雑談しよー2 (3) (697レス)
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635: 名無し様 03/20(水)14:16 ID:Rmtvs5TOf(2/2) AAS
イミィ
636: 03/20(水)14:17 ID:xEukGk7P2(1) AAS
これはイミィじゃないよ
637: 猿から進化した人が進化したゴジラ(難聴&幽霊ニキ) [tasukeruyo] 03/20(水)14:18 AAS
イミィ不明
638: 03/20(水)14:29 ID:4XFdhkk1C(20/25) AAS
元日本軍「慰安婦」の証言集会 ハルモニが求めているのは 生きているうちに解決を―姜さん そこは「死刑場」でした―李さん
 一月二六日〜三〇日、全日本民医連は、市民団体や労組と、韓国から元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)を招き、東京・大阪五カ所で証言集会を行いました。
看学生などを含む八六二人が参加。おりしも昨年末、日韓両政府が日本軍「慰安婦」問題で“合意”を発表した直後の来日です。内容は求めるものと遠く、ハルモニたちは、この“合意”を認めていません。思い出すのもつらい被害の記憶と、
日本政府に何を求めるのかが語られました。 来日したのは、被害者が共同生活をする「ナヌムの家」の李玉善(イ・オクソン)さん(88)、姜日出(カン・イルチュル)さん(87)、
「ナヌムの家」所長の安信権(アン・シングォン)さん。現在韓国に生存する被害者は四六人、平均年齢は八九・二歳です。
■“合意”当事者抜き 昨年一二月二八日の日韓合意で日本政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と責任を認め、「おわびと反省」を表明しました。
 ところが“合意”は当事者に連絡もなく決まり、当事者が求める「軍の責任を明確に認めた上での謝罪、真相究明、再発防止」とはかけ離れていました。
 しかも、合意後には自民党の桜田義孝元文部科学副大臣が「(慰安婦は)職業としての娼婦、ビジネスだ」と発言、政府もこれを正していません。
また日本政府は合意後、「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とする見解を国連機関に公式に伝達。
“合意”内容を遂行する意思があるのかも疑われる姿勢です。
省2
639: 03/20(水)14:36 ID:4XFdhkk1C(21/25) AAS
■いまも殴打の後遺症が 「日本政府になぜ謝罪を求めるのか、皆さんと考えたい」。証言集会で、イさんは語り始めました。生家は貧しく「養女」の名目でよその家で働いていました。
一四〜一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
 「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。
少女たちは一日に四〇〜五〇人もの日本兵と性交渉を強いられました。耐えきれず自ら命を絶った少女は多数。拒んだ者は、皆の前で殺されました。
遺体は通りに捨てられ、野良犬の餌食となり、骨すら残りませんでした。
 逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。いまも腕や足に傷跡が残り、耳や目もこの時の後遺症で不自由です。「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか? 
そうではありません。“死刑場”です」。 カンさんも一五歳で中国の慰安所に。「人間扱いされず、お母さんに会いたいと泣くと殴られた」と、頭の傷跡を見せました。
「被害のことを話すたび、心で涙を流しています」とカンさん。
640: 03/20(水)14:48 ID:4XFdhkk1C(22/25) AAS
■証言を聞いた職員は
 大阪民医連の林雅大さん(三三、事務)は、初めて証言を聞きました。“合意”発表後、「詫びたのだからいいのでは?」と言う友人がいたり、
「韓国では反発が起きている」と報道があったり…。「直接ハルモニから真実を聞きたい」と考えました。参加して、ソウルの日本大使館前で一九九二年から毎週続いている水曜行動(一二〇〇回超)や、
史実を遺すため韓国の人たちが大使館前に建てた少女像のことを知りました。
 「この事実を歴史から消すのは絶対おかしい。自分の二人の娘と重ねると胸が詰まって…。過ちを繰り返さぬよう多くの人に知らせたい」と話します。
この後、大阪で毎月行われている水曜行動にも林さんは初めて足を運びました。

 二人のハルモニは語ります。 「敗戦後、日本軍は私たちを山奥に残して逃げました。韓国に戻れたのは二〇〇〇年。嘘はついていません。(イさん)。
「生きているうちに解決を。」(カンさん)。
 当事者たちの尊厳は回復してはいません。早期解決のためにも、この事実を国内に広げる必要があります。

