【アクトゥアリテート】永井均 11【レアリテート】 (332レス)
上下前次1-新
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん
リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
1: 2020/02/29(土)18:37 ID:0(1/332) AAS
独在論などで知られる哲学者
https://twitter.com/hitoshinagai1
最新刊『世界の独在論的存在構造 哲学探究2』
https://www.shunjusha.co.jp/smp/book/9784393323793.html
関連話題をどうぞ。
次スレは>>925以降、宣言して立ててください。
落ちたら誰か立ててください。
著書リストは誰かよろ
前スレ
【アクトゥアリテート】永井均 10【レアリテート】
2chスレ:philo
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
2: 2020/02/29(土)19:00 ID:0(2/332) AAS
著作リストはWikipediaに載ってた(共著まで、作った人お疲れ)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%9D%87
3: 2020/02/29(土)22:17 ID:0(3/332) AAS
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1233582806296514560?s=19
まあ、個人的には、分かりやすく整理するなんてどうやればいいか全然考えつかないからね
ポイント(と思われるもの)を粗雑に抜き出すくらいはともかく
と、保守ついでに書いてみる
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
4(2): 2020/03/01(日)10:58 ID:0(4/332) AAS
わかる人解説お願いです↓
永井均@hitoshinagai1 3月4日
私は古東氏の『現代思想としてのギリシア哲学』の文庫版の解説まで書いており、そこで自分は彼の仕事の
一部分を担当しているにすぎないとまで言っているが、彼と私は思想的には同志であっても哲学的には非常に
先鋭に対立している。彼の言いたいことが彼の言い方で「言えている」とは私は思っていない。
永井均@hitoshinagai1 3月4日
藤田一照氏と熊野宏昭氏との共著『マインドフルネスの背後にあるもの』の古東氏の「提題」についても、
私は思想的には全面的に賛同するがその議論が成功しているとは思わない。藤田氏も熊野氏もそこに触れて
おられないが、共感された読者は共感的賛同と議論の評価の区別に鋭敏になってほしいと思う。
永井均@hitoshinagai1 3月5日
逆に、私が思想的には少しも共感できないが哲学的には深く賛同しているのは、たとえば様相実在論
(これこそが存在驚愕の真逆の思想だ!)のデイヴィッド・ルイスの哲学的思索である。そして、
私は思想家というよりは哲学者なので、こちらの賛同の側こそを深く精確に理解してもらいたいと
願っている。
永井均@hitoshinagai1 3月10日
存在論的に真逆の思想は様相実在論だが、価値論的に真逆の思想は、『存在してしまうことの害悪』
という副題からもわかるように、D.ベネターの反出生主義だ。以前は訳者の「主要な」論文
(「美味しい武蔵野うどん」)にばかり注目したが、「夏物語」の「本筋」における対立は実はこの
「真逆」性である。
5: 2020/03/01(日)11:01 ID:0(5/332) AAS
永井均@hitoshinagai1 3月10日
だが、存在することそれ自体に「驚く」というのは、ある存在論的事実を際立たせる
メタファーとして有効だと思うが、それを「喜ぶ」「歓喜する」と言い換えうるとみなすなら、
それはレトリックに溺れた誤謬推理か何らかのイデオロギー的誘導だといわざるをえない。
宗教はよくこれをやるから注意が必要。
永井均@hitoshinagai1 3月11日
在りえないはずのことが在ったことに心の底から驚歎しつつそれを深く悲嘆し強く憎悪することは
十分ありうることだろう。存在に対する驚歎にそれを止める力があるわけではない。驚歎を歓喜に
直結させるのは、むしろ存在の矮小化ではなかろうか?
永井均@hitoshinagai1 3月11日
同じ根拠から、快苦を感じる主体を存在させることは悪であるという主張も誤りだといえる。
苦を生じさせることの負の価値と快を生じさせること正の価値の非対称性の議論は、
すでに存在している主体に関しては成り立つとしても、主体そのものを存在させる
ことに当て嵌めるのはやはり存在の矮小化だろう。
6: 2020/03/01(日)11:06 ID:0(6/332) AAS
永井均@hitoshinagai1 1月10日
「なぜ無ではなく何かが存在してはいるのか」という「存在驚愕」の場合もそうだが、
この種の「驚き」はメタファー(でもある点が興味深いのだが)というよりもむしろ「逆説」
と言ったほうがよいだろう。そんなことに驚く人は決していないという点にこそそれをあえて
「驚き」と捉える意味があるのだから
永井均@hitoshinagai1
この問題についてはもちろん、古東哲明『〈在る〉ことの不思議』こそが必読。
ハイデガーなんぞ一行も読まなくてもよいので、何はともあれこれを読んでください!
