[過去ログ] 長靴半ズボンその4 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
965: 2020/06/03(水)18:14 ID:MVCLorgtX(15/19) AAS
中学生になると部活動が始まる。
A樹、B斗、C子がレスリング部に入ったので、E彦も入ろうかともか思った。
でも、顧問のZZの指導についていく自信はなかった。仮入部の時は、厳しさでは平均的であったテニス部に入ろうかとも思った。
しかし、それでも、今度こそは強くなりたいと思い、本入部では、A樹B斗C子のいるレスリング部に入った。

中学校の校則では中2の秋まで私服では半ズボンで過ごさねばならなかった。多くの男の子たちは嫌がったが、ZZの超人的な指導力で98%以上達成された。

E彦は半ズボンが好きだったし、体も小さいほうだったから何の違和感もなく半ズボンで過ごした。
雨や雪に関係する日は積極的に長靴を履いた。
A樹とB斗はレスリング部で休日がよくつぶれるので、中学生になってからは、小学校以来の趣味である釣りに合計4回しか行っていない。
中1のうち一回はレスリング部の先輩たちと、中2のうちの一回はレスリング部の後輩たちとである。

中1のもう一回と中2のもう一回はE彦と別の部の男の子一人も混じっていた。
省6
966: 2020/06/03(水)18:15 ID:MVCLorgtX(16/19) AAS
レスリング部でのE彦の実績は振るわなかった。
体力に自身のある男の子や女の子が主流である。C子は1年生からエース級と目されたが、A樹とB斗はよく言っても凡庸であった。さらに貧弱な体格のE彦は最下位層に属した。
E彦にとってレスリング部の活動は心身ともに負担だった。1年生の秋にはやめようかとまで思った。
2年生になってからは後輩の1年生に早くも追い越された。2年生の夏にはまたやめようかとも思った。

でも、顧問のZZに退部を申し出る勇気はなかった。
勇気のなさをごまかすためでもあるが、ずっと思っていた、もっと強くなりたい、という夢を実現させるため、と自分に言い聞かせて耐えた。

A樹とB斗はC子とのスパーを何回か行った。中2では選考会で相次いで対戦し、相次いでフォールされ、失神して失禁してしまった。
E彦はC子との本格的なスパーがなかった。力量が伴わないとZZからみなされていたからだ。その選考会にE彦は無縁だった。

C子は2年生から選手として地区大会に出場している。数県が集まって行う地区大会の次が全国大会だ。C子は3年生で全国大会に入賞した。
A樹とB斗は3年生で地区大会に出してもらえ、2回戦まで進出した。
省7
967: 2020/06/03(水)18:15 ID:MVCLorgtX(17/19) AAS
第1回戦、E彦は自分より身長も体重も小さい女の子と対戦した。身長はC子と同じであったが体重は少なく筋肉も少なかった。
E彦はパワー、スピード、テクニックともに優勢に試合を進め、ニアフォール状態で圧倒的な判定勝ちをした。

第2回戦、E彦は身長も遥かに高い肥満児の男の子と対戦した。
体重の圧力に苦労したが、スピード、テクニック、スタミナで圧倒し、圧倒的な判定勝ちをした。

第3回戦、C子と対戦することになった。
C子はエースであり、地区大会にも出場するが、トーナメントの人数あわせと、C子自身の調整のため、出場することになっていた。他の中学から地区大会に出場するエースの男の子や女の子も少し出場していた。

E彦は今度こそC子に勝ちたかった。
小3の公園での肉弾では震えているだけでC子に立ち向かえなかった。
小6の体育の肉弾では高々とリフトされて投げ飛ばされ、事実上の失神KO負けとなった。
E彦とC子との力の差は、小3の時よりも小6の時、小6の時よりも中3の今の方が大きくなっている。
省6
968: 2020/06/03(水)18:16 ID:MVCLorgtX(18/19) AAS
A樹は内申が1つ足りないため、Y市第一の進学校、灯台にも毎年合格者を出すY高校に行けず、第二の進学校Y東高校に行った。
A樹はずっと3であった体育を4にしていた。それでも1足りなかった。

