[過去ログ] アイヌは日本列島の先住民族だ、いい加減認めろネトウヨ [237216734] (1002レス)
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(3): ぬこ(千葉県) [US] [] 2022/07/06(水)05:11 ID:qlUrncNj0(28/38) AAS
>>96
>>97

喜田貞吉の結論ははっきりしている。 エミシは縄文時代からの列島の住人で、こんにちのアイヌと血脈を通じている。
DNAなど知らないまま、この結論をみちびきだした論理はつぎのようなものである。

 >津軽の外が浜に近い頃まで残っていた蝦夷と、今の北海道のアイヌとが、
 >同一系統の民族であったことには、いろいろの証拠があります。
 >そしてこの外が浜の蝦夷と、歴史時代に奥羽地方に活躍していた蝦夷とが、
 >また同一民族の引続きであったことも、十分これを連絡すべき事実があるのであります。

※長文、読む価値あり
2chスレ:archeology


喜田 貞吉 本州における蝦夷の末路 1928 東北文化研究
https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49820_40772.html

 >「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺?を存するアイヌ族のことなり。
 >その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。

 >国家の懐柔政策は、なるべく蝦夷を内地諸国に移して、日本民族に同化融合せしめるにありました。
 >したがって日本国中到る所、蝦夷の血の行き渡っておらぬ地方はありません。
 >日本各地の住民は、石器時代以来の先住土人の血を保存しているばかりでなく、
 >歴史時代において奥羽から移住した蝦夷の血を、多量に交えているのであります。
 >したがって日本人には毛深いものが多い。

 >東洋のあらゆる諸民族、また南洋のマライ族にしましても、頬鬚の生えているものは殆どありません。
 >ただ蝦夷やアイヌのみは、毛人と言われた程に毛深いのを以て特徴としておりますが、
 >日本人に相当鬚の濃いものの多いのは、この蝦夷の血を交えている一つの証拠となりましょう。
112: ぬこ(千葉県) [US] [] 2022/07/06(水)05:15 ID:qlUrncNj0(30/38) AAS
>>104
>>107

鉄と浮囚の古代史・・・蝦夷「征伐」と別所(1989) 柴田弘武

 >『別所という地名について、菊池山哉の唱えた「俘囚の移配地」説が最も妥当だと考えている。
 >山間僻地に多く、そこに東光寺、薬師堂、白山神社(本地仏十一面観音)を祭り、
 >また慈覚大師円仁の伝承を伝えるなど、多くの共通要素を備えている。』

 >『白山信仰は奥羽において一般的なものであり、奥州俘囚長の藤原基衡が建立した毛越寺・吉祥堂の本尊は、
 >京都大原の別所にあった補陀落寺の本尊を模したという事実(『吾妻鏡』)からみて、別所と奥羽俘囚の関係は明らかである。
 >蝦夷征伐は東北の鉱産資源、なかんずく産鉄労働力の確保にあったといえる。』

蝦夷征伐による捕虜を俘囚と呼び、全国各地の産鉄地において労働者として従事させた、その地が「別所」である。
その際、産鉄作業の技術を指導し、俘囚を束ねたのは、秦一族であった。

■ Fig. 54 Bessyo (別所)
https://image.prntscr.com/image/FCQCh_U7QyerfE1Kn8xv9w.png


■ 別所 (地名解釈)
https://ja.wikipedia.org/?curid=1194740
114
(3): ぬこ(千葉県) [US] [] 2022/07/06(水)05:17 ID:qlUrncNj0(31/38) AAS
>>104
>>107

エタの起源 = 狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々
https://ja.wikipedia.org/?curid=114173

 >穢多は、元々「えとり」であり、塵袋にあるように、旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々を指した。
 >居住していたのは村外れや川の側など、農業に適さない場所であった。
 >穢多は居住地が地図に表示されないなどの差別を受けた。


塩見鮮一郎 「別所とエタ系部落」

 >部落民は、朝鮮半島からきた人たちではなく、東北地方の人たちと同じ形質をしている、ということだ。
 >この調査の結果どおりならば、部落の起源は、移配されたエミシということになる

長頭(アイヌ児童) 短頭(朝鮮人児童)
https://i.imgur.com/w7Etv9L.jpg



1890年代に鳥居龍蔵(人類学者)は、東京・関西・四国等の被差別部落民の外形を調査

 >「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり」として朝鮮人説を完全に否定
 >頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。
 >戦後になると、大阪大学教授の小浜基次が、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ない
 >形質人類学により、被差別部落民は形質的に東北人と一致していると結論づけた。

■ 福岡県の部落出身 松本治一郎(多毛・福耳)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Jiichiro_Matsumoto.JPG


■ 奈良県の部落出身 米田庄太郎(多毛・福耳)
https://pbs.twimg.com/media/EQYjXmhU4AImj7s.jpg

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(3): ぬこ(千葉県) [US] [] 2022/07/06(水)05:19 ID:qlUrncNj0(32/38) AAS
>>104
>>107

アイヌを絶滅させて和人が乗っ取った島

粟島 (新潟県)
https://ja.wikipedia.org/?curid=145642

 >粟島では、弥生から古墳文化が確認されておらず、和人が入るまでの長い間、蝦夷の地とされていた。
 >粟島が初めて文献に登場するのは、808年『大同類聚方』で「粟生蝦夷」の名前が登場し、
 >和人が入植する以前から、蝦夷と関係した先住民が生活していたとされる。
 >地名にもアイヌ語に由来するものが確認される。

 >古代の粟島は史料が残っていないためよくわかっていないが、以下のような伝承がある。
 >九世紀初め、北九州の松浦党の一族が上陸し、蝦夷を西海岸(釜谷地区)へ追い払って生活するようになった。
 >今度は越前国の本保氏一族が上陸し、松浦一族を西海岸へ追い払い、そこで住むようになった。
 >やがて蝦夷は絶滅し、本保一族と松浦一族のみが島には残った。


「葛」「茨」「塚」地名には先住民族をジェノサイドしたという含みがある

 >葛城(かつらぎ) 奈良盆地の南西部を指す地域名。神武天皇が、葛で編んだ網で土蜘蛛を捕らえたためと伝えられる。
 >茨城(いばらき) 茨城郡の語源伝承によれば、茨蕀をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)をほろぼしたという。

蜘蛛塚 (神武に虐殺された先住民族の墓)
https://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/92/26708/3ED7AAF0F2CD4C339AD16667B6C22583_L.jpg

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