18:03 - 2019年1月12日
7(1): 2020/03/01(日)17:56 ID:0(7/332) AAS
>>4
保守のため超適当に書くと、
(1) 思想的には、現に・端的に1つだけ存在していることの特別さを肯定したい。
しかし哲学的には、可能な範囲のものは全て同じように存在しているという議論(思想的には真逆の議論)を支持する。
(2) また、思想的には、存在すること自体を肯定的に捉えたい。
これの真逆の議論は、存在すること自体を否定的に捉える反出生主義。
(3) ただし改めて整理すると、存在すること自体の特別さは、肯定的評価とも否定的評価とも区別すべきで、
(2)の2つの議論はどちらも存在の矮小化ではないか。
というようなことじゃないかと
(挙がってる文献も読まずにほんとに超適当に書いたので、信用しないでねw)
8: 2020/03/02(月)23:09 ID:0(8/332) AAS
>>7について保守ついでに適当なことを追加すると、(2)で書いたことは『これがニーチェだ』
に通じる話ではないかと勝手に理解してる
そこでは「永遠回帰」を、起こったことを全てそのまま肯定するという考え方だと紹介して、
ただしそれは行き過ぎるとニーチェ自身が批判した価値の捏造に近づきかねない、とも
指摘している(と思う)
その、全てを肯定するという点を見ると(2)と共通するけど、ただし、改めて整理すれば、
単に起こったこと・存在することを、肯定するのも否定するのも「矮小化」ということに
なるのだろうか
9: 2020/03/03(火)15:37 ID:0(9/332) AAS
>>4
要するに永井氏の持論を古東氏の著書で展開されていて
思想(理想)的には同義であっても哲学(知識)的には
対立していて、古東氏の知識では永井氏の持論と同じ思想
であっても、論理的に記述できていないという事をいいたいのかね。
要するに、議論にはエビデンスが必要なわけで、共感的賛同でもって
納得するだけでは論理的に成立したことにならんよと。
10: 2020/03/04(水)13:00 ID:0(10/332) AAS
989 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/03/03(火) 15:15:53.64 0
なんだろうこのゴミみたいな議論は
〈私〉は言葉の世界とは馴染まないものなんだよ
なんで?
そこに謎がある
それを謎のままにしておく必要なんかどこにもないだろう
こういう↑人って手品の種明かしをしたら手品師が食いっぱぐれる
みたいな発想がないのかな?
11: 2020/03/07(土)19:05 ID:0(11/332) AAS
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1236070138597629952?s=19
このツイートがありながら次々と返信するみなさん、勇者だなw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
12(1): 2020/03/07(土)22:44 ID:0(12/332) AAS
夢について(あるいは記憶の構成要件について)の問い:
夢の中で現実の自分とまったく違う人になっていても目覚めたときそういう夢を見たとわかる(のは何故)か?
まったく違う主体になる二本の夢を見ても二本見たとわかる(のは何故)か?
13: 2020/03/07(土)23:02 ID:0(13/332) AAS
>>12
無と幻の違い
14(1): 2020/03/07(土)23:18 ID:0(14/332) AAS
馬鹿にはそれがなぞなのかな
15: 2020/03/07(土)23:50 ID:0(15/332) AAS
まあ馬鹿にはわからんだろう
16: 2020/03/07(土)23:53 ID:0(16/332) AAS
考えられない謎の可能性に満ちた夢のような人生なんだろうなあ
17: 2020/03/22(日)02:50 ID:0(17/332) AAS
最近Twitterで「三性」について論及しているけれど、例えばC・S・パースと関係あるのか?
