松菊木戸孝允(桂小五郎) (354レス)
上下前次1-新
104: 06/02(日)05:10 ID:NCWzGg550(1) AAS
大隈重信しかいない
105: 06/02(日)05:28 ID:YB1mfZxi0(1) AAS
明治に大成した人間は木戸の子分ばかりなんだから
木戸が最高の政治家なのは当たり前のこと。
106(1): 06/02(日)15:45 ID:46iPPPRj0(1) AAS
>>103
木戸孝允は明治維新の立役者でありながら、大久保利通や伊藤博文に比べると知名度や人気は低い方ですね。大隈重信が彼を高く評価していたというのは興味深いですね。どんな点が評価されていたのでしょうか?彼の政治思想や功績について、もう少し詳しく教えていただけますか?
107: 06/06(木)03:11 ID:9rznl1Yb0(1) AAS
桂小五郎
108: 06/06(木)19:34 ID:ILZomIjT0(1) AAS
>>106
木戸孝允の政治思想は、一言で言えば「富国強兵」です。しかし、単なる軍事力強化ではなく、欧米列強に対抗するためには、経済力と政治制度の改革も不可欠だと考えていました。
具体的には、殖産興業や財政改革、そして議会制度の導入などを積極的に推進しました。特に、殖産興業に関しては、官営工場の設立や技術者の育成など、目覚ましい成果を上げています。
これらの改革は、日本の近代化に大きく貢献しました。しかし、木戸は単なる改革家ではありませんでした。同時に、優れた政治家としても手腕を発揮しました。
109: 06/10(月)04:46 ID:FPdZhSKX0(1) AAS
嫁はん美人
110: 06/10(月)06:12 ID:syd8KEMM0(1) AAS
外部リンク:www.excite.co.jp
五箇条の御誓文の万機公論に決すべしは阿部のアイディアです
大切なのは木戸が描いた「広く会議を興し」のほうですw
111: 警備員[Lv.11] 06/10(月)12:08 ID:rOCahcLF0(1) AAS
ちゅーぶ
112: 06/12(水)21:20 ID:RsrSafZK0(1) AAS
NHK「花神」で白石正一郎夫人を演じた
女優さんが亡くなった
弊社所属俳優 三好美智子が 去る令和6年4月22日に急逝いたしました
ここに生前のご厚誼に深謝し 謹んでご通知申し上げます
持病はありながらも 先月も自身の朗読会を開催し 精力的に活動しておりました
外部リンク:tomodachi-web.com
113: 06/14(金)03:34 ID:48XVT0TN0(1) AAS
っほう
114: 06/16(日)05:09 ID:O4YF92vw0(1) AAS
わりと好きな人物
115: 06/18(火)04:08 ID:qRDo6ZnV0(1) AAS
逃げの小五郎
116: 06/23(日)05:07 ID:sVpxUPQp0(1) AAS
木戸なくして維新の成功はなし
117: 06/26(水)06:47 ID:36toYnun0(1) AAS
英雄たちの選択の山本覚馬をみたら
長州派の長の一文字も出なくて、NHKはどんだけ長州派が嫌いなんだ
って思ったわ。
118: 06/27(木)01:41 ID:WiQMQt940(1/2) AAS
木戸オタって変な腐女子とかいて気持ち悪い
119: 06/27(木)09:45 ID:1F+UqTwr0(1) AAS
吉田松陰に師事し、長州藩で尊王攘夷運動を牽引した木戸孝允。薩長同盟締結や大政奉還、明治維新後の政治改革など、激動の時代を力強く駆け抜けた彼の存在は、まさに日本の歴史そのものだ。
120: 06/27(木)10:10 ID:WiQMQt940(2/2) AAS
師事したってソースは?
121(1): 06/27(木)13:27 ID:aRx3onaX0(1) AAS
aiでしょ?
