[過去ログ] Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 49 (1002レス)
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682
(3): 2020/10/25(日)09:59 ID:5A2Fdkdl(1/4)調 AAS
>>677-679
関数型プログラミング言語の原型が、
電子計算機より先にできていた件

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
Unlambda
https://ja.wikipedia.org/wiki/Unlambda

Unlambda(アンラムダ)はコンビネータ論理とラムダ計算に基づく、
仕様の小さな、ほぼ純粋な関数型言語のプログラミング言語である。

コンビネータ論理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BF%E8%AB%96%E7%90%86

コンビネータ論理(Combinatory Logic、組み合わせ論理)は、
モイセイ・シェインフィンケリ(露: Моисей Эльевич Шейнфинкель、英: Moses Ilyich Schönfinkel)と
ハスケル・カリー(英: Haskell Brooks Curry)によって、
記号論理での変数を消去するために導入された記法である。
最近では、計算機科学において計算の理論的モデルで利用されてきている。
また、関数型プログラミング言語の理論(意味論など)や実装にも応用がある。

ラムダ計算
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%80%E8%A8%88%E7%AE%97

ラムダ計算(ラムダけいさん、英語: lambda calculus)は、
計算模型のひとつで、計算の実行を関数への引数の評価(英語: evaluation)と
適用(英語: application)としてモデル化・抽象化した計算体系である。
ラムダ算法とも言う。
関数を表現する式に文字ラムダ (λ) を使うという慣習からその名がある。
アロンゾ・チャーチとスティーヴン・コール・クリーネによって
1930年代に考案された。
1936年にチャーチはラムダ計算を用いて一階述語論理の決定可能性問題を
(否定的に)解いた。
ラムダ計算は「計算可能な関数」とはなにかを定義するために
用いられることもある。
計算の意味論や型理論など、計算機科学のいろいろなところで使われており、
特にLISP、ML、Haskellといった関数型プログラミング言語の理論的基盤として、
その誕生に大きな役割を果たした。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

先生、これであってますよね?
683
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 2020/10/25(日)11:54 ID:eIdDsFH8(2/8)調 AAS
>>682
実物が出来る前に、概念が先行しているってことかも

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3
チューリングマシン (英: Turing machine) は、アラン・チューリングが「計算可能性」に関する議論のために提示した抽象機械である。
歴史
チューリングの「計算可能数について──決定問題への応用」(1936年)において提示された。同様なものを同年にエミール・ポスト (Emil Post) も独立に発表している。構想の理由、動機についてはポストの論文が明確だが、機械自体に関する記述はチューリングの論文が詳細である。次いで、同時代に提示された他の計算モデルも計算可能性の理論からは同等であることが確認され、チューリング=チャーチのテーゼはそれらを「計算可能」の定義とすることを提唱した。
現実の計算との関係
実際の計算機の基本的動作も、突き詰めて考えれば、このチューリング機械の原理に従っているといえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%88%E7%AE%97%E6%A9%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
計算機の歴史
コンピュータ
アラン・チューリングの1936年の論文は[41]、コンピューティングと計算機科学に重大な影響を与えた。
理論から実際に話を移すと、プログラム内蔵方式と、いわゆるノイマン型アーキテクチャが、いくつかの観点から重要とされている。後者はそのように呼ばれてはいるが、発案はジョン・フォン・ノイマンによるものではないとされているが、ノイマンは前述したチューリングらの仕事を熟知していたため、「ノイマン型」と呼ばれる元となった草稿の執筆の際にはそのことは当然意識していたであろう、とする見方がある。

アメリカ合衆国での開発
ENIAC
ジョン・モークリーとジョン・プレスパー・エッカートの指揮でペンシルベニア大学で行われたENIAC開発・製作は、1943年から1945年末までかかった。30トンの重量のある巨大なマシンであり、18,000個以上の真空管を使っている。そのため真空管の故障を最小化することが技術的な最重要課題となった。完成後は約10年間継続的に使われた。
684
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 2020/10/25(日)11:55 ID:eIdDsFH8(3/8)調 AAS
>>682
>先生、これであってますよね?

レスありがとう
先生じゃないが、かなり同意(>>683
685
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 2020/10/25(日)12:28 ID:eIdDsFH8(4/8)調 AAS
>>682

全くスレチだが、ライト兄弟や、世界最初のCPUチップ Intel 4004を思い出した
最初は、どちらも 今から思うと”おもちゃ”だったよね(^^;

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E5%85%84%E5%BC%9F
ライト兄弟(ライトきょうだい、英: Wright Brothers)は、アメリカ出身の動力飛行機の発明者[注 1]で世界初の飛行機パイロット。世界最先端のグライダーパイロットでもある。自転車屋[注 2]をしながら兄弟で研究を続け、1903年に世界初の有人動力飛行に成功した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB
Intel
https://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_4004
Intel 4004
歴史
4004は日本のビジコン社とインテルによる共同開発である。
4004は日本のビジコン社とインテルによる共同開発である。

1969年、ビジコンはプログラム制御[4]の電卓を計画し、インテルにそのためのチップセットの開発を依頼していた。ビジコンの当初案では、マクロ命令による制御で、10個前後[5]のチップが必要というものだった。これは電卓としては汎用(プログラム次第でいろいろな電卓ができる)だが、電卓用という意味では専用のチップ、というものであった。

これに対し、当時のインテルの規模ではそれだけ多くの種類のチップを同時に開発するのは手に余るため、インテルの技術者テッド・ホフは、ワード長が4ビットであることを除けば、汎用のコンピュータそのものという構成を提案した。複数桁の演算処理は、1桁(4ビット)の演算の反復で置き換えればよく、また、外部機器の制御も、ソフトウェアによる制御に置き換えればよい、というのである。これにより開発するチップの種類を削減した。1969年8月末のことで、マイクロプロセッサの原点となった。

このアイディアにもとづき、嶋正利とフェデリコ・ファジンが中心となって、嶋が論理設計しファジンが物理設計(回路設計とマスクレイアウト)を行い、4004は完成した。

当初の契約では、このチップはビジコンに対する専売となっていたが、チップの汎用性に気付いたインテルが他への販売を希望し、一方でビジコン側は資金の要求があった事から、契約金の一部をビジコンに払い戻すことでインテルはチップの販売権を得て、1971年11月15日に4004として出荷が開始された。
つづく
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