B斗は内申が1つ足りないため、Y東高校に行けず、進学校としては最低のY西高校に行った。
B斗もずっと3であった体育を4にしていた。それでも1足りなかった。

E彦は内申がA樹より2つ多くあったため、ぎりぎりでY高校に進学した。
E彦はずっと2や3であった体育を4にしていた。だからぎりぎりでY高校に届いたとも言える。

レスリング部はなかったので、E彦はテニス部に入った。成績は平凡に終わった。その他の分野で何も実績を残せなくても、テニスのうまいただの人という称号は手に入った。

E彦は地底とMARCH級に合格し、地底に行った。文学部である。
E彦は東京で就職した。文学部ということもあり、よくわからない企業にやっと就職できた。
969: 2020/06/03(水)18:22 ID:MVCLorgtX(19/19) AAS
実はE彦は小学生のころから漫画を書くのが好きだった。
長靴半ズボン少年の漫画が多かった。長靴半ズボンに近いSF少年ヒーロー物もよく書いた。
大学生になったら、さまざまテーマに挑戦した。スポーツものではレスリングを描いた。社会人になったらさらにテーマが広がった。でも、一番すきなのは長靴半ズボンだった。
大学生の時、A樹とある大学を訪れた時、長靴で練習試合をする中学生のチームを見た。長靴半ズボン少年2人が女子中のチームとのもみ合いで失神してしまったことも心に残っていた。
それを題材にした漫画でE彦は広く名を知られるようになった。
その漫画をきっかけに、長靴で練習するラグビーチームが増えた。

数年してE彦は受賞して漫画家としてデビューした。父母や親戚は反対したが、E彦は決断した。長靴半ズボンでC子に挑戦した日を思い出しながら。
970: 2020/06/06(土)13:37 ID:WGD+XgRsB(1/24) AAS
A樹姉のM代とB斗の姉のK子は高2の時、不愉快な事件に遭っていた。

入学した年からY東高校の校長にDQQが着任した。
DQGは県職員の出世頭で中央官庁に出向していた。出向から戻ると、中堅進学校のY東高校の校長に任命された。
DQQの使命は、「教育正常化」である。
国旗を掲揚させ、国歌を斉唱させ、教育現場から「アカ」を一掃することだった。
入学式では昨年度までとは異なり、国旗が掲揚され、国歌が斉唱された。数人の教員が腕組みをして、斉唱しなかった。
DQQは普通の校長と違って特別な立場にあった。
それらの教員は校長室に呼び出されて地獄を味わわせられただけでなく、暴力校に飛ばされた。

K子の父親は小さな土建屋を経営していたこともあって、PTAの役員となった。
PTAの会合でDQQの方針を聞いて、K子の父親は意気投合した。
省7
971: 2020/06/06(土)13:45 ID:WGD+XgRsB(2/24) AAS
不愉快な事件は高2の冬、雨の日に起こった。
M代は赤の長い長靴、K子は白の長い長靴を履いて登校した。
いつもは学校指定の白の短いソックスだったが、長靴を脱ぎ履きしにくいので、その日は白のハイソックスを履いた。
学校に到着して長靴を脱ぐと、白のハイソックスを短く折った。

M代とK子は生徒指導部に呼ばれた。
足首あたりがかさばっていたため、ハイソックスであることがばれたのだ。
校則では、学校しての短い白のソックスだけが許可されていて、それ以外は禁止だったのだ。

ハイソックスを履いてきた理由を問い詰められたので、長靴を履いてきたので、着脱が容易にでき、玄関が混雑しないようにするためだと答えた。
K子とM代は玄関に案内した。
長靴は幾重に追っても靴箱に入らなかったので、靴箱の上に置いてあった。
省6
972: 2020/06/06(土)13:47 ID:WGD+XgRsB(3/24) AAS
反省文を書かされ、DQQの指導も受けることになった。
M代もK子も反省文に書いた、
校舎を汚さないためにも荒天時は積極的に長靴をはくべきだという趣旨に、DQQは噛みついた。

