★超音波テロの被害の報告 (34レス)
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1: 超音波テロの被害者 2020/02/04(火)01:06 ID:xgtBmxq5B(1) AAS
超音波テロの被害にあっています。
超音波で内蔵を攻撃され、トイレに行かされ、
超音波で頭を攻撃され、意識を失わされ、
超音波テロの加害者の攻撃は
日ごとに卑劣さを増しています。
人や社会が超音波で襲われています。
超音波の測定器・受信機があれば、
誰か、世の中の超音波を聴いてみてください・・・。
省6
15: 2024/01/14(日)22:32 ID:ipDGy2N9d(3/5) AAS
去年2月福島県いわき市の住宅で、
1人暮らしの85歳の女性が死亡しているのが見つかった事件で、警察は10日、茨城県の52歳の容疑者を強盗殺人の疑いで逮捕しました。
逮捕されたのは、茨城県日立市の無職、木村進容疑者(52)です。
警察によりますと、木村容疑者は去年2月、いわき市勿来町窪田町通1丁目の住宅に現金などを奪う目的で侵入し、この家に1人で住んでいた小松ヤス子さん(85)の頭部を鈍器で殴って殺害したとして強盗殺人の疑いが持たれています。
現場では、玄関付近の廊下で小松さんが倒れていて、室内には物色されたような跡があったことから、警察は捜査本部を設置して強盗殺人事件として捜査していました。
16: 2024/01/14(日)22:54 ID:ipDGy2N9d(4/5) AAS
津山署は13日、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで津山市、無職の女(72)を逮捕した。
逮捕容疑は12日午後7時40分ごろ、
同市河辺の国道53号交差点を軽乗用車で右折中、直進してきた同市、男子高校生(16)のオートバイに衝突して骨盤骨折の重傷を負わせ、
後部座席の同市、男子高校生(17)にも全身打撲のけがを負わせたまま逃げた疑い。
17: 2024/01/14(日)23:14 ID:ipDGy2N9d(5/5) AAS
宇部市に住む70代の女性がうその電話で、
現金1840万円をだまし取られた事件で、
宇部警察署は10日、受け子役の東京の当時19歳の女を逮捕しました。
詐欺の疑いで逮捕されたのは東京都の無職・当時19歳の女です。
宇部警察署によりますと女は仲間と共謀し去年5月13日から6月9日までの間に宇部市に住む70代の女性の家に弁護士などを装い電話をかけ、
18: 2024/01/15(月)19:38 ID:RqucDgqJ6(1) AAS
福岡県の指定暴力団・浪川会のトップら3人が会社を設立する際に、
暴力団関係者の身分を隠してうその登記をしたとして警察に逮捕されました。
逮捕されたのは、指定暴力団「浪川会」のトップで総裁の朴政浩容疑者(67)と
大阪 阿倍野区の不動産業、鈴木祐介容疑者(44)ら3人です。
警察によりますと、2019年4月、大阪市内にエステティックサロンの運営会社を設立する際、
発起人だった朴容疑者の名前を記載せずに鈴木容疑者の名前だけを記載して登記を申請したとして
電磁的公正証書原本不実記録などの疑いが持たれています
19: 2024/02/01(木)21:47 ID:04cE4LsD1(1) AAS
悪党層化共の犯罪3アイテム〜
強力電磁波凶器、思考盗聴器(音声送信)、ミリ波等の透視装置
これらを駆使しストーカー、強力電磁波攻撃等の犯罪を大勢で
行っています。
警察はこの件は把握し逮捕者もいますが公表をしません。
公表なしでは世論も騒がず有効な法律も出来ないでしょ〜
省1
20: 2024/02/03(土)23:46 ID:JBTjOym7c(1/2) AAS
戦後70年 「泣き声が耳から離れない」 戦地で出会った「慰安婦」 元従軍看護婦 中里チヨさん
今年は戦後七〇年にあたります。「戦争を知らない世代」が増えたのも、不戦を誓った日本国憲法第九条の存在があってこそ。
ところが安倍政権は、日本をふたたび戦争のできる国にするため憲法改正をねらっています。過去の戦争で日本が犯した過ちについても、
“日本軍が性奴隷にした”というのは「言われなき中傷」(「慰安婦」問題について二〇一四年一〇月、安倍首相)と述べるなど、
真実を歪めようとしています。
中里チヨさんは、元従軍看護婦。「日本軍の管理下に慰安婦さんがいた」と証言します。
21: 2024/02/03(土)23:58 ID:JBTjOym7c(2/2) AAS
私が従軍看護婦として、
中国の海南島に行ったときに見聞きしたことをお話しします。
18歳で従軍看護婦に
四月一日からは、従軍前の訓練を受けるため、東京の目黒雅叙園にあった海軍第二病院に召集され、「日本の軍隊として恥ずかしくない看護婦になれ」と指導されました。私は日赤の看護婦ではなかったので、丸い赤十字の帽子ではなく、三角巾をかぶり白衣を着ていました。