18: 2020/04/22(水)01:39 ID:0(18/332) AAS
近年の永井さんについてあまりちゃんと追っていないので知らないのだけど
ひょっとして、ここ最近(10年ほど)は倫理学(道徳論)については書いてないのかな?
19: 2020/05/15(金)14:05 ID:0(19/332) AAS
第一段階 赤ん坊は何も意図しないで身体表出して親がそれを一方的に解釈
第二段階 子供が親に意図して身体表出したり言葉にならない音を発し親に訴えかける
この第一段階から第二段階への飛躍が全ての問題の根本
20: 2020/05/15(金)14:30 ID:0(20/332) AAS
独在論にオリジナリティなし。
よって哲学者にあらず。
21: 2020/08/10(月)05:09 ID:0(21/332) AAS
入不二基義氏の新刊出ましたが・・。
永井氏が入不二氏の書いている「運命論」のようなもの
書いたらどんな感じになるんでしょうか?
22: 2020/09/01(火)13:52 ID:0(22/332) AAS
無頼漢を装っても万引きすら経験無さそうな善人なのがバレバレな永井均
23: 2020/09/08(火)14:48 ID:0(23/332) AAS
そう自分で書いてるし、その様に読まれるように書いてる
24: 2020/09/18(金)12:11 ID:0(24/332) AAS
「哲おじさんと学くん」
易しめの本なのかと思ったら意外に難しくて苦戦。
25: 2020/10/14(水)13:01 ID:0(25/332) AAS
永井均
@hitoshinagai1
·
9月30日
『哲おじさんと学くん』の新版は来年の1月15日に出る予定です。
26: 2020/12/14(月)13:40 ID:0(26/332) AAS
哲おじさんと学くん: 世の中では隠されているいちばん大切なことについて (岩波現代文庫, 学術428)
予約受付中
27: 2020/12/19(土)23:55 ID:0(27/332) AAS
独在性の問題はややこしすぎて過疎るのも当然や。
28: 2020/12/24(木)06:36 ID:0(28/332) AAS
ドビュッシーのグラドゥスアドパルナッスムやろ
29: 2020/12/24(木)20:31 ID:0(29/332) AAS
この頃、父から『子どものための哲学対話』(永井均)を買い与えられる。
常識を疑い、世界の新たな見方を提示する、という趣旨で書かれた本で、
Kが「死刑になるための殺人」を実行するにあたって思想的なバックボーンになったとされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/土浦連続殺傷事件
30: 2020/12/24(木)23:31 ID:0(30/332) AAS
手段としての殺人は止められないのは当然やで。
永井は一般的な殺人者より狂人や。
それを止めたいなら自身が世界を制圧して
独裁者にならんと。
31(1): 2020/12/25(金)04:02 ID:0(31/332) AAS
独在論からは殺人には至らない
32: 2020/12/25(金)19:25 ID:0(32/332) AAS
独在性の問題というか、「なんで道徳的でないといけないのか」
っていう問題から「なんか影響されたのがいるんじゃないか」って
話ちゃうんか。
33(1): 2020/12/28(月)13:26 ID:0(33/332) AAS
永井均、中学生の時にハマってたけど、最近またマイブームになってきた
34: 2020/12/28(月)22:06 ID:0(34/332) AAS
>>33
タイミング良かったね
哲おじさんと学くんの改訂版が出る
35: 2020/12/28(月)22:44 ID:0(35/332) AAS
>>31
https://www.amason.co.jp/hz/reviews-render/lighthouse/B071Y31438?filterByKeyword=事件を起こした&pageNumber=1
>しかし金川は哲学の世界には足を踏み入れず、殺人を実行した。言葉ではなく行為を選んだ。
>永井均がこの事件後、道徳論に関してほとんど口をつぐんでしまったのは、
>責任を感じたからではなく、行為を棚上げにして言葉を弄んでいる自分の姿を、
>金川によって逆照射されたからではなかったか。
36: 2020/12/29(火)10:22 ID:0(36/332) AAS
