[過去ログ] 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む36 [無断転載禁止]©2ch.net (679レス)
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28(2): 2017/07/12(水)23:04 ID:R5adeg3y(22/30)調 AAS
前スレ35より 2chスレ:math
645 名前:¥氏 ◆2VB8wsVUoo [sage] 投稿日:2017/07/11(火) 09:24:20.07 ID:9S2RRwNx
(抜粋)
学問をスルのは『自分が世
間に対して偉そうにスル為』であって、決して学問を愛してるから「じゃない」。でも
日本人って、こんな人達ばっかしでしょ。だからメンツとか昇進とか。
(引用終り)
646 名前:¥氏 ◆2VB8wsVUoo [sage] 投稿日:2017/07/11(火) 09:50:41.68 ID:9S2RRwNx
(抜粋)
★★★『何が必要で重要か、そして何が些末で不要かを「個人の好き嫌いで判断」しない。』★★★
という、云わば「論理的な切り分け、主観と客観の分離」でしょうね。こういう事をき
ちんとしないから、日本の学問研究が『崩れ去る』んですわ。
(引用終り)
つづく
29(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/07/12(水)23:07 ID:R5adeg3y(23/30)調 AAS
>>28 つづき
¥さん、どうも。
下記は、同様のことかな?(^^
いつも、引用でお世話になっているIkuro's Home Pageより
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/index.htm Ikuro's Home Page 今月のコラム
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gendai.htm
■現代研究者事情(PART?) (97/12/24)1997年のコラム
(抜粋)
大学であれ研究所であれ、自己規律の一貫として、自らの業績(主として、研究業績)に対しての評価が求められます。評価は公平でなければならないし、公平であるためには客観的な数字というのが次にきます。
研究業績の評価を数値化するためには、とりあえず、論文数や被引用数が使われます。そのため、論文の粗製濫造にともなう研究の質の低下の問題やさしたる論文でなくとも昔なじみの間柄同士でお互いに引用し合うなど、点数かせぎの問題がついてまわります。
その反面、研究の独創性や創造性が評価の対象とされることはほとんどないといってもよく、学生教育など研究業績以外のものに至っては評価はまったくなされないというのが実状でしょう。
私の経験でも、優れた独創性を発揮する名馬は多いものの、そのような研究環境下においては名伯楽は少なく、素質をもちながらも陰に隠れて不当に低く評価されている、あるいは正当な評価を妨げられた逸材がその才能を発揮することなく埋もれてしまっていることもしばしばみうけられました。
日本の研究者は海外の論文をわずかに拡張したり、これまでの論文をリアレンジして論文の数を増やすことばかり考えていて、そのためオリジナリティがないとか、アメリカのまねばかりやってきたといわれます。
現実に、ある人たちにとっては論文をたくさん書いて(大量粗製濫造して)大学教授になることが人生の目的でさえあり得るのです。自分で考え、自分と直結したものしか論文にしないというような純粋な科学との携わり方もあるのでしょうが、そのような研究者は滑り落ちてしまうのも事実なのです。
公平正当な評価をしてくれる全能の神がいてほしいものですが、それは望むべくもありません。ともあれ、否定ばかりしていたのでは希望のひとかけらも生命力もありませんから、自分がその場にいるとき、自分の行動を投げやりにもニヒリズムにもならないで完結できる人間になるしかないようです。
(引用終り)
つづく
34(1): 現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 2017/07/12(水)23:22 ID:R5adeg3y(28/30)調 AAS
>>28 追加
これ、ついでに(^^
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/index.htm Ikuro's Home Page 今月のコラム
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gakkai.htm
■ある学会にて(野田山かわらばんに寄せて)(99/5/18) 1999年のコラム(閑話休題)
とある学会で、既成の学説を破る新説なり新理論なりが発表されたときの風景である。
1)一瞬、学会場はどよめきの渦に包まれ騒然となる。しかし、講演者はマイナーな学者であり、しかも、非常に話し下手ときている。したがって、参加者の多くは半信半疑の眼で見ている。予想に反し、賛同者は少ないのである。
2)このような演者は学界の権威主義に押しつぶされまいとする個性豊かな人物であることが多い。そのため、妥協を許さぬきびしさで頑強に自説を守りぬこうとする。いま少し柔軟性があればよいのだが、・・・
3)そして、いささか生臭い討論が始まる。学界の権威主義的な体質はいずことて同じなのであろうが、演者には一流の業績を残し大きな影響力をもっている大御所とその取りまき連中からの集中砲火が浴びせられる。ときには、感情的でなりふり構わぬ論争となることもある。
多少誇張して書いたが、あながちフィクションでもない。たとえば、遺伝の法則を導いたメンデルは終生報われることがなかった。彼は思い悩み、そしてこうつぶやいた。"Mein Zeit wird schoen kommen!"
当初、賛同者が少なくほとんど顧みられることがなかったメンデルの遺伝学説は、後年その正しさが認められ受け入れられることになった。死後しばらくしてのことである。もし、彼が生きているうちに賞をもらうことになっていたら、開口一番「賞をくれるのが遅すぎる」というであろう。
メンデルの嘆きが聞こえてきそうな挫折物語であるが、視点を変えてみると、歴史の裏には、彼に先取権(プライオリティー)を先行された幾人かの学者がいて、彼らの失意と落胆は筆舌につくしがたいものであったことが想像される。理論の歴史は弱肉強食・死屍累々であって、多くの試みの中から少数だけが生き残る宿命なのである。
つづく
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