毎日の朝礼では「一、軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ…」と、とても速いスピードで軍人勅諭を暗唱させられました。
一一月五日朝、まだ夜が明けないうちに、トラック四台に八〇人の看護婦が乗せられ、横須賀港へ行きました。そこから船に乗り、台湾へ。高雄海軍病院で働いたあと、
中国・海南島の三亜海軍病院で働きました。ここで慰安婦さんたちと出会ったのです。
夕方になると号令が
病院に勤務していたとき、驚いたことがありました。
それは夕方六時五分前になると「外出員整列五分前!」という号令がかかるのです。
省6
22: 2024/02/04(日)00:09 ID:GbSUrgeGO携(1/13) AAS
軍が慰安婦の検診をおこなっていた
あるとき、婦長さんから呼ばれて、「いまから慰安婦の検診をおこなうので、
軍医の介助をするように」と言われました。それは婦人科の検診でした。
彼女たちはトラックに乗ってやってきました。四台に一〇〇人を超す人たちが乗っていました。私の役割は、
彼女たちの腕に注射をして、内診をするためのベッドまで連れて行き、消毒をすることでした。
病気があるかどうかは、一目みればわかります。淋病だとわかっても、できることは消毒しかありません。
痛がってワンワン泣く彼女たちの声は、いまでも私の耳から離れません。
検診のとき、彼女たちの名札には「兵隊用」「軍属用」と書かれていました。
「兵隊用」「軍属用」と書かれた名札をつけていたのは、台湾や韓国の女性たちでした。
彼女たちは「特殊看護婦」の名で連れてこられ、アパートのようなところに収容されて暮らしていました。
省6
23: 2024/02/04(日)00:18 ID:GbSUrgeGO携(2/13) AAS
私が、このように戦地で見たことを話すようになったのは、民医連に入職してからです。
それまでは絶対に話さなかった。話すことができませんでした。
いまの安倍政権は、戦争中におこった真実を伝えようとしない。
「慰安婦」はいなかったことにしようとしています。しかし実際に私は、従軍看護婦として慰安婦さんの検診に携わり、いまお話ししたようなことを何度も目にしたのです。
もし「そんな事実はないんだ」と言う人がいたら、「私は三亜にいたとき、こういうことを何度も目にした。
不審でしょうがなかった」と直接申し上げてもいいという気持ちです。
今年は戦後七〇年。これまで以上に真剣に政治について考えなければならないと思います。
みなさんには自分の考えをしっかり持ってほしい。絶対に戦争をする国づくりは許しちゃだめ、
妥協してはだめです。私は妥協して、戦争に反対することもせず、自分から率先して戦地に行ってしまいました。
そのことをとても後悔しています。当時は「お国のために尽くせ」と教育されていたのです。
24: 2024/02/04(日)00:29 ID:GbSUrgeGO携(3/13) AAS
「毎週、検診の介助をつとめた」─中里さんの手記から
医療文芸集団が一九六八年に発行した『従軍看護婦の記録 白の墓碑銘』(東邦出版社発行)。
「戦争の悲劇をふたたびくり返すまい」との思いで従軍看護婦の記録を集めて発行されたこの本には、
「江川きく」の名前で中里チヨさんの手記が掲載されています。そのなかから一部をご紹介します。
…外来勤務に代わって初めての日だった。その日は、テントで特別の受け付けがつくられ、産婦人科の軍医が出張して来た。
やがて、四台のトラックに満載された百人をこす女たちが運ばれてきた。日本中が地味な色のモンペ姿に統一されているというのに、この人たちは、
色とりどりの着物を着流しにしたり、すその長い朝鮮や台湾の服を着ていた。いったいこの人たちは誰なのだろう。そして、何が始まろうというのかしら。私がキョトンとしていると、
担当の衛生兵が、慰安婦の検診なのだと教えてくれた。
私はびっくりしてしまった。いま私の前にその慰安婦が百人もいる…。
しかし、軍隊はそんな個人の動揺をかまってはくれない。
省7
25: 2024/02/04(日)00:37 ID:GbSUrgeGO携(4/13) AAS
「慰安婦」とは
日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵の性交の相手をさせられた女性たち
(吉見義明氏による定義。岩波新書『従軍慰安婦』より)。
1993年に内閣官房長官をつとめた河野洋平氏の「河野談話」によって、
長期に広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと、
慰安所が軍当局の要請により設営されたものであることを、日本政府は認めている。