永井均の言説は宗教なんだよね
彼が認めないだけで
37: 2020/12/29(火)19:31 ID:0(37/332) AAS
永井の本読んだって人が実際に起こした事件に関してあんまり
関心が無いんじゃないの?きかれりゃ答える事もある様だけど。
持論(自論)を補完なりしてくれる討論相手を
望んでるのは感じるけれども。
38: 2020/12/29(火)19:33 ID:0(38/332) AAS
永井菌がうつる
39(1): 2020/12/29(火)19:41 ID:0(39/332) AAS
拒否反応あるなら永井均なんかに近づかない方がええやろ。
人生の無駄になるでほんまに。
40(1): 2020/12/29(火)19:59 ID:0(40/332) AAS
>>39
まあそれはそうだよね
一応わずかばかりは理解できたつもりの素人ファンとしてあえて言うけど、<私>や<今>の問題はある意味では世界全体に
関わる重要な問題ではないかと思うけど、しかし普通の生活で問題になるような具体的場面には多分何の役にも立たないからねw
全く関係ないけど、ジョンレノンが変なファンに絡まれて
「君はBoy,you're gonna carry that weightと歌ってたじゃないか」
と詰め寄られて
「それはポールの歌だ(呆」
と返事してたのを思い出すなw
41: 2020/12/29(火)20:15 ID:0(41/332) AAS
>>40
《私》という「なんでこんなところから世界が開けているのか」問題は、
それぞれの問題、ではありえない。んでそれをしつこく言ってるとしか
とらえられないわけで。つまり永井は独り言を言い続けてるわけですから。
それを書き込みしてる<この私>の為にわざわざ言及しているという形をとっていざるを
得ないのが根本の話なんだけど、言語にすると結局言いたいことがすり抜ける
わけで、って話になります。
42: 2020/12/31(木)17:04 ID:0(42/332) AAS
「哲おじさんと学くん」の岩波学術文庫版の表紙
ヴィジュアル英文解釈のイラストみたいw
43: 2021/01/19(火)11:45 ID:0(43/332) AAS
日本大学に入学したら永井先生の授業受けられるかな?
44: 2021/01/19(火)12:50 ID:0(44/332) AAS
殺人事件加害者に対する言及に関しては
それは哲学者の仕事だろう。
被害者や被害者家族・遺族に言論的突撃を
かけたわけではないんだし。
45: 2021/01/19(火)12:58 ID:0(45/332) AAS
一方で(永井さんはそうではないと断言できるが )
日頃犯罪や事故から身を守る意識をもって生きていくのと同じように、「道徳的なものを相対化・あるいは超越した哲学者等」からいかに身を守るかなんてこともたま〜に考えてしまう。
道を歩いてて遭遇する危険とは思わないけど。
46: 2021/01/19(火)18:33 ID:0(46/332) AAS
仕事として答えたんだろうけど、そも関心が無いのではって事やで。
哲学者が答える必要はないとも思うけどね。
基本的に哲学者は身体への攻撃するか否かって点でなら
危険ではないとは思うで。なぜなら社会内で哲学的
思索しようとしてるのに、そこで犯罪行為をしたら損するから。
反社行為は思索を邪魔しようと外部が排除に動きがちって事。
じゃあ無人島で相対したならどうよってなら、わかるけどね。
ずれたレスなら申し訳ない。
47: 2021/01/20(水)13:47 ID:0(47/332) AAS
永井さんの森田童子についての話をまとめて本にして出版して欲しいな。森田童子の話は芸術について深く考えさせられるから。
「賑やかな呟き」とか今度出版されるTwitterの本の中にも入るのかもしれないけど。
48: 2021/01/20(水)16:55 ID:0(48/332) AAS
永井さんが日経新聞でおすすめしてた哲学の本ってラッセルの「哲学入門」となんですか???
49(1): 2021/01/20(水)19:20 ID:0(49/332) AAS
森岡正博・寺田にゃんこふ著『まんが 哲学入門』
野矢茂樹著『哲学の謎』
土屋賢二著『あたらしい哲学入門』
永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
50: 2021/01/20(水)22:19 ID:0(50/332) AAS
>>49
ありがとうございます!!!