日本軍「慰安婦」…旧日本軍が戦地に設置した「慰安所」で、軍の管理下で兵士との性交渉を強いられた女性。誘拐や暴行・脅迫、人身売買など、当時の刑法や国際条約にも反する形で連行され、
省3
641: 03/20(水)15:21 ID:ekEF23b7L(1/2) AAS
今日の天気死ぬ
農民です南の方じゃないし 太平洋側でもない山奥在住です
2月まではよかったんですよ今年は例年より早く農作業に入れるぞと
夢と希望に満ちていました
しかしなんということでしょう3月に入ったら毎日が悪天候
雪が消えないどころか増えていくような気がする
ビニールハウスの準備もできない
昨日何とか無理無理2ハウスビニール張ったら今日は
ハウスつぶれそうな雪
ハウス飛んでいきそうな風
省3
642: 03/20(水)15:23 ID:4XFdhkk1C(23/25) AAS
特集|71年目の命題 ハルモニが伝える真実 ――日本軍従軍慰安婦問題
地図 昨年末、日韓両政府は突如「従軍慰安婦問題」の日韓合意を発表し、「最終合意だ」とした。
ところが、被害者である元慰安婦たちには事前に一切の説明もなく、当事者を置き去りにしたものだった。
被害者たちは今も当時の記憶に苦しみ、日本政府からの謝罪を待ち続けている。71年前、日本軍はアジアの女性たちに何をしたのか─。
ハルモニ(韓国語で「おばあさん」)が証言する。
「毎日40〜50人の軍人を相手にさせられた」イ・オクソンさん
 1月25日、韓国の「ナヌムの家(注)」から二人の女性が来日。イ・オクソンさん(89歳)とカン・イルチュルさん(88歳)だ。
彼女たちは第2次世界大戦中に日本軍によって連れ去られ、慰安婦にさせられた。今回の来日は従軍慰安婦問題について、未来の世代に正しい歴史と人権の大切さを知ってほしいと、
全日本民医連も参加する実行委員会が企画。東京と大阪で計4回の証言会を開催した。
注…韓国にある従軍慰安婦の被害女性が共同生活を送っている施設。
省7
643: 03/20(水)15:39 ID:4XFdhkk1C(24/25) AAS
日本政府は私たちがお金がほしくて自ら慰安婦になったと言いました。強制的に連れて行ったのではなく、慰安所では良い服を着せ、ごはんをきちんと提供し、良く面倒を見たと言いました。
それならばなぜ、私たちは日本政府に謝罪を求めるのでしょうか。私は生き残ったから、皆さんと話し合えます。亡くなった人の悔しさまで、生きている私は伝えるべきだと思っています。
人間は良心に従い、正しい生き方をしなければなりません。私たちは嘘をついていません。人が家畜や物のように扱われた慰安所での経験を、嘘だと言われた私の気持ちを考えてみてください」。
「頭には今でも残る傷が。人間扱いされなかった」カン・イルチュルさん
 カン・イルチュルさんは1928年に尚州で生まれ、15歳の夏の終わりに中国に連行された。カン・イルチュルさんが語る。
 「私の家は車通りのある道にあって、柿の木が何本も生えていました。秋には柿がたくさん実る豊かな家でした。末っ子として両親や兄、姉たちにかわいがられて育ちました。
 中国に連行されて、両親に会いたいと泣いていると殴られました。沢山の暴力を受け、頭には今でも残る傷があります。慰安婦は人間扱いをされませんでした。当時の悔しさを思い出すたびに涙を流しています。
なぜ私は(被害者として)この場にいなければならないのですか。
644: 03/20(水)15:46 ID:ekEF23b7L(2/2) AAS
あ〜〜〜〜〜っ!!
除雪車出動だ
ワイもまたハウスの様子見に行こう
オカン 夕食は早めに夜起こしてクレメンス
645: 03/20(水)15:51 ID:4XFdhkk1C(25/25) AAS
悲劇を繰り返さないために
 時に声を荒げ、時に涙を流しながら訴えた二人のハルモニ。昨年末の日韓合意についても「事前に何の説明もなかった」と憤る。
彼女たちが望んでいるのは、日本政府が直接ハルモニたちに謝罪をすることだ。現在まで、日本政府は従軍慰安婦問題の責任の所在を曖昧にし、法的責任も認めてない。
日韓合意では歴史教育など、再発防止措置の約束も一切なかった。被害者の存在を無視しながら、岸田文雄外相は「最終的かつ不可逆的に解決された」とまで発言。
 証言会が終わり、控え室でイ・オクソンさんと話をする機会があった。
 「(連れて行かれたときは)日本語が分からなかったけど、ぶたれるのが怖くて覚えた。戦争が終わって中国の田舎に55年いたから、一度も日本人に会わなくて(日本語を)忘れた。
 従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち。その一方で安倍政権は加害の歴史を反省するどころか、歴史の真実を歪め、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。
646: 03/20(水)16:25 ID:842VGXNhX(1/12) AAS
『桶川ストーカー殺人事件 遺言』『殺人犯はそこにいる』が話題沸騰中の著者・清水潔、待望の新作ノンフィクション!