26: 2024/02/04(日)00:46 ID:GbSUrgeGO携(5/13) AAS
元日本軍「慰安婦」の証言集会 ハルモニが求めているのは 生きているうちに解決を―姜さん
そこは「死刑場」でした―李さん
一月二六日〜三〇日、全日本民医連は、市民団体や労組と、
韓国から元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)を招き、
東京・大阪五カ所で証言集会を行いました。看学生などを含む八六二人が参加。おりしも昨年末、日韓両政府が日本軍
「慰安婦」問題で“合意”を発表した直後の来日です。内容は求めるものと遠く、ハルモニたちは、
この“合意”を認めていません。
思い出すのもつらい被害の記憶と、日本政府に何を求めるのかが語られました。
来日したのは、被害者が共同生活をする「ナヌムの家」の李玉善(イ・オクソン)さん(88)、
姜日出(カン・イルチュル)さん(87)、「ナヌムの家」所長の安信権(アン・シングォン)さん。
省1
27: 2024/02/04(日)00:56 ID:GbSUrgeGO携(6/13) AAS
ところが“合意”は当事者に連絡もなく決まり、当事者が求める「軍の責任を明確に認めた上での謝罪、法的賠償、
真相究明、再発防止」とはかけ離れていました。
しかも、合意後には自民党の桜田義孝元文部科学副大臣が「(慰安婦は)職業としての娼婦、ビジネスだ」と発言、政府もこれを正していません。
また日本政府は合意後、「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とする見解を国連機関に公式に伝達。
“合意”内容を遂行する意思があるのかも疑われる姿勢です。
「ナヌムの家」のアン所長は、「これは個人の人権と請求権の問題ですが、当事者たちは合意をテレビで知った」と経過を説明。
「早期に解決し両国が真に交流できるように、ハルモニの証言を次代に伝えたい」と話しました。
■いまも殴打の後遺症が
「日本政府になぜ謝罪を求めるのか、皆さんと考えたい」。証言集会で、イさんは語り始めました。生家は貧しく「養女」の名目でよその家で働いていました。一四〜一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。
省2
28: 2024/02/04(日)01:17 ID:GbSUrgeGO携(7/13) AAS
逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。いまも腕や足に傷跡が残り、
耳や目もこの時の後遺症で不自由です。「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか?
そうではありません。“死刑場”です」。
カンさんも一五歳で中国の慰安所に。「人間扱いされず、お母さんに会いたいと泣くと殴られた」と、頭の傷跡を見せました。
「被害のことを話すたび、心で涙を流しています」とカンさん。
■証言を聞いた職員は
大阪民医連の林雅大さん(三三、事務)は、初めて証言を聞きました。“合意”発表後、
「詫びたのだからいいのでは?」と言う友人がいたり、「韓国では反発が起きている」と報道があったり…。
「直接ハルモニから真実を聞きたい」と考えました。参加して、ソウルの日本大使館前で一九九二年から毎週続いている水曜行動(一二〇〇回超)や、史実を遺すため韓国の人たちが大使館前に建てた少女像のことを知りました。
「この事実を歴史から消すのは絶対おかしい。自分の二人の娘と重ねると胸が詰まって…。過ちを繰り返さぬよう多くの人に知らせたい」と話します。この後、大阪で毎月行われている水曜行動にも林さんは初めて足を運びました。
29: 2024/02/04(日)01:29 ID:GbSUrgeGO携(8/13) AAS
二人のハルモニは語ります。 「敗戦後、日本軍は私たちを山奥に残して逃げました。
韓国に戻れたのは二〇〇〇年。嘘はついていません。
「生きているうちに解決を。(カンさん)。
当事者たちの尊厳は回復してはいません。
早期解決のためにも、この事実を国内に広げる必要があります。
日本軍「慰安婦」…旧日本軍が戦地に設置した「慰安所」で、
軍の管理下で兵士との性交渉を強いられた女性。誘拐や暴行・脅迫、人身売買など、当時の刑法や国際条約にも反する形で連行され、
外出や性交渉の拒否などの自由はなかった。国際的には「性奴隷」と呼ばれる。
朝鮮や中国のほか、フィリピン、インドネシアなど日本が侵略した国の女性が多かった。
(民医連新聞 第1614号 2016年2月15日)
30: 2024/02/04(日)03:09 ID:GbSUrgeGO携(9/13) AAS
昨年末、日韓両政府は突如