勝手な判断をするんじゃない、
派手な長靴で風紀が乱れたらどうするんだ、
違反ソックスを履くための言い訳だったのだろう、
Y東高校をめちゃめちゃにしてもいいのか、
そんな了見でいると長靴を履いてする仕事にしか付けないぞ、
この学校は国公立を出すんだ、

などである。
省15
973: 2020/06/06(土)13:48 ID:WGD+XgRsB(4/24) AAS
夕食時、父親が校則を守るように注意した。

なぜ学校に長靴を履いてきてはいけないのか、小学校では雨の日や雪の日は長靴を履いてくるようにと決められているのに、とB斗が不思議そうに聞いた。
小学校と高校は違うと、母親は答えた。
するとB斗は、長靴を履くからにはハイソックスを履くほうがいいじゃないかと食い下がった。
お姉ちゃんの高校ではハイソックスは禁止されている、と母親は答えた。
B斗は、「お姉ちゃんの学校、絶対、変(へん)!」と言った。

K子が突然泣き出してしまった。
K子はDQQの言葉を繰り返した。
「わかった。」父親はそういうと、食卓を離れた。
974: 2020/06/06(土)13:49 ID:WGD+XgRsB(5/24) AAS
翌日、K子の父親は学校に校長を訪ねた、というより、怒鳴り込んだ。
会社の作業着に長靴を履いて。

校則違反であったことは申し訳ない、校則は守るべきだ。
ただ、雨の日や雪の日はむしろ長靴を履いて、校舎を汚さないようにするべきではないか、
ハイソックスの禁止もわかるが、長靴の着脱で周囲に迷惑をかけないためならいいではないか、
まあ、それはいい、お宅の規則なら仕方がない。
だが、長靴を履くような仕事しかできないようになるぞ、とは何事か。
私は土建屋だ、長靴を履いて仕事をしている、
娘に、この学校の生徒に私のような人間になるな、と指導するのか、うちの会社の社員のような人間になるなと指導するのか、

という趣旨である。
省6
975: 2020/06/06(土)13:50 ID:WGD+XgRsB(6/24) AAS
M代とK子がアイドル志望をやめて小学校教員を目指すようになったのは、Jとの出会いがあったからである。
Jとの出会いは高2の春、DQ1らに長靴着用が校則違反としてとがめられた少し後である。
その後のM代とK子は、地元駅弁大学の教育学部進学に全力を尽くした。

M代とK子は学力を着実に向上させてきた。
DQ1らは自分たちの指導の成果であると思い込んだ。

M代とK子が卒業すると、DQ1はX県で一番の進学校X高校の校長に着任した。
国旗、国歌のことをX高校でも徹底させた。
Y東高校では意に沿わない教員は暴力校に飛ばされた。
X高校の教員はプライドが高いが、権力の威光を受けたDQ1に逆らうことはできなかった。
Y東高校の教員よりも従順ではあったが、それでも意に沿わない教員は暴力校に飛ばした。
省3
976: 2020/06/06(土)13:52 ID:WGD+XgRsB(7/24) AAS
その時、X県知事は、JM党と一部の野党の支持を受けた平凡な保守であったが、自治省(当時)の落下傘候補ではなく、地元の大規模な土建屋であった。

その県知事に汚職の疑いがかかった。
というより、その知事とJM党県連との間に、利権的かつ感情的な対立が生じたのだった。
JM党は一部野党と組んで、その知事を金権と呼んで非難し、対立候補としてDQQを担いだ。
DQQは、中央ともつながりのあり、X県の教育を立て直した功労者であると宣伝した。
現職、DQQ、KS党の三つ巴となった。

