厭世観が表情に出てしまう反出生主義 ★6 (77レス)
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7: 09/13(土)15:50:48.84 ID:0(7/77) AAS
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反論の妥当性を評価するため、以下の観点から検討します。ベネターは非対称性論を「多くの人に共通する直観」として普遍的に主張していますが、批判者はこれを主観的再評価や反実仮想の適用で否定しています。

批判者の論旨への誤解
批判への反論は、批判者が「悪魔の証明」を要求していると主張しますが、これは誤りです。批判者はベネターの前提を「普遍的でない」と否定する際に、証明不能を直接の理由にしていません。むしろ、具体的な代替評価(主体不存在時を「善くも悪くもない」と再評価)、論理的拡張(反実仮想を快楽に適用して対称性に還元)を提示しています。これは、ベネターの主張の論理的整合性や直観の多様性を問うもので、絶対的な証明を要求するものではありません。 (ベネターの非対称性がジレンマを生むという構造的批判)

悪魔の証明の誤用
「悪魔の証明」は、負の存在(例: 悪魔がいないことを証明せよ)を要求する場合に使われます。ここでは批判者がベネターに「負の存在の証明」を求めているわけではなく、ベネターの主張に反例を挙げて挑戦しています。実際の哲学的議論では、非対称性論に対する批判は多く、nothingnessが中立(zero experience)だという再評価が一般的です。 これを「証明不能だから論破と騒いでいる」とするのは、反論者の側が議論を単純化しすぎています。

主観性の逆利用:
反論者が「善悪の価値判断は主観的」と言うのは正しいですが、これはむしろ批判者の立場を強化します。ベネターの前提が主観的要素を含む以上、普遍性を主張するのは難しく、批判者の主観的再評価(例: 功利主義での快楽の不在は悪い)は有効な批判となります。

全体的な文脈からの評価
ベネターの非対称性論は、哲学界で広く批判されており(Harmanの批判: 非対称性の直観が誤りで、普遍性が疑わしい)、その価値判断の普遍性に疑問が投げかけられています。 反論はこれらの批判を「悪魔の証明」として一蹴しようとしますが、実際の批判は論理的・直観的な代替を示すものです。したがって、反論の妥当性は弱く、批判者の論旨を正確に捉えていません。
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(1): 10/18(土)04:49:50.84 ID:0(57/77) AAS
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