51: 2021/01/21(木)09:11 ID:0(51/332) AAS
メンヘラーダマし商法=永井均
52: 2021/01/21(木)18:56 ID:0(52/332) AAS
哲学者なんてみんな口先のペテン師みたいなもんだよ
言いたい放題が可能でちっとも内容が伴わず権威を振りかざして
偉そうにするだけのプレイ、それが哲学
だからかつては暇を持て余したひとたちの遊興だった
53(1): 2021/01/24(日)18:47 ID:0(53/332) AAS
資本主義の最大の問題は人間の新たな欲望を次々と開発しつづけ人間を完全な欲望の奴隷に仕立て上げることによってはじめて維持される制度であるという点。これによって人間精神は壊滅的な打撃を受けるが、もはやそれに気づくことさえもなくなり、そのことによって資本主義ははじめて維持される。
これについて言ってたのって誰?
54: 2021/01/25(月)08:09 ID:0(54/332) AAS
「行為そのものの価値」/"merit"を「債権と負債」/"credit & debt"の関係に
変換するのが市場経済の一般化であり、通貨使用の全面化である。
55(1): 2021/01/25(月)10:25 ID:0(55/332) AAS
>>53
欲望は良くないのですか?人にもよると思うんですが。
56: 2021/01/25(月)13:57 ID:0(56/332) AAS
>>55
人間精神は動物的自然感性を超えて世界を表象する理性を持つが、その自由こそが資本の運動に逆用され、動物的段階を遥かに超えた高次の欲望の奴隷(自由な表象能力を介した理性的奴隷)という化け物を作り出し、それを認識しても統御できない狂った化け物となって、母体である自然自体をも破壊し尽くす。
永井均さんのTwitterより
57: 2021/01/25(月)13:58 ID:0(57/332) AAS
要するに、正義や祖国のために死ねるという反自然的な能力そのものが逆用されるということです。これはもちろん私の意見ではなく、20世紀後半に飽きるほど語られてきたお話を、なんと今では知らない人がいるらしいので、私なりに要約してみたただけです。飽きても語り続けないと忘れられてしまうのね。
この語られてた資本主義批判って例えば誰が言ってたのかなって思って質問しました
58(1): Lust/貪欲 2021/01/25(月)22:17 ID:0(58/332) AAS
ネガティブな印象を与えようとする場合、「欲望」と呼ばれ、
ポジティブな印象を与えようとする場合、「意欲」と呼ばれる
59: 2021/01/25(月)22:18 ID:0(59/332) AAS
ハングリー精神で餌に釣られる
60: 2021/01/26(火)01:05 ID:0(60/332) AAS
通貨経済の倒錯というのは、「欲望/意欲」によって追求されるのが、
本来、メリット(それ自体、行うに価すること)であるはずなのに、
クレジット(債権=金を手にすること)にすり替えられることだ
61: 2021/01/26(火)01:18 ID:0(61/332) AAS
このすり替えによって「欲望/意欲」の信用創造、言い換えるなら、
「欲望/意欲」の仮想的な無限拡大が可能となる。
62: 2021/01/26(火)01:27 ID:0(62/332) AAS
その一方で、「欲望/意欲」によって本来、追求されるはずの
メリット(それ自体、行うに価すること)が行為から消失する。
クレジット(債権=金を手にすること)の拡大につながらない
行為に打ち込むこと("be passionate about 〜")は、
「道楽」となり、「〜に現(うつつ)を抜かしている」ことになる。
63: 2021/01/26(火)01:53 ID:0(63/332) AAS
そのすり替えの論理により、生物が存続することに不可欠である
はずの生殖行為や子育てさえも、金持ちの「道楽」となり、
「有意義な活動」をせずに、家庭生活に現を抜かしていることになる。
それでも労働力の再生産のためには子供が生まれ育つことが必要
であり、一般的な老後の生活を支えるのに必要、つまり、老後の
「債権」の確保のためとして、独身者にも税務上の負担が要求される。
しかし、その「債権」確保の名目は、あくまでも抽象的なものに
すぎず、税負担が重くなるだけで、「債権」としての保証はゼロである。
「道楽」となった子育てのために赤の他人が債権保証のない「債権」の
維持のために税負担を求められる。そのような仕組みが制度的に
うまく機能するはずがないだろう。
64(1): 2021/01/26(火)02:08 ID:0(64/332) AAS
クレジット(債権=金を手にすること)の拡大につながらない行為に打ち込んで
いると、しばしば、「そんなことは自己満足に過ぎない」と批判される。
しかし、クレジットの拡大につながっても、それ自体にメリットの一切
認められない行為に専念することは、結局は、空虚な他己/蛸満足にしか
ならないだろう。
65: 2021/01/26(火)02:45 ID:0(65/332) AAS
ぷ
66: 2021/01/26(火)07:53 ID:0(66/332) AAS
>>58
意欲が欲望になってしまったって話じゃないの?
