【創発】存在に関して真剣に哲学してみる【理論】 (484レス)
【創発】存在に関して真剣に哲学してみる【理論】 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/
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1: 考える名無しさん [] 2025/04/17(木) 16:32:17.39 ID:0 存在論においてハイデガーの著作は重要である。 存在とはどこからどこまでなのかという定義。 形相理論における形相分解は可能なのかという定理。 創発や理論はどこまで可能かといったことを日記のように付けていく。 私にとって存在は考察対象であり日々の実生活を彩るものにまでなる。 常に考え続けることでトップダウン型の理論を構築していくのだ。 一日一句でもいいからこのスレッドに刻んでいくことにする。 まずは考察するに際して有効と思われる形相理論の形相分解について解説する。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/1
385: 考える名無しさん [] 2025/09/06(土) 14:54:33.76 ID:0 畑∩電球野菜={自然} 自然⊇{人間、時間} 物語 畑で採れる電球野菜は自然によって育まれる時間を人間は目撃する http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/385
386: 考える名無しさん [] 2025/09/06(土) 15:18:08.38 ID:0 月見バーガー∩月の字={料理} 料理⊇{鉄板、マヨネーズ、パンズ} 物語 月見バーガーのパンズに印字された月の字は料理の過程の鉄板にマヨネーズしいてパンズを入れることで印字できる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/386
387: 考える名無しさん [] 2025/09/06(土) 15:24:35.94 ID:0 月見バーガー∩月の字={料理} 料理⊇{鉄板、マヨネーズ、パンズ} 物語 月見バーガーのパンズに印字された月の字は料理の過程の鉄板にマヨネーズしいてパンズを入れることで印字できる https://x.com/Tastemade_japan/status/1963904951567991108?t=95PCSxY5EpyUeOZlY8hPVA&s=09 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/387
388: 考える名無しさん [] 2025/09/06(土) 15:49:35.96 ID:0 赤いさくらんぼ∩黄色いさくらんぼ={科学} 科学⊇{遺伝子組み換え} 物語 黄色いさくらんぼは赤いさくらんぼを遺伝子組み換えすることでできる 赤∩紫={科学} 科学⊇{青、混ぜる} 物語 赤は科学的に青を混ぜることで紫になる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/388
389: 考える名無しさん [] 2025/09/07(日) 16:17:19.18 ID:0 発想も特異点と同じくy(評価)t(時間)の階段関数に依存する ただし特異点は評価群であり一度思いつくと体系やカテゴリー的に発想が続く http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/389
390: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 10:03:02.81 ID:0 地球∩原爆={科学} 科学⊇{ウラン、イオンビーム、爆縮レンズ、飛行機、核弾頭} イオンビーム⊇{イオン、ビーム} 爆縮レンズ⊇{流体力学、爆発力学、レンズ} 流体力学⊇{オイラー方程式} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/390
391: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 11:12:45.70 ID:0 赤∩紫={科学} 科学⊇{青、混ぜる、人間} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/391
392: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 11:22:49.14 ID:0 赤∩紫={科学} 科学⊇{青、混ぜる、人間} 物語 赤から紫にするには人間が青を混ぜることでできる f:赤×青→紫 オブジェクト演算なので混ぜるが不明瞭、定量化できていない 赤いさくらんぼ∩黄色いさくらんぼ={科学} 科学⊇{遺伝子組み換え} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/392
393: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 12:29:16.92 ID:0 ゲームカテゴリーの連想 ゲーム⊇{プログラム、オブジェクト的(非解析、視覚的)、属性、形相、グラフィック、ベクトル} プログラム⊇{データ、コード、シミュレート} オブジェクト⊇{プロパティ、メソッド、アクセス} 属性⊇{地水火風} グラフィック⊇{美しさ、壮大さ} ベクトル⊇{飽きが来ない、車、空} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/393
394: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 12:33:51.74 ID:0 ゲーム⊇{物語} 物語⊇{隣接属性、科学、人間、非人間} 非人間⊇{ブラックホール、未開惑星、ダークマター} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/394
395: 考える名無しさん [] 2025/09/08(月) 12:36:04.01 ID:0 ゲーム⊇{仮想現実} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/395
396: 考える名無しさん [] 2025/09/11(木) 18:43:57.91 ID:0 興味を持った事柄は何らかの発想や哲学に繋がる可能性が高い モチベーションは何らかの力に変換できる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/396
397: 考える名無しさん [sage] 2025/09/11(木) 18:48:26.24 ID:0 ああああああテスト http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/397
398: 考える名無しさん [] 2025/09/11(木) 19:25:13.54 ID:0 音楽に興味を持つことはあらゆる発想や哲学が生まれることを意味する http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/398
399: 考える名無しさん [] 2025/09/12(金) 10:20:33.91 ID:0 大部分属性のウソを見破るには動かぬ証拠を見つけなくてはならない そのためには最小部分属性から証拠を見つける必要がある TOAのフォミクリー実験は固有振動数というセリフから人間の組成をそういうものとして見ているということになる 多世界解釈のウソを見破るには具体的な実験データが必要である 多世界は量子もつれで合流するというから生温かい目で見ているが 一歩進んだ解釈だからかその矛盾は見て見ぬふりをしている 一進一退といったところか http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/399