国家に、警察に、マスコミに、もうこれ以上騙されてたまるか!警察よりも先に犯人にたどり着き、その怠慢捜査を暴いた桶川ストーカー殺人事件。冤罪と真犯人≠フ可能性を示唆した足利事件。いずれも社会を大きく動かした調査報道である。
この2つの報道で名を馳せた一匹狼の事件記者が、真実≠ノ迫るプロセスを初めて明かす。
白熱の逃亡犯追跡、殺人犯との直接対決、執念のハイジャック事件取材、三億円事件犯≠竍時効≠ニの闘い、記者クラブの妨害など、写真週刊誌「FOCUS」時代から、30年以上の取材経験を余すところなく盛り込んだ、手に汗握るドキュメント。
凄絶な現場で格闘しながらつかんだ、真偽を見極める力とは? 誰のための、何のための報道か――その原点を問う、記者人生の集大成!
【目次より】第一章  騙されてたまるか――強殺犯ブラジル追跡
第二章  歪められた真実――桶川ストーカー殺人事件
第三章  調査報道というスタイル
第四章  おかしいものは、おかしい――足利事件
第五章  調査報道はなぜ必要か
省6
647: 03/20(水)16:48 ID:842VGXNhX(2/12) AAS
2004年3月20日(土)「しんぶん赤旗」
警察の裏金、なぜ罪に問われないの?
 〈問い〉 警察が裏金づくりをしていたことに驚いています。ところで、これがなぜ罪に問われないのでしょうか?(北海道・一読者)
 〈答え〉 警察が予算を裏金処理し、警察幹部のヤミ手当、交際費、せんべつなどに不正支出し、二重帳簿でこれをごまかす行為は、明白な犯罪にあたります。
裏金は、国の捜査費、活動旅費、都道府県から職員表彰・協力者謝礼等に使われる報償費、超過勤務手当を流用したり、カラ出張で捻出(ねんしゅつ)されています。
 捜査費、報償費、超過勤務手当などが、本来の目的に支出されたように書類を作ったり、出勤簿、現金出納簿などの二重帳簿を作るのは虚偽公文書作成罪であり、また業務上横領の共犯です。
報償金を協力者に渡したかのように警察官が領収書をつくり、警察署に保管された三文判を押印するのは、有印私文書偽造です。
これらの公費から、幹部が「部長経費」などというヤミ手当を受領することは業務上横領です。
 これらが罪として公訴されないのは、犯罪を捜査すべき警察の幹部が裏金づくりを指示し、責任者もそれを容認するという組織ぐるみの犯罪をおこなっているからです。
警察幹部が、裏金づくりを会計検査院などに摘発されないよう、証拠かくしを指示してきた責任もきわめて重大です。そのうえ、警察の犯罪にたいしては、
省7
648: 03/20(水)16:57 ID:842VGXNhX(3/12) AAS
本の概要
イジメ、嫌がらせで自殺に追い込む闇ビジネスが暗躍!
集団ストーカーに巻き込まれていませんか…?