高杉晋作とは違い吉田松陰と木戸孝允の関係には深さは感じられんがな・・
122(1): 06/27(木)16:47 ID:ORTEWKLw0(1/3) AAS
木戸は松陰で弟子でもあるけど、友人として暴走しがちな師を諌める立場でもあった
123: 06/27(木)16:47 ID:ORTEWKLw0(2/3) AAS
>>122
訂正
木戸は松陰の弟子でもあるけど、友人として暴走しがちな師を諌める立場でもあった
124(1): 06/27(木)16:49 ID:ORTEWKLw0(3/3) AAS
高杉らは、友人ではなく完全な弟子なので、松陰に対する発言力はなかった
125: 06/29(土)03:43 ID:EUAhQkl80(1) AAS
桂の師匠は
斎藤弥九郎、江川英達、中島三郎助のイメージ
126: 06/29(土)19:49 ID:YFYDe0KJ0(1) AAS
>>121
まあ、自分の理解を超えたら全てAIと思う老害でしたと。
もっと勉強しようね、知ったかぶり丸出しは恥ずかしいよ。お爺ちゃんw
127(1): 06/29(土)21:55 ID:OppbW9VA0(1) AAS
>>124
弟子総出で止めてるよ
松陰に絶交宣言されたけど
128: 06/30(日)16:41 ID:dgESEeIq0(1) AAS
>>127
松陰が耳を傾けて言うことを聞いたのは木戸だけなんだよねえ
129: 07/03(水)10:17 ID:C/AfhxsP0(1) AAS
小五郎が吉田松陰に師事したというソースを要求するようなヤツがいるとは草
130: 07/03(水)19:53 ID:okOxB6Lu0(1) AAS
昨今はWikipediaすら読まないでAIが生成した出鱈目だらけの文章しか読まない奴がいるからな
131: 07/04(木)06:42 ID:9Dvg40xF0(1) AAS
醒めた炎読んだけど、吉田松陰は伊藤と一緒に
亡骸を引き取りに行って弔ったぐらいしかイメージない。
132: 07/04(木)09:32 ID:wJCj627+0(1/7) AAS
醒めた炎には
「小五郎の藩校時代の旧師、吉田大次郎(松陰)も江戸に来て」
とあって、これが松陰について触れた最初の記述だね
133: 07/04(木)09:39 ID:wJCj627+0(2/7) AAS
木戸孝允文書には松陰との手紙もあるし
松陰は木戸を「事をなすの才あり」と評したし
小五郎が村田蔵六と連名で幕府に提出した「竹島開拓建言書草案」(ただし、
この場合の竹島は現在で言う鬱陵島)は、松陰の竹島開拓論が原型だし
外部リンク[html]:www.pref.shimane.lg.jp
134: 07/04(木)09:42 ID:wJCj627+0(3/7) AAS
ソースを要求する前に、wikiに載っていることくらいは勉強してほしいよね
135: 07/04(木)09:53 ID:wJCj627+0(4/7) AAS
松陰との関係に深さは感じられんとか、勉強不足なだけだろ
136: 07/04(木)09:58 ID:wJCj627+0(5/7) AAS
松陰が密航に失敗した後、小五郎が来原良蔵とともに藩に海外留学願いを出しているんだぞww
熱血師弟そのものだww
137: 07/04(木)10:03 ID:wJCj627+0(6/7) AAS
そういう歴史の流れがあるから、長州ファイブの密航が藩に認められたんだよ
138: 07/04(木)10:07 ID:wJCj627+0(7/7) AAS
松陰がやろうとしたことは失敗ばかりだったけど、小五郎や塾生らの長州藩士がちゃんとその遺志を継いだんだよ
深みが感じられないどころか、深すぎて驚くことばかりだよ
139(1): 07/04(木)23:01 ID:3yT4GI1S0(1) AAS
京都ホテルオークラは、江戸時代には長州藩邸が置かれていた場所にあります。ホテルの西側には、桂小五郎像が立っています。
桂は吉田松陰の門下生であり、長州藩における討幕派の中心人物でした。池田屋事件では難を逃れ、禁門の変では危機を乗り越え、芸妓の幾松(のちの妻)の助けも借りて、一流の剣客でありながら人を斬らずに生き抜いたという話は有名です。慶応2年(1866年)には、坂本龍馬の仲介で薩長同盟が締結されましたが、この成功には桂の力が大きく貢献しました。
維新後は木戸孝允と改名し、新政府で参議として版籍奉還や廃藩置県など、数々の重要事業に尽力しました。しかし、大久保利通と対立し、明治10年の西南戦争では「西郷いいかげんにしろ」という有名な最後の言葉を遺し、国を憂えて戦中に京都で病死しました。享年44歳。維新の功労者でありながら、畳の上で亡くなった数少ない人物の一人です。
140(1): 07/05(金)04:04 ID:C9WkNoKi0(1) AAS
>>139
改名は維新前な
AIは駄目だな
141(1): 07/05(金)20:51 ID:dzQ9glFZ0(1) AAS
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
すぐ2500P+2500P手に入ります
142(1): 07/05(金)23:49 ID:08hTTtF90(1) AAS
>>140
よくもまあ、そんなウソを堂々と
お前あれだろ? あちこちでAI指摘してる風で、荒らししてるやつだろ?