400: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 11:00:02.52 ID:0 物質と物質の相互作用により発生するのが現象である 現象と現象の間に属性がある 地属性⊇{計算、科学、地球} いろんな現象を含んだセットである それにより波動も分かる 波動は部分である 中間地点⊇{バー、回転} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/400
401: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 11:25:38.01 ID:0 属性は大部分属性である 上手くレッテルを貼ることが重要である 数学⊇地球属性、宇宙トマト⊇宇宙属性 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/401
402: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 13:46:37.32 ID:0 音楽に興味を持つことはあらゆる発想や哲学が生まれることを意味する モチベーション変換と呼ぶ 音楽、絵画、宇宙、数学、水族館、ゲーム、映画 あらゆるものにモチベーションがあることはいいことだ モチベーションがあれば趣味にはいくら時間や労力をかけても良い 数学はタイパは悪いほうだろうが タイパ世代は本質を見落としているのではないか http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/402
403: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 13:59:20.14 ID:0 理性⊇{我慢、論理} 部分⊇{創発、波動、属性、形相、現象} http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/403
404: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 14:21:12.87 ID:0 論理記号を使ったら論理的になるわけではない。 しかし、論理記号を使ったら、ある論理式のインチキも明確になるのは救いだ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/404
405: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 14:26:32.79 ID:0 とりあえず、>>403はインチキ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/405
406: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 14:28:32.17 ID:0 y=f(哲学)=投資にはならないだろう xがyに対する関数は哲学-投資の比例式(線型写像)にするには 哲学∩投資={レア(合理性)}という関係にならなくてはならない http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/406
407: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 14:43:28.47 ID:0 >>405 ⊇は容器と中身を表す形相分解の記号 整数Zならば Z⊇{…-2,-1,0,1,2…} ベクトルならば ベクトル⊇{方向、x,y,z、内積…} 便利だから使うと良い http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/407
408: 考える名無しさん [] 2025/09/13(土) 16:10:29.12 ID:0 包含関係を表現するだけなら、自然言語と変わらない。 やはり、論理演算子と量化子を使わないと、論理式の効果は発揮されない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/408
409: 考える名無しさん [] 2025/09/14(日) 13:37:47.14 ID:0 現象とは物質と物質の間に働く相互作用である 例えば重力は現象である 火は物質の一形態なので現象ではない そして現象と現象の間にある関係を属性という 火属性は熱、火などを司る属性であり 地属性は計算、科学、固体などを司る属性である 氷属性は雷を含み氷は電気を生み出すことが分かっている http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/409
410: 考える名無しさん [] 2025/09/14(日) 13:48:55.20 ID:0 物質や現象を包含するのが属性でありそれらを司る http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/410
411: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 10:43:58.64 ID:0 日時を変えてナンバリング連想をする 1一昨日∩2昨日∩3今日={時間} 1宇宙∩2量子力学∩3ブラックホール={宇宙} 紐付けされた直近の情報が引き出される ストーリー記憶法で記憶が引き出される 形式を考えるのも良い http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/411
412: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 10:44:29.04 ID:0 暇なときは形式から考えるに限る ナンバリング連想、ストーリー記憶、感性記憶 常にメタな視点に立つこと 形式とは共通部分情報といえる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/412
413: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 13:29:01.75 ID:0 哲学書を読むことは無駄かというと まず感性があり言語があり、論理がある 論理は木に喩えられる体系化するためのツリーである 体系化したものは固定観念になるがそんなものは簡単に外すことができる それが疑問である 体系化したものは複合概念であり純粋な概念ではないが邪魔にはならずアイディアをくれる 複合概念と純粋概念どちらがアイディアをくれるか 純粋概念は系統がなく複合概念は系統を示してくれる 系統があればアイディアは沢山出るのだ 哲学書は複合概念が多く系統からアイディアをくれるのだ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/413
414: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 13:47:24.29 ID:0 ナジミの塔=フロッガーベクトル フロッガーより強い敵は現れないから安心して進めるというベクトルである デススト2=車ベクトル 車で移動することを楽しむことが多いというベクトルである 空の軌跡=空ベクトル 主に空の背景が多いというベクトルである これらのベクトルは最小部分属性であり必要最小限の情報シグニファイア(看板)と言える http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/414
