の私大の経済学部を出て、製靴メーカーの営業職となった。
C子は波乱ののち、Jに紹介された靴屋のA子さんの店で働き、靴店を起業するようになった。
N子はC子への反発から平凡な進路を歩んで平凡なOLとなったが、C子と再会し、C子の波乱を聞き、C子と和解し、一緒に起業することになった。

N也は大学でK太の後輩となり、ともに材料工学の研究に励んだ。
省6
985: 2020/06/06(土)15:52 ID:WGD+XgRsB(16/24) AAS
B斗は製靴会社で長靴部門の担当だった。
一度は廃止することが決まりかかったが、豪雪によって急に需要が高まったため、存続が決まった。
それでも、長靴の売れ行きは低下し続けた。長靴を魅力あるものにしなければならない、B斗たちの至上命題だった。

B斗は趣味でロックを続けていた。ストレス解消にもなる。大学時代親しかった別のバンドは活躍していた。彼らは就職せず、プロを目指している。
バンド名をXYZといった。B斗はXYZのメンバーと良く飲んだ。XYZは、長靴半ズボン、長靴スカートを本格的にメインコンセプトにしたいと考えていた。
ブーツではだめだ、長靴だ。でも、どの長靴でも激しい動きで脱げてしまうし、動きが制約される。長く、細めで、かっこよく、動きが制限されず、激しい動きでも脱げない長靴が欲しいとのことであった。

B斗は、研究開発部門のL気に相談した。B斗とL気はそれまであまり親しくなかったが、何回か話し合いをしているうちに、無二の戦友とも言える間柄になった。
長靴の現代におけるマイナスのイメージのこと、自分たちの子供時代も基本的に同じだったこと、それでも、長靴半ズボンに誇りを持っていたこと、長靴半ズボンで長靴スカートの強い女の子に挑戦し続けたことなどを話した。
そして、長靴半ズボンを復活させることを誓い合ったのだ。

長靴は、@長いこと、A形がいいこと、B短靴とまったく同じできればそれ以上の運動機能があること、C軽いこと、D疲れないこと、F着脱が容易なこと、Dそのうえで運動によって脱げないこと、
省2
986: 2020/06/06(土)15:54 ID:WGD+XgRsB(17/24) AAS
L気は長靴の形態の工夫に心血を注いだ。そのためには材料が問題だ。L気はK太に相談することにした。K太はL気の求める長靴に必要な材料を開発することにした。
ついに@ADの条件を備えた長靴が完成した。まだ採算ラインに乗らない。コストダウンにも励んだ。一方、XYZにはその長靴を提供を申し出た。XYZの若干の注文に答えて修正して提供した。
XYZは、長靴半ズボンスカート半ズボンのコンセプトでメジャーデビューを果たした。

C子はA子さんの店を手伝って、店の売り上げを伸ばすことに成功した。売り上げが落ちていた長靴についても、仕入れる商品や展示方法、宣伝方法を工夫することで売り上げを倍増以上にした。
C子はA子さんから信用され、娘のような存在になった。A子さんは高齢となり、店を引退することになった。店はC子に貸して賃料で老後を過ごすことにした。
C子は更に店を大きくしていった。会社も起こし、自社物件も手に入れた。世界各地から良質な長靴を取り寄せるようになり、代理店契約にも成功した。

A樹はX県の職員として産業課に配属される前に、土木課に配属され、Z川上流の山林管理に携わった。誰も見ていないときには長靴半ズボンでパトロールすることもあった。
B斗やC子と競い合った日のことを思い出した。
県庁の産業課に戻ると、企業誘致が課題となった。

K太がついに@〜Iの条件を満たす長靴の素材を開発した。B斗とL気の製菓会社が契約した。L気のチームが@〜Iの条件を満たす長靴の開発に成功した。採算ラインにも乗った。
省2
987: 2020/06/06(土)16:12 ID:WGD+XgRsB(18/24) AAS
協力したのは、某県で小学校教員をしていたA樹の姉M代、東京都で小学校の教員をしていたB斗の姉K子、そして、F大学付属小学校で教員をしていたJである。
50m走、反復横とび、持久走、さまざまな球技、どんな運動においても、短靴に劣ることはまったくなかった。かえって短靴よりいい結果が出たくらいだった。
その長靴を欲しい、履きたいという子供が続出した。

一方、XYZがTVでも放映されるようになると、長靴がかっこいいこと、生脚に長靴がもっとかっこいいこと、が定着するようになっていった。
XYZの履く長靴もどんどんかっこいいもになっていった。
ますます脱げにくくなり、動きも激しくかっこいいものになっていった。

E彦の漫画もヒットした。
自身の小学生の頃の肉弾、中学生の頃のレスリング、大学で見た長靴ラグビーを題材に魅力的な作品が登場した。
長靴半ズボンで頑張ることがかっこいい、と認識されるようになった。

新しい長靴の開発が順調にいったわけではない。
省10
988: 2020/06/06(土)16:13 ID:WGD+XgRsB(19/24) AAS
復活させた長靴は、
>@長いこと、
>A形がいいこと
>B短靴とまったく同じできればそれ以上の運動機能があること
>C軽いこと
>D疲れないこと
>E着脱が容易なこと
>Fそのうえで運動によって脱げないこと
>G脱ごうと思ったら簡単に脱げること
>H内部が衛生的で手入れが簡単なこと
省6
989: 2020/06/06(土)16:15 ID:WGD+XgRsB(20/24) AAS
K太の化学会社Y社の材料で作る、B斗、L気の製菓会社N社の長靴は高く評価された。大人も子供も男性も女性も支持した。
XYZなどの影響もあって、激短半ズボンかミニスカートが似合うというムードが定着した。
ハイソックスがちらりというのも支持された。ハイソックス派の方がやや多数派だった。

C子の会社では、ハーフパンツに変わって、激短半ズボンやミニスカートも生産するようになった。
N社の長靴生産ラインでは対応できなくなった。量もそうだが、最新設備を何とかしなければならない。
新しい工場が必要だった。

X県の工業地帯はジリ貧だった。工場は次々と中国や東南アジアに脱出していく。A樹は新規に進出する企業を見つけることができずにいた。
A樹はひらめいた。N社を誘致しようと。N社にはB斗がいる。B斗は営業系だ。
N社の工場はX県に決まった。それに伴い、N社の関連工場として何社かが進出してきた。

ついに、子供たちの間に、長靴半ズボンが復活した。
省5
990: 2020/06/06(土)16:22 ID:WGD+XgRsB(21/24) AAS
これも加えてください。
991: 2020/06/06(土)16:24 ID:WGD+XgRsB(22/24) AAS
A樹4年生のN祭りの少し前

N祭りでは子ども相撲がある。C子も出場する。C子に負けたくなかった。
A樹は、大学1年生になっていた姉のM代に、相撲を教えてもらうことにした。
C子のことは何も言わないでおいた。

約束の日は雨上がりで地面が濡れていた。人に見られないように、Z川の支流の川の川原で行うことにした。
A樹は真冬でも半ズボンである。その日、A樹は長靴を履いた。ハイソックスがちらりと見えた。
M代は、敢えて昨年A樹とショッピングセンターに自転車で行ったときと同じ半ズボンを生脚で履き、長靴も履いた。ハイソックスがちらりと見えた。
A樹は驚いた。そして「ありがとうお姉ちゃん。」と言ってしまった。

相撲の勝負は何回やってもM代の圧勝だった。
いつの間にか、M代がA樹に稽古をつける、指導する、という展開になった。
省10
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