やめとけよ、ウザいから
143(2): 07/06(土)00:29 ID:bGNS40620(1) AAS
Wikipediaに
「前述の通り国泰寺会談において毛利側の吉川が幕府側の永井に桂小五郎と高杉晋作は死去したと言明したため、公には利用出来なくなる。「木戸」姓は、第2次長州征討前(慶応2年)に藩主・毛利敬親から賜ったものである。 「孝允」名は、桂家当主を引き継いで以来の諱(いみな)だった」
って書いてあるだろ
慶応2年(1866年)に藩主の命で「桂小五郎孝允」から「木戸貫冶孝允」に改名している(その後「木戸準一郎孝允」に)
木戸のWikipediaすら読まない奴が木戸のスレに来んなよ・・・
144(1): 07/06(土)00:37 ID:+05RmFJ50(1) AAS
>>142
お前近代史板のあちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ
145: 07/06(土)04:07 ID:P9X4tTzJ0(1) AAS
逃げの小五郎よお!!
146(1): 07/06(土)08:41 ID:aGwqJ45f0(1) AAS
攘夷思想に燃える河上彦斎の情熱は、まさに尋常ではないものだった。しかし、その頑固な姿勢は、明治維新政府樹立後、問題視されることになる。
明治4年(1871)11月、岩倉使節団に加わって海外渡航を控えた木戸孝允(旧名:桂小五郎)は、裁判官の玉乃世履を呼び寄せ、次のように告げたという。「河上彦斎は一代の豪傑ではあるが、依然として攘夷論を頑なに唱え続けている。いずれ国家に害毒をなし、文明の妨げとなることだろう。私が帰国する前に、河上を処断しておいてくれ」と。(河上彦斎言行録より)
新生日本を守るためとはいえ、木戸の決断は非情なものだった。この時、彦斎はすでに参議・広沢真臣暗殺の嫌疑で投獄されていたが、玉乃は彦斎の死刑を忍び難く、最後の説得を試みた。しかし、彦斎はついに翻意することはなかった。そして、翌12月4日、最後まで攘夷志士として生きた彦斎は、小伝馬町の刑場で処刑されたのだった。
たまに騒いでいる>>144のID:+05RmFJ50は、自分が荒らしになってる事に気づいていない、ただの阿呆なんだろうなと思う。
147: 07/07(日)22:09 ID:VqCU7bDK0(1) AAS
>>141
試してみる価値があると思うな
148: 07/09(火)04:33 ID:8R259Ku60(1) AAS
そうかお
149: 07/11(木)03:46 ID:v5WQ4vQg0(1) AAS
きどこういんこういん
150: 07/18(木)04:12 ID:50yHWqHW0(1) AAS
こごろう
151: 07/18(木)20:08 ID:KYnqu8TH0(1) AAS
>>146
河上に鼻つままれ持ち上げられた木戸が恨んだんだろ
152: 07/19(金)16:14 ID:U9paR2TV0(1) AAS
>>143
あちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ
153: 07/27(土)05:16 ID:AtmBeoHK0(1) AAS
木戸こそ維新リーダー
154: 08/03(土)04:58 ID:igmXvE030(1) AAS
真の英雄
155: 08/05(月)12:09 ID:GqGWddIk0(1/8) AAS
sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞行為、sage行為は華麗にスルーしましょう。
幕末・明治に関する小説、テレビドラマ、映画の話題も大歓迎です。
木戸孝允周辺の人々に関する話題も積極的に議論しましょう。
木戸孝允に興味を持った方は、以下の文献を参考にしてみてください。
松菊木戸公傳
木戸孝允日記
木戸孝允文書
木戸孝允遺文集
木戸孝允関係文書
これらの文献は、多くの大きな図書館に所蔵されています。
156: 08/05(月)12:10 ID:GqGWddIk0(2/8) AAS
松尾正人『木戸孝允』は読んでいるという前提で話を進めます。
木戸の名前を冠した文献としては、以下のものが挙げられます。
長井純市「木戸孝允覚書─分権論を中心として─」『法政史学』第50号、1998年
森川潤『木戸孝允とドイツ・コネクションの形成』広島修道大学研究叢書第93号、広島修道大学総合研究所、1995年
内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」『日本歴史』12月号、吉川弘文館、2008年
五十嵐暁郎『明治維新の思想』世織書房、1996年(収録の木戸孝允論はおすすめ。この部分のみネットでも読めるので検索してみてください。)
落合弘樹「国家構想の展開と木戸孝允─往復書翰から見た木戸孝允と井上馨─」『明治大学人文科学研究所紀要』第64号、2009年(これも検索すれば読めます。)
木戸に関する興味深い論文が掲載されていると思われる文献としては、以下のものが挙げられます。
松尾正人『廃藩置県 近代統一国家への苦悶』中公新書、1986年
松尾正人『維新政権』吉川弘文館、1995年
省9
157: 08/05(月)12:12 ID:GqGWddIk0(3/8) AAS
尾本氏の小説と齋藤氏の評論、両方読まれていますか?
