[過去ログ] Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 49 (1002レス)
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431(1): 2020/10/13(火)11:47 ID:UrwbzJsx(1/2)調 AAS
IUTは消えゆく理論だからやっても無駄っしょ
432(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 2020/10/13(火)14:43 ID:t1UkFUbE(1/5)調 AAS
>>431
大体が、数学理論というのは、そういうものだろう
ガロア理論を、古代の形式で学ぶ人は、いま殆どいない
デデキントにより、現代的な抽象代数学の形式が考えられ、”アルティンによってガロア理論の線型代数学的な定式化が追求された”という
いま、殆どはアルティン流でしょ
IUTもそうなるよ
素人は慌てなさんな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96
ガロア理論は、代数方程式や体の構造を "ガロア群" と呼ばれる群を用いて記述する理論。1830年代のエヴァリスト・ガロアによる代数方程式の冪根による可解性などの研究が由来。ガロアは当時、まだ確立されていなかった群や体の考えを方程式の研究に用いていた
ガロア理論によれば、“ガロア拡大”と呼ばれる体の代数拡大について、拡大の自己同型群の閉部分群と、拡大の中間体との対応関係を記述することができる
歴史
ガロアは1832年の(死の原因となる)決闘の前日に、友人のオーギュスト・シュヴァリエに宛てて、ガロア理論と楕円関数論に関する数学的業績を要約した手紙を書いた。その後、1846年になって、リウヴィルがガロアの功績を知って自分の雑誌にガロアの論文集を掲載したことで、多くの数学者が刺激を受けることになった。デデキントは1855年から1857年にかけてゲッティンゲン大学でガロア理論に関する最初の講義をおこなった[2]。そのとき、デデキントはガロアの理論を「ガロア理論」(独: Galois-Theorie)と名づけた[3]。早い時期に、ベッチ、クロネッカー、ケイリー、セレは群概念を厳密化していった。カミーユ・ジョルダンによって1870年に発表された『置換と代数方程式論』 はガロア理論に関する包括的な解説として最も古いものである。1871年にデデキントは四則演算で閉じた(数の)集合を「体」(独: Korper)と名づけた。また、デデキントとウェーバー(英語版)は1882年に代数関数体とリーマン面の代数的理論を構築した[2]。
ソフス・リーによって導入されたリー群はガロア理論の類似を微分方程式に対して確立しようという試みの中から生まれたとされている。その後、エミール・アルティンによってガロア理論の線型代数学的な定式化が追求された[4][5]。アレクサンダー・グロタンディークによって圏論的な定式化と数論幾何・代数幾何への応用が押し進められた
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