415: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 14:14:01.15 ID:0 メタ情報の取得 空の色=水の色=灰色 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/415
416: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 14:30:17.37 ID:0 メタ情報の取得 ポケモン=情報生命体 体が小さくなりモンスターボールに入るのは情報生命体の証拠 ゲームは現実の一部である ある集合と補集合の間の情報を取得することが重要である http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/416
417: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 14:30:37.07 ID:0 ゲームと現実の間の情報をメタ情報と言える http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/417
418: 考える名無しさん [] 2025/09/15(月) 14:39:59.04 ID:0 安倍晋三と統一教会は 安倍晋三集合と統一教会補集合と言える 集合と補集合の間のメタ情報の取得で ある集合が補集合を浮き彫りにすることができる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/418
419: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 16:04:33.14 ID:0 "being"が表しているのは、「随伴すること」であり、「比」であるが、存在者として見るなら、それは「比のひと(人/一/等/均)しさそのもの」であり、何らかの「特定のひと(人/一/等/均)しさ」といふ性質を帯びていない。 "being"は、それが存在者として「比のひと(人/一/等/均)しさそのもの」を表すことにおいて、似非数学的な喩としては、"1"に代表させることができるが、その場合でも、その"1"は、"-1/-1"といふ比を表現していると見做すことが好都合であるように思える。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/419
420: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 16:34:46.71 ID:0 「"α"の同一性とは、どのようなものか」といふ問ひに対して、似非数学的な喩としてもまづ、"α=α"といふ恒等式を想ひ浮かべることができ、これを「比」として考へてみるなら、"α/α=1"を導くことができるが、何か特に洞察が得られたたとは感じられない。 それでも、この場合、「比のひと(人/一/等/均)しさ」を表す"1"は、もはや、「不特定のひと(人/一/等/均)しさ」ではなく、"α/α"の「ひと(人/一/等/均)しさ」といふ「特定のひと(人/一/等/均)しさ」を表してゐるだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/420
421: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 16:38:57.00 ID:0 ただし、この「特定のひと(人/一/等/均)しさ」が表現しているのは、既に結果として得られた「ひと(人/一/等/均)しさ」であり、そこから、"α"が「どのようであるか」についての洞察は得られない。 つまり、そこには、"α"がどのようなものとして「特定のひと(人/一/等/均)しさ」を感じさせるのかといふ「感性」/"perception"の働きが欠如しているのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/421
422: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 16:52:36.61 ID:0 私は、似非数学的な喩として「感性」/"perception"の働きを示すのに"⇒ 1"といふ表現を用ゐたが、これは、今のところ、私にはとても好都合に感じられる。 というのも、中国語において「矢」を表現する声遣ひである"(Pinyin): shǐ"は、声調は異なるものの、声(こゑ)としては、中国語で「これは〜です」を表現する「这是」(zhè shì)」の「是」と重なり、「示」および「識」も「是」と共通する声調の声遣ひに当てられているからである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/422
423: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 16:58:51.45 ID:0 「"α"は、『どのようであるか』」といふ問ひが発せられたとして、その「どのようであるか」が"ζ"によって表現さるとしよう。 すると、"「α"が"α"であると感じられる」ことは、上述したとおり、"being"に"-1/-1"を対応させるとすれば、"α ⇒ ζ*(-1/-1)"と表現することができる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/423
424: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 17:08:29.60 ID:0 これを、"α/ζ ⇒ 1"と書き換へるなら、これは、"α"が「どのようであるか」を近似することにより、"1=α/ζ"といふ"α"の比としての「特定のひと(人/一/等/均)しさ」を推定しようとする試みとして視ることができるだろう。 ちなみに、中国語においては、「試」も「視」も、「是」と共通する声調の声遣ひに当てられてゐる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/424
425: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 17:14:41.15 ID:0 無論、ここで、"1=α/ζ"を結論として導くことができるなら、"1/ζ=1/α"であることになり、これは、「"1/α"であるとは、『どのようである』ことなのか」を推定しようとする試みとなる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/425
426: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 17:31:31.61 ID:0 私には、このように「"α"は、『どのようであるか』」と問ふことにより、"α"の「特定のひと(人/一/等/均)しさ」を、「感性」/"perception"の働きから捉へようとする接近法の方が、「"α"とは、『何か』」といふ物象化を先立てる問ひの立て方よりも、はるかに生産的であると感じられる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/426
427: 考える名無しさん [] 2025/09/16(火) 19:13:41.62 ID:0 現象学における存在に対しての考察として 人間は存在していると仮定しているのみに過ぎず 存在は人間の作った方程式に過ぎないという見解があるが http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/427