それともどちらか一方でしょうか?
両方読んでいるという方もいらっしゃるのでしょうか。
価格や読破時間を考えると、私はほとんど評論の方しか読まないのですが、
晩年の病と死に至る過程の記述については、小説の方にもう少し詳しく書かれていたら…という思いが拭えません。
やはり木戸氏の生涯を考えさせられると、その部分で感傷に浸りたい気持ちになります。
小説はまだ書店で見つけられていないので、一度現物を見てから購入を決めたいと思います。それまでは競馬のPOG本で時間を潰そうと思います。
(都内のある大型書店の検索システムでは「在庫あり」と表示されていたのですが、実際に指定された場所にあったのは齋藤氏の評論だけでした。これは担当者が入力ミスをしたようです。)
158: 08/05(月)12:52 ID:GqGWddIk0(4/8) AAS
斎藤本は、研究者向けに書かれた専門書であるため、一般の読者にはやや難解な部分があります。また、研究者の傾向として、既によく研究されている部分については深く掘り下げず、簡潔にまとめる傾向があるため、伝記として読む場合、物足りなさを感じる箇所も少なくないでしょう。
例えば、最初の章では、吉田松陰との関係や丙辰丸盟約、文久2年の攘夷藩論への転換に至る経緯など、一般読者が特に興味を持つ部分も、比較的あっさりとした記述に留まっています。特に、義弟である来原良蔵の自刃事件については、木戸孝允よりも年上であったという点など、興味深いエピソードがあるにも関わらず、詳細な描写が不足しているのは残念です。
さらに、本文中には「これについてはすでに指摘されている」といった脚注が多く見られ、より深い考察を期待していた読者にとっては、物足りなさを感じてしまうかもしれません。
上記のように、斎藤本は学術的な厳密性を重視しているため、一般読者が求める詳細なエピソードや背景説明が不足している点に注意が必要です。
159: 08/05(月)16:29 ID:GqGWddIk0(5/8) AAS
明治4年6月27日の木戸孝允の日記に、「わが論のたちまちに彼の心腹に入るを覚ふ。西郷の公心、余の心に徹し覚えず感歎せり」とある。
「醒めた炎」では、この「わが論」を廃藩置県と解釈しているが、少し無理があるように思われる。制度改革全般を指しているのではないだろうか。
参考までに、木戸孝允遺文集(妻木忠太編)によると、「明治4年6月27日西郷が始めて公(木戸)が言う廃藩置県の主意を了解した」とあり、「醒めた炎」の解釈と一致する。
160(1): 08/05(月)16:31 ID:GqGWddIk0(6/8) AAS
どうしても、『冷静』『慎重』ってイメージに引っ張られるけど、丙辰丸の盟約を結んだり、廃藩置県では最も急進派だったり、『まずやってみる』っていう手数の人だったんじゃないかなぁと思ってたら、自分を『狂気軽躁』と分析してたようで、やっぱりと思った。村松剛さんは『その形容は似つかわしくないけれど』と書いてるけども
161: 08/05(月)16:33 ID:GqGWddIk0(7/8) AAS
木戸孝允と山田顕義の関係は、明治維新を担った二人の人物間の信頼関係としてしばしば強調される。山田顕義は、長州藩出身の学識豊かで礼節を重んじる人物であり、木戸孝允もその能力を高く評価していた。
しかし、「木戸孝允が山田顕義を最も信頼していた」と断言するのは、他の同志との関係性を考慮すると、必ずしも正確ではない。木戸孝允は、高杉晋作や伊藤博文など、様々な個性を持つ人物と協力し、維新を成し遂げた。これらの関係性もそれぞれ特徴があり、単純に比較することは困難である。
また、功山寺挙兵後の萩の町に対する扱いをめぐる記述についても、修正が必要だ。高杉晋作や伊藤博文が「放火を得意としていた」という表現は、彼らの行動の一部を切り取って過度に強調しており、彼らの全人格を捉えるには不十分である。彼らは、藩政改革を推進する上で、時には過激な手段も厭わなかったが、同時に新しい国家建設のために多大な貢献をした人物でもある。
