雑談しよー2 (3) (697レス)
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抽出解除 必死チェッカー(簡易版) レス栞 あぼーん

639: 03/20(水)14:36 ID:4XFdhkk1C(21/25) AAS
■いまも殴打の後遺症が 「日本政府になぜ謝罪を求めるのか、皆さんと考えたい」。証言集会で、イさんは語り始めました。生家は貧しく「養女」の名目でよその家で働いていました。
一四〜一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
 「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。
少女たちは一日に四〇〜五〇人もの日本兵と性交渉を強いられました。耐えきれず自ら命を絶った少女は多数。拒んだ者は、皆の前で殺されました。
遺体は通りに捨てられ、野良犬の餌食となり、骨すら残りませんでした。
 逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。いまも腕や足に傷跡が残り、耳や目もこの時の後遺症で不自由です。「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか? 
そうではありません。“死刑場”です」。 カンさんも一五歳で中国の慰安所に。「人間扱いされず、お母さんに会いたいと泣くと殴られた」と、頭の傷跡を見せました。
「被害のことを話すたび、心で涙を流しています」とカンさん。
640: 03/20(水)14:48 ID:4XFdhkk1C(22/25) AAS
■証言を聞いた職員は
 大阪民医連の林雅大さん(三三、事務)は、初めて証言を聞きました。“合意”発表後、「詫びたのだからいいのでは?」と言う友人がいたり、
「韓国では反発が起きている」と報道があったり…。「直接ハルモニから真実を聞きたい」と考えました。参加して、ソウルの日本大使館前で一九九二年から毎週続いている水曜行動(一二〇〇回超)や、
史実を遺すため韓国の人たちが大使館前に建てた少女像のことを知りました。
 「この事実を歴史から消すのは絶対おかしい。自分の二人の娘と重ねると胸が詰まって…。過ちを繰り返さぬよう多くの人に知らせたい」と話します。
この後、大阪で毎月行われている水曜行動にも林さんは初めて足を運びました。

 二人のハルモニは語ります。 「敗戦後、日本軍は私たちを山奥に残して逃げました。韓国に戻れたのは二〇〇〇年。嘘はついていません。(イさん)。
「生きているうちに解決を。」(カンさん)。
 当事者たちの尊厳は回復してはいません。早期解決のためにも、この事実を国内に広げる必要があります。

日本軍「慰安婦」…旧日本軍が戦地に設置した「慰安所」で、軍の管理下で兵士との性交渉を強いられた女性。誘拐や暴行・脅迫、人身売買など、当時の刑法や国際条約にも反する形で連行され、
省3
642: 03/20(水)15:23 ID:4XFdhkk1C(23/25) AAS
特集|71年目の命題 ハルモニが伝える真実 ――日本軍従軍慰安婦問題
地図 昨年末、日韓両政府は突如「従軍慰安婦問題」の日韓合意を発表し、「最終合意だ」とした。
ところが、被害者である元慰安婦たちには事前に一切の説明もなく、当事者を置き去りにしたものだった。
被害者たちは今も当時の記憶に苦しみ、日本政府からの謝罪を待ち続けている。71年前、日本軍はアジアの女性たちに何をしたのか─。
ハルモニ(韓国語で「おばあさん」)が証言する。
「毎日40〜50人の軍人を相手にさせられた」イ・オクソンさん
 1月25日、韓国の「ナヌムの家(注)」から二人の女性が来日。イ・オクソンさん(89歳)とカン・イルチュルさん(88歳)だ。
彼女たちは第2次世界大戦中に日本軍によって連れ去られ、慰安婦にさせられた。今回の来日は従軍慰安婦問題について、未来の世代に正しい歴史と人権の大切さを知ってほしいと、
全日本民医連も参加する実行委員会が企画。東京と大阪で計4回の証言会を開催した。
注…韓国にある従軍慰安婦の被害女性が共同生活を送っている施設。
省7
643: 03/20(水)15:39 ID:4XFdhkk1C(24/25) AAS
日本政府は私たちがお金がほしくて自ら慰安婦になったと言いました。強制的に連れて行ったのではなく、慰安所では良い服を着せ、ごはんをきちんと提供し、良く面倒を見たと言いました。
それならばなぜ、私たちは日本政府に謝罪を求めるのでしょうか。私は生き残ったから、皆さんと話し合えます。亡くなった人の悔しさまで、生きている私は伝えるべきだと思っています。
人間は良心に従い、正しい生き方をしなければなりません。私たちは嘘をついていません。人が家畜や物のように扱われた慰安所での経験を、嘘だと言われた私の気持ちを考えてみてください」。
「頭には今でも残る傷が。人間扱いされなかった」カン・イルチュルさん
 カン・イルチュルさんは1928年に尚州で生まれ、15歳の夏の終わりに中国に連行された。カン・イルチュルさんが語る。
 「私の家は車通りのある道にあって、柿の木が何本も生えていました。秋には柿がたくさん実る豊かな家でした。末っ子として両親や兄、姉たちにかわいがられて育ちました。
 中国に連行されて、両親に会いたいと泣いていると殴られました。沢山の暴力を受け、頭には今でも残る傷があります。慰安婦は人間扱いをされませんでした。当時の悔しさを思い出すたびに涙を流しています。
なぜ私は(被害者として)この場にいなければならないのですか。
645: 03/20(水)15:51 ID:4XFdhkk1C(25/25) AAS
悲劇を繰り返さないために
 時に声を荒げ、時に涙を流しながら訴えた二人のハルモニ。昨年末の日韓合意についても「事前に何の説明もなかった」と憤る。
彼女たちが望んでいるのは、日本政府が直接ハルモニたちに謝罪をすることだ。現在まで、日本政府は従軍慰安婦問題の責任の所在を曖昧にし、法的責任も認めてない。
日韓合意では歴史教育など、再発防止措置の約束も一切なかった。被害者の存在を無視しながら、岸田文雄外相は「最終的かつ不可逆的に解決された」とまで発言。
 証言会が終わり、控え室でイ・オクソンさんと話をする機会があった。
 「(連れて行かれたときは)日本語が分からなかったけど、ぶたれるのが怖くて覚えた。戦争が終わって中国の田舎に55年いたから、一度も日本人に会わなくて(日本語を)忘れた。
 従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち。その一方で安倍政権は加害の歴史を反省するどころか、歴史の真実を歪め、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。
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