67: 2021/01/26(火)08:31 ID:0(67/332) AAS
さて、勇敢なのか強欲なのか?
https://www.etymonline.com/search?q=freak
freak (n.2)
"brave man, warrior," Scottish freik, from Middle English freke
"a bold man, a warrior, a man," from Old English freca "bold man,
a warrior," from frec "greedy, eager, bold" (compare German frech
"bold, impudent").
68: 2021/01/26(火)09:43 ID:0(68/332) AAS
野生の動物は、「欲望/意欲」に応じて生きようとしているが、
そのことによって放縦/無規律(undisciplined)になるわけではない。
囚われて餌をもらうことによってしか生き延びることができない状態に
置かれてさえ、欠損を生じさせる意図に逆らって、結果として
より大きな欠損がもたらされないようにするダメージ・コントロールを
学習しないなら、手懐けられることなく(untamed)、囚われた空間の
範囲内でも「不埒」に振る舞うため、同じ空間内で暮らそうとする
なら「手に負えない」放縦な振舞いをするとされるだけである。
69: 2021/01/26(火)09:55 ID:0(69/332) AAS
「不埒な(≒without fence)」振舞いをすることは、「身勝手」で放縦なことと
されるが、「身勝手」とは、自らに権限が与えられていないにもかかわらず、
権限が与えられているかのように振る舞う("presumptuous"である)こと
であって、あらかじめ確立された権限の相互認識を暗黙の前提としている。
70: 2021/01/26(火)10:05 ID:0(70/332) AAS
ところで、「生きることを学ぶ」とは、本来、権限の相互認識を確立するように
ダメージ・コントロールを身につけることではない。そうではなく、
「できることをしよう」とする欲望/意欲に動機づけられて、しようとする
ことができない(例えば、親の後についていく、仲間より先に餌や生殖の
パートナーを確保する)場合、「できる様子」を観察して模倣すること
である。「できることをしよう」とする欲望/意欲を徹底的に潰そうと
すれば、「生きることを学ぶ」動機そのものが無効化される。
71: 2021/01/26(火)10:19 ID:0(71/332) AAS
>>64
既に手に入れているクレジット(債権)に支えられて、一銭の金にもならず、
場合によっては、自らに危険を招くリスクしかない「道楽」に
「〜に現(うつつ)を抜かす」ことは、それをしようとすることが
「好(す)き("be passionate about 〜")」であることに他ならず、
その行為そのものに(他の誰もそうしないとしても)「メリット」を
認めていることである。
72: 2021/01/26(火)10:25 ID:0(72/332) AAS
資本主義経済は、クレジット(債権)を消費する行為こそが大きなメリットの
ある振舞いであるという幻想を創造しつづけることによって、「欲望/意欲」
の信用創造を無限に膨らませようとする。
73: 2021/01/26(火)10:31 ID:0(73/332) AAS
クレジット(債権)を先取りして消費することを、借金(債務)の拡大によって
駆動することこそが、成長しつづける正常な社会の経済の働きであるとされる。
74: 2021/01/26(火)18:51 ID:0(74/332) AAS
誰が言ってたのかわかりやすく言ってください
75: 2021/01/26(火)19:11 ID:0(75/332) AAS
考える名無しさんがそう言っていたのです
76: 2021/02/28(日)18:53 ID:0(76/332) AAS
永井均さんが解説を書いてた本って
「現代思想としてのギリシャ哲学」とかのほかにありますか?
77(1): 2021/02/28(日)23:43 ID:0(77/332) AAS
青山拓央『新版 タイムトラベルの哲学』とか
78(1): 2021/03/02(火)18:24 ID:0(78/332) AAS
中島義道『観念的生活』もあるよ
79: 2021/03/02(火)20:45 ID:0(79/332) AAS
>>77
ありがとうございます
80: 2021/03/02(火)20:45 ID:0(80/332) AAS
>>78
ありがとうございます
81: 2021/03/03(水)21:17 ID:0(81/332) AAS
他にもありますか?