K子の父親は迷った。
K子の父親の会社は現職と深いつながりがある。
でも、時の流れはあまりにも現職に不利だ。DQQに少しでも早いときに取り入っておかねばならない。
DQQの「長靴を履いた仕事」に対する偏見には懸念はあったけれども、そろそろ考えを改めているはずだとも思った。
省10
977: 2020/06/06(土)13:54 ID:WGD+XgRsB(8/24) AAS
K子は地元駅弁大学の教育学部を卒業して、東京都の教員採用試験に受かって小学校教諭となっていた。
X県の小学校教諭採用試験も受けたが、こちらは落ちていた。
K子が社会人2年の年、B斗が中3の年、DQQはX県知事に当選した。圧勝だった。
大手マスコミも、金権対良心の戦いで、両親が勝利したと報じた。

B斗はY市3番手の進学校(なあんちゃって進学校)Y西高校に進学した。

その年、ついにDQQはK子の父親の会社に牙をむいた。
DQQはK子の父親を許してはいなかった。
公共事業から外されたために、K子の父親の会社は倒産した。

K子の父親の会社には正社員はおらず、全員がX県や近県からの出稼ぎの人であった。
社長として、次の就職先は知り合いのつてと使って最善を尽くした。
省2
978: 2020/06/06(土)13:55 ID:WGD+XgRsB(9/24) AAS
倒産に伴い、自宅兼会社の地所も含めて銀行に差し押さえられた。
同情した同業者たちの紹介で、K子の父親はトラックの運転手として働くことになった。寮に住むこともできた。

K子とB斗の母親の実家はY市を流れるZ川の上流のZ川町にある。
母親とK子とB斗は母親の実家に身を寄せることになった。
Z川町には、Z川高校がある。
かつては田舎ののんびりした高校であったが、少し前から暴力校になっていた。
Y市だけでなくX市からも成績が極めて回の者たちが通ってくる。
B斗はZ川町からY西高校に通うが、かつての同級生の中にはY市からZ川高校に通う者もいた。

自転車ですれ違っていたが、いつか向こうが変形バイクに乗ってくるようにもなった。
しばらくすると、知り合いの全員が退学してしまった。
省1
979: 2020/06/06(土)13:56 ID:WGD+XgRsB(10/24) AAS
B斗が高2の年、DQQは米国の某州に出張した。
X県の工業地帯の空き地に進出してくれる企業を探すためである。
なぜわざわざ米国、しかも当時の米国は不況、そんな批判もあった。やはり、外国で遊びたかったのだろうか。

某企業の社長(当時はCEOというものはない)と会談した。
結局、進出できる条件が整わなかったが、DQQにとって心地よい歓談ができた。

話が盛り上がってくると、
米国は素晴らしい、WW2に日本が負けてよかった、ソ連ではなく米国に占領されてよかった、原爆投下には感謝している、
などと米国礼賛を繰り返した。
相手も機嫌がよかった。

さらに相手が共和党員であることがわかると、
省5
980: 2020/06/06(土)13:58 ID:WGD+XgRsB(11/24) AAS
DQQは意気揚々と引き上げてきた。

DQQは気づかなかった。
社長の妻はユダヤ系で、社長はギリシャ系だったのだ。
社長の妻の旧姓も社長の姓も、ユダヤ系やギリシャ系に見えず、アングロサクソン系に見えたからだ。

社長による復讐が開始された。

その年、X県に水害が起きた。
DQQが視察に出ることになった。
DQQは長靴を忘れた。DQQは、長い長靴を履いた職員に背負われて視察した。

その写真は全国紙に出た。
世間の非難はごうごうたるものだった。県知事たる者、水害に対応するために長靴は当たり前ではないか、使命感に欠けると。
省6
981: 2020/06/06(土)14:20 ID:WGD+XgRsB(12/24) AAS
M代はX県の小学校の教員採用試験を受けたけれど、不合格だった。
そこで、X大学の大学院修士課程に進学した。修士1年の時も修士2年の時も不合格だった。