428: 考える名無しさん [sage] 2025/09/16(火) 22:12:40.40 ID:0 そのような見解は、「人間」を存在者として先立てている。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/428
429: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 02:55:46.24 ID:0 「人間」を存在者として先立てているなら存在は人間によってもたらされる相対的なものであるのか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/429
430: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 07:33:20.43 ID:0 その程度の言ひ回しでは、泥沼にはまり込むように誘ひ込むことはできないよ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/430
431: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 07:42:43.63 ID:0 「存在者」、つまり、「存在するものごと」は、それが「存在感」として帯びる("to bear")性質がきは(際)だ(立)つ("to stand out")ことによってあら(顕/現)はれ、また逆に、それが「存在感」として帯びる("to bear")性質がうす(薄)れる("to thin out")ことによってき(消)えう(失)せる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/431
432: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 07:54:27.88 ID:0 このような当たり前のことを明示されると、大抵の人々は、それが誰にでも分かる当たり前過ぎるほど当たり前のことであるために、かへ(却)って、そのような言明により何が云はれているのかをよく理解することができない。 そこで、それが当たり前であると認めざるを得ないにもかかわらず、やはり、存在者を先立て、その存在者を、やはり存在者である「既成の概念」により定義することにより、あた(恰)かも何か頼みになる確かなものを得たかのように思ひ込んで「大船に乗った」つもりになるのだ。 しかし、水に浮かばないもの(水に沈む性質を帯びたもの、または水に浮かぶ性質を失ったもの)は、それが大きかろうと小さかろうと「ふね(船)」ではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/432
433: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:11:05.15 ID:0 例えば、「存在するもの」として、植物を栽培するのに用ゐられる「肥料」について考へてみるといい。 「肥料」は、その「存在感」として、それが施される植物を「ふと(太)らせる」性質を帯びてゐるからこそ「肥料」なのであって、逆に、それが施された植物を「や(痩)せほそ(細)らせる」なら、それは「肥料」ではない。 実際、或る植物種に施せば、その植物を「ふと(太)らせる」性質を帯びた粉末であっても、別の植物種に施せば、逆に、その植物種の成長に必要な栄養分の吸収を阻害することがよくある。 したがって、その場合、その粉末は、前者の植物種に対しては「肥料」であるが、後者の植物に対しては「肥料」ではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/433
434: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:13:59.29 ID:0 存在者としての「いた(痛)み」は、それが「いた(痛)さ」を性質として帯びる限りにおいて「いた(痛)み」として存在する。 これも、誰にでも、あまりにも当たり前過ぎるように感じられる指摘であり、なぜわざわざそのようなことを言明するのか多くの人々は理解に苦しむだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/434
435: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:20:58.68 ID:0 存在者としての「いた(痛)み」は、それが「存在感」として帯びる("to bear")性質である「いた(痛)さ」がきは(際)だ(立)つ("to stand out")ことによってあら(顕/現)はれるのであって、「いた(痛)さ」がうす(薄)れる("to thin out")なら、そのことにより次第にき(消)えう(失)せる。 これも、誰にでも分かる当たり前のことだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/435
436: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:36:24.96 ID:0 「いた(痛)み」とは、「いた(痛)さ」である。 これも当たり前過ぎて、何を言ひたいのか不明だろう。 では、私が上に提示した似非数学的な喩を用ゐて考へてみよう。 >「"α"は、『どのようであるか』」といふ問ひが発せられたとして、その「どのようであるか」が"ζ"によって表現さるとしよう。 と私は、上に述べた。すると、この場合、"α"に「いた(痛)み」を、"ζ"には、「いた(痛)さ」の「いた(痛)」を代入することができる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/436
437: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:50:07.41 ID:0 ここで、「いた(痛)さ」の「〜さ」を外して「いた(痛)」としたのは、「ことば遊び」である。 どのような「ことば遊び」かと云へば、「いた(痛)さ」は、「いた(痛)し」の「〜し」の活用形であり、別のスレで説明したとおり、この「〜し」は、中国語としては、「矢」の漢字も当てられている声(こゑ)(「使」も同様に当てられている)と共通する声遣ひの日本語としての流用であると思はれ、この場合、「〜し」は、フランス語を用ゐて記述するなら、《déclenchant 〜》に相当するので、"α ⇒ ζ(-1/-1)1"において"⇒"に対応させることが私には好都合に感じられるといふことだ(ただし、これは、場当たり的な「ことば遊び」である)。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/437
438: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:53:57.09 ID:0 "α ⇒ ζ(-1/-1)1"において × "α ⇒ ζ(-1/-1)"において ○ 似非数学的な喩の不都合は、ことばの書き損じの場合よりも、書き損じが致命的に大きな効果を発揮してしまうことにある。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/438