「従軍慰安婦問題」の日韓合意を発表し、「最終合意だ」とした。ところが、
被害者である元慰安婦たちには事前に一切の説明もなく、
当事者を置き去りにしたものだった。被害者たちは今も当時の記憶に苦しみ、
日本政府からの謝罪を待ち続けている。71年前、日本軍はアジアの女性たちに何をしたのか─。
ハルモニ(韓国語で「おばあさん」)が証言する。
「毎日40〜50人の軍人を相手にさせられた」
31: 2024/02/04(日)03:20 ID:GbSUrgeGO携(10/13) AAS
イ・オクソンさん
1月25日、韓国の「ナヌムの家(注)」から二人の女性が来日。
イ・オクソンさん(89歳)とカン・イルチュルさん(88歳)だ。
彼女たちは第2次世界大戦中に日本軍によって連れ去られ、慰安婦にさせられた。
今回の来日は従軍慰安婦問題について、未来の世代に正しい歴史と人権の大切さを知ってほしいと、
全日本民医連も参加する実行委員会が企画。東京と大阪で計4回の証言会を開催した。
亡くなった少女の悔しさを
イ・オクソンさんは1927年、釜山生まれ。15歳の時に移り住んだ蔚山で日本兵に捕らえられ、
中国の慰安所に連れて行かれた。イ・オクソンさんが語る。
「慰安所では毎日40人〜50人の軍人を相手にしました。1日は24時間しかないのに、それだけの人数を相手にさせられたんです。抵抗すれば殴られ、鞭で打たれ、刀で切りつけられます。
省3
32: 2024/02/04(日)03:29 ID:GbSUrgeGO携(11/13) AAS
私はなんとか生き延びることができましたが、
戦争に負けた日本軍は私たちを中国に置き去りにして逃げていきました。それから2000年まで、
私は中国で生活しました。ようやく韓国に戻ったときには、親も兄弟もみんな亡くなっていました。
日本政府は私たちがお金がほしくて自ら慰安婦になったと言いました。強制的に連れて行ったのではなく、
慰安所では良い服を着せ、ごはんをきちんと提供し、良く面倒を見たと言いました。それならばなぜ、
私たちは日本政府に謝罪を求めるのでしょうか。
私は生き残ったから、皆さんと話し合えます。亡くなった人の悔しさまで、生きている私は伝えるべきだと思っています。
人間は良心に従い、正しい生き方をしなければなりません。私たちは嘘をついていません。
人が家畜や物のように扱われた慰安所での経験を、嘘だと言われた私の気持ちを考えてみてください」。
33: 2024/02/04(日)03:39 ID:GbSUrgeGO携(12/13) AAS
「頭には今でも残る傷が。人間扱いされなかった」
カン・イルチュルさん
カン・イルチュルさんは1928年に尚州で生まれ、15歳の夏の終わりに中国に連行された。
カン・イルチュルさんが語る。
「私の家は車通りのある道にあって、
柿の木が何本も生えていました。秋には柿がたくさん実る豊かな家でした。末っ子として両親や兄、姉たちにかわいがられて育ちました。
中国に連行されて、両親に会いたいと泣いていると殴られました。
沢山の暴力を受け、頭には今でも残る傷があります。慰安婦は人間扱いをされませんでした。当時の悔しさを思い出すたびに涙を流しています。
なぜ私は(被害者として)この場にいなければならないのですか。
ここに来てくれている皆さんには感謝しています。皆さんが(従軍慰安婦)問題解決のために努力してくれているのが嬉しいです。
34: 2024/02/04(日)03:54 ID:GbSUrgeGO携(13/13) AAS
時に声を荒げ、時に涙を流しながら訴えた二人のハルモニ。昨年末の日韓合意についても
「事前に何の説明もなかった」と憤る。彼女たちが望んでいるのは、日本政府が直接ハルモニたちに謝罪をすることだ。
現在まで、日本政府は従軍慰安婦問題の責任の所在を曖昧にし、法的責任も認めてない。
日韓合意では歴史教育など、再発防止措置の約束も一切なかった。被害者の存在を無視しながら、
岸田文雄外相は「最終的かつ不可逆的に解決された」とまで発言。
証言会が終わり、控え室でイ・オクソンさんと話をする機会があった。証言会では韓国語で話していたハルモニが突然日本語で話し始めた。
「(連れて行かれたときは)日本語が分からなかったけど、ぶたれるのが怖くて覚えた。
戦争が終わって中国の田舎に55年いたから、一度も日本人に会わなくて(日本語を)忘れた。
従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち。その一方で安倍政権は加害の歴史を反省するどころか、
歴史の真実を歪め、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。
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