山田顕義が萩の町の焼払いに反対したのは事実だが、その理由は、単に「美しい町を保存したい」という感情的なものではなく、藩政改革の長期的な視点から、町を破壊することは生産的ではないと考えたためであると考えられる。木戸孝允が山田の意見に耳を傾けたのは、彼の見識を信頼していたからであり、必ずしも山田の性格的な特徴が決定的な要因であったわけではない。
さらに、萩の町が現在も残っているのは、山田顕義の反対だけが理由ではない。明治政府の政策や、地元住民の努力など、様々な要因が複合的に作用した結果である。
省1
162(1): 08/05(月)16:35 ID:GqGWddIk0(8/8) AAS
慶応元年(1865年)の萩の戦いにおいて、山田顕義は、萩城下を戦火から守るために尽力した人物の一人として知られている。高杉晋作が萩城下への攻撃を主張する中、山田は山県有朋や太田とともに、藩主や町民を巻き込む無用の犠牲を避けようとした。
山田のこの姿勢は、彼自身の経験や価値観に深く根ざしていたと考えられる。京都での戦火を目の当たりにした山田は、無辜の民が戦争によってどれほどの苦しみを味わうかを知っていた。そのため、萩城下を戦場とすることに強い抵抗を感じたのである。
「去年の夏、京都の戦で都は火の海につつまれた。おれたちはその中を逃げてきた。一番難儀をこうむったのは罪もない町民だった。萩の町を焼いちゃぁいけん」
山田の発言は、単なる感情的な訴えではなく、戦争の残酷さに対する深い洞察に基づいたものであった。彼は、武力による解決が必ずしも最善の策ではないことを悟っていたのである。
しかし、高杉晋作をはじめとする急進的な志士たちは、時の政府に対する不満を爆発させ、武力による倒幕を急いでいた。彼らの目には、山田たちの主張は、改革を遅らせる妨げと映ったのかもしれない。
省1
163(1): 08/06(火)08:22 ID:EFm4WDPv0(1) AAS
長文荒らしウザすぎ
164: 08/06(火)12:54 ID:hejdQjaO0(1/2) AAS
>>163
ゆとり世代の低学歴は100文字以上読めないらしいね
165: 08/06(火)12:55 ID:hejdQjaO0(2/2) AAS
>>162
山田顕義って、すごい人だったんですね。萩の戦いでの彼の行動は、ただ単に平和を願っていただけじゃなくて、京都での経験からくる深い悲しみや、戦争の残酷さに対する深い理解があったからこそなんだと感じました。
高杉晋作さんみたいに、すぐに武力に訴えかける人もいる中で、山田さんはもっと冷静に状況を判断しようとしていた。それは、彼が単に臆病だったからじゃなくて、もっと大きな視点で物事を考えていたからだと思います。
166(1): 08/06(火)13:43 ID:svpUdtuW0(1/2) AAS
とぶが如くで山田は会津嫌いって書いてたけど、
どうせ嘘だと思うw
167: 08/06(火)17:24 ID:7k1X/xzT0(1) AAS
>>160
いちいち俺の思ってることと合うなと思ったら2スレほど前の俺の書き込みじゃんw
なんか分かんないけど採用してくれたんだな
168(1): 08/06(火)17:47 ID:WuiRpPJr0(1) AAS
木戸は嫉妬深く粘着質の鬱病気質とは司馬遼太郎が一番最初に指摘していたぞ。
169: 08/06(火)18:45 ID:svpUdtuW0(2/2) AAS
伊藤と森がアメリカと協定を結ぼうとして最恵国待遇があるのを知って
木戸と岩倉がブチ切れた話だろ。
伊藤と大久保は委任状取りに帰るし。
伊藤と木戸に関しては伊藤が悪い。
170: 08/08(木)06:01 ID:Le585BL50(1) AAS
>>168
大村益次郎の手紙にも書いてあるしな
171(1): 08/10(土)07:10 ID:KMGrQv1/0(1) AAS