439: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 08:59:02.28 ID:0 "α/ζ ⇒ 1"と書き換へて、"α"に「いた(痛)み」を、"ζ"には、「いた(痛)さ」の「いた(痛)」を代入すると、 "(いた(痛)み)/(いた(痛)) ⇒ 1"となり、すると、"1"は、存在する「いた(痛)み」の「いた(痛」と感じることの比としての「特定のひと(人/一/等/均)しさ」を表していることになるだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/439
440: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 09:03:48.39 ID:0 ただし、ここで、この似非数学的な喩は、「いた(痛)み」や「いた(痛)さ」の比としての「数量化」を表現しようとしているわけではないことには、注意を促しておく必要があるだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/440
441: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 09:17:02.19 ID:0 さて、ここで、その「特定のひと(人/一/等/均)しさ」が結果としてもたらされたものと想定すると、 "1=(いた(痛)み)/(いた(痛))"が導き出されるわけだが、ここで、"1/(いた(痛))"とは、どのようなことかを問ふこと、つまり、"1=(いた(痛)み)*(1/(いた(痛)))"について考へてみることに意味はあるだろうか。 "1/(いた(痛))"が喩として表しているのは、見てのとおり、「いた(痛」の「ひっくりかへし」である。 そして、日本語の表現として、この「いた(痛」の「ひっくりかへし」に該当するのが、「いたはり」であると私は指摘してきた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/441
442: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 09:22:54.10 ID:0 言ひ換えるなら、"1/(いた(痛) ⇒ いたはり"といふ「感性」/"perception"の働きを示すのが、「いたはる」ことである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/442
443: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 09:33:18.63 ID:0 "1=(いた(痛)み)*(1/(いた(痛)))"において、"1/(いた(痛)"に"いたはり"を代入して、「感性」/"perception"の働きを示すようにふたたび反転させてみよう。 すると、"(いた(痛)み)*(いたはり) ⇒ 1"となり、これは、喩としては、"いた(痛)み"に応じた"いたはり"により、その"いた(痛)み"の"いた(痛)"さがきは(際)だ(立)たなくなることを表現しているものと解釈することができるだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/443
444: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 09:47:15.40 ID:0 この場合、"1"が表してゐる「特定のひと(人/一/等/均)しさ」は、"いたはり"に応じてうす(薄)れる"いた(痛)み"の"いた(痛)"さであると解釈することができ、""いた(痛)み"いた(痛)"さをうす(薄)れさせる「かひ(効)」があら(顕/現)はれないなら、それは、"いたはり"としてきは(際)だ(立)たない、つまり、"いたはり"として無効である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/444
445: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 10:54:30.63 ID:0 それがなにについてであれ、「定義」は、ことばの表現に依拠する。 ところが、「ことばの表現」は、それが事実と合致することが確かめられることにより「まこと(真)」となるわけではない。 そのこころ(意/心)が「かよ(通)ふ」/"to be commutative"/»verkehrt werden«ようにつた(伝)はることにより初めて、「まこと(真)」となるのだ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/445
446: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 11:09:22.75 ID:0 簡単な具体例から考へてみよう。 自宅では、これまでしばらく植物を何も栽培していなかったが、新たに或る1種類の植物の栽培を始めたとしよう。 家にある庭いじりの道具と一緒にそこに古い「肥料」らしき粉末の残りが袋に入っているのを見つける。 そこで以前、植物を栽培していた家人に「これは何?」と尋ねてみる。すると、「植物栽培のための『肥料』だよ」といふ応へが返ってくる。 そこでさらに、「これ使ってもいい?」と尋ねると、「どうぞご自由に。」といふ返事が返ってきたとしよう。 そこで、その「肥料」を現在、栽培中で成長をつづけている植物に施したところ、成長の勢ひがよくなるどころか、逆に痩せ細って枯れ始める。 不審におもって、肥料の入っていた袋に細かい文字で記載された用法の説明を読むと、現在、栽培している植物種である○○には、肥料として適さないことが明記されていることに気づく。 そこで、その「肥料」を「どうぞご自由に(使ってください)。」と応へた家人に「○○には、使わないように書いてあるじゃないか」と文句を言ったところ、「知っているよ」と応へたとしたらどうだろうか。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/446
447: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 11:17:22.69 ID:0 それが「何か?」と問はれて、「植物栽培のための『肥料』」であると応じた家人は、事実をそのまま述べているし、「どうぞご自由に」といふのも、それを使ふことを自分は妨げる意図がないことを伝へるものなのだから、それを施す行為を実際に許している以上、それも事実である。 しかし、その家人が、尋ねた相手が現在、栽培しているのが○○といふ植物種だけであり、それにその粉末を肥料として施そうとしていることが明白であり、なほかつ、その「肥料」が、「○○に使ふのに適さない」ことをあらかじめ知っていたとしたらどうだろうか。その家人のことばは、問はれたことに対する応へとして、事実と完全に合致しているものの、そのことばは、「まこと(真)」を伝へようとしているとは言えないだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/447
448: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 11:29:17.24 ID:0 AIが問ひに対して返してくる「回答」には、それが「まこと(真)」を欠いていると思はれることがないよう、さまざまにそれを「無難」にするための制限や条件付けが伴っており、基本的には、一般に受け入れられるものとして既に流通している見解を検索して拾ってきて、つなぎ合はせているだけである。 しかし、その場合にも、その「一般に受け入れられるものとして既に流通している見解」が「まこと(真)」を伝へようとすることばから成ると信じるべき理由はない。 なぜなら、世の中は、虚々実々で動いており、人々を都合よく誘導しようとして、事実と確認され得ることだけを述べながらも、「まこと(真)」を欠いたことばが、いくらでも大量に流通しているからである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/448
