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>>205 > >>204 (続き) > > 【渡辺】 また、満洲事変の際、連盟はリットン調査団を派遣しましたが、その調査員に米国の日本嫌いのフランク・ロス・マッコイ将軍も > 参加させたのです。マッコイは反日主義者であるだけでなく、白人至上主義者でした。スティムソンの忠実な部下でもあった。スティム > ソンを国務長官にしたことは、フーバーの失策であり、日本にとって不幸でした。 > ただ、スティムソンの反日的な外交方針に対して、フーバーは抑制的に振る舞うよう指導しています。リットン調査団の報告書を読むと、 > 満洲は名目上は中国の一部であるものの、事実上は中国本土から切り離された、日本の保護国と類似の地域であると認められていま > す。さらに、「ソ連の工作がしく、それに対抗するために満洲に進出した」と。つまり、日本をそれほど悪者視していません。…(中略)… > スティムソンはFDR政権ともかかわっています。FDR政権の発足前、スティムソンはFDRの自宅に行き、「私の外交方針(スティムソン > ドクトリン)は維持してくれ」と訴えています。スティムソンの要求を呑んだFDRは、日米戦争直前の一九四〇年に彼を陸軍長官に登用し > ました。スティムソンは共和党員であるにもかかわらずです。 > > 【福井】 FDRに関して言えば、政治家らしい政治家であり、当初から強烈な反日感情を抱いていたようにも思えません。FDR政権が > 対日強硬外交を始めるのは、一九三七年ごろから。この頃、ニューディール政策の失敗が明らかになり、景気が再度悪化し始めます。 > 現在と違い、民主党には保守派議員も多かったため、与党といえども大統領と一枚岩とはいえず、FDRは政治的危機に立たされていま > した。そこで起死回生の策として対日独強硬外交にシフトしたと考えることもできます。 > > …(中略)… > > 【福井】 ただし、日本にも問題がありました。九カ国条約で、日本は満洲における中国の主権を認めていました。ところが、満洲国を > 独立国家として承認したことで、満洲に対する中国の主権を否認してしまった。それにより、国民政府の対日協力を困難にする一方、 > 日本と連携しようとする蒋介石を非難する絶好の口実を中国共産党に与えてしまったのです。満洲が日本の勢力圏内の一地域のまま > であれば、こういった波風が立たずに済んだわけです。 > その点、ソ連は老獪でした。帝政ロシア以来影響下にあった北(外)モンゴルには、一九二四年、モンゴル人民共和国が誕生します。 > 日本では欧米がソ連のモンゴル支配を容認しながら、日本の満洲支配を批判するのはダブルスタンダードだという主張がありましたが、 > 両者には大きな違いが二つありました。 > 一つは住民のほとんどが中国本土からの移民とその子孫だった満洲と違い、モンゴルに住んでいたのは、ほとんどがモンゴル人で > あったこと。もう一つは、モンゴルが法的には独立国ではなく、ソ連が表向き中国の主権を認めていたことです。もちろんソ連はモンゴル > の中国からの完全分離を狙っていました。一九四五年、ヤルタ会談で、ソ連は対日参戦の見返りの一つとして、モンゴル人民共和国の > 中国からの正式の独立、つまり、ソ連による完全衛星国化を英米首脳に認めさせたのです。その結果 一九四五年に締結された > 中ソ友好同盟条約で、国民政府はモンゴルの独立を承認せざるを得ませんでした。日本もソ連と同じように、満洲での中国の > 形式的主権を認めていれば、連盟からの脱退もなく、日本の行く末は大きく異なっていたでしょう。 > > 【渡辺】 ただ、現実的には張作霖らクセ者の軍閥が実権を握っていました。 > > 【福井】 米国は今も昔も、その独善的正義感から他国の国民感情を土足で踏みにじるような発言を平気で行います。だから、そういう > 国だと割り切って、柳に風と受け流し、満洲における中国の主権を表向き承認し、連盟にとどまったまま、責任ある地城大国として振舞っ > ていればよかったのかもしれません。
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