大村を発掘した木戸さんこそ救世主
172: 08/10(土)17:59 ID:/juR8BBg0(1) AAS
>>143
前述の書き込みにおいて、国泰寺会談で吉川氏が桂小五郎と高杉晋作の死去を明言したとの記述がありますが、現存する史料に基づけば、この説を裏付ける確固たる証拠は見当たりません。同会談に関する記録は複数存在しますが、いずれも吉川氏のこのような発言を記しているものは確認されていません。
吉川氏がこのような虚偽の情報を伝えたとすれば、その目的は、交渉の有利な展開を図るための策略であった可能性が考えられます。しかし、この点については、さらなる史料に基づいた詳細な分析が必要となります。
木戸姓・孝允名の由来については、書き込みの内容は概ね事実と一致しています。桂小五郎が木戸姓を賜ったのは、藩主・毛利敬親からの信頼の証であり、孝允名は桂家当主を継承した際に名乗った諱です。
173: 08/14(水)06:57 ID:RFfjEs7g0(1) AAS
そうだったか
174(1): !id:ignore 08/17(土)18:32 ID:wSwGUUbv0(1) AAS
近所に斎藤弥九郎先生の墓があるよ
東京都の史跡
もう子孫がいなくて東京都が管理してる
線香を上げてきた
175: 08/26(月)09:49 ID:0m1nW6qs0(1) AAS
大河ドラマスレ消えたのか
176: 08/28(水)19:52 ID:fr+RpXvN0(1) AAS
>>174
子孫が絶えたのか…。
177: 09/07(土)13:04 ID:n0/uiydh0(1) AAS
そうじょあ
178: 09/17(火)06:02 ID:4zqokcii0(1) AAS
松菊
179: 09/25(水)04:49 ID:lSFbf5Bu0(1) AAS
天才政治家
180: 09/25(水)13:49 ID:h1JZKALK0(1) AAS
いまさらだがモーニング連載泰三子『だんドーン』(主役は薩摩の川路)の長州番外編
松陰と桂の関係性の話ですごい説得力があった
双璧の性格までよく調べて書いてんな!と感心したわ
181: 09/26(木)13:17 ID:FCej4Py70(1) AAS
うむうむ
182: 09/26(木)17:11 ID:sP8u2YTf0(1) AAS
だんドーン、薩摩のほうの人物はコレジャナイ感すごいのにね
183: 09/26(木)19:54 ID:EmkhkCN00(1) AAS
>>166
山田顕義の三女と結婚した松平容保の三男が山田家を継いでるから嫌いってことはなかっただろう
184: 09/29(日)07:28 ID:6rQwyFs40(1) AAS
だんドーン初めて知ったわ
185(1): 10/04(金)19:37 ID:xcYrKs5D0(1) AAS
一坂太郎『写真集 桂小五郎』(2007年、萩ものがたり)
外部リンク[pdf]:hagilib.city.hagi.lg.jp
186(1): 10/07(月)05:54 ID:92eoxC8l0(1) AAS
野球なら打ってよし走ってよし守ってよしのオールラウンドプレーヤー。
それが木戸孝允。
187(2): 10/11(金)07:56 ID:9elwmdtB0(1) AAS
木戸って戦争で実際に戦った経験とか実績ってあったっけ?
188: 10/12(土)06:05 ID:FmpMGQqv0(1/2) AAS
>>186
野球なら監督よりヘッドコーチやな。
名参謀。
189: 10/12(土)06:06 ID:FmpMGQqv0(2/2) AAS
>>171
そうでしょう
190: 10/12(土)11:17 ID:y4/3kWad0(1) AAS
最恵国待遇?
191(1): 10/13(日)05:45 ID:1WIJvmen0(1) AAS
木戸孝允こそ最高のスターじゃないか!