449: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 11:36:44.98 ID:0 ところで、事実と確認され得ることだけを述べながらも、「まこと(真)」を欠いたことばばかりをつか(使/仕/遣)ふ者を「ひと(人)」としてまともに相手にしようとしつづけていると、こころ(意/心)をや(病)む。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/449
450: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 12:34:16.99 ID:0 空の色は水たまりの色と同じであるという不思議な現象がある 水たまりは空の色を写すことがある それは水たまりが空を浮き彫りにしているのだ 水たまり一つの集合とみなしその補集合に空がある その共通部分に水たまりに写る空の色があるのだ 空の色は水たまりにとってメタな情報でありこれをメタ情報の取得という 安倍晋三が統一教会というメタ情報を浮き彫りにしたように 二項対立からメタな存在を浮き彫りにできるのだ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/450
451: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 12:34:56.19 ID:0 命題 仮想現実は存在するか ゲーム(仮想現実)と現実はメタな関係 ゲームという集合は現実という補集合があり ゲームのメタ情報は現実なので ゲームは現実の一部ということになる 現実のメタ情報をゲームだとするとさらに上界には第二の現実があるということになる ゲームのメタは現実で現実のメタはゲームなので無限に現実が存在しないことの証明は不可能である よってゲームのメタは現実だが現実のメタはゲームではないことが妥当である■証明終了 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/451
452: 考える名無しさん [sage] 2025/09/17(水) 12:40:25.58 ID:0 ヒトには翼がないのだから、鳥に空の飛び方を習っても無駄である http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/452
453: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 12:58:23.16 ID:0 >>450 それについては、日本語のことばの声遣ひとして興味深い対応関係を指摘することができる。 みづ(水)の「み」のこゑ(声)を表記するのに万葉仮名として当てられ得る漢字に「瀰」がある。 >瀰 漢字ペディア 意味. ?みちる。水が満ちあふれるさま。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/453
454: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 13:08:25.97 ID:0 では、「みづ」の「み(瀰)」のこゑ(声)によりつた(伝)はる様態を「ひっくりかへす」とどうなるだろうか。 「み(瀰)」のこゑ(声)が、「感性」/"perception"の働きとして、 (み(瀰))*x ⇒ 1のごと()如くつた(伝)はるとすると、1=(み(瀰))*(1/み(瀰))が導き出されるが、"1/み(瀰)"によりつた(伝)はる様態は、どのようなものだろうか。 それは、1/み(瀰)=から(空)である。 つまり、み(瀰))*(から(空)) ⇒ 1が、「みづ」の「み(瀰)」により伝はることになる「こころ(意/心)」であり、 日本語においては、1=(1/から(空))*(1/み(瀰))、み(瀰)=1/から(空)、かつから(空)=1/み(瀰)なのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/454
455: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 13:11:22.22 ID:0 みづほのくに http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/455
456: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 15:08:02.57 ID:0 水たまりは仮想空間である 空の色をxとして水たまりの色f(x)を空の色から写像することができる f:x→axとすると水たまりの色axから空の色f(ax)=xを計算することができる 写像はどこにでもある例えばブラックホールを覗き込む魔法の鏡があれば ブラックホールのことを写像で知ることができる 水たまりのような写像でできた仮想空間があれば覗き込むべきだろう 量子の世界も人間をメタ情報にしているため仮想空間の人間関数を参照すれば量子の真実を知ることができる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/456
457: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 20:43:05.89 ID:0 「そら(空)」は、「そら(逸)し」を生じるから「そら(空)」である。 書物に書かれている文字から目を「そら(逸)し」ながら、書かれている内容を読み上げると、「そら(空)で読む」ことになる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/457
458: 考える名無しさん [] 2025/09/17(水) 20:48:30.38 ID:0 「そ(逸)ら・す」働きをひっくり返すと、「そろ(揃)・へ・る」働きとなる。 「そら(空)」は、「そろ(揃)・へ・る」働きをしない。だから、「そら(空)」に何かが「そろ(揃)・ふ」ようにあら(顕/現)はれるなら、その「そろ(揃)・ふ」働きには、何らかのうら(裏)が隠されてゐるはずだ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/458
459: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 06:48:17.49 ID:0 何か別のことに気を「そ(逸)ら」されて、「いま、ここ」で注意を要求されることに「こころ(意/心)」が向き合ってゐない様子を「うは(上)の『そら』」と云ふ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/459
460: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 06:48:17.46 ID:0 何か別のことに気を「そ(逸)ら」されて、「いま、ここ」で注意を要求されることに「こころ(意/心)」が向き合ってゐない様子を「うは(上)の『そら』」と云ふ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/460