82(1): 2021/03/04(木)19:33 ID:0(82/332) AAS
ツィートみた感じだと、永井先生がどういうつもりなのかがわからん。
ミュートだのブロックだの書いてるが、他人に期待しすぎやろ。
いや、贅沢な人間なのかもしれんな。なんとか自分の思索を一緒に
寄り添って紡いでくれる人がいて欲しいって言う。贅沢すぎやで…
83: 2021/03/05(金)06:37 ID:0(83/332) AAS
>82
「どういうつもり」と言っても、自分の議論を全然関係ない社会問題や流行思想?とかに勝手に結びつけるような人には
非常に厳しい言い方をするのは、昔の著作からそうだったと思うけどね
84(1): 2021/03/05(金)13:01 ID:0(84/332) AAS
つもりってのは、ツィッターに対して期待してどういうつもりなのかって事やで。
態度としての傾向の話というより、コンテンツへのアプローチの話や。
85: 2021/03/05(金)16:42 ID:0(85/332) AAS
そうだよなあ。
ツイッターユーザの総体として、永井先生の望む方向で「賢く」なるってことはあり得ないので、
意味のあるレスポンスが欲しいのであれば、もう少し議論の方向性を示した方がいいんじゃないか、という気はしますな。
まあ、もう十分示しているじゃないか、ということなんだろうけどね。
86: 2021/03/05(金)18:06 ID:0(86/332) AAS
永井さんがよく言う「議論に"ひたりつく"」って文意をしっかり読んで論理的に考えるってこと?
87: 2021/03/05(金)18:52 ID:0(87/332) AAS
素人意見だが、ひたりつくってのは個々人の問題だと思う問題に対しての
自身が生み出す新たな思索対象の創出と、生み出した思索空間そのものに
ひっついて入り込んで考え、隅々まで味わい尽くすって事なんじゃあないかとは感じる。
論理も道具の一つでしかない感は感じる。良い包丁は絶対必要だが包丁眺めてたって
旨味は感じない、というか。
88: 2021/03/05(金)21:58 ID:0(88/332) AAS
Twitterより
『哲学の賑やかな呟き』で何度か触れた、哲学とは「ひたりつく」ものだ、という話もこのことに関連している。人情家は決してひたりつかない。相手が何を言いたいのかにしか関心をもたないからだ。
89: 2021/03/05(金)22:00 ID:0(89/332) AAS
哲学書を読む場合のひたりつきのコツは簡単で、よく理解できないところを飛ばして自分によく分かるところだけ繋げて勝手な解釈を作らずに、自分によく理解できない箇所をこそよく理解できるようになるような整合的解釈を構築すべく読み進む(あるいは読み戻る)ことです。
90: 2021/03/05(金)22:01 ID:0(90/332) AAS
聞く場合のひたりつきのコツも結局は同じで、自分の解釈で相手に反論したり自説を述べたりせずに、相手の言ったことでよく理解できなかった点が理解できるようになるように、どこまでも質問することです。純粋な質問が自ずと反論や自説になる限りにおいて反論や自説も可。
91: 2021/03/05(金)22:01 ID:0(91/332) AAS
>>84
ああ、そういう意味でなら、ツイッターなんぞ(失礼)に期待するのは無謀過ぎるというのは全く同感ですw
それでも続けてるのは、多少とも期待に合うツイートが来ることもゼロではないからなんだろうけど
92: 2021/03/05(金)22:01 ID:0(92/332) AAS
↑これ結構簡単そうでかなり難しいよね
93: 2021/03/06(土)08:55 ID:0(93/332) AAS
「ひたりつく」は、単純に表現としてみれば、「ぴったり・つく」であって、
「ぴったり」の「ぴった」は、「匹(Middle Chinese: /pʰiɪt̚/)」の流用である。
>Wang (1982) considers it to be cognate with 比 (OC *piʔ, “to compare; to match”), 媲 (OC *pʰiːs, “to match; to pair”).