ターゲットを精神的に追いつめ、自殺、社会的抹殺へ追い込む「集団ストーカー」。
被害者である著者が、その真相に迫った1冊。
649: 03/20(水)20:35 ID:842VGXNhX(4/12) AAS
2019年、日本最大の国際美術展「あいちトリエンナーレ2019」で、右翼の抗議により展示が一時中止された「平和の少女像」が1年8カ月ぶりに日本で再展示された。
 6日、愛知県名古屋市の公共施設である「市民ギャラリー栄」で開幕した「私たちの『表現の不自由展・その後』」に、日本軍「慰安婦」被害者をモチーフに製作された「平和の少女像」(以下少女像)が展示されたと、
共同通信などの日本のマスコミが報道した。
「名古屋テレビ」の放送には、同日の観覧客の中には少女像の前に座って少女像と目線を合わせる人も見られる。
展示された少女像は駐韓日本大使館前にある少女像と同じ形の作品で、少女が座っている姿だ。
主催側は混雑を避けるため、1時間に50人ずつだけ入場させていると同放送は報じた。
少女像のほかに写真作家アン・セホン氏の「重重-中国に残された朝鮮人日本軍『慰安婦』女性たち」、
裕仁天皇の姿が映されたコラージュ作品を燃やす場面を撮影した大浦信行氏の「遠近を抱えてPart2」が展示されている。
2019年8〜10月に開かれた国際美術展「あいちトリエンナーレ」の企画展示「表現の不自由展・その後」の企画展展示作品の一部が再展示されたのだ。
日本における少女像の展示は、2019年の「あいちトリエンナーレ」以来、1年8カ月ぶり。2019年の展示の時も、多くの日本市民が少女像の隣に置かれた椅子に座ったりして少女像と目線を合わせる姿を見ることができた。
省5
650: 03/20(水)20:42 ID:842VGXNhX(5/12) AAS
今回の名古屋展示は11日まで開かれる。「名古屋テレビ」によると、展示場の「市民ギャラリー栄」側が「安全が確保されるのであれば開催する」という立場を示したという。
ただし、右翼はこれまで組織的な抗議または脅迫で安全上の懸念を作り、展示を延期・取り消しまたは中止させた前歴がある。
今回の名古屋展示にも右翼が集まって抗議したという。また、9日から11日までは今回の展示に反対する内容の展示会が同じフロアで開かれる予定だ。
この展示は公然とヘイトスピーチを行なう代表的な差別団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元会長が関係する団体が申し込んだものだと、朝日新聞が報道した。
651: 03/20(水)20:56 ID:842VGXNhX(6/12) AAS
スマラン慰安所事件 (すまらんいあんじょじけん)とは、日本軍占領下のオランダ領東インド(現在のインドネシア)で、
軍令を無視した日本軍人がオランダ人女性を慰安所に連行し、慰安婦として働かせた事件のことである[注釈 1]。
別名、白馬事件[1]、スマラン事件[注釈 2]。

概要
1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からジャワ島のスマランにあった慰安所に連行し強制的に売春行為を続けさせていた容疑で、
戦後、国際軍事裁判において(将官や兵站責任者の佐官などの高級将校を含む)当該軍人・軍属(請負業者)たちが起訴、有罪が宣告されている[注釈 3]。
この事件では、インドネシアの抑留所を管理していた第16軍軍政監部が、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、
その指示に反し、ある幹部候補生隊がオランダ人女性をスマランの慰安所に連行した。この事件を「慰安婦の強制連行」の証拠であるとの主張[4]がある。

のちに、オランダ領東インドにおけるオランダ政府主導の軍事裁判の報告を調査した吉見義明によれば、以下のようになる。
652: 03/20(水)21:08 ID:842VGXNhX(7/12) AAS
当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、
慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。)
複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、
スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。
3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。
暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。
週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われなかった。
しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、
同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのもの)[6]。
終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。
省2
653: 03/20(水)21:28 ID:842VGXNhX(8/12) AAS
また同じ2007年、アメリカ議会での慰安婦聴聞会にこの事件の被害者・証人としてたったジャン・ラフ・オハーンは、
当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、
服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と証言し、
「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張し、
「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。
「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、
654: 03/20(水)22:18 ID:842VGXNhX(9/12) AAS
2008年に岩手で女性が殺害された事件を追いかけるうちに、黒木さんは、警察の見立てたストーリーが全く間違っていることをつきとめ、
捜査の見直しを強く求めていたのです。警察は被害女性の知人で行方不明になった男性を容疑者だとして指名手配したのですが、
黒木さんによるとその男性も被害者で既に殺害されている可能性が高いというものでした。その男性の親は、
捜査も進まぬうちに息子が殺人犯として公開され、「生き地獄」のような状況に置かれるのですが、
黒木さんはそういう状況に憤りを持ち、殺害された女性の遺族と、指名手配された男性の家族とともに、捜査の見直しと真相究明を掲げて、
署名運動や警察・行政への申し入れを繰り返します。岩手県へ多い時は月に何回も出かける生活になったのです。
ところが残念ながら、黒木さんの訴えにも関わらず、警察は誤りを認めず、権力を監視すべき新聞・テレビも警察を恐れてこの問題をほとんど取り上げないという状況が続きました。
『週刊朝日』などに何度か署名記事でこの事件を執筆しましたが、そのくらいでは追いつかなかったようです。
地元の新聞・テレビがほとんど動かないことも黒木さんをおおいに失望させました。

清水弁護士らが地元警察を相手に起こした裁判続いています。
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ぬこの手 ぬこTOP 0.691s*