461: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 06:56:49.66 ID:0 「「うは(上)の『そら』」」により生じる「空虚」をひっくり返すと「そら(虚)み(見)つ(津)」になり、ありとあらゆる「いま、ここ」に「こころ(意/心)」が向き合ひ、「こころ(意/心)満たされる」。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/461
462: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 06:58:20.56 ID:0 みづほのくに http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/462
463: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 07:09:02.35 ID:0 万葉集 第2巻 167番(万葉集ナビ) 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/463
464: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 07:19:05.88 ID:0 「ことば遊び」の「曲芸」として詠まれている歌が伝へようとする「こころ(意/心)」を、そこにつか(使/仕/遣)はれる「ことば」の「定義」を極めることによってうま(し)く理解することができるのか。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/464
465: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 08:50:13.91 ID:0 「うま・さ」を感じさせるものが「食べ物」であり、「まづ・さ」を感じさせるものは「食べ物」ではない。 こう明言すると、一方では、多くの人は、「そんなことは、わざわざことばにするまでもなく、当たり前ではないか。」と思ひ、他方では、自分は「食べ物」についてもっとよく知っているので、「そんなに単純ではない」と反発する。 さらに、自分は、現代の思想の流行について多少なりとも知識があると自負している人々は、「うま・さ」と「まづ・さ」の対比でものごとを考へようとする二項対立的な考へようとするのは、「構造主義」として批判されて今では乗り越えられてをり、現実の複雑さに配慮して、ものごとは、もっと数多くの項目に関して検討して、多面的に捉へなければならないと批判するだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/465
466: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 08:59:49.68 ID:0 私には、現代思想として流行した、いはゆる「構造主義」を弁護しようといふ気はないが、 「構造主義」に向けられるのが、「構造主義は、二項対立的な考へ方に基づいた単純化だからよくない。 現実のものごとはもっと複雑なのだから、二項ではなく、もっとより多くの項目について検討しなければならない」といった類の批判である場合、その批判は、完全に「的を外して」ゐる。 さらに言へば、それで「構造主義」を批判したつもりになっている人々は、現代思想としての「構造主義」が抱えてゐる根本的な問題を、むしろ大切に温存しようとする結果となっている。 それは、対比よりも、存在者として「項」を先立てる錯誤である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/466
467: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 09:50:21.88 ID:0 例えば、「うま・し」と「まづ・し」は、かた(片)み(身)に「対比」としてきは(際)だ(立)つのであって、「二項対立」("a binary opposition")の「対立する2つの項」として存在するわけではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/467
468: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 09:53:06.74 ID:0 「うま・し」の『うま・さ』を感じさせる性質がそこ(損)なはれることが、すなはち、"1/(うま)=まづ・し"である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/468
469: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 09:55:48.79 ID:0 「うま・し」の『うま・さ』を感じさせる × 「うま・し」の「『うま』さ」を感じさせる ○ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/469
470: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:00:41.58 ID:0 逆に、「まづ・し」の「『まづ』さ」を感じさせる性質がうし(失)なはれることが、すなはち、"1/(まづ) ⇒ うま・し"である。 注: "="で示すより"⇒"で示す方が妥当なので訂正する。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/470
471: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:04:08.29 ID:0 それを口に入れることが、むしろ、みづからがより「まづ・し」くなる感覚をもたらすなら、そのようなものには、それを「食べ物」としてきは(際)だ(立)たせる性質は、認められず、したがって、それは、「食べ物」ではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/471
472: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:08:31.76 ID:0 逆に、それを口に入れることが、みづからがより「うま・し」くなる感覚をもたらすなら、それを他の生き物が決して食べることをしない、食べることを忌避するとしても、それを「食べ物」としてきは(際)だ(立)たせる性質が認めら、したがって、それは、みづからにとって「食べ物」である。 これは、栽培植物にとっての「肥料」について述べたのと同様のことであることに気づくだろう。それを施す植物種に関係なく、「肥料」は、「肥料」としてあらかじめ存在するわけではない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/472
473: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:13:21.20 ID:0 「ものごとは、そんなに単純ではない」、「現実は、もっと複雑だ」と主張するのなら、配慮すべきは、「うま・し」と「まづ・し」を対比として捉へるのを「二項対立」と誤認して批判することではなく、なにがどのように「うま・し」くなり、なにがどのように「まづ・し」くなるのかに具体的に考へをめぐらせることである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/473