したがって、「ひたり/ぴったり」は、1対1対応の様態ということになるのだが、
「ひたり/ぴったり」が、平面的なイメージの想起を伴うように、元の「匹」にも
そのようなイメージの想起が伴う。
>(Sichuanese) Classifier for flat surfaces or objects (hillside, leaves, tiles, etc.).
結論として、「ひたりつく」は、「平面的に1対1対応するような密着」を表現している。
94: 2021/03/06(土)10:06 ID:0(94/332) AAS
表現の解釈に限らず、何についてであれ、このような説明を聞かされると、
「ひたりつく」が「平面的に(1対1対応するような)密着する」ことを
表現しているのは、自明のことなのだから、そんなことはわざわざ
聞くまでもなく分かっている、という反応をする人々が、学者も含めて
大多数であり、忙しいのに時間を割いて話を聞いてやったのに、
損をさせられたと腹を立てる人も、やはり学者も含めて、少なくない。
ところが、そのような解釈から当然、導かれることを推論として
敷衍して提示すると、何をとんでもないことを突然、言い出すのだ、
根拠はどこにあるのか、誰がそんなことを主張しているのか、
と思考停止の拒絶反応を示すのである。要するに、そのような人々は、
自らの理解を反省して省みる習慣が最初から欠けており、
自分の理解を変更する必要がないように知識を増やすことには
関心があっても、その変更を余儀なくさせられてまで、何かを
分かるようになりたいなどとは感じていないのである。
95: 2021/03/06(土)10:10 ID:0(95/332) AAS
誤:反省して省みる
誤:反省する
96: 2021/03/06(土)10:20 ID:0(96/332) AAS
そこで、説明されることも迷惑なら仕方がないと諦めて、
勝手にやっていると、今度は、説明する義務を怠って、
訳の分からない身勝手なことをやっている、あるいは何も
せずに怠けている、と誹謗中傷、罵詈雑言を向けてくるからたちが悪い。
反省する習慣が欠如しているので、自分たちの要求が、
相手に「知性上の売春行為」を強要することにしかなっていないことすら
理解することができない。
97: 2021/03/06(土)15:17 ID:0(97/332) AAS
不明なことをどのようにか分かるようにするために、自明であるとされる
前提を考え直す必要があるなら、自らの理解を強化してくれる知識しか
求めていない人々を相手にしても、最初から対話は不可能であり、
いくらともに省察するように促しても埒が明かない。
そのような人々に囲まれているなら、
選択肢は、1)反感を買うことを承知で、最初から相手にせずに勝手に
探究を進める、2)反感を買って妨害されることがないように、
形だけ相手をするふりをして誤魔化しながら勝手に探究を進める、
または3)反感を買うことも、誤魔化し続けることも面倒なので、
最初から探求を諦める、この3つしかないだろう。
98: 2021/03/06(土)16:16 ID:0(98/332) AAS
したがって、その場合、自らが研究者として制度的に探究を進める
ことに人生をコミットしているなら、必然的に最初から窮地に
追い込まれていることになる。なぜなら、制度の枠内で探求を
進めようとするなら、資金面での支援を受けていない場合でさえ、
常に制度側からの承認を受けることを要求されるからだ。
すると、探求を諦めることは自ら研究者であることを放棄する
ことになるので、残された選択肢は、相手をうまく誤魔化しながら
勝手に探究を進めることしかないことになる。ところが、
そのような仕掛けを最初から理解している人が制度側に存在する
場合、その誤魔化しは最初からバレており、当面、見逃されている
だけなので、それにより精神を破壊される条件が整うことになる。
99: 2021/03/06(土)16:28 ID:0(99/332) AAS
つまり、その仕掛けを理解している人が制度側に存在するなら、
どのように悩みつづけようと、悪足掻きをしていることにしかならない。
探求はいつでも恣意的に打ち切られ得るのであり、しかも、
それは自己責任とされる。その脅迫に晒されることを回避しながら、
それでも制度的に研究者という立場を保とうとするなら、
自明とされる前提を考え直すという探求の基礎であるモラルを
放棄するしかない。
100: し ◆P1F.MDbmTg 2021/03/06(土)16:47 ID:0(100/332) AAS
また100円以下になったw
退散する
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.039s