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368(1): 08/09(土)09:11 ID:bw4CRSHc(1/2)調 AAS
今日は、長崎原爆の日
https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20250809-OYT8T50000/
8月9日 編集手帳
2025/08/09 読売新聞
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俳人の金子兜太さんは南洋のトラック島で終戦を迎えた。海軍主計の士官だった。日銀入行からそれほど時を置かず、南方の激戦地に赴いた
◆米軍の捕虜となり、1年3か月後に帰還して日銀マンにもどった。1958年に長崎支店に赴任する。爆心地を歩き回り、着想を探した。< 彎曲 わんきょく し火傷し爆心地のマラソン>。兜太さんには原爆で無残に亡くなった人々が安らかに眠りについているとは思えなかったかもしれない
◆爆心地を走るのは生者のみならず、火力で体が彎曲し、皮膚のはがれた死者も、マラソンのように走り続けている、とこの前衛句は解釈されている
◆きょう長崎は80回目の原爆の日を迎えた。原爆 炸裂 さくれつ 時間の午前11時2分に 黙祷 もくとう をささげる平和祈念式典には、95か国・地域から代表者が集まる。イスラエル、パレスチナのほか、ロシアも参列する。長い時を経ながら苦しみが続く「黒い雨」の被害も耳にはいることだろう。未来に生きる人類のために平和の尊さと核廃絶を願うナガサキの思いを、本国に届けてもらいたい
◆雨予報が当地に出ている。風雨に負けまいと平和の鐘が鳴り響くだろう
句の解説
https://haiku-textbook.com/wannkyokushi/
俳句の教科書
【湾曲し火傷し爆心地のマラソン】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!
2020年1月21日
この句が詠まれた背景
この句は、兜太が1958年に長崎県で詠んだ句で、句集「金子兜太句集」に収録されています。
兜太は当時日本銀行に勤めており、その年の2月に長崎へ転勤になりました。そして、原爆で被災した浦上天主堂に近い場所を住まいとしていました。
爆心地近くをよく散歩していた兜太はこのように語っています。
「国語辞典に「鸞曲(湾曲)」という字があり、目から離れなくなった。しばらくすると「火」が出てきて、長距離ランナーの姿の映像が出た。それはこの地の人々と重なったが「鸞曲」し「火傷」が現れた。」
つまり、爆心地近くで見つけた被爆跡を見たことで、その印象から句を作ることができたということです。
https://gendaihaiku.gr.jp/column/390/
現代俳句協会
2018年11月20日
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 評者: 高岡 修
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%85%9C%E5%A4%AA
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日[1])は、埼玉県出身の日本の俳人。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。2008年、文化功労者に選出される。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。
369: 08/09(土)09:17 ID:bw4CRSHc(2/2)調 AAS
>>368
>◆爆心地を走るのは生者のみならず、火力で体が彎曲し、皮膚のはがれた死者も、マラソンのように走り続けている、とこの前衛句は解釈されている
下記ですね
https://gendaihaiku.gr.jp/column/390/
現代俳句協会
2018年11月20日
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 評者: 高岡 修
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
” 兜太作品も同じ構図なのだと言える。爆心地である長崎で、くねくねとマラソンしているのは生者だけではない。全身が彎曲し、ずるりと皮膚の剝げた死者も走りつづけている。そんなにも懸命に死者たちは何処に行こうとしているのか。再生の場所としての未来である。結局、掲出句にも永遠にも似た壮大な三つの時制が現前しているのである。”
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