474: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:18:57.56 ID:0 病人が健康な人と同じものを口に入れても、それが同じ「食べ物」としての「かひ(効)」をあら(顕/現)はさないことがよくある。 なぜだろうか。それは、そもそ「同じ『食べ物』」があらかじめ「存在する」わけではないからだ。 消化器官に取り込まれたものから身体の栄養となる成分を消化吸収するのを助ける役割をする腸内細菌が、みづからの身体にとって不調となっている人にとって、そうでない人と「同じ『食べ物』」を分け合って食べても、身体にとりこまれたものは、「同じ『食べ物』」としての「かひ(効)」をあら(顕/現)はさない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/474
475: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:23:54.77 ID:0 さらに一般的には、それぞれの生き物の個体にとって、口に入れて消化器官に取り込まれたものが「食べ物」となるかどうか、「食べ物」となったとして、それがどのような「かひ(効)」をあら(顕/現)はすかは、生物種ごとに「千差万別」であるにとどまらず、同一の生物種でも個体の成長度によっても、個体ごとの違ひによっても、同じ個体の場合でも体調により異なることは、常識だろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/475
476: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:26:00.33 ID:0 ところが、人々は、ものごとについて既成の「ことば」を頼みに考へる場合、あたか(恰)も「食べ物」が「食べ物」としてあらかじめ存在するかの如くに想ひ成す。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/476
477: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 10:30:25.91 ID:0 このようなことを逐一指摘したところで、「そんなことは当たり前だろう」と反応しながら、ほとんどの人々は、そのまますぐに物象化を先立てて優先するものごとの考へ方に復帰するのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/477
478: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:22:29.84 ID:0 日本語において「形容詞」とされることばは、一般に「〜し」といふ形態をとるが、この「〜し」は、 既に指摘したとおり、中国語において「使役」の関係を表現するとされる「使」にそのまま対応し、 フランス語をメタ言語として用ゐて記述するなら、《déclenchant 〜》に相当する。 このことは、分かりやすい具体例を参照することにより容易に示すことができる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/478
479: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:30:35.50 ID:0 「を(惜)し」といふことばについて考へてみるといい。 「を(惜)し」の「を」が、「〜を!」として用ゐられる感嘆のこゑ(声)を表現してゐることには疑ひの余地がないだろう。 ここで、「〜し」がフランス語の《déclenchant 〜》に相当するとした記述において、"〜"に"〜を!"をただそのまま代入して、《déclenchant "〜を!"》とするだけで、これが日本語の「を(惜)し」に対応することになることに気づくはずである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/479
480: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:35:13.10 ID:0 日本語において「形容詞」とされる「〜し」といふ表現がもたらすのは、「感性」/"perception"がどのように働くのかをつた(伝)へることである。 これも、わざわざ指摘しても「当たり前のことではないか」と思はれるだけだろうが、これをはっきりと意識することは、哲学的にものごとを考へるためには、とても大切だ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/480
481: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:46:40.05 ID:0 中国語において「使役」の関係を表現するとされる「使」に対応し、フランス語をメタ言語として用ゐて記述するなら、《déclenchant 〜》に相当するとした 日本語の「〜し」は、フランス語の《déclencher》について考へてみればすぐに分かるとおり、もたらされた事態の不可逆性をつた(伝)へる。 そのことは、《déclencher une avalanche》(雪崩を引き起こす)といふフランス語の表現を想起してみれば、簡単にイメージすることができるだろう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/481
482: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:52:01.04 ID:0 >「〜し」といふ表現がもたらすのは、「感性」/"perception"がどのように働くのかをつた(伝)へることである それがどのようにであれ働いてしまった「感性」/"perception"(中国語の「覺得」といふ表現を想起してみるといい)は、「引き起こされた雪崩」を元に戻すことができないのと同様に、それが生じなかったことにすることはできない(それが錯覚に過ぎなかったと気づいた場合にさえ)。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/482
483: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 13:57:56.61 ID:0 そして、実のところ、この不可逆性をつた(伝)へるのが"per・ception"の"per-"であり、日本語の声遣ひとしては、この"per-"は、「八」の文字の表象に関連付けられた「ぱっ」や「や」に対応する。 そして、中国語において、フランス語の《déclenchant 〜》に相当するとした「使」の声遣ひが「矢」と共通であることも、この「不可逆性」の感覚によるのだろうと私は思ふ。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/483
484: 考える名無しさん [] 2025/09/18(木) 14:06:45.70 ID:0 ところで、「うま・し」が《déclenchant "うま"》に相当するとすると、この「うま」は、どのような感じを伝へようとしていだろうか。 誰でもすぐに気づくとおり、この「うま」が伝へようとしてゐる感じとは、英語で説明するなら、"fulfilling"(「満ち足り」)である。 日本語の「う・ま」は、「う(埋)ま・る」といふ表現を考へてみれば分かるとおり、"fulfilling"(「満ち足り」)を、「『う(表面)』が上昇することの『ま累加』」として捉へている。 したがって、「うま・し」の「うま」は、「みづ(水)うみ(≒"water-filling")」の「うみ」、つまり、「海(うみ)」の「うみ」とも声遣ひとして共通している。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1744875137/484
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