M代はP教授に師事していた。卒論の指導教官というだけではなく、文字通り師事していた。
P教授は、野外教育の専門家であるとともに、自己開示が子どもたちに大切だという持論を持っていた。
P教授の信念はX県教育委員会やX県の各市町村教育委員会とも衝突するものだった。むろん、文部省(当時)とも衝突するものだった。
M代の不合格はそんなところが影響したのかもしれない。

修士課程を修了するとM代はX大学に研究生として残り、教員採用試験に挑戦し続けた。
M代はP教授とともに学部学生に対して野外教育の指導をした。
M代は野外教育のカリスマのようになった。もう当時は教員採用試験は難関で、M代が教員採用試験に落ち続けていることは問題にならなかった。

研究生になってからの夏休み、M代は遠くの県のキャンプカウンセラーになった。
省7
982: 2020/06/06(土)14:58 ID:WGD+XgRsB(13/24) AAS
生まれて初めてのキックボクシングでの勝利をつかんだのは、K太もL気も中1の時だった。
まずL気がU雄に、次にK太がT雄に、判定で勝った。
中2の時、K太がU雄、L気がT雄に、判定で勝った。点差は縮まった。
高1では、K太がT雄、L気がU雄と対戦、高2では、K太がU雄、L気がT雄と対戦、
K太は2戦とも判定負け、L気も2戦とも判定負けだった。
U雄とT雄はプロとなり、「両雄」「2雄」などと並び称されるスターとなった。
K太とL気は「両雄」に勝ったととがあると、ひそかに誇りにしていた。
キックボクシングでの鍛錬とともに、その小さな事実もその後を生きる力になった。

中3の夏、K太もL気もそれぞれの主治医から、1年中半そで半ズボンは不要との言葉を得た。
体質は改善している、喘息の発作もなくなっている、アレルギー反応を起こす食品も減っているのであった。
省2
983: 2020/06/06(土)15:24 ID:WGD+XgRsB(14/24) AAS
K太もL気も高校生になった。
K太は輪切りされて2番目の進学校に入った。L気はそのままF大学付属高校に内部進学した。
K太にもL気にもアレルギー治療のための脱感作療法が始まった。
アレルギーとしては軽傷でメジャーな食品に対する適応を図るためである。

K太はひそかにキックボクシングジムに通い続けるために、中学と同様、運動部には入らなかった。
絶対に部活に入らなければならなかったので、中学と同様、科学部に入った。
中学の時に某科学雑誌で表彰されているので、周囲も自然のことと思った。

L気はアレルギー治療のためのキックボクシングのことが周囲に理解されているので、そのまま帰宅部のままであった。

系統的脱感作療法で発作が起き、欠席しなければならいことは2人とも多かった。
L気の学校ではJもおり、結構理解してくれたが、K太の学校では出席時数不足になりそうになり、呼び出されることも多かった。
省15
984: 2020/06/06(土)15:48 ID:WGD+XgRsB(15/24) AAS
K太は首都圏の国立大学の工学部に進学した。材料工学のようなことを専攻した。
L気も首都圏の国立大学の工学部に進学した。人間工学のようなことを専攻した。
K太もL気もソルジャー営業になるのはいやだから、修士課程に進んだ。

K太は化学メーカーの技術職となった。
L気は製靴メーカーの技術職となった。

A樹は地元駅弁のX大学を教育学部を出て、X県の職員となった。
B斗は関西の私大の経済学部を出て、製靴メーカーの営業職となった。
C子は波乱ののち、Jに紹介された靴屋のA子さんの店で働き、靴店を起業するようになった。
N子はC子への反発から平凡な進路を歩んで平凡なOLとなったが、C子と再会し、C子の波乱を聞き、C子と和解し、一緒に起業することになった。

N也は大学でK太の後輩となり、ともに材料工学の研究に励んだ。
省6
1-
あと 18 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 1.019s*