192: 10/13(日)06:17 ID:cki1EiXf0(1/2) AAS
人物眼、見識、人格・・・。
すべてにおいて日本史上最高なのが木戸孝允。
193: 10/13(日)06:21 ID:cki1EiXf0(2/2) AAS
見識だって現代民主主義国家に通ずることにすべてにかかわってるから
日本史上最高っていっても誰も否定できない。
女子を含む国民教育、四民平等、立憲主義、議会主義、新聞保護・・。
194: 10/13(日)10:38 ID:UmxKcpYZ0(1) AAS
最後は精神やられて鬱病で死んだ
195: 10/15(火)15:30 ID:GFV9h/zG0(1/3) AAS
>>187
大村益次郎を発見して抜擢した
196: 10/15(火)15:33 ID:GFV9h/zG0(2/3) AAS
>>187
司馬遼太郎「翔ぶが如く」では西南戦争の時に西郷軍の背後を突く別動隊を海軍に乗せて送り込め
と大久保に迫って実施させた。
これが膠着状態を打破して政府軍の勝ちにつながった。
197: 10/15(火)16:25 ID:syp78p3b0(1) AAS
どっちも実際に戦ってないじゃん
こういう日本語の通じない木戸オタがイメージ下げてる気がする
198: 10/15(火)17:17 ID:GFV9h/zG0(3/3) AAS
戦場で戦うだけが軍人ではない。
日露戦争の時の山本権兵衛海軍大将は東京にいたが必死に戦った。
199(2): 10/16(水)05:09 ID:erp1QbaP0(1) AAS
>>191
案外そうだと思うんだけどね
何故か近代史学では評価が低いんだよな
木戸孝允ほど過小評価されてる日本人も近代史ではいないかもしれんよ
200: 10/16(水)06:32 ID:RCSjpUpD0(1) AAS
原敬など旧幕臣の子孫どもが荒らした大正時代の混乱を考えれば
旧幕臣の厳罰処分を要求した木戸孝允の先見性の正当性が証明されてる
201(1): 10/16(水)18:16 ID:leB6FTsl0(1) AAS
脱退騒動の時に木戸が指揮とったんじゃないか?
202(2): 10/17(木)05:41 ID:VVP57/VE0(1) AAS
>>199
長生きしてれば木戸が初代総理大臣になる予定だった。
203: 10/17(木)11:16 ID:Vn9YOUls0(1) AAS
>>202
大久保だろw
204: 10/17(木)14:31 ID:lFPoDCPD0(1) AAS
大久保は木戸を立てていたので初代は譲っただろうな
205: 10/17(木)19:40 ID:UI8YaPgM0(1/2) AAS
>>201
奇兵隊の反乱のときだな。高杉の父も奇兵隊の敵にまわった。
206: 10/17(木)19:41 ID:UI8YaPgM0(2/2) AAS
ところで「花神」の山縣有朋が亡くなった。
207: 10/18(金)05:59 ID:o9YmlB+/0(1) AAS
>>199
いまだに木戸孝允を評価できない日本人が多いのは
まだまだ日本に真の民主主義が根付いていないからなんだろ
木戸孝允が最高級の評価をされる様になってこそ日本が真の民主主義になる時節である
208: 10/18(金)06:38 ID:4U7J0l7S0(1) AAS
司馬遼太郎だけでなく他の歴史小説家の幕末作品を読んでも余り評価がよろしくなかったからな
(むしろ司馬遼太郎こそ木戸を褒めるときは褒めちぎってくれてる)
新選組や白虎隊に、お涙頂戴してる尚武礼賛に走ってしまう日本人が民主主義を理解できていないのはそのとおり。
209: 10/18(金)08:18 ID:c61vx3ju0(1) AAS
とぶが如くで、木戸松子が歌舞伎役者と浮気したみたいな
のあるけど、どうせゴシップ本から取ったんだろうなって思うw
司馬は出典明らかにしないいい加減な奴だから。
210: 10/18(金)11:04 ID:sv3wSmxb0(1) AAS
>>185
この本は、残念ながら一坂先生の思い込みにより事実と違う記述が多く、絶版になっている。
今なら、田口由香『木戸孝允 −近代国家への志−』がオススメ
211: 10/19(土)05:37 ID:SeJnBIPL0(1) AAS
藩閥も世襲も否定。
19世紀の日本人なのにイギリス人なみに進みすぎてるのが木戸孝允。
いまだ世襲や派閥から抜け出せない現代の日本人より先進的かもしれない。
212(1): 10/19(土)07:02 ID:/dthX97M0(1) AAS
徳川幕府が200年以上も支配してる当時の日本人の感覚ではないからなw
実は木戸孝允こそいなければ維新は失敗に終わってたかもしれんぞ
これだけ先進的な日本人は他のアジアにはいないし欧米でも当時は少なかったんじゃないか?
奇跡の長州人こそ木戸孝允
213: 10/19(土)07:57 ID:4b4iVzw+0(1) AAS
麻原信者と同じ臭いがする
214: 10/19(土)20:04 ID:KzcHKXne0(1) AAS
イギリスなんて貴族居るし貴族院あるだろ
215: 10/19(土)21:07 ID:0sgGvtKb0(1/2) AAS
幕末の日本どころか世界で最も革新的だったのが木戸孝允だろ?
216: 10/19(土)21:17 ID:0sgGvtKb0(2/2) AAS
>>212
幕末の日本どころか世界で最も革新的だったのが木戸孝允だろ?
217: 10/20(日)07:43 ID:N1JvBUNq0(1) AAS
>>202
木戸が総理にならないことで明治維新は失敗に終わったな
218(1): 10/20(日)18:11 ID:nmZEY7gg0(1) AAS
木戸はドイツ式を見習おうとしてたので
板垣とかの方が先進的だった
219: 10/20(日)21:04 ID:0RmpDk+h0(1) AAS
>>218
税金をたくさん納めた人間だけが政治に参加できるという考え方が先進的とは思えないが
220(2): 10/21(月)06:21 ID:4UuiqB8W0(1) AAS
自由だの民権だのと叫びながら全国各地で自由党の武装闘争路線を推し進めた板垣退助なんぞ
しょせんは暇を持て余した革命ごっこから抜け出せない三流志士にすぎん
真に国民国家の創設を考えていたのは木戸孝允、大久保利通、大隈重信の三人ぐらいだろ
221: 10/21(月)17:22 ID:F1y9+PvZ0(1) AAS
>>220
板垣みたいな英雄気取りの無責任野郎が日本初の近代政党の党首だったなんて
2024年の今日まで日本の政党政治が常に失敗してるわけだ
板垣の自由党こそ政党政治を失敗に終わらせた元凶だな
222: 10/22(火)06:06 ID:Bycj2iUc0(1) AAS
あんなの江藤もだが木戸孝允に比べたら3流だろ
223: 10/22(火)16:14 ID:5y3YBTIb0(1) AAS
藩閥も世襲も否定。
ここまで先進的な人間は欧米にも当時は数人しかいないだろ。
224: 10/22(火)22:14 ID:Wxn8gZFl0(1) AAS
世界の数人とは土佐閥も地位も権力も華族も否定した板垣の事だな
225(1): 10/23(水)06:01 ID:f50FxU8t0(1) AAS
>>220
板垣みたいな英雄気取りの無責任野郎が日本初の近代政党の党首だったなんて
2024年の今日まで日本の政党政治が常に失敗してるわけだ
板垣の自由党こそ政党政治を失敗に終わらせた元凶だな
226: 10/23(水)15:50 ID:hU04IHoF0(1) AAS
現実を見れる夢想家が木戸孝允
現実を見れない夢想家が板垣退助
227: 10/23(水)19:08 ID:4VgCQ+YM0(1) AAS
彰義隊戦争の時に官軍批判して逮捕された江湖新聞の
福地源一郎を釈放させたのが木戸孝允。
福地源一郎が今の毎日新聞の東京日日新聞の
主筆になるから木戸の見識の高さは凄い。
228: 10/23(水)19:43 ID:lZp9GTw10(1) AAS
木戸は長州閥を優遇せいと大久保に長時間談じ込んでるからな
征韓論の後に真の志士・板垣を政府に復帰させてるから少しは見識があったかも
229: 10/24(木)03:27 ID:x+UYiRQ60(1) AAS
前期は大隈、後期は陸奥を推してた木戸が
長州閥だけを優遇しろとはいわないんじゃないか?
岩倉使節の後、土佐と佐賀に乗っ取られたときには
協力しただろうが。
230(1): 10/24(木)06:04 ID:m5xu7jy70(1/2) AAS
一坂太郎も木戸はリアリズムの権化だと最高級の評価してたな
西郷、大久保、岩倉が強く主張してた徳川慶喜の処刑を阻止させたのも木戸